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ぼくらの冒険譚  作者: 蒼井七海
第三章 交わらぬ思い
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駆け抜ける

 闇の向こうに見えるたくさんの目。魔物が群れをなしているのだ、という事実を、さすがのアニーも頭の片隅では理解していた。だが、頭の理解に心が追いついていかない。

 なんだあれは。怖い、怖い、怖い――

 逃げ出したい衝動が駆け巡り、全身が震えだす。アニーは、剣の柄を握る手に、力を込めた。

「落ちつけ」

 前から声が聞こえる。ロトだ。アニーは、大きな背中をすがるように見た。

「深呼吸だ。落ちついていなけりゃ、倒せるものも倒せない」

「……う、ん」

 震える声で返したアニーは、めいっぱい、深呼吸をした。

 洞窟の中の空気は、石と金属のにおいで満ちていて、少し苦い。それでも、気分を落ち着けるのには役立ってくれた。

 五回ほど深呼吸をすると、体の震えもおさまってくる。アニーはうなずいて、しっかり地面を踏みしめた。

 闇の中から、何かが出てくる。魔物だ。それも、ものすごい数の。今、ぞろぞろと現れてきているものだけでも二十は下らない。実際は、もっといるだろう。

 犬、猫、狼、鳥――姿かたちは様々だが、その群れは、敵意に満ちていた。低いうなり声を上げながら、こちらに飛びかかる機会をうかがっている。まるで、獲物を狙う狩人のようだ。

 アニーは再び全身が緊張するのを感じながら、ロトの横に並んだ。青年は、苦虫を噛み潰したかのような顔で呟いた。

「おいおい、どんだけいるんだよ……」

 アニーも同意見だ。みるみるうちに膨れ上がる殺気を感じて、生唾をのみこむ。反射的に剣の柄に手をかけた。

 そして、魔物は一斉に動き出した。

 雄叫びが遺跡全体を震わせる。彼らは叫びながら、なだれこんできた。アニーは引きつった顔で剣を抜き、ロトは無言で構えをとる。既にその指先は細かく動いており、あっという間に魔方陣が浮かびあがった。

 赤く発光した魔方陣は炎となり、魔物の群れへと殺到する。アニーたちの目の前を紅蓮が覆い尽くし、襲いかかってきたものたちを一瞬で焼き払った。

「こんな通路で固まるなんて、焼いてくれと言ってるようなもんだ」

 ロトが冷淡な声でぼやく。その間にも、魔術の炎はチカチカと瞬きながら消えていく。

 瞬間、アニーが駆けだした。炭となった魔物を飛び越え、突っ込んできた猫の魔物を薙ぎ払う。返す刃で、横から牙を向けてきた狼を切りはらった。血糊を払うひまもなく、後から後からやってくる魔物たちを切ってゆく。

 奥の道から、光る何かが飛んできた。アニーは息をのんで横に飛ぶ。それが合図だったかのように、ロトが無言で火の矢を放った。火の矢と飛来してきた何かは、空中で激しくぶつかり、水蒸気を噴き上げながら互いに砕け散る。飛んできたのは氷だった。

 暗闇から、胴の長い猫が勢いよく飛び出してきた。白い息を吐き出しているところを見ると、この魔物がさっき氷を放ったらしい。アニーはとっさに、剣を一文字に構えた。魔物の爪が刃に当たり、高い金属音が響く。アニーは腕に痺れが走ったのを感じ、咄嗟に力を込めた。

 猫が後ろへ大きく跳躍する。瞬間、辺りが真っ赤に光った。火だ。空中を、火の球が飛んでいる。あたりにいた魔物がまとめて焼き払われ、断末魔が雑音のように響く。

 声のせいなのか、それとも火に怯えたのか、猫の動きが止まった。気付いたアニーはすぐさま地面を蹴る。一気に猫と距離を詰めると、剣を振りおろした。肉と骨を断つ嫌な感覚が伝わる。直後、猫の頭から真っ赤な血が噴き出した。

 猫の体が、地面に崩れ落ちる。それを見届けたアニーは、ほっと息を吐いた。

「び、びっくりしたあ~」

 気の抜けた声が口から漏れる。だが、すぐに背後から叱声が飛んだ。

「まだだ! 油断するなよ!」

「ひゃうっ!?」

 素っ頓狂な声を上げたアニーが前を見ると、魔物の群れが新たに沸き出していた。少女の顔が引きつる。

「ほ、ほんとに、どんだけいるのよ!?」

「わからん」

 言いながら、ロトがアニーの隣に駆けてくる。フェイも後ろから恐る恐るついてきていた。

 青年の鋭い目が、死霊のようにゆらゆらと動く群れをにらみつける。

「だが、確かなのは……ここで立ち止まって戦っていても、どうしようもないということだ」

 低く、厳しい声に、アニーとフェイははっとした。

「じゃ、じゃあ、どうするっていうのよ?」

 怯みながらアニーが問う。

 すると、ロトは口角を上げた。意地の悪い笑みだ。

「分かってるだろ?」

 言ったロトは、すっと右手を上げる。魔物たちが、警戒するように動きを止めた。彼らと刹那睨みあった青年は、はっきりとした声で言いきる。

「走り抜けるぞ!」

 フェイが背後で身を竦ませたのが分かった。アニーもそんな無茶な、と思っていたが、心に反して体は勝手に動いていた。剣を構えて、いつでも走りだせるように腰を落とす。

「今から俺が、ちょいと風を強くして群れを割る。その瞬間に、全員で一気に走り抜ける。魔物を殺すのは必要最小限に抑えるんだ。きりがねえ」

 早口で言った彼は、唇で軽く舌を湿らせる。

「フェイは、俺とアニーについてこい。絶対、離れるな」

「は、はい!」

 フェイが震えた声で叫ぶ。それを聞いたロトが、唐突に左手を腰のあたりに伸ばしたかと思うと、素早く何かを引き抜いた。

 短剣だ。一般的なものよりかなり小ぶりで、暗器に近い。ロトは短剣を見もせず、指で軽く回した。そして――静かな声で告げる。

「行くぞ」

 アニーも、フェイもうなずいた。

 ロトの指が躍り、ものの数秒で魔方陣を描き上げる。緑色に発光した方陣は、周囲のくぐもった空気を吸い込み、間を置いて、吐き出した。

 風が一直線に吹き抜け、魔物の群れを貫く。すると魔物たちは、洞窟の両側の壁に向かって、丸ごと吹き飛ばされた。声を上げる間もなく岩壁に叩きつけられている。

 三人は、同時に駆けだした。二つに割れた群れの間を抜けながら、アニーが声を上げる。

「ロト! これって」

「洞窟に吹いてる風を一か所に集めて、ちょっと強くしたんだよ! 簡単な術だ!」

 答えながら、彼は左手で短剣を一閃する。暴風を耐えて襲いかかろうとしていたコウモリに突き刺さり、絶命させた。アニーも襲ってくる鳥に気付き、走りながらに剣を突き出した。偶然にも目に命中し、相手を悶絶させる。

「てか、フェイ邪魔! どこつかんでんの!」

「しょうがないじゃないか! こうしないとついていけないよ!」

 アニーの暴言に、彼女の服の裾を掴んでいるフェイが、涙声で抗議した。彼はすでに息が上がっているようだ。アニーのように普段からたくさん動いているわけではないから、仕方がない。

 暴風に耐えた魔物は、アニーの予想より多くいた。三人――実質アニーとロトの二人――は、剣と魔術を振りまわすようにして駆け抜けていく。当然、そんなやり方では負傷は避けられない。魔物の向こうに、何もいない空間を見た頃には、二人とも細かい傷を作っていた。

「おらあ!」

 乱暴な掛け声とともに、ロトが真正面の一角の狼に氷を突き刺す。横から飛びだしたアニーは、大きなネズミのような魔物を両断した。

 二体が倒れると、目の前が急に明るくなる。

「抜け……た?」

 フェイが呆けた声を出す。

 広がっているのは、最初に見た集会場より少し狭い空間だった。円形の空間で、壁に沿うようにして松明がぶら下げられている。ひどく静かな場所だ。

 誰かが、息を吐き出す音がした。ぼんやりと目の前を見るアニーの横で、ロトがぼそりと言う。

「抜けたな」

 小さな、しかしはっきりとした声のおかげで、二人の子供もようやく実感を持つ。揃って、どっと力を抜いた。

「はあ~」

「び、びっくりしたー!」

 大きく伸びをするアニーの隣に、フェイがよろよろと出てくる。二人とも完全に脱力しきっていた。

 一方、ロトは二人を尻目に考え込んでいる。

「こんな狭い洞窟じゃ、考えられないほどの群れ……。さっきから流れてくる、変な空気の影響か……?」

「どうかしたの?」

 少女の瞳が、青年を見上げる。

 青年は、少し言いにくそうに答えた。

「いや。群れを突っ切ってる途中から、なーんか妙な気配を感じるようになってな。多分、魔力だと思う。もしかすると、魔物たちは『これ』に刺激されて」

「興奮して、凶暴になった――」

 ゆっくりと、フェイが続きを引きとると、ロトは厳かにうなずいた。

 子どもたちの表情が、目に見えて暗くなる。魔物たちを刺激している奇妙な力。それに向かって、自分たちは歩いていかなければならないというのだ。

雪月花(シュネー・ブルーメ)』の探索が、ここまで大変なことになるとは。アニーもフェイも、思わずにいられなかった。

 黒い靄のような嫌な気分が、胸にしみ出す。だが、暗く沈んでいる場合ではない。沈みかけた気分を変えるべく、アニーは自分の頬を三回、叩いた。

「とりあえず! 一回休憩にしない? なんかすごい疲れたし」

 つとめて明るい声で、彼女は言った。もちろん大声にならないよう気をつけはしたが。

 やや強引な言葉を聞いて、フェイとロトが顔を見合わせる。やがて彼らは、微かに笑った。

「そう、だね」

「傷の手当てもしなきゃならんしな」

 フェイの笑みは弱々しい。ロトも、心なしか青ざめていた。だが、三人ともほっとしていたのは確かである。

 だからこそ、だろうか。彼らはこのとき、気付いていなかった。

 自分たちが抜けてきたばかりの通路で、いくつかの影が蠢いていることに。


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