森に眠るは神秘の歌姫〜夏休み編 1
ゆっくり更新となりますが、再開させていただきます。
クロイス共和国のほとんどの学校が、一学期終業式を目前に控えていた、その日。
太陽が暑さを主張し、クロイス特有の爽やかな風〈クロシアーノ〉も生温く感じる。
期末試験を終え、三日後からは 約二か月の夏期休暇―――いわゆる夏休みに突入とあって、暑さに鈍感なほとんどの生徒が浮かれていたのだが。
「はあー …………」
普通科一年の中でも特に有名な《金髪天使》ことルシフェルは、重いため息をついていた。
「…… なんだ、なんだ、どうしたんだよ、アイツは?」
「試験、ギリギリで追試は免れたって、言ってたよな?」
「じゃあ、何だ? これから夏の間は バイトで稼ぎ放題じゃなかったっけ?」
「暗〜い ため息なんかついて ―――」
クラスメイトの会話は、すべて聞こえている。
彼らの話は事実だし、特にツッコム要素は無い。と、いうか、ツッコム気力が無い。
「あ、アレか? 一昨日、俺 見ちゃったやつ!」
「何、なに?」
「ほら、長い休みに入るからって、ここぞとばかり、上級生らが 《弟》獲得に躍起になってるじゃん?」
「あー、アレか!」
「入学式んときに大騒ぎになってから、しばらくは静か~…になってたけど、相変わらず 天使サマは大人気だもんなー」
男子校であるアスタルテ学院の中にある、伝統ともいうべき 奇妙な《制度》。
噂によると、ほとんどの男子学校に存在するという 《兄弟の契約》。
上級生が《兄》となり、自分のお気に入りの下級生に《弟》になってほしいと申し込み、受け入れられたら契約成立。
元々は、慣れない新入生を上級生がサポートする意味合いで始まった制度らしいが、年々、違った方向に走る傾向が増えているのが周知の事実であった。
入学式の日以来、ルシフェルに対して 表だって《契約の申込み》をしてくる上級生は減っていたが、夏休み前となれば、話は別。
長い夏休みの間、二人きりの時間を過ごそう ――― なんて、明らかに《親愛の情》ではなく《恋愛感情》目的なのが見え見えだった。
いちいち上級生から《お呼び出し》がかかり、いいかげんウンザリしていたのは確かである。
「……… で? そういった馬鹿げたお誘い以外で、君は何を悩んでいるわけ?」
「え?」
夏だというのに少しも温度を感じさせない委員長サマは、いつでもクールな声だ。
「僕のおかげで追試は免れたし、これからの生活費云々……以外に、君に悩む問題でもあるのかと思って」
「むかっ、相変わらず失礼なヤツだなー。 ボクだって、悩みはいっぱいあるんですー」
「どうせ、どれも考えても仕方のないことばかりじゃないの?」
「それは ………」
「違うっていうなら、何が困っているのか 言ってごらんよ。どうせ君が一人で考えていても、ろくな結論に至らないと思うけど?」
ケイトのいうことは間違っていない。
間違っていないからこそ、腹が立つ。
「……………… ボクがさー、二人いればいいと思って」
「いきなり現実逃避? 最初から、論外だね」
「べ、別に、本気で言ってるんじゃないよ!」
本気で言っていたら、川に沈められそうな雰囲気だ。
何で、今日はそんなに 魔王さまは不機嫌なんだか。
「あ、わかった。ケイトこそ、ひつこい上級生に絡まれていたもんねー?」
「あれだろ、何だっけ、四年生の ……… えーと」
「議員の息子、タイラー? テイラーだっけ?」
「え、ヨギ出身の オレン先輩じゃないの?」
「俺が知ってるのは、トラスト先輩、ほら 《君に踏みつけられたい》とか進級式で言った人!」
「六年のライス先輩なんて、《君の犬になりたい》だろ!」
冷やかすクラスメイトの発言により、ケイト様の瞳に殺意が灯り始めていた。
「君たち…… 揃いも揃って死にたいのかな?」
「だってよー、ルシフェルが来てからは、みんなルシフェルの可愛さを追っかけているけどさ」
「ケイト、お前だって、《色白の美少年》とかって、中等部の頃から 結構《追っかけ》いるだろ?」
「まあ、ケイトの場合、《可愛がりたい》じゃなくて、《イジめて下さい》って希望者ばっかりだけどな~」
大爆笑の連中は、わかっていない。
大魔王サマの稲妻が落ちる五秒前に、ルシフェルは こっそり教室から中庭へと避難したのである。
※ ※ ※
「はー ……… ほんと、ボクが二人いればな~」
もしくは、双子で もう一人の片割れがいたならば。
「ケイトの言う通り、言っても仕方のないことばっかりだから、悩むんじゃないか」
明日から、稼ぎ時なのだ。
長期休みに比例して《大量の宿題》は出ているが、少しずつ片づけるとして、それは たいした問題ではない。
「……… いや、多少 教科によっては苦戦するのもあるとは思うけど」
ごにょごにょと、誰にともなく言い訳をしてみるが、いざとなったら魔王様にでも何でも助けを乞えば何とかなる。
問題は ――――――。
まるで、夏休みの遊びに誘うような、音楽科の先輩の言葉だった。
『アンサンブルに参加してみない?』
アンサンブル――― つまり合奏である。
もとより、ルシフェルのピアノ演奏は《伴奏》向きではない。
本来、影役に徹するべきところを、これでもか、と演奏者を煽り加速させるやり方は、結果的には《主となる演奏者》の音を劇的に飛躍させはするが。
専門家から言わせると、そのような強引な手法は《言語道断》だそうだ。
それ故、堂々と自分を殺さずに演奏できる《合奏》が、ルシフェルにとっては一番気兼ねなく楽しめる演奏形態だといえる。
「……合奏、したいなぁ……」
ただ弾くことだけでも楽しいのに、合奏なんかとくれば、楽しくないわけがない。 まして、優秀なアスタルテの音楽科の面々となんて、正直 お金を払ってでもやる価値はある。
けれど、現実的な話、無理なのだ。
この話を持ちかけてくれた先輩―――音楽科のトーニャによると、夏休み明けの二学期に大々的なコンクールがあって、そこに参加するためのものであるという。
《独奏》と《合奏》の二部門あり、どちらか一方の参加でも両方参加でもよい。ただし、個人の参加ではなく《学校対抗》という条件付きなのだ。
トーニャは言っていた。
合奏の仲間を《絶賛募集中》だ、と。
集まった面子と 揃った楽器を考慮し、どんな曲にするかは今後検討してから決めていくらしい。
「………正直、やりたい。何を放り投げても、やれるもんなら やりたいよ……」
個人の参加であるなら、まだ検討のしようもあるのに。
「学校対抗…… なんて」
自分の性別を偽っている身では、嘘がバレた時に他の人達に迷惑がかかってしまう。
ただ、自分が退学になるだけならいいが、最悪の場合《アスタルテ学院そのもの》の―――コンクール出場資格の取り消し―――なんてこともあり得る。それも、今年度だけでなく、この先 次年度も……となってもおかしくはない。
「……… はぁ………」
嘘をつくことの代償も覚悟も、とっくに決めて入学したはずなのに。
あまりにも毎日が平和で幸せであるせいか、その意識が薄れていたことに改めて気付かされる。
本来の目的―――自分はこのアスタルテで学び、学力をつけて給金の良い仕事に就くことだ。赤点スレスレであろうが、アスタルテで在籍し続ける事だけで、すでにかなりの学力が備わってきている―――はずだから。
弟と妹には苦労はさせたくない。
その一心で、この道を選んだし、決めたのも自分自身である。
それ以外の、自分がやりたい事などの《わがまま》を言っていられる身分ではないのだ。
わかっている―――頭では。
しかし、気持ちまでは すんなりとついていけないのが現状であって。
「……………… はぁ…………」
どうにかして解決策は無いだろうかという思いが、浮かんでは消え……の繰り返し。
悩んだってどうしようもない。
望んでも意味のないことがあるということを、両親がいなくなってから 嫌というほど思い知った。
今さら、考えて 何になる?
浅はかな希望なんて、そう簡単に転がっているわけがない。
単純な話、《生きること》が最優先。
わかっている。
「わかっちゃいるんだけどさぁぁ………」
この学園に入学するまで、こんなにも音楽に溢れた生活になるとは思っていなかった。
もう自分には音楽はできない、と。
技術的にも、精神的にも、経済的にも。
もっともらしい理由なら、難しく考えなくても いくらでも出てきた。
生きることを最優先にしたら、音楽なんてものは どうやったって入る余地など無くて。
それでいいと思ったし、それしかないと思えたし ―――― 何より、そうなったことに、安堵さえした。
これ以上、先の見えない 雲の中を歩かなくていい。
迷わなくていい、苦しまなくていい、と。
音楽から逃げた、その事実さえも時間が風化させてくれる。
―――――― あの時までは。
後輩ヨシュアとの演奏がなければ。
あの時、行方知らずとなっていたチェ・ヨンハと再会しなければ。
「たら、れば…… の話をするなんて、ボクらしくないよね……」
考えても仕方がない。
でも、どうしたって考えてしまう。
それは、なぜ?
「………………………はぁ〜………」
本気だから。
本気で、欲しているから。
振り払っても、振り払っても湧き出てくる感情。
「ウソは、つきたくない」
自分にも、周囲にも。
かといって、後先 何も考えずに行動することが正しいとは思わない。
けれど、できない理由を並べて。
はたしてそれで自分は本当に納得できるのろうか?
納得できるだけの反対材料を必死で探して、本当は肝心なことを見落としてはいないだろうか?
「あ~~~~~!! どうした、ルシフェル!!」
質の悪い《悪魔》が来ている。
誘惑という甘美な響きを持った、オフェリウスのような。
夏風が 想像以上に肌に纏わりつくから。
だから、こんなどうしようもないことばかり考えて―――――
「……… 随分、探した。こんな所にいたとは」
委員長ケイトとは別の意味で 氷を纏ったような声。
現れたのは、つい先日 実技試験で共に演奏した レニアス・コールドだった。
「………音楽科は もう授業終り?」
「実技試験の採点中だから、最終日までは自主練習期間だ」
「ふ~ん………そうなんだ」
「受けていないのか?」
「え?」
「秋のコンクール」
「!!」
真正面から、レニアスは斬り込んできた。
いつにもなく、直球だなぁ…………。
取り付く島を与えない シンプルな質問は、だからこそ 《誤魔化し》は許されない。
「トーニャ先輩から、話はきているはずだ」
「…………まぁ、ね」
「何故、返事をしない?」
「それは………」
「何を迷っている?」
「迷うなんて………」
迷ってはいけない。
最初から、自分は考えてはいけないのだから。
「楽しいから、弾く。好きだから、やる。単純なことだと俺に言ったのは君だぞ、ルシフェル・ターナー」
「!」
実技試験前、初めてのスランプに直面し動揺していたレニアスだからこそ、ルシフェルの心が揺れていることに気が付いていた。
以前のレニアスなら、他人の感情の機微など目に入らなかっただろう。
例え気がついても、「弱いからだ」とか「覚悟が無い」と、向き合わおともしなかったはずだ。
ルシフェルと出会い、急激な変化に戸惑いつつも、レニアスはレニアスで 必死に受け入れようとしていた。
「できるかどうか、じゃない。やれるかどうか、でもない。今 必要なのは――――――」
………………… 君自身が、《やりたいか》だろう?
「!!」
ぐうの音も出ないくらい、正論だった。
* * *
その日、ルシフェルが家に帰った後。
夕食後の 後片付けも済ませ、妹を寝かしつけたのを見計らい、弟のアンシェルは声をかけた。
「どうしたの、姉さん」
「え? 何が?」
「それ、今 しまった食器。また棚から出しているけど」
「うえっ!?」
「姉さん、悩みながら何かできるほど器用じゃないんだから。僕に言ってみてよ」
「え〜………」
「……ロクでもないことだったら、すぐに止めさせるし」
ほんわかした弟とは思えない鋭い視線に、ルシフェルは焦った。
「ちょ、ちょっと どうしたのアンシェル!?」
「僕、この前言わなかったけど、この間 起こっていたこと、知ってるんだからね」
「こ、この間って」
「危険なことしないって約束したのに、見事に破ったでしょ」
「そ、そんなことはっ………っていうか、それ誰に聞いたの!?」
「……… 誰に聞いたか、それって重要?」
おかしい。
大人しくて優しい、天使のような弟が。
「はっ、まさかの反抗期!?」
「僕 怒ってるんだからね」
「えぇ~………」
食器を拭いた布巾を手に、さすがのルシフェルも観念するしかなかった。
「え~と…… ハイ、ごめんなさい」
「謝れば済む問題じゃないよ」
「だってぇ」
「――――――――― 僕に言ってよ」
いつになく、真剣な眼差し。
他の誰に言われるより、ルシフェルの胸を貫いた。
「僕は、そんなに頼りない?」
「!!」
「僕は、姉さんより賢い自信あるんだけど」
ルシフェルは、笑うしかなかった。
「ごもっともです。異論はございません」
守らなくちゃ、と。
自分がやらなければ、弟と妹は守れない。
すべてを捨てることになったとしても、譲れないもの……… 二人を守るために、引っ越しをして、アスタルテに入学して。
その選択が正しかったと、今でも思えるのに。
「姉さんは、捨てられない。どうやったって、《音楽》は切り離せないでしょ」
生活の一部で、自分自身の一部で。
将来の職業につけるとかつけないとか、そんなことではなくて。
「捨てられないものは、大事にしなきゃ。姉さんの悪いところは、いつだって自分のことを《後回し》にするところだよ」
弟として、男として。
病弱という点で 大切な姉の重荷になっていることが、アンシェルにとっても ずっと辛かった。
ルシフェルには、万人を惹きつける《才能》がある。
溢れてやまない《情熱》と、どこまでも追求する《ひたむきさ》と。
簡単には 手にできないことを、唯一 持っているのがルシフェルなのだ。
アンシェルには、逆立ちしたって 出てこない。
「……… 今更って言われるかもしれないけど。これからは僕がもっと しっかりしていくから。だから、簡単に《答え》を出そうとしないでよ」
もっと、もっと。
心が望むことを、やって欲しい。
ルシフェルのような才能は無くても。
それを側で 支えていくことならできるはずだ。
「どうせ苦労するんなら、やりたい事をやった方が 有意義でしょ?」
「…………」
「それに、もし。何か 問題があるんなら………」
父親譲りの綺麗な銀髪をかき上げ、年下とは思えぬ迫力で、アンシェルはニッコリと笑う。
「取り除けばいいんじゃない? 色々な方法を駆使して、さ」
「へっ!? ちょっと本当にアンシェル? 何か悪い影響でも受けたのっ?? 誰に会ったの!?」
「それは、内緒」
ルシフェルは、ただ 自分が知らない間に 弟が悪の道に向かおうとしているのではないか、と肝を冷やし。
弟は、「僕に任せて」と妙な自信をみせ。
何だか 腑に落ちないまま。
悩みに悩んだ一日は 終わろうとしていた。




