夢とメッセージアプリと腹ペコ幼女
不思議な感覚だった。
辺りは薄暗く外灯の明かりがぽつぽつと点灯しており、星の明かりや月明かりといった自然の光は分厚い雲に隠れて確認できなかった。
俺はふよふよと夜空に浮いて彷徨っている様な感覚で、誰かが走っているのを俯瞰する感じで眺めていた。
身体の自由は効かず、腕一本動かす事ははおろか、瞼すら動かしているという感覚そのものが無かった。
ただ漠然と流れている映像を見せつけられている。
そういった表現が近いのかもしれない。
そんな状況で、男はただ走っていた。
身長百七十センチくらいの黒髪の男が一心不乱に街を疾走している。
道行く人は不思議そうな目でその男を見ていた。
何をそんなに焦っているのか?と、目線がそう訴えかけている様だった。
よく見ればここはどうやら夜桜市の繁華街…商店街の近くの様だ。
所々に見慣れた店があり、昼に行ったバケツプリンの店やコロッケの美味しい肉屋を通り過ぎた。
しかし、男はまだ止まる気配を見せない。
商店街の中に入っても尚、全力疾走を辞めない男は、すれ違う人にぶつかってもお構いなしに走り続けていた。
漸く男が減速したのは、裏通りに差し掛かり、街の雰囲気が変わった辺りだった。
金網に手を着き、肩で息をしている男の横を通行人が興味なさげに通り過ぎていく。
よたよたと金網にもたれかかる様に歩く男の前にふらりと男女が立ちふさがる。
顔は見えない。
見えないというよりも顔全体にモザイクの様な靄が掛かっており、辛うじて服装から男女だと判断出来たくらいだ。
「どけよ…時間がないんだ!」
と、男が叫ぶと同時にその声に聞き覚えがあった。
よく知っているその声は、少し低音のドスの効いた声で、それが俺の声だとすぐに理解出来た。
その瞬間に悟った。
ああ、これは夢なんだ…と。
夢だと分かった時点で普通は目が覚めそうなものだが、尚も俺はその光景を眺め続けている。
「………」
「……」
男女は何も言わず、ただこちらの前に立ちふさがるだけだった。
しかし、俺は何も言わない彼等に尚も続ける。
「頼む、通してくれ…!」
無言で立ち続ける彼等を他所に、悲痛な叫びが木霊する。
俺は真正面から彼等を見据えて、肩で呼吸し体力の回復を待っている。
その間も彼等はただただ不気味にそこに立ち尽くし、こちらの様子を伺っているだけだった。
「なあ、頼む…手荒な事はしたくないんだ…だから、頼む…!」
と、俺がそう言うと彼等は無言でこちらとの距離を詰めてくる。
「くそっ…なんでこんな時に…」
俺がそう言うと、場面は一瞬白く明滅したと思えば、気が付くとそこは見慣れた天井の…というか俺の事務所だった。
◇
スマホを手に取り時計を確認すると、もう既に日は上り時刻は現在正午を過ぎた頃だった。
「やべ、寝過ぎた…」
と、身体を起こし、飛び起きると扉の向こうからノックの音が響く。
「四季ちゃーん起きたなら私今日は仕事あるから行くわねー?お昼適当に作って置いたから、温めて食べてね?」
と、樹の声が響き渡る。
「あ、ああ…すまん助かるよ」
俺はベッドメイクもそこそこに、そのまま部屋から出て事務所の方へ向かうと、樹が丁度身支度を終えて玄関の前に立っていた。
「あ、お風呂借りたわよ。あと冷蔵庫のもの勝手に使っちゃったけど、賞味期限過ぎた物はちゃんと捨てなきゃだめよ?」
と、何故か駄目出しまで食らってしまったが、ガラステーブルの上には丁寧に皿の上に盛られた野菜炒めが置いてあった。
「…何から何まですまんな、気を付けて」
「ええ、行ってくるわ」
樹にそう言って見送ると、彼はにこっとほほ笑みひらひらと後ろ向きで手を振って、出て行った。
バタンと扉の閉まる音が事務所に木霊する。
とりあえず、鍵をかけておこう。
どうせ客は今日も誰もこないだろうからな。
俺はしっかりと施錠をすると、合皮のソファに腰を下ろし、樹が作ってくれた野菜炒めに手を着ける。
冷めてはいたが、味付けがしっかりとしており、事務所にあった食材でこんなものが作れたのかと感心したくらいの出来栄えだった。
まあ、肉なんていう気の利いた物は事務所の冷蔵庫に入っている訳ないので若干その点だけ物足りなさを感じたが、それでも野菜本来のうま味を中華ガラスープのペーストと醤油と塩胡椒でさっと味付けされただけのシンプルなものだったが、寝起きの身体にも優しい味わいになっていた。
お米が食べたくなるが、残念ながら炊飯器は空っぽのハズだ。
なんせ三日程事務所を空けていたから当然っちゃ当然である。
気を利かせて樹が米を炊いてくれていれば、白米にありつけるのだが、キッチンを確認すると炊飯器のコンセントすら入っていなかった。
まあ、とりあえず食べてしまおう。
黙々と一人で食事を続けていると、ここ三日はずっと誰かと一緒に食事をしていたので、急に一人で食べる事に違和感を覚える。
違和感…というか、賑やかなコンや樹や花奈と一緒だったのが当たり前だったので、少しの寂しさを覚えてしまった。
まあ、そんな感傷に浸っている場合ではない。
とりあえず、俺は野菜炒めを手早くかっこむと冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぐのも面倒だったので、口は付けずにペットボトルから直接胃に流し込む。
洗い物も増えずに楽なのだからお行儀が悪かろうが気にしない。
男の一人暮らしなんてこんなものだ。
楽できるところは楽したい。
そう言う生き物なのである。
こういうズボラな性格である為、助手には苦労をかけるのだが、まあそれは今はおいといて、とりあえずスマホを開き、時刻を確認するともう十三時を回ろうとしていた。
ふとメッセージアプリの通知を確認すると、通知が数件入っていたが、どれも母さんからの物で、文面は平仮名で短文が連続で打ち込まれていた。
”まだか”
”はよこい”
”おそい”
”まっておるぞ”
どれも母さんの口調とは違い、誰が送ったのかは一目瞭然だった。
俺はそんな可愛らしいメッセージに苦笑をこらえきれず、笑みをこぼすのだったが、既読を付けるとすぐにまた新たなメッセージが届く。
”いつもどる”
と、短く届いた言葉に俺は手早く返信する。
”すまん、寝坊した。メープル味持ってくから許せ。二時ごろにはそっちに着く”
と、打ち込むと程なくしてまた通知が届く。
”ふたつ と いなり”
どうやらメープル味二箱と稲荷寿司も付けろとの事だ。
これで許してくれるならお安い御用だ。
”了解、なるべく早く向かうから待ってろ”
”きつけて”
きつけて…?どういう意味だろうか?まあ、恐らく”気を付けて”と打ちたかったのだろうが、ただのタイプミスだろう。
凄い順応性だな。
いくら平仮名とは言え、コンが自らスマホを操作していると考えると神様の適応能力の高さには驚かされてばかりだ。
これも成長か?と感慨深く思っているが、そんな場合ではない。
今も家で腹ペコのケモミミ幼女が俺の帰りを待っているのだと思うと、気持ちが自然と落ち着かなくなった。
俺は軽くシャワーを浴びて着替えると、エアコンのスイッチを切り戸締りをして、事務所を後にするのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
作品のフォローと☆☆☆を★★★にする事で応援していただけると、ものすごく元気になります(*´ω`*)
執筆の燃料となりますので、是非ともよろしくお願いいたします(*'ω'*)




