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 案内係に通された部屋は古い石造りの宮殿の外観とは違い、今風のモダンな内装だった。

 設えた家具や調度品は、一目見て、さすがに高価な物と分かるが、全体的には落ち着いた雰囲気のある部屋だった。

 一つだけ開け放された窓からそよぐ風が、レースのカーテンを揺らしていた。

 傍へ寄り外を眺める。

 思ったより高台にあるらしい。

 崖下には白い建物が整然と並び、その向こうには開けた港が見える。

 湾内には多くの船が集まり、行き交う船が警笛を鳴らす。

 このにぎやかしさは街が充実している事の証なのだろう。


「豊かな街なのだな…」

 風に混じる潮の匂いが、故郷を思い出させた。

 メジェリ国とは空気も人の熱気も違うのに、今、この時に懐かしむ自分が可笑しかった。

 

 父は体調を悪くしていないだろうか。弟はちゃんと勉強しているだろうか。皆、元気で働いているだろうか。僕が居なくて苦労していないだろうか…

 懐かしさと罪悪感が交じり合い、この旅で初めて故郷へ帰りたいと思った。

 己の勝手自由さに恥じ入ってしまう。


「ルスラン…」

 ドアが開き、僕を呼ぶ声と共に懐かしい姿が現れた。

 眩しい金髪を靡かせて、ハールートが僕に駆け寄る。


「久しぶりだね、ハル。元気そうで何よりだ」

 駆け寄るハールートの身体を受け止め、微笑んだ。

「ああ…ルスラン…会いたかった…」

 青い、どこまでも澄んだ青い瞳を見て、僕はハールートの想いを理解した。

 そして、その重さにどう応えたら良いのかと不安が湧き、渦巻く。


「本当に会いたくて…。ルスランの国まで会いに行こうと思ったんだけど、僕も忙しくて。偉くなったら何でも好きにできるかと思ったけれど、なかなか自分の思い通りにはならないものなんだね」

「父上の事はリノから聞いたよ。『天の王』を中退して、仕事を継いだなんて全然知らなかったよ。どんなにか大変だったろうに…。何の力にもなれなくて悪かったね」

「気にしないでよ。まあ、最初は苦労も多かったけれど、もう大分慣れたよ。頼りになる仲間もいてくれる」

「そう、よかった」

 ハールートの後ろに控えている二人の男たちは、彼のボディガード。つまり彼専用の魔法使いなのだろう。

 様子を伺うだけでも、主人を守ろうとする意識がこちらに伝わってくる。

 …相当に強い絆だ。

 これがマスターと従僕の関係なのか…。


 イルトとアルトの従属関係については、「天の王」でも感じた事はあるが、実際にこれほどの絆を感じたのは初めてだったから、改めてハールートのカリスマ性に驚くと共に感心もした。


「まあ、ゆっくりしてよ。積もる話もあるからさ」

 ハールートはソファに座り、用意された紅茶とガトーショコラを僕に勧める。

 上機嫌のハールートは、まるで一国の王様のように見える。

 意識するまでもなく人を魅了し、従順させる強制力がある。

 生まれつき人の上に立つ者のカリスマを見せつけられた。

 そしてそれは嫌なものでもなく、ずっと彼の傍に居たいと思わせる引力めいた力なのだ。


 彼が僕に求めているものは、口にしなくとも理解できた。

 同時にそれを拒否した時の彼の怒りと失望も十分に予見した。

 だから、僕はいかにできるだけ彼を傷つけずに離れられるかを、考えなければならない。


「ここから見る外の景色は素晴らしいね。窓から見えた港の様子も素晴らしかったけれど、裏側の山脈も相当に美しいのだろうね」

「だったら、屋上に案内するよ。この街のすべてが見下ろせる絶好の眺望なんだ」

 

 ハールートの案内で、城の屋上へ登った。

 胸の高さまである石の手すりに凭れながら、ぐるりと回りの景色を見まわした。

 元は城塞として使われていたと言うが、なるほど砲台も斜塔もそのままに残っている。

 何よりも目を見張るほどの景観の見事さ。

 風光明媚は言うまでもなく、海と山に囲まれ、温暖なこの街は、メジェリと違って豊かに美しい。


「ルスランの国にも海があるんだよね」

「海と言っても、峡谷に挟まれた長いフィヨルドの果てにある小さな港町だよ。貿易も大して盛んではないんだ。北国だから、農作物も思う程収穫は期待できないしね」

「ルスランは…そんなところで一生を過ごすつもりなの。あんなに能力のあるアルトだったじゃないか。なのに、そんな狭い土地で、自分の国の為だけに身を捧げるなんてもったいないよ」

「…」

「僕なら、ルスランをもっと大切にするのに…」

 僕はハールートを見た。

 彼は美しい。

 風に靡く金色の髪も、透きとおるような白い肌も、澄み切った空色の瞳も、何もかも美しい造形を持った稀な者だった。そして圧倒的なカリスマ性は、誰をも魅了し続けるだろう。

 その彼が僕を望んでいる。

 だが、僕はそれに応えられない。

 

「ルスラン…どうか僕の魔法使いになって欲しい。今、僕には絆を誓ったアルトが二人いる。この先もっと増えるかもしれない。でも一番の左の薬指は、あなたの為に残しているんだ。昔、あなたは、『誰のものにもなりたくない』と僕に言った。今もそう思うのなら、無理強いはしない。僕だけのものでなくてもいいんだ。ただ、僕の傍にいてくれるだけでいい。僕のやる事が間違っていると思ったなら、忠告して欲しい。あなたの言う事なら何でも聞くよ。あなたに、僕を導いて欲しいんだ」

 彼に切なる願いが、僕の胸を締め付けた。

 右手を心臓に充て、目を閉じた。

 ただ、彼を想った…


 アーシュ…お願いだ、僕の心を離さないでくれ…


「…死んだ母の遺言は、僕が良い魔法使いになる事だった。天に与えられた魔力は誰かを幸せにする為のもの。それが魔法使いとしての使命…だそうだ。今の僕は、本当に良い魔法使いなのだろうか。あの小さな国ひとつ幸せにできないのなら、他の誰をも幸せにする事は出来ないんじゃないのだろうか…」

「その誰かが僕では駄目なのか?ルスラン。君の国の事なら、僕の財力で豊かにする事だって、難しい事ではないよ。インフラや貿易が盛んになれば、国の経済も潤う。人々は豊かに生活できる。お金がすべてと言う気はないけれど、お金で人々を満足させられるのも真実だ」

「そうだね…。誰も飢えたくはない。充実した衣食住は、貧しさを忘れるだろう。でもね、ハル。僕はあの枯れた土地に咲く小さな花が、好きなんだ。硬い農地を耕す人々の汗が美しいと思うんだ。確かに、リノと旅に出るまでは、あの国での生活にも厭き厭きしていたのは、否めないけれど、今は正直、かなりのホームシック状態。家族の顔が浮かんで仕方がない。人間身勝手だと言うけれど、言わずもがな僕もその典型だね」

「だから、ルスランが帰りたい時には自国へ帰ってくれていいんだ。僕のところに戻ってくれさえすれば、どこに居てもいいから…。お願いだ。僕にはあなたが必要なんだ」

 ハールートの想いの強さに、根負けしそうだ。

アーシュに会う前であったなら、このシチュエーションに僕は負けていただろうけれど…


「ハル、君を悲しませたくないけれど、僕は僕の意思がある。残念だが、君のカリスマは僕には効かないんだ」

「…」

「君が好きだよ。友人として、昔の恋人としても。でも、僕には誓った相手がいる」

「嘘…だ。だってルスランは…」

 ハールートの顔が悲しみと苦痛に歪んでいく。僕は彼の心の痛みを受け止めなきゃならない。

「そんなに嫌なら僕が嫌いだと言えば済む事だろう」

「ハル…誰のものにもならないと言った僕が、初めて一生を捧げたいと思ったんだ。でもそれは一方的な僕の想いだけの誓いだ。その人の傍に居られるわけでもない。でもその愛が僕を救ってくれるんだ」

「傍に居られない?一方的な愛?…そんなの空しいだけじゃないか…」

「そうは思えないから、愛するって不思議な現象なんだと思うよ。その人を想うだけで、嬉しくなる。勇気を貰える。天に恥ずかしくないように生きようと前を向ける。…僕の愛はそういうものなのだと知ったんだ」

「…」

「だから、ハールート。君の求愛に応えられない事を心から詫びさせてくれ。申し訳ない…」


 僕を見つめるハールートの目が段々と下を向き、その頭が力なく項垂れるのを、僕は見守る事しかできなかった。


「ルスラン…最後に…キスをくれる?」

 絞り出すようなハールートの声。

 返事はせず、僕は彼の背中を抱きしめ、その頬にキスをした。

 頬に伝わった彼の涙の味がした。




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