25 夏が来る
ーーひ……ひいいっ! 人だ、人が死んでる!? ーー
フェレイオ学園の中庭に響いたのは衛士の驚きの声。ダンジョウと天使との対峙を間近で見つめていた衛士たちが、ダンジョウが切り捨てたものの正体に奇声を上げ動揺する。
何と、天使の亡骸は何故か人へと姿形を変えてしまったのだ。
「見るな、見るんじゃない! 」
あの飄々としていたダンジョウが一喝を飛ばしたのは、衛士たちにではなく背後のアーロンたち生徒に対しての事。
人を斬ってしまった学園長の姿を見せたくなかったのではなく、【倒すべき天使が人間に変化した事でトラウマになって欲しくなかった】のである。
天使はもちろん、人間種にとってだけは恩恵をもたらすものかも知れないが、この大陸の生きとし生ける知的生命体を根絶しようとしている以上、世界の敵であって味方ではない。その天使を殺した途端に人の姿へと変化を遂げたとなれば、刀が鈍り躊躇してしまうのは必然。
「天使とは、もしかすると人間から派生した生物なのかも……」「この天使ももしかしたら人間かも」と、人間種に対して遠慮が生じてしまい、研ぎ澄まされた純然たる闘争心と覚悟が曇ってしまうのだ。
しかし生徒会役員たちもタフである。
「学園長のご心配には及びません、そもそも敵と味方の区別くらいは馬鹿じゃないので出来ていますわ」と、副会長のエーデルトルトが不敵な笑みをダンジョウに向けている中、会長のアーロンと風紀委員長のビーティーは天使だったはずの人の亡骸へと動ぜず近付き、予想される次の段階へと思案の矛先を向け始める。
「どうもキナ臭いね」
「私も同感です。何故この時期を狙って来たのか、そして純粋な天使ではなく【もどき】を差し向けたのか」
「案外地上に残った残党の絶対数が少なくて、こんな嫌がらせをするのが精一杯と言う見方が一番近いと思うんだが」
「アーロンさん、ビーティーさん。今はこの程度かも知れないけど、人が天使に変身出来る手段があると言う事実が、今は一番の問題だと思うわ」
「エーデルトルトの言う通りだ。これは人間種と他種族に亀裂を入れかねない事案、背景を徹底的に探る必要があるな」
真剣に討論を始めてしまった生徒会役員たちを、こらこら君たちと苦笑しながら側で見詰めるダンジョウだが、決してその苦笑いは自分を差し置いて話が進む事に不快さを表した訳では無い。あながち的外れとは言えない内容を吟味し始めた生徒たちに、頼もしさすら覚えた表れでもあった。
……それにしても……
ダンジョウは感慨深げな顔付きで、先ずは校舎に隣接する講堂の方向へと視線を向ける。
視界には豆粒大のシリルがこのあっという間の結末に「すごい、すごい! 」を連呼しながら、ドキドキワクワクの高揚感たっぷりにダンジョウを見つめており、それをメルローシュ先生と赤竜の姫アルベルティーナが講堂へと無理矢理連れ込もうとしている最中だ。
……赤竜の姫なら大陸中に知られている存在だから、今更その気を感じて慌てて逃げる事も無かろうよ。だとしたらシリル・デラヒエ、やはり彼が天使たちにとって忌むべき存在なのかね? ……
そう心の中で呟きながら、今度は敷地の外……高い壁に阻まれた下界の一点に目を凝らす。
壁の向こうは視界では確認出来ないが、間違い無くダンジョウには見えていたものがある。そしてそれが何かを起点として逃走を始めた事すらも見えていたのだ。
……奴らが逃げ出した事は、生徒会長あたりも気付いてるはず。つまりはあの子の正体にも早々気付くはずだな……
「シリル・デラヒエか。ふむ、面白くなりそうだ」
そう呟いたダンジョウは、講堂に行って生徒たちに事の成り行きを説明するから、生徒会も付いて来なさいと声をかけつつ、残った衛士たちには亡骸を片付けておけと指示を出して、その場を後にした。
エノキダ・ダンジョウと、おそらく生徒会長のアーロン・ミレニアムが気付いていたであろう【それ】は、確かにダンジョウが察知した通りに逃げ出していた。それも余裕をもった計画的な撤退などと言うしろものではなく、まさしく遁走、慌てふためいてパニックを起こした後先考えない逃走だった。
街中に向かって全速力で駆けているのは五人。宗教関係者とおぼしき服装の「丸眼鏡の青年」を先頭に、四人の年齢や服装がまちまちの市民四人が付き従う様に走っているのだが、どうやらこの先頭の青年の逃走と言う行為に納得出来ないまま従っている様で、表情から当惑の色を露骨に放っている。
「司祭様、司祭様!」
「ペーテル司祭様、急にどうしたのですか!?」
「ヨヴァン一人倒れただけの事、まだ我々がいるじゃないですか! 」
「私たちの出番です! 悲願を達成しましょう! 」
ペーテル司祭と呼ばれた丸眼鏡の青年の背中には、男たちの動揺の声が遠慮なくぶつけられるのだが、彼はその言葉一つ一つに対して明確な反論すら行わずに「黙れ、黙れ黙れ黙れ……だまれえええっ! 」と叫びながら、半狂乱となって走り続ける。
ーーダメだ、あれはダメだ! あの瞳はまさしく……あの人の子供、獣の数字を背負った忌むべき子供だ! 何で、何でアイツの子供がこんなところにいるんだ!? ーー
これでは我々が狩られる側になってしまう……。ペーテル司祭の恐慌は止む事が無く、この異様な集団はそのまま街の中へと姿を消したのであった。
中核都市サンクトブリエンツェで起きた「使徒襲撃事件」
マスターズ・リーグの純正メンバー二人が市街戦を経て一体を倒し、王立フェレイオ学園内に侵入した天使一体は学園長のエノキダ・ダンジョウが倒した。
その後天使の亡骸は人間の死体に変化して、噂だけが独り歩きを始めて様々な憶測に地上人は頭を悩ます事となるのだが、この事件がこれで終わりだと考えていなかった者は少なくない。
生徒会長アーロン・ミレニアム以下生徒会やマスターズ・リーグは水面下で「天使もどき」の調査を早々に開始し、天使を一刀のもとに切り捨てたダンジョウはのほほんと茶をすすって昼行燈を気取りながらもシリルの正体に思いを馳せ、そして遠巻きではあるが恐怖の象徴であるはずの天使の姿を見たクセに怯えもせずダンジョウの剣技に感嘆して高揚するシリルなどなど……。
おおよそ様々な思惑を持った様々な人々のもとに、やがて夏は恐怖と言う想像を現実に変えて訪れるのであった。
◆ 使徒事件編
終わり




