第六十八楽章 決闘の刻来る
アルベルトにとって色々な意味で忘れられない誕生日から二週間が過ぎた。《逆十字聖騎士団》のメンバーもそれぞれ鍛錬や魔法の練習に勤しみ、特に何が変わる訳でもない日常を送っていた。
「平和なのは良い事だが、こうまで暇だと何か起こらないか……なーんて思ってしまうよな」
完全に暇を持て余したアルベルトの姿を、たまたま部屋に来ていたセルヴィがくすりと笑って眺めていた。
「そういえばさ、セルヴィ」
「何ですか?」
暇潰しにイルミィから借りた冒険小説を読み耽っていたアルベルトは、その中でエルフに関する記述を見つけて少し疑問を感じたのだ。
「セルヴィ達エルフの歴史で、ハーフエルフってのはどういう扱いなんだ?これだと人間にもエルフにもなれない半端者みたく扱われてるが」
小説の内容はそんなハーフエルフの少女を流れ者の冒険者が拾い、二人だけで旅をしながら様々な苦難を乗り越えて愛を育むという流れになっていた。人間からもエルフからも迫害される彼女を連れての旅は楽なものではなく、時として冒険者も剣を抜くなどして差別に立ち向かう話というのは実に主人公本位で余り気分が良くない。常に主人公が正しく、それに反対する存在は常に誤りだという流れは正直面白くないし下手なカルト宗教よりも性質が悪い。
「元々が人間との関わりを持たずにいたので、私の知る限りではハーフエルフの存在自体いませんね。もっともこうして《逆十字聖騎士団》に身を寄せた以上は確実に生まれるでしょうけど、その場合は人間もエルフも関係なしに祝福すると思いますよ」
「そっか。ならよかった」
話としては面白いが、彼の好みには合わなかった小説を閉じて机に置く。
「実際来年辺りには1人生まれそうですし」
「ぶっ!?」
いきなりとんでもない事を言い出したセルヴィに、アルベルトは思わず飛び上がった。
「……私じゃありませんよ?グラニという傭兵が連れていた部下の1人がエルフの1人と恋仲になり、身篭ったという報告を受けましたから」
「ああそういう……」
因みにその傭兵というのは『鷹の目』の異名で呼ばれるルバートなのだが、それはアルベルトの知る所ではなかった。
「少しずつではありますが、この《エクスカリバー》の中では種族間の垣根は消えつつあります。少しずつですけどね」
「それで良いさ。少しずつでも歩み寄って、最後は1つになれたら良いんだから」
アルベルトは言葉を切り、「以前はそれで少し失敗したからな」と苦笑した。
「確かに以前の会議は急ぎ過ぎましたね。上から変えるのではなく下から変えるのが寛容でしょう。国を動かすのは王でなく民なのですから」
「分かってる……いや、正確にはよく分かったと言うべきか?皮肉なもんさ。田舎の平民上がりである俺が何より平民の心を理解していなかったってのはな」
セルヴィは微笑んで後ろに回り、そっとアルベルトの肩に手を置いた。
「貴方より数倍歳を取った経験から言わせて頂くと、本当に取り返しの付かない失敗は命を喪う結果を伴うものだけです。少なくともこの失敗では誰も死んでいないのですから、これから取り戻せば良いんです」
「簡単に言ってくれるなおい」
「簡単ですから」
アルベルトは苦笑しながら時計に目をやり、時間が来た事を悟って腰を上げた。
「ちょっと出て来る。話を聞いてくれてありがとな」
「いえ、それがアルと共に歩むと決めた私の役割ですから」
優しく微笑むセルヴィに笑いかけ、アルベルトは自分の用事の為に部屋を出た。小雪に以前からせがまれていた、小春と3人で出かけるという用事の為に。
《エクスカリバー》を降り、アルベルトは小春達と待ち合わせているダンジョンの町外れへと来ていた。
「あ、来た来た。ほらね小雪、ちゃんと来たでしょ?」
「もー!おとーさん遅い!」
「はは、悪い悪い。少しばかり話し込んでしまってな」
謝りつつも、アルベルトは微妙に顔が引き攣るのを抑えられなかった。何せ小春の肩を定位置としている八咫だけならまだ良いが、その背後に佇む天乃と布都については全く聞いていなかったからだ。
(まあ、万一ヤズミなり菊千代なりが襲撃して来たら俺と小春だけじゃ小雪を守りきれないかもしれないしな)
前者はあの卑劣なやり口に対応し切れるかという不安。後者はもっと単純に自分の力があの領域に届いているかという不安である。
「そんじゃま、行きますか」
「そうね。行きましょ小雪」
「はーい!」
小雪の両手をアルベルトと小春でそれぞれ繋いで歩き、その後ろを影のように天乃と布都が付き従う。何しろ大柄なのが2体な為、町中をうろつく訳にも行かない。行き先に選んだのはヴィーヴィ達が暮らしていた森だった。
「大分森の樹も元に戻ってきてるな」
「ええ、あの時の焼け野原が嘘みたい……」
草木が青々と茂り、空を覆う程に葉を茂らせた木々はアルベルト達に心地よい温かさと涼しさを提供してくれている。2人は手早くシートを敷き、持って来た荷物を下ろした。
「でも小雪、こんなのでよかったの?急だったから簡単な物しか作れなかったけど」
「いいの!おとーさんとおかーさんが一緒だから」
そう言って小雪は小春が渡したお握りを頬張る。アルベルトも同じようにお握りを頬張りながら周囲を見渡した。
「キュキュ!」
「ん?どうした八咫」
小春の手に乗り、指についた米粒と海苔の欠片を失敬していた八咫が突然鼻をひくつかせて飛び降りた。そのまま1本の木の根元まで走るが、ややあって戻って来てアルベルトのズボンを咥えて引っ張り始めた。
「この木がどうかしたのか?」
「キュ!」
今度は腰までよじ登り、誕生日にマオとナオが作ってくれたナイフ(鞘に仕舞うだけで勝手に血糊を拭い刃を研ぐ機能付き)を抜こうともがき始める。
「もしかして、この木を切れと?」
「キュウ!!」
手に乗って頷かれ、アルベルトは木に悪いと思いながらもナイフを抜いて幹に軽く傷をつけた。
「どわっ!?」
木を傷つければ樹液が出る。そんな事はアルベルトも分かっていたが、彼の知識にあるのはあくまでじっとりと滲み出る……もっと言えば自分の手を傷つけた時に出血する量と似たような印象でしかなかった。だがこの木はどういう構造なのか、頚動脈を直接切ったかの如く樹液が噴出してきたのだ。
「キュキュィ!」
八咫は嬉しそうに幹へよじ登り、噴出し溢れる樹液をペロペロと舐め始める。そんなに美味いのかとアルベルトも興味本位で指を使い口に入れてみるが、彼の舌にとっては吐く程不味かった。
「あ、アルその樹液!」
小春が慌てて駆け寄って来た。手には何故か蜂蜜を入れるのに使う大瓶を持っている。
「どうした?」
「オリーヴに頼まれてたの。こういう樹液はとにかく集めて持って帰ってって」
「……あいつ何か怪しい商売でも始める気じゃなかろうな?」
ともかく小春を手伝いながら、アルベルトは八咫が舐める分を残しつつ集めていった。
「こんなもんで良いか。この樹液を何に使うつもりかは帰ってオリーヴに訊くとして……小雪はどうする?もう少しこの森で遊んで帰るか?」
「うん!」
少し開けた場所に出来た花畑に走っていく小雪と小春を見送り、アルベルトは1人シートに寝そべる。その傍らに天乃が静かに腰を下ろした。そのまま寡黙に小春達を見守る姿はアルベルトよりも余程父親然とした態度と言えた。
「父親、か……去年の今頃は親父を憎んでいた俺がこの有様、笑えるんだか笑えないんだか」
自嘲じみた独白を聞いているのかいないのか、布都がつまらなそうに欠伸をして寝そべった。こうして見ると唯の頭が少し多い獣にしか見えない。
「!」
突如天乃が腕を振るい、何かを掴み取った。その風圧でアルベルトは軽く飛ばされそうになりつつ、その何かに目をやった。
「天乃、何を掴んだ?」
「……」
無言で突き出された手には1本の矢文が握られていた。端的に言えば手紙を結びつけた矢である。
「俺宛か?」
とりあえず拡げてみると、簡単に一言だけ。『あの場所で待つ』と記されていた。
(ついに来たか、菊千代……!)
ついに決闘の時が来たのだと悟り、アルベルトは一瞬凄絶な笑みを浮かべて立ち上がった。
「アル、どうしたの?」
気付くと小春が気遣わしげに此方を見ていた。手には彼に渡そうとしたのか、丁寧に編みこまれた花輪が乗っている。
「こいつを見てくれ。今の俺が届いているかは分からないが、またあの男と戦う事になる」
「っ!」
小春は青褪める。ヤズミを殺すと宣言した時よりも数段に顔色が悪いと感じたのはアルベルトの気のせいではあるまい。
「……もう少し待つ事は出来ないかしら?もう少し、もう少しだけでいいから」
「……?」
何故小春が此処まで必死になってアルベルトと菊千代の戦いを嫌がるのかは分からない。だが彼の直感は「こういう時の小春には逆らわないほうが良い」と告げていた。
「分かった。何時来いとは書いてないし、多分俺の都合に合わせてくれてるんだとは思うからな。小春が良いと言うまでは戦わないよ……向こうから来ない限りな」
「分かったわ。ありがとう」
心底ほっとした顔を見せる小春の事が気がかりになりつつ、ぼちぼち時間も午後に差し掛かっていたので戻る事にした。
「お、お帰りー。首尾はどないや?」
「小春に頼んでたブツなら此処だ。これ一体何に使うんだ?」
《エクスカリバー》に戻り、商業区で走り回っていたオリーヴに瓶詰めの樹液を渡すと彼女は顔を輝かせた。
「おおきに。この樹液な、物凄い効能があんねん。まあ簡単に言えば飲めば体の中を、塗れば体の外を綺麗にお掃除してくれるんや」
「……このクソ不味いのを飲むのか?」
拷問に等しいと苦い顔をすると、オリーヴは笑い出した。
「何や原液を舐めてもうたん?これは温めた牛乳に混ぜると不思議と甘くなるねん」
そう言ってオリーヴは店からホットミルクを持ち出し、瓶に入っていた樹液をコーヒースプーン一杯入れてよく混ぜた。
「ほれ、騙されたと思って飲んでみ」
「分かったよ……マジか」
味の革命であった。あの舌先を痺れさせるような衝撃的な不味さが完全に消え、寧ろ牛乳の甘さと合わさって不思議な味わい深さを感じさせるものになっていた。
「因みにお風呂に混ぜて入ったら、あっという間に枝毛も肌荒れも綺麗に治ってコハル並の美肌・美脚・美髪が手に入るんやで。お陰で《中央》の貴族なんかは大枚はたいて買おうとしてるんや。そやけどこの樹液を分泌する木自体が魔物の棲んでる森の中に生えてる上に本数もないし、挙句周囲の木に擬態するから見つけるの骨やねん」
「八咫はあっさり見つけてたがな……」
「そこはほれ、カーバンクルやしな」
さもありなんと笑うオリーヴに瓶を全部渡し、アルベルトは来る菊千代との決闘に備えて素振りでもしようとその場を後にした。
同じ頃。小春は小雪をレベッカに預け、《叢雲》《水鏡》《鎮魂》の神器を持ってイルミィの部屋を訪ねていた。
「絶刀について聞きたいの?」
「ええ。学校の図書館にも資料が殆どなかったから、もしイルミィが分からないならセーラのお姉さんに訊くしか……」
イルミィは軽く頷いて部屋の本棚から一冊の本を取り出した。
「絶刀。魔力の篭った刀の中でも上位の物を指し、強過ぎる魔力故に呪いがかかっていたり刀そのものに意思が宿る場合が多い。魔剣や聖剣と比べても使用するには卓越した技術と飛びぬけた精神が必要になり、大抵の場合は刀に意識を乗っ取られてその操り人形となるのが常である……私に分かるのはこの程度ね」
「ううん、十分だわ」
望みは出てきた。小春がよく知る優しくひょうきんな所のあった菊千代と今の戦闘狂な菊千代は凡そ結びつかない。だがもし彼が《紅桜》によって操られているのだとすれば、何らかの方法であの絶刀を封印する事で菊千代を元に戻せるかもしれないという希望が生まれたのだ。
「これならきっと希望はある。そう信じられるから」
「そう?なら力になれたようでよかったわ」
イルミィに礼を言って部屋を後にし、小春は改めて吉宗から譲られた三種の神器を見つめた。
「待ってて小父さん。必ず、私とアルが元に戻して見せるから……!」
夕食を済ませ、アルベルトは自室に戻っていた。ベッドでは既に小雪が寝息をたてており、流石に今から剣を振る事は出来ない状態であった。
「アル、まだ起きてる?」
「小春か?ああ、まだ寝てない」
寝巻きの上に半纏を羽織った小春は、そのままするりと部屋へ入ってきた。
「小雪はもう寝ちゃったのね」
「昼間にあれだけはしゃげばな」
机には昼間に小春と2人で作った花輪が飾られており、良い夢を見ているのか小雪は眠りながら幸せそうに微笑んでいた。
「昼間の事だけど、3日だけ待って。その間に私も覚悟を決めるから」
「分かってる。約束したんだし、自分から戦いに行く事はしないさ。それに……」
「それに?」
アルベルトはおどけて肩を竦めながら言った。
「正直俺もまだ怖い」
思わず小春は笑い出し、小雪のほうを見て慌てて口を噤んだ。
「今更私が言っても説得力はないかもしれないけど、アルは負けないわよ」
「そうか?」
椅子に座っていたアルベルトの前に膝をついてしゃがみ、小春は両手でそっとアルベルトの頬を包み込む。少しひんやりとした小さく柔らかな手が彼に取っては心地よい。
「ええ、負けない。私の祈りとセーラの誇りが貴方を守るから……」
そう言って唇を重ね、小春は優しく笑った。
「……ありがとな。俺も誓おう、何があっても小春や皆を守って戦い勝ってみせると」
「うん、信じてるわ」
小春が何を思い菊千代との戦いを止めたのかはアルベルトには知る由もない。だが彼に取ってはどうでも良い事であった。
「じゃあそろそろ寝る?小雪が寂しがるといけないし」
「……段々とこの状況に慣れて来ている俺達も俺達だな」
小春は苦笑しつつ「それは言わないの」と言ってアルベルトの手を引きベッドに入った。
「お休みなさいアル。良い夢を」
「小春こそお休み」
そんな会話を交わして同じベッドで眠る。最近になってすっかり慣れてしまったアルベルトと小春の日常であった。
翌朝。オリーヴが件の樹液をオークションにかけたところ、1瓶700万Stという馬鹿げた値段がついた事で《逆十字聖騎士団》の懐事情がかなり潤ったのは余談である。
「ほな今後もちょくちょく探しに行くさかい、ヤタちゃん貸してくれん?」
「駄目」
そんなオリーヴと小春の会話が繰り広げられたのはもっと余談である。
続く




