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家督を継ぐ少女②

◇◇


 道雪に男子はおらず、彼の甥を養子として立花の名跡を継がせると考えられてきた。

 現に宗麟公からもそのように言いつけられているともっぱらの噂だ。

 よって家督相続の式では、道雪の甥が上座の中央に鎮座するものだとばかり思われた。

 だが、その場所に座っているのは年端もいかぬ少女だった。


 黒を基調とした立派な小袖に身を包み、緊張しているのか、少女らしくない険しい顔つきで、じっと一同をにらみつけている。


 部屋の隅に席をもらった千熊丸がしげしげと彼女を見ているうちに、彼女から鋭い眼光を飛ばされた。


「ひっ」


 刺されるかと錯覚するくらいに殺気をともなった視線に、千熊丸は思わず首をすくめる。

 なんだ? あのおなごは?

 と心の中で不思議がっているうちに、杖をつきながら部屋に入ってきた男に、部屋の中にいる百人近い男たちが一斉にひれ伏した。


「千熊丸様。道雪公でございますぞ。頭をおさげなされ」


 大膳に促され、渋々頭を下げる。

 道雪は少女の左隣りにどかりと腰をおろすと、天井を震わせるような大声をあげた。


「皆のもの、頭をあげよ!」


 部屋の中にいる全員が呼吸を合わせたかのように顔を上げる。その様子を満足そうに見た道雪はありったけの大声で部屋の空気を震わせた。


「これより立花の家督を継ぐのは、ここにいる我が娘、誾千代(ぎんちよ)じゃ!」


 女が家督を継ぐこと自体めったにないのに、さらに七歳の少女だというのだから、場がざわつくのも無理はない。

 千熊丸もまたそのうちの一人だった。

 自分と年が変わらぬおなごが大友家でも重きをなす名跡を継ぐなんて、にわかに信じられない。


 だが道雪はためらいもなく、吉光(よしみつ)の短刀、源氏の白旗、血染めの鉄扇という立花家に伝わる三種の神器を誾千代の背後に並べさせた。

 重厚感のある宝物を目の当たりにすれば、道雪の意志に偽りがないという実感がわくものだ。新たな主に対する畏敬の念が自然とわきあがり、一人また一人と頭を下げていった。


 その間、千熊丸はじっと誾千代を見つめていた。

 まるで断崖絶壁に咲く一輪の白百合のような神秘的な美しさに、目が釘付けになる。胸がかっと燃えるように熱くなったが、その理由を理解するには、千熊丸は若すぎた。

 そして彼女がちらりと千熊丸の方へ視線を向けたとたんに彼ははっと息をのんだ。


 誾千代の唇は小刻みに震え、救いを求めるように瞳が潤んでいるではないか――。

 どくんと心臓が脈打ち、彼は一つの確信を得たのだった。


 ――誾千代殿は家督を継ぐのを拒んでいる……。


 助けてあげたい、という青い正義感がふつふつと沸きあがり、自然と拳に力が入った。

 彼の様子がおかしいことをさとった大膳が「もうしばらくで終わります。それまで小便は我慢くだされ」と的外れなことを耳打ちしてきた。

 当然、千熊丸の心の炎を鎮める冷水にはなりえず、むしろ「どうにかせねば」と独り言が漏れるほど思いは激しくなっていた。

 そんな中、再び道雪の声が響き渡った。


「では、誾千代。ことだてせよ」


「はい、父上。わらわは立花の名をけがさぬよう、命を賭して立花山の城と家中の者たちを守り抜くことを使命といたします」


「うむ。よう申した。その誓い、忘れるでないぞ」


「はい」


 とても七歳児とは思えぬ見事な振る舞いに、部屋が一斉にわく。

 老臣の中には涙をこらえきれぬ者までいた。

 道雪は我が子を誇らしげに見つめている。だが千熊丸にはその様子が奴隷をこき使う主人のように思えてならなかった。


「ではこれにて家督を継ぐ儀を終わる! 皆の者、大儀であった! ははは!」


 道雪が上機嫌に締めくくった後、肩の力が抜けた誾千代の大きな瞳からほろりと涙の雫がこぼれた。

 しかしその涙が千熊丸の爆発の火ぶたを切った。


「ちょっと待てええい!」


 だんと足を踏み鳴らしたかと思うと、彼はまるで蝶のような軽い身のこなしで、大人たちの間をすり抜けていく。


 そうして目を丸くする誾千代の前に立つと彼女の手をぐいっとつかんだ。柔らかな感触が心をくすぐったが、そんなことにかまけている場合ではない。千熊丸は彼女をかばうようにして道雪と向き合った。


「なんじゃ? お主は」


 道雪がぎろりと千熊丸を睨みつける。

 さながら仁王像のようなほりの深い顔つき、獲物を狙う猛獣のような瞳、太い眉、大きな口。

 怖ええ、この世に鬼がいるとしたならば、この人のことを言うに違いねえ。

 千熊丸は内心おびえながらも、燃え上がる志のままに口を動かした。


「年端もいかぬいたいけなおなごには、立花の名は重すぎると存じます。『雷神』と畏れられた道雪公こそ、その名跡にふさわしい御方と存じますが、いかがであろうか」


 誾千代のいいだてと同様、こちらもとても八歳児とは思えぬ物言いに、一同は唖然とした。

 そんな中、千熊丸の父、紹運が雷を落とした。


「千熊丸! 身の程をわきまえよ!」


 しかし父の制止など聞こえぬふりをして、なおも一歩、道雪に近寄る。

 道雪もまた立ち上がると、千熊丸に向けて大きく一歩踏み出した。


「お主が千熊丸か。なるほど。父の願いのとおり、熊のように立派な体つきではないか」


 上から下へなめるように見てくる道雪に対し、千熊丸は鬼の形相でつっかかった。


「誾千代殿は嫌がっておる! お願いだから彼女に家督を継がせるのはおやめくだされ」


「それはできん、と申せば、お主はいかがする?」


 道雪の目がますます鋭く光る。

 蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった千熊丸だが、目だけはそらしてはならないと本能的に察していた。



 六十二の道雪と八つの千熊丸が睨み合う――。



 一触即発の空気に人々は固唾を飲んで、二人の様子を凝視するより他なかった。


 そうして千熊丸のひたいに浮かんだ汗がぽたりと床に落ちた直後、道雪が大きな口をあけて笑い飛ばした。


「がははは! よいぞ、よいぞ! その面構え、その気迫! わが家中でわしに向かって、このように一歩も引かずに睨み合いを続けられるものがいようか。お主のことが気に入ったぞ! がははは!」


 道雪は千熊丸をのけると、誾千代の手を引き、部屋を後にしようとした。


「お待ちあれ! 話はまだ終わっておらぬ!」


 足をぴたりと止めた道雪は、顔を半分だけ千熊丸の方へ向ける。

 そしてこれまでとは比べ物にならない厳しい目つきでぼそりと漏らした。


「ならばお主が誾千代の代わりに立花を継ぐか?」


 そのたった一言が持つ重みは、世を知らぬ千熊丸であっても、じゅうぶんに理解できた。

同時に彼はようやく気づかされたのだ。

 高橋家の嫡子である自分は『部外者』であり、どんなに騒ぎ立てても、しょせんは他人事であることを……。


 何と言葉を返せばよいか分からずに、千熊丸はゴクリと喉を鳴らして固まってしまった。


 そんな彼のことを「早く席へ戻れ!」と紹運が羽交い締めにして引きずっていく。

 千熊丸は何も言い返せない自分が悔しくてならなかった。

 誾千代が彼を一瞥した。その目は冷たく「どうせあなたには何もできない」と失望しているように思えて、ますます惨めになる。


 しばらくした後、道雪はふっと殺気を解き、口角を上げた。


「冗談じゃ。もっと強い男になれ。そのためにもっと励め」


 そう言い残した道雪は、たいそう上機嫌に、軽い足取りで部屋を後にしていく。

 一方の千熊丸は糸が切れた操り人形のようにへたり込んでしまった。


 部屋から続々と人がいなくなり、千若丸のことを大膳が連れて出たところで、ついに紹運と千熊丸はたった二人だけになったのだった。


「俺は無力だ……」


 はらはらと涙を流す千熊丸の頭を、紹運は我が子の頭をくしゃりとなでる。


「そう思うなら、もっと強くなれ。お主ならできる。俺の子だからな」


 千熊丸が紹運を見上げると、紹運はにこりと笑みをこぼした。

 その笑顔はとても温かくて、傷ついた心を包み込む。

 千熊丸は嗚咽が漏れるのを抑えきれなかった。


「うあああああ!」


 とうとう大声をあげて泣き出した千熊丸。紹運は彼が泣き止むまでそっと抱きしめ続けたのだった。


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