第1章 シベリカ工作員・少女サラと少年キリル
経済悪化に伴い、節電のため夜の街灯りも寂しくなりつつある中央区の首都トウア市。
その新市街にある無骨なコンクリート建築が並ぶ治安局敷地内。
本館・最上階にある治安局長直属特命チーム専用室には――元特殊戦闘部隊出身のセイヤ・シジョウ、リサ・シジョウ、ジャン・クローの3名と、軍からの出向組のゴンザレ・トマー、アザーラ・ネガー、グレド・リネー、フィオ・エルーの4名――計7名が集まっていた。
ルッカー局長が1年半前に起ち上げたこの特命チームは、治安部隊から独立した別働隊である。先の国会襲撃事件ではクジョウ首相の命を救い、株を上げたが、治安部隊の間ではまだ試用運転中といった立ち位置だ。
夜遅くに呼び出された特命チームの面々は、ルッカー局長より病院から消えた少年の捜索協力を命じられ、ミーティングを行っていた。
「これって警察捜査隊とパトロール隊の仕事だよな」
ジャンが酒臭いため息をついていた。どうやら今まで酒盛りしていたらしい。
ちなみにこのジャン・クローという男はセイヤとリサの4期上の先輩で、まさにゴリラを彷彿とさせる大いなるマッチョだ。特命チームに入る前からの同僚で、もう3年以上のつきあいになる。
「まあ、警察捜査隊とパトロール隊はただでさえ過重労働ですからね。比較的、余裕がある私たちも手伝わなきゃバチが当たりますよ」
シャワーを浴び損ねたリサは自分に言い聞かせるかのように吐いた。
「隊の垣根を越えた特命チームはいわば何でも屋ですからね」
石鹸の匂いをプンプンさせているセイヤもため息をつく。
「それに逃げた少年は国会襲撃犯で、その前には子どもを無差別銃撃し、さらに特戦部隊の隊員を襲った凶悪犯です。放っておけません」
先の国会襲撃事件では32名のシベリカ工作員と思われるテロリストらが暴れたが、その中にセイヤとリサが目をつけていた『少年』と『少女』がいた。彼らはそれ以前に百貨店のおもちゃ売り場で子どもを無差別銃撃し、逃げ込んだ倉庫で特殊戦闘部隊の隊員らを殺傷し、そのまま逃走した凶悪犯だった。
その後『少年』のほうは国会襲撃事件で確保したが、『少女』の姿だけが消えていた。
が、今回『少年』も病院からいなくなってしまった。
「ったく、見張りは何をやっていたんだか……仕事を増やしやがって」
まだブツブツとモンク言っているジャンを尻目に、リサはセイヤを見やる。
「少年の逃走を助けたのは……もしかして、あの『少女』?」
「可能性はあるよな」
セイヤはリサを一瞥するとボソっと吐いた。
「少女って、国会襲撃犯で一人だけ逃走を果たしたっていうあの……」
ジャンが話に入ってきたので、セイヤはジャンにも視線をよこしながら頷く。
直接対峙したことのあるセイヤとリサから見て、『少女』はかなりの訓練を積んだ身体能力がずば抜けた工作員だ。甘く見ると痛い目にあう。
「国会襲撃した連中以外にも仲間がいて、トウアのどこかに潜んでいるんだろうな」
「ええ、ですから彼女が『少年』の逃走を手助けしたとは限りませんし、あるいは彼女と一緒にほかの工作員も協力したかもしれませんね」
そう言うとセイヤは押し黙った。
国会襲撃犯でただ一人だけ逃走を果たした『少女』――だが、誰かの協力がなければ、国会議事堂から脱出し、治安部隊が張っていた非常線を突破するのは無理だ。
あの国会襲撃事件で出動したのは特戦部隊、救助隊、パトロール隊、警察捜査隊など隊員の数は計り知れない。制服さえ手に入れてしまえば、外の人間があの中に紛れ込むことも可能だ。それだけ現場は混乱していたし、様々な部署の人間が入り乱れてた。
――ひょっとして、オレたち治安部隊側の人間の中に裏切り者がいる?
セイヤは病院から逃げた少年のことよりも、少女のほうのバックグラウンドが気になった。
「ボンヤリするな。行くぞ」
チームのリーダーでもあるゴンザレの野太い声がセイヤの物思いを遮った。
・・・
深夜、闇にさざめく黒い海に囲まれた第二トウア港。
潮の香が漂うその近くの沿岸に一台のワゴン車が静かに停まった。
「早朝、ゴルディア行きの船が出る。それに乗り込め。船員の中に協力者がいる。それまで倉庫のコンテナで待機していろ。合図は教えたとおりだ。その後は協力者に任せればいい。トウアから出てしまえば自由だ。好きに生きろ」
今までクルマの中で何を訊いても無言だった少女が、ワゴン車から降りるよう少年に促す。
が、少年は「なぜ、オレを助けた?」とさっきと同じ質問をぶつけていた。
「早く降りろ。時間がない」
少女は前を見つめたまま、少年に視線を合わせようとはせず、短くつぶやく。
ワゴン車を運転する男も無言だった。目深にかぶる帽子から垣間見える顔は、見たことがなかく、少年が知らない工作員か、それに準ずる協力者なのだろう。
「お前はどうするんだ? 逃げないのか?」
少年の問いに、少女はそっけなく答えた。
「……私にはまだ、ここでやることがある」
「じゃ、オレもここに残る」
少年は腕を組み、シートに深く腰掛けたまま、車を降りようとせず、言葉を続けた。
「助けてくれた恩返しだ。お前がこれからやることを手伝ってやってもいい」
「……」
少女は、車に乗ってから初めて少年に視線を合わせた。
「おい、どうするんだ? いつまでもクルマを停めておけない。時間との勝負だ。治安部隊が検問を設ける前に中央地区を出なきゃアウトだぞ」
運転席の男が周囲を警戒しながら低い声で迫る。
少年は「行ってくれ」と短く答えた。
波のざわめきに、車のエンジン音が重なる。
ワゴン車はそのまま猛スピードで走り、中央地区を抜け、西地区の島につながる海底トンネルを通った。
その直後、中央地区内だけではなく、全地区へつながる道路、橋、海底トンネル各所に治安部隊による検問が設けられ、非常線が張られた。しかし、少年を乗せたワゴン車はすでに西地区の『シベリカ人街』に入り込み、逃走を果たしていた。
治安部隊はここでも遅れをとってしまった。人手不足、過重労働がこんなところにも影響していた。
治安局は『少年』を全国指名手配にするも、少年法により国民には顔写真と実名が伏せられるので、一般人からの情報提供は望めない。が、少年といえ凶悪犯であり、このまま見つからなければ超法規的処置として情報を公開することも考えられ、裁判所を通じて検討することになった。
・・・
「結局、捕まらなかったね」
リサはあくびをかみ殺しながら、パソコンで報告書を書き上げる。
非常線が解除され、通常勤務に戻った特命チームだったが、報告書作成仕事が残っていた。
「じゃ、お先に失礼します」
まだ報告書作成に四苦八苦しているジャン、ゴンザレ、アザーレのゴリラ三人組を残し、セイヤとリサは、フィオ、グレドと共に部屋を出た。
「あの三人、頭の中身もゴリラ並みなのかもな」
ドア越しにそうつぶやいたセイヤは大きく伸びをする。
「わっ、セイヤ、ちょっと感じ悪いよ」
さすがにリサが注意した。
「そうか? でも事実だろ」
しれっと応えるセイヤに対し、フィオがずれたメガネを直しながら声をかけてきた。
「セイヤ君、ストレスたまっていそうですね」
「いや、たまっているのはストレスじゃなくて、せい……」
途中まで言いかけてセイヤは口をつぐみ「疲れがたまっているのかもな」と言い直した。
――いかん、いかん、オレとしたことがジャン先輩の影響を受けまくって、危うく下品な言葉を使ってしまうところだった……と気を引き締める。
「じゃ、今日は早く帰って寝たほうがいいですよ」
そう言って、フィオも「じゃ、お先」と行ってしまった。
ちなみにセイヤたちに丁寧語を使うフィオだが、彼のほうが4つ年上だ。『闘う女』が大好きでリサのファンでもあり、何とリサをモデルにした漫画まで描いている濃ゆい趣味の持ち主である。今日も早く帰って、漫画をシコシコと描く予定なのだろう。
一方、イケメンなのにクールなグレドは相変わらず無口で人を寄せ付けず、挨拶もなく『オレに話しかけるなオーラ』を放ちながら離れていった。
「確かに……疲れたよね……」
リサもグッタリしている様子だった。
「とりあえず今日はゆっくり休もう」
夫婦生活のテコ入れをしたいと考えていたけど、お預けである。
二人は鉛が入ったような重い体を引きずって、帰途に就いた。
その後、病院で少年の監視を務めていた隊員はこの重大な失態に職場にいたたまれなくなったのだろう、辞職した。
・・・
西地区『シベリカ人街』――細い路地が入り組み、廃墟のようなアパート型の住宅がひしめき、猥雑で怪しげな雰囲気を醸し出しているが、雑貨屋、古着屋、金物屋、惣菜屋など店も多く連なっており、昼間はそこそこの賑わいを見せるシベリカ人たちが暮らす地域だ。食事時は香辛料を振りかけた肉を焼く香ばしい匂いがあちこちの家から漂う。
その一角にある古びた食堂の地下室に、病院から逃走した少年キリルと、それを助けた少女サラは身を寄せていた。『シベリカ人街』の中には工作員も入り込んでおり、彼らを支援する協力者も存在している。
窓もなく蛍光灯に照らされた地下室は、ペンキが剥がれかかった壁に囲まれ、机代わりの木箱とベッドが二つあるだけの殺風景な部屋だった。
「サラ、これから何をするつもりだ?」
キリルが、傍らのベッドで寝そべっている少女に話しかけた。
サラと呼ばれた少女は染みの浮き出た天井をぼんやりと見つめていた。
「いい加減オレの質問に答えろよ」
なおも絡んでくるキリルを一瞥し、ようやくサラは口を開いた。抑揚のない声がその小さな口から吐かれる。
「……これからやることは工作員としての任務ではない。本国からは工作中止命令が出ているし、もう十分働いたと思う。あなたは好きに生きていい」
「だから、サラに協力すると言っているだろう」
「なぜ? あなたには関係のないこと」
「助けてくれた借りを返すよ」
「気にすることない。私もあなたに借りを返しただけ。これで貸し借りなしだ」
そこでサラは、ふとサギーのこと――いえ、本当はあの女の人は『サギー』という名前ではない。トウアの国籍を取得した時に改名してしまったらしい――を思い出す。
8年前のあの時、妹は救えなかったけど、サギーと出会わなければ、妹がどうなったかも知り得なかっただろう。
サギーには借りがあった。けれどキリルを連れ出す時、サギーはまだ意識不明の状態で、一緒に助け出すのは難しかった。
そう、実は――国会襲撃の後、治療を受けて病院から出てきたサギーを撃ったのはサラだった。サギーはシベリカの工作についていろいろ知り過ぎている。だから口封じするよう上のほうから命令されていた。
それに、もともとサギーは死に場所を求めていた。8年前に会ったあの時から。いや『大切な人』というのをトウアで見殺しにされた時から、そうだったのかもしれない。
あのまま生かしておけば、トウアの治安局の厳しい追及が待っていただろう。いずれ自白剤も使用され、長い地獄を味わうことになる。死んだほうがずっとラクだ。サギーの命を奪うことこそ借りを返すことになる。そう思い、サラは引き金を引いた。
けど本当にそれでいいのか?……その迷いがサラの手を僅かに狂わせた。
おかげでサギーをその場で即死させられず、病院の前でのことで処置も早く、緊急手術でサギーは助かってしまった。
ただ、サギーは今も意識が戻らず、ずっと眠ったままだ。
「え? サラがいつオレに借りを作った?」
キリルの声でサラは我に返る。
「……覚えてないなら、それでいい」
話はここで終わりとばかりにサラは寝返りを打ち、キリルに背中を向けた。一瞬、沈黙の間が降りる。
「突然、自由にしていいって言われても困るよな。ほかに何かやりたいことがあるわけじゃないし……シベリカに帰りたいかっていうと別にそうでもないし……オレの帰りを待ってくれる人間なんていないからな」
サラに向けていた視線を天井に移し、キリルはぼやいた。本当にどうすればいいのか分からなかった。今までただ命令されるままに動く生き方しかしてこなかったのだ。何かに執着したり、こだわるということもなく……自分の命でさえ、別にどうでもよかった。ラクに死ねれば儲けものくらいにしか考えてない。
サラは相変わらず何の反応も示さず、キリルに背を向けたままだ。
そんなサラを尻目にキリルはただただ食事を待ちわびていた。とりあえず腹を満たしたい。
そう、自分が持つ欲は食欲くらいしかない。後は……ごく普通の男としての性欲か。




