第2章 治安部隊訓練校
中央地区・首都トウア市にある広大な治安局敷地内に無骨な灰色のコンクリート建築物が並ぶ治安部隊訓練校――リサとセイヤはここの寮で暮らすことになった。
寮は個室部屋ではあったものの、養護施設の宿舎と同じく狭くて埃臭く、簡易ベッドに机と椅子、クローゼットがあるだけの殺風景な佇まいだ。
が、1日の大半は訓練に費やされ、寮には寝に帰るだけなので、大して気にならない。
リサは長い髪を縛り、邪魔にならないよう上のほうで止めて無造作にまとめ、おしゃれとは無縁の生活をしていた。制服と訓練着が数着与えられ、ほぼ一日中、それを着たきりだ。
休日も出かけることもなく、寮で洗濯や掃除し、後の時間は勉強とトレーニングをして過ごす――リサの生活も殺風景この上なかった。
治安部隊を希望する女子は少なく、今期の訓練生では、リサのほかに女子はいない。
男子と違い、数少ない女子訓練生のための寮の設備はなく、女子訓練生は少し離れた女子隊員・職員用の寮で生活する。が、そこも空き部屋が多く、ひっそりとしていた。
ここは女性が暮らしたいようなところではなかった。給料を得るようになれば、寮を出ていく者が大半だ。
しかし、リサにとってそんなことはどうでもよかった。
ただただ訓練に身を費やす日々。そんな生活が救いにもなっていた。
国の治安悪化を憂えていた兄の遺志を継ぐ。これが自分が生きる意味であり、自分の存在理由だと思うことで、兄を死なせたという罪悪感から逃れることができた。
そう、未だにリサは『兄を追いかける夢』を見ていた。そして、いつも追いつけずに目が覚めてしまう。
だから兄に追いつきたかった。
――その時にやっと自分を許せるかもしれない。
厳しい訓練は自責の念を薄めてくれ、リサの癒しとなった。
訓練校では基礎体力づくり、格闘術、射撃をはじめ、自動車はもちろんバイクの操縦、爆弾の基本的な起爆装置の解除方法などカリキュラムが組まれ、実践的な訓練が施される。
治安部隊は、特殊戦闘部隊、機動隊、救助隊、警察捜査隊、パトロール隊、海上保安隊、公安部隊、要人警護隊など各分野に分かれているので、半年間の基礎過程が修了すると、配属される予定の部隊に合わせた専門課程に進むことになっている。
最初の頃は紅一点のリサに下心を持って近づく男子訓練生もいたが、リサは無視し続けた。
リサの冷やかな態度にほとんどの男子訓練生は引いていき、間もなくリサの周囲は静かになった。
セイヤは、男を全く寄せつけないリサを見て、ホッと胸をなで下ろす。けどそれ以上、自分の気持ちを問い詰めることはしなかった。
リサにとっても同期の訓練生の中でセイヤだけが唯一の友人だった。しかし奥底に封じ込んだ心を取り出すことはなかった。
二人は学生時代と同じく、周囲にあまり溶け込もうとせず、お互いつかず離れずの距離を保っていた。
・・・
朝から晩まで訓練に明け暮れる生活は、時計の針を早く廻す。
入校から半年経っていた。
訓練生らの基礎過程の修了が近づきつつあり、今後は専門課程に進むので、訓練生の間では「どの専門を希望するか」という話題で持ちきりだった。
しかし、訓練生の希望が全て通るわけではない。
すでにそれぞれの部署の上官らが訓練生を品定めしており、専門課程は各部隊の上官と通じている指導教官と相談して決めることになっている。
従って専門課程が決まれば、将来はその専門を活かせる部署に配属されるのだ。
そんなまだ残暑の空気が色濃く居座る初秋のある日。
寮の食堂は、食事にきた訓練生らのおしゃべりでざわついていた。例により『今後の進路』『専門課程』の話だろう。そこにカチャカチャと食器の鳴る音が重なり、いつになく賑やかだった。
リサも、訓練生らと離れたテーブルで、ステンレス製の食器に盛られた味気ない夕食を摂りながら、もの思いにふけっていた。
――セイヤは手先が器用らしいし、理系科目が得意らしいから警察捜査隊の爆破物処理班が合っていそう。きっと捜査隊のほうも彼を欲しがるだろう――といずれ、セイヤとは別の部署になることに寂しさを覚えた。
訓練生同士でも専門課程が異なれば、顔を合わせる時間も少なくなってしまう。
が、すぐにそんな思いを振り払い、リサは黙々と食事を続ける。
自分にはやるべきことがある。余計な感情は邪魔だ。
そこへ、夕飯用のトレーを持ったセイヤがやってきた。
「希望の部署、どこにする? 決めているのか?」そう訊きながら、リサと同じテーブルの向かい側の席に着き、食事を始めた。
今期の女子訓練生はリサ一人だけだが、部隊のほうには少ないながらも女子隊員はいる。彼女たちは主に警察捜査隊の捜査班に配属されていた。
が、リサはセイヤの質問に「特殊戦闘部隊」と即座に答えた。これは入校当初から決めていたことだ。
特殊戦闘部隊――略して『特戦部隊』は、立てこもりなどの現在進行形の犯罪に対処する部署であり、犯人と直に接する機会が多く、犯人確保または制圧に一番貢献するとされる特殊部隊である。特に出動要請がない時は、パトロール隊や警察捜査隊に借り出され、その補佐に当たる。
セイヤは食事の手を止め、訝しげな表情をリサに向けた。
「何でそんな危険な部署を希望するんだ? だいたい特戦部隊は男しかいないだろ。あそこは体を張る仕事だし、女は採らないぞ」
「広報誌に載っている募集条件には『女性も可』って出てるけど」
すまし顔でリサは応える。
「表向きそうしているだけだろ。女は採らないって明言すると『差別だ』って世間がうるさいから」
「だとしても別にいいじゃない。希望を出すだけなんだから。教官にも反対されなかったよ。それどころか推薦するから頑張れって励ましてくれたんだから。……つまり私が女性初の特戦部隊員ってことになりそうね」
「特戦部隊なんて一番危険な仕事だろ。やめたほうがいい」
セイヤは眉をひそめる。
しかし意に返すリサではない。
「あなたに反対される筋合いはないでしょ」
そう言うと視線を落とし食事を続けた。
「……」
セイヤもそれ以上は言葉を重ねることなく、食事の手を動かす。
しばらく沈黙状態が続き、食器の音だけがテーブルの上を転がる。
お腹が満たされていくうちに手の動きが緩慢になり、何となく間が持たなくなる。リサはコップの水を飲んで一息つくと、浮かない顔をしているセイヤをよそに、話を再開した。
「ところで、セイヤはどうするの?」
そう、一番知りたかったことをまだ聞いていなかった。
セイヤはチラッとリサを見やると、咀嚼していたものを飲み込み、一瞬、間を空け、こう答えた。
「……オレも……特戦部隊を希望している」
今度はリサが怪訝な顔をする番だった。
「え? セイヤに特戦部隊なんて合わないんじゃ……」
「お互い様だろ」
「さあ、どうだか。私は受かって、セイヤは落ちたりして」
「……」
リサのからかいに反応することなくセイヤは夕飯をかき込む。そうしてサッサと食事を済まると、食器が載ったトレイを片手に「お先」という言葉を残し、席を立って行ってしまった。
そんなセイヤの背中を見送りながら――ああは言ったものの、一緒の専門課程に進んで、将来も同じ部署で働けるのだとしたら……とリサの心が躍る。
が、すぐにそんな浮ついた感情を打ち消し、気持ちを切り替えるかのように頭を振る。
ほかのテーブル席はおしゃべりに花が咲き、相変わらず賑やかだ。
楽しげなざわめきが満ちる食堂で、自分の席だけが異空間だった。
今さっきまでセイヤのいた場所がポッカリと穴があいているように見え、リサは目を瞬く。
何だか取り残された気分に陥り、食事を続けるのが億劫になってきた。
――早く部屋に帰ろう。
初秋とはいえ、まだまだ蒸し暑い。湿り気を含んだ重たい空気を吸っているだけで、お腹が一杯になり、半分残してリサも食事を終えた。
・・・
寮の部屋へ戻るセイヤの頭の中は疑問でいっぱいだった。
特戦部隊は本当に女を採用する気なのか? どう考えても女性に一番向かない部署だ。
――なのに指導教官が反対しなかったとは、一体どういうことだ? おまけに特戦部隊を希望するリサを励ましただって? 推薦するって?
だとすると、本当にリサが特戦部隊に配属される可能性が出てきてしまう。
いや、可能性があるどころか、ほぼ確実だった。
セイヤは優秀な成績を修めれば特戦部隊に配属されそうな科目を見定め、その科目だけに力を注ぎ、基礎過程修了試験に備えることにした。
自然、得意な技術系や理系、法学などの論理系の科目はおざなりとなっていく。
基礎過程修了試験の前に、簡単な小テストが科目別に度々行われていたのだが、その小テストをいくつかこなした後、セイヤは指導教官から呼び出しを食らった。
「お前は何をやってる。このテストの成績は何だ? なぜ得意分野を捨てようとしている?」
得意だったはずの科目のテストの結果が芳しくないセイヤに、教官は質した。
教官から見たら不自然に思えたのだろう。
でも、それこそがセイヤの狙いだった。
「自分は特戦部隊が希望なので、それに照準を合わせているだけです」
「なぜ特戦部隊を希望する? お前に合っているとは思えない。お前を欲しがっているのは警察捜査隊だ。捜査班と爆破物処理班がお前に注目している。考え直せ」
教官は諭し続けたが、セイヤは頑として譲らなかった。
――特戦部隊にオレが合ってないなら、女のリサはもっと合ってないだろう。
なのに、なぜ教官はリサには反対しないのかと疑念を持ちつつ、己を曲げなかった。
「とにかく特戦部隊を希望します。これだけは譲れません」
こうなったら、さらに警察捜査隊から外されるように振る舞い、特戦部隊が重視する格闘術と射撃などの実技をがんばるしかなかった。
万が一、特戦部隊にリサが採用されず、自分だけが採用されてしまったら、それならそれでいい。
リサが一番危険とされる特戦部隊に行かされ、自分が落ちることだけは避けたかった。
・・・
ようやく残暑が遠くへと去り、青空が澄む中秋の頃。
基礎過程が修了した。
リサもセイヤも希望通り『特戦部隊専門課程』行きが決まり、訓練校を卒業すれば、ほぼ確実に特戦部隊に配属されることになった。
その通告を受けた日の昼休み。
「特戦部隊行きが通ったね」
校内にある中庭の芝生に寝転がっていたセイヤを見つけたリサはそう声をかけ、その隣に腰を下ろした。
頬を撫でていく涼風が気持ちいい。体を使う実技訓練もこれで少しはラクになる。
起き上がったセイヤはチラッとリサを見やり、独り言のようにつぶやいた。
「女が通るなんてな。特戦部隊の上は何を考えているんだか……税金の無駄遣いだ」
さすがに聞き捨てならない。
「女性蔑視発言!」
リサはセイヤをにらみつける。
「事実を言っただけだ」
そう言うとセイヤはシャツの袖を巻くりあげ、筋張った腕を出してきた。
「格闘術の稽古で、オレがいつも手加減しているのは分かっているだろ? 何なら今、腕相撲でもしてみるか? リサが勝ったら、いや、10数える間、持ちこたえることができたら今の発言、取り消すよ」
セイヤの腕は今ではリサより2割増し太い。二の腕になるとそれ以上になる。
筋肉の量が全く違うことは一目瞭然。おまけに手も肉厚でけっこう大きい。
いつの間にかセイヤは、プチマッチョと言っていいガッチリした体つきになっていた。よくこれだけの短期間でと敬意を表したいくらいに肉体を作り上げていた。女性にはとうてい無理だ。これが性差というものか、とリサは内心、愕然とする。
もちろん、格闘術の稽古で手加減されていることも分かっている。力勝負では歯が立たない。
「どうする、負けを認めるか?」
「あなたが私より勝っている部分って男ならではの筋力だけじゃない」
リサは忌々しげに立ち上がり、セイヤから離れた。
格闘術の稽古はほぼ全専門課程の必修科目だが、当然、特戦部隊の重視する科目でもある。
その稽古ではセイヤ以外、女のリサを相手にしてくれる訓練生はいなかった。いたとしてもリサの体を触る目的の不埒なヤツしかいない。信用できるのはセイヤだけだ。
が、セイヤにしてみれば、いつも非力な女が相手では自分を伸ばすことができないだろう。なので余り時間に男性訓練生に頼んで相手をしてもらっているようだった。
リサはセイヤが相手をしてくれることに感謝しつつも、手加減されていることがやっぱり悔しかった。それに現実問題として、男の犯罪者と取っ組み合いになった場合、負けるわけにはいかない。
訓練している分、一般の男性よりはアドバンテージがあるはずだが、同じ訓練をこなしている者同士では女性は圧倒的に不利である。関節技に持っていこうとするものの、そこまで行くのに苦労する。筋力の差だけはどうしようもなかった。
・・・
――なぜ、特戦部隊は女を採ることにしたんだろう?
今日の稽古でも、リサを軽く転がし組み伏せ、セイヤは考え込んでいた。
ほかの男がリサに触るのが何となく嫌だったので、いつも相手をしてやっているが、まるで手ごたえがなく、自分にとっては全く稽古にならない。
しかもリサは女としても華奢なほうだ。運動神経や反射神経は決して悪くないが、男を相手にすれば力負けするだろう。
セイヤは床に転がったリサを起こしてやろうとするも、リサは拒否し、自分で立ち上がる。
そんなリサにため息つきながらも、セイヤはアドバイスする。
「相手の力をもっと利用しろよ。相手が前に力をかけてきたら前に、後ろにかけてきたら後ろにだ」
「分かっているけど……」
「じゃあ、今度はオレを倒してみろよ」
「……」
それから何度かリサは技を仕掛けてきた。
が、結局、大幅な手加減をしてセイヤは倒されてあげた。
特戦部隊では銃撃戦が中心になるとはいえ、女には荷が重く、不向きである。
リサの頑張りは認めつつも、セイヤの疑問は堂々巡りをする。
――特戦部隊が女を採るメリットって何だ?
・・・
リサはリサで、格闘技においては男性より劣ることを認めながらも、この状況を打破したかった。
一日の訓練と課題を終え、部屋に帰ってから改めて反省する。
今のままでは特戦部隊に配属されても、満足に任務をこなせないだろう。
最悪、隊員らの足を引っ張るだけの存在となり、早々に追い出されてほかの部署へ異動させられてしまうかもしれない。
そこで自分の得意科目を振り返る。
――射撃なら抜きんでることができるかも……?
射撃の筋はわりとよかった。教官も褒めてくれている。
それに射撃は格闘技ほどには男女差は出ない。
どうがんばっても格闘術は男性たちにかなわない。だからこそ、それに代わる自分ならではの得意分野がないと、この先やっていけないだろう。
――男らに負けない何かを身に着けなければ。
リサは射撃に活路を見出そうと考えていた。
ちなみに格闘術の稽古でいつも組んでいるセイヤとリサは、同期の訓練生の間では『公認のカップル』とされていたが、二人は周囲と距離を置き、ウワサ話は淡々と聞き流した。
セイヤとリサは友人関係のまま続いた。