エピローグ 解放
リサの無造作に伸びている髪は、背中を完全に覆ってしまい、長くて重苦しかった。
彼女の兄が亡くなった時から伸びっぱなしにさせて、あまり手入れしていないようだった。
リサとの暮らしをスタートさせた日。何気に「ちょっと切ったほうがいいのでは」と言ったら――リサは「お金がもったいない。今月の家計がもたない」とイタいところをついてきた。
けど長すぎる髪は洗うのに水道代がかかるし、乾かすのにドライヤー使えば電気代もかかるし……ということで、揃えるくらいならできそうだとセイヤがリサの髪を切ることになってしまった。
リサは「じゃあ適当に」と言って「どのくらい切るのか」も訊かなかったし「こうしてほしい」という希望も言わなかった。
――女なのに、めずらしい。自分自身に無頓着なのか……自分を大切にしようっていう気持ちが希薄なのかもしれない。
それはやっぱり、まだ過去を引きずっているせいなのか。そう思ったら、リサの伸びきった長い髪が許せなくなった。リサにも腹が立った。また自分を粗末にして心配かけさせる気かと。
このくらいの長さが適当かなと、一度はリサの肩甲骨あたりにハサミを持っていったセイヤだったが、肩上に移動させてリサの髪を挟み込んだ。刃を閉じたハサミの下から長い髪がかたまりとなって床に落ちる。
セイヤはそのままハサミを進め、あっという間に背中を覆っていた髪はリサから離れていった。
でも、そこからが大変だった。揃えようとするものの、サイドの左右の長さが違ったり、妙に不揃いになったり――短いほうに合わせて切っていくから、さらに短くなってしまい、キレイに揃えられたと満足した時、リサの髪は首の付け根あたりまで短くなっていた。
こんなに短くするつもりはなかったけど、このほうがいいかも……とセイヤは思った。洗髪の時の水道代やドライヤーの電気代が安く済みそうだ、などとケチな考えは毛頭なかった。心機一転、過去から卒業してもらうのだ。
床に落ちている長い髪が、リサを縛っていた過去の残骸に見える。
しかしその過去があったからこそ今へと結びついたことを思い、セイヤは頭を垂れるのだった。
・・・
――もう兄さんの夢を見なくなった。
リサは最後に見た兄の夢を思う。
また兄が先を歩いていた。リサはその兄の後姿を見ていた。
でも、なぜか追いたいとは思わなかった。
リサはその場に立ったまま、兄を見送る。
兄は振り向かずに前を向いたまま、手を上げた。そして大きく振る。まるで『さようなら』と言っているように。
そこで目が覚めた。
ふと視線を滑らすと、すぐ傍らには新しい家族がスヤスヤ寝息を立てている。伝わってくる温もりと息遣い。その確かな存在にホッとする。
リサはベッドから起き上がり、窓へ目をやる。カーテンの隙間からは、すでに闇の支配から抜け、薄明に照らされる紺青色の空が覗いていた。もうすぐ夜が明ける。
今日もいい天気になりそうだ。
晴天の空を映す海の碧は、例のお守りの色にそっくりとなる。自宅を出て、その碧い海を眺めながら細かい路地を抜けて坂道を下っていくと商店街がある。新鮮な野菜と果物に海の幸。この近辺は安い食材がそろっているのでありがたい。
今日のゴハンはどうしよう。そんなことを考える毎日だ。
ただセカンドネームが替わったことで、自分がそう呼ばれることにまだ慣れていない。
そう――リサ・シジョウ。
これが今のリサの新しいフルネームだ。
新しい名前と共に始まった新しい生活。リサをここまで導いてくれた碧いお守りは、今もクローゼットの奥に仕舞われた小さな箱の中で眠っている。




