断章 逆鱗
――私がトウア国未成年養護施設に入ったのは8歳の時だった。
黴臭くうす汚れた壁に囲まれた宿舎の部屋は狭く、簡素なベッドとロッカーと小さな机があるだけ。お母様と一緒に住んでいたマンションの豪奢な部屋との落差に絶句した。
海が近くて、時折忍び寄ってくる潮の生臭さにも、なかなか慣れなかった。
お金も自由に使えない。月々80ゴールドまでがお小遣いとして認められていたけど、それ以上の額は口座から引き落とせない。お母様が遺してくれた預貯金、資産は凍結され、国が管理し、私が成人した時に戻ってくる――そういうシステムになっていた。
当時、とても心細くて、夜ベッドの中でよく泣いた。施設の食事も口に合わなくて、ほとんど残したっけ……。
そして何といっても……
施設の付設学校で行われる平和道徳授業の時に先生たちから「戦犯の子孫」と呼ばれるがイヤで、毎日ビクビクしていた。
そんな時、同じクラスの男の子が「オレも『不戦の民』って呼ばれるのがイヤなんだよなあ」と独り言のように話しかけてきた。
その子はセイヤといった。彼もつい最近、この施設にやってきたらしい。
この頃はまだ、サギー先生はいなかったけど、ほかの先生たちも熱心に平和教育や人権教育に取り組んでいた。
そう、今思えば――教育界に潜り込んでいる工作員は、サギー先生一人だけではなかった。想像以上に多くの工作員が関わっていたに違いない。
――シベリカは教育工作にも力を入れていたのね……。
教育は国の根本を変える力がある。
すぐに成果が現れなくても、10年20年先のことを見据え、トウアを牛耳ろうと国家戦略を立てていたシベリカ国――敵ながら、お見事。
その『平和の尊さを学ぶ授業』で、いつもセイヤは「不戦の民の子孫」と持ち上げられ、私は「戦犯の子孫」として反省を求められた。
セイヤと私は反対の立場だったけど、なぜか仲間のように思えた。セイヤはこの施設内で初めてできた友だちだった。
学校ではセイヤも私もおとなしく目立たないようにしていた。ただでさえ『不戦の民の子』『戦犯の孫』と特別視されていたから。
先生にも反抗せず、いい子を装った。
でも、ちょっと欲求不満になる。
セイヤは皮肉をぶつけたりして、反抗と受け取られないように上手く発散していたようだけど、私は黙り込むだけだった。なので後でセイヤと二人っきりの時に、思いっきり愚痴をこぼした。セイヤは黙って聞いてくれた。
セイヤといる時だけ、私は安らぎを得られた。
施設の生活にも慣れてきた頃。
セイヤと私は、施設や学校の子どもたちからいじめられるようになった。『不戦の民』『戦犯の子孫』と特別視されていたことが原因かもしれない。
当初のいじめは、悪口を言われる、モノを隠される、小突かれるなど、後のいじめと較べたら、まだ軽いものだった。
私はセイヤと一緒だったし何とか耐えることができた。私は黙り込む道を選んだ。
ただ、セイヤはやられっぱなしではなかった。
「オレたちは人権侵害を受けてます。身体的にも精神的にも暴力を受けてます。みんな、平和や人権をないがしろにしてます。先生、何とかしてください」
と、いじめを受ける度に、精一杯の皮肉を込めていちいち告発していた。
平和教育や人権教育に熱心な先生は、セイヤの告発を無視するわけにはいかず、いじめっ子を叱った。
でも、先生らの基本的なスタンスは「話し合いで解決しましょう。譲り合いましょう。許し合いましょう」であり、そう厳しく叱ったわけではなかった。いじめっ子らに形だけの謝罪をさせて、それで済ませてしまった。
いじめっ子らは、先生にチクったとしてセイヤを叩きのめした。
そのことで先生から注意されたら、また形だけの謝罪をすればいいのだ。
こうして、いじめはエスカレートしていった。
先生たちの平和教育や人権教育は、私たちには何の役にも立たなかった。それどころか、いじめを助長するものでしかなかった。
セイヤは「チクリ魔」と呼ばれ、卑怯者扱いされるようになった。
けど、セイヤはどこ吹く風で「大勢で寄ってたかって、いじめるほうが卑怯だろ」と意に返さない。
いじめっ子たちはセイヤに集中した。おかげで私はいじめっ子の標的になることが少なくなっていった。
……もしかしてセイヤは自分から標的になっていったのかもしれない。私を守るために。
そんなセイヤの態度が気に入らなかったのか、ある時、いじめっ子らのリーダーは、セイヤが一番大切にしていた『亡くなった両親の写真』を取り上げ、ペンでいたずら描きをしてしまった。
もちろん、ペンで描かれたところは消すことはできない。いじめっ子のリーダーは取り返しがつかないことをしたのだ。
「やめろっ……」
泣き叫ぶセイヤを、リーダーの命令でその手下の子どもたちが取り押さえる。
リーダーは哂いながら、セイヤの目の前で写真にペンを入れる。両親の顔は塗りつぶされ、周りに悪口が書かれていく。
書くスペースがなくなったところで、リーダーはセイヤに写真を放り、囃し立てながら手下の子どもたちと一緒に走り去った。
私は何もできなかった。
それでもセイヤを慰めようと近づくと――いたずら描きされた両親の写真を拾うセイヤの手が震えているのが見えた。
と同時に、荒い息遣いがセイヤの背中から聞こえてきた。
セイヤの顔を覗き込んだ私はギョッとした。いつもひょうひょうとしていたセイヤが狂気に支配されたかのように顔が歪み、恐ろしい形相になっていた。そして写真を握り潰し、獣が咆哮するような何とも言えない叫びをあげ、リーダーと子どもたちが逃げていった方向へ駆け出した。
私は慄きながらも、後を追いかけた。
亡くなった両親の顔への落書き=自分の家族への冒涜は、セイヤの逆鱗に触れた。
そう、ここは保護者がいない未成年養護施設の付設学校。つまり、いじめっ子たちだって両親がいない。だから分かっていたはず。亡くなった両親の写真にいたずら描きをするということが、どれだけセイヤを怒らせ、傷つけることになるのかを。
これは相当に悪意を持った嫌がらせだ。単なるいたずらではなく、セイヤをとことん痛めつけてやろうという敵意ある攻撃だ。
セイヤは怒りにまかせ、逃げていったいじめっ子のリーダーを追いかけ、突進していった。
けれど、当時のセイヤは体が小さかった。なので、セイヤより3歳上で体の大きかったリーダーには到底敵わず、返り討ちされてしまった。
リーダーの命令で、セイヤは周囲にいた複数の子どもたちに体を押さえつけられ、下着を脱がされ、恥部に写真と同じようにいたずら描きをされた。こんなことをされれば、さすがのセイヤも恥ずかしくて先生に言いつけられないだろう――そういう計算もいじめっ子たちにはあったかもしれない。
私は、周囲の子どもたちに無理やりセイヤの近くへと連れて来られ、セイヤが恥部に辱めを受けているところを見せられた。
セイヤにとってこれほどの屈辱はなかっただろう。
恥部に落書きされ、みじめな姿となったセイヤを、皆は手を叩き大笑いしていた。
いじめっ子たちは人を傷つける天才だった。
――この世に正義などない。
――弱肉強食。それが世界の真理。
セイヤと私は悪いことは何もしていないのに、いじめっ子らのターゲットになり、これだけ酷いことをされるのだ。いじめっ子らは人権教育を受けているのに、平気で人間の尊厳を傷つけ踏みにじってくる。この時、私は『人間の性悪説』を叩きこまれた気がした。
いじめはすでに一線を越えていた。
セイヤは最初こそ、体を押さえつけるいじめっ子たちから逃れようとしていたけど、私の姿を捉えると無表情になり、抵抗をやめ、いじめっ子たちにされるがままになった。そして恥部にいたずら描きをするリーダーをずっと見据えていた。その瞳は憎悪に塗り込められ、ただただ昏かった。
このことで「もう誰も当てにはできない。自分のことは自分で守る」という当たり前のことをセイヤと私は学んだ。
――もはや自衛手段は『徹底的な報復』しかない。
セイヤは再び、リーダーに立ち向かった。棍棒という武器を持って、リーダーが一人でいるところを、しかも後ろから不意打ちを狙った。
体が大きいリーダーもいきなり不意打ちをされた上、武器を持ったセイヤに敵わず、棍棒の餌食になった。
リーダーが泣いて謝っても、セイヤは狂ったように殴り続けた。
セイヤに宿った憎悪は収まらなかった。
周囲の子どもたちも騒ぎに気づいたが、棍棒を思いっきりリーダーに叩きつけるセイヤの容赦ない振る舞いに恐れをなしたのか、リーダーを助けようともせず、立ちすくむだけだった。
この時、先生を呼びに行く者すらいなかった。先生へ言いつけたら、後でセイヤに仕返しをされると思ったのかもしれない。
皆、セイヤがただただ恐ろしかったのね。
やはり、最後にモノを言うのは徹底的な報復であり、相手をねじ伏せる『力』だった。
棍棒で殴っている時のセイヤは顔が歪み、笑っているように見えた。
いえ、セイヤは本当に嬉しかったのかもしれない。『両親の写真にいたずらした行為』に対して『相応の罰』を思う存分与えることができたのだから。
リーダーを殴りつける音が心地よく私の耳にも響いていた。
そのうちセイヤはリーダーの股間に棍棒をのせ、ギュウギュウと押しつけた。
血と涙と鼻水にまみれたリーダーの顔が蒼白になった。
そこからセイヤは棍棒を振り上げ、リーダーの股間を狙って一気に振り落とした。
辺りを切り裂くような悲鳴が響いた。
けど、棍棒は寸止めされていた。
セイヤはニヤリと哂った。リーダーは失禁していた。
それを見て、私も吹き出してしまった。
笑いはなかなか収まらなかった。狂ったように笑った。今まで封じ込めていた怒りや悔しさが、すべて笑いに転換されたかのように。
ああ、気持ちいい。こんなに大笑いをしたのは、ここに来て初めてかも……。笑い過ぎで涙が出てきた。
私はいじめっ子たちの心理を理解した。そう、気持ちいいのだ。誰かを攻撃し、うっぷんを晴らすのは。
決していじめはなくならない。その心理は誰の心にも根づいている『弱さ』『悪』なのだ。
ここで私は、私も含めた人間の醜さを思い知った。
セイヤも感情を爆発させたかのように笑っていた。
大笑いするセイヤの姿を初めて見て――私は嬉しくなった。
周囲の子どもたちは言葉を発することなく、ただただ青ざめて突っ立っているだけだった。
リーダーはぐったりとして、その場にずっと横たわっていた。
私とセイヤの笑い声だけがいつまでも響いていた。
・・・
その後、セイヤの逆鱗に触れたいじめっ子リーダーは大怪我を負い、入院した。
先生たちは、暴力をふるったセイヤを厳しく処罰しようとした。今まで散々『不戦の民の子孫』であるセイヤを持ち上げ、セイヤを利用してきた平和主義者の先生たちにしてみれば、ほかの子どもたちに示しがつかず、セイヤの行為は許せなかっただろう。
セイヤは先生たちの顔に泥を塗ったのだ。
けどセイヤは、大人たちがよく遣う言葉を駆使しながら正当防衛を主張した。
「先に仕掛けたのは相手のほうだ」「一番大切な両親の写真を汚し、また恥部へのいたずらという人間の尊厳を傷つける犯罪に等しい行為をした」と訴えた。
そして「体の小さな自分は不意打ちを狙い、武器を持って戦うしかなかった」「話し合いが無意味なことは、いじめが繰り返されたことから見ても明らかなはず」「最後に残された手段は徹底的な報復だった」として、決して謝ろうとはしなかった。
その時、私は思った。
心から反省などしなくていいのだから、とりあえず形だけの謝罪をすればいいのにと。そのほうが先生への心証はよくなり、罰も軽くなるのにと。
でも、セイヤは形だけの謝罪すらしたくなかったのかもしれない。
それほど怒りと憎悪が大きかったのか……あるいは、形だけとはいえ相手に謝って、ちょっとでも自分の非を認めるようなマネをしてしまえば、またいじめが繰り返されると考えていたのか……。
セイヤは頑として譲らなかった。
そう、この頃からセイヤは本当に譲れないものについては決して譲らない頑固者だった。
形ばかりの謝罪をさせたり、話し合いをしても、いじめはやまない。
いじめをやめさせるには、自分が強くなり、それを相手に知らしめるしかない。自分を攻撃したら、それなりの報復があり、損をするということを、相手に徹底的に分からせるのだ。
結局、人間は損得勘定で動く。
ただ、そんなセイヤの行為や考えが平和主義の先生たちに認められるわけがなく『不戦の民の子孫』として恥ずかしい行為をしたと皆の前で責められ、1週間夕飯抜きの罰を受けた。
するとセイヤは、この罰は人権侵害だと訴えた。
そもそも、なぜ自分だけが『不戦の民の子孫』を持ち出され、厳しく咎められるのか。ほかのいじめっ子らも同じような罪を犯し、形だけの謝罪をしながらいじめを繰り返したのに、罰が与えられなかった――「これは差別だ」とセイヤは反論した。
また、私ルイ・アイーダについても、セイヤはこのように先生たちを批判してくれていた。
――『戦犯の子孫』と言っても本人には全く罪がない。なのにその子孫だというだけで反省を求めるのは出自による差別――つまり「民族差別だ」と。
「平和と人権を大切に」と教えていた先生たちは、セイヤの反論に何も答えられなかった。
それなのに「セイヤは屁理屈ばかり言って反省の色がない」として、さらに1週間、夕飯抜きの罰を与えた。
こうやって先生たちは自分に都合の悪いことは、屁理屈だと切り捨て蓋をする。結局、彼らが唱える「平和と人権」はご都合主義のまがいモノだということね。
でも、セイヤは屈しなかった。役所に行き「自分はろくに食事を与えられずに人権侵害を受けている」と告発した。
役所の福祉関係部署の役人らが養護施設の監督に訪れるようになり、先生たちを指導した。仕方なく先生たちはセイヤに対して矛を収めた。
それからの先生たちは、この時10歳になっていたセイヤから距離を置くようになった。当たらず障らずである。
また授業でも『不戦の民の子孫』を持ち出すこともしなくなった。
いじめっ子らも、セイヤにちょっかいを出すことがなくなり、その代わり無視するようになった。
けど、無視される分にはセイヤは痛くも痒くもなかったようで、それどころか清々した様子を見せていた。
私も、いじめっ子らとはもちろん、ほかの皆とも距離を置いた。
やっと、セイヤと私は平穏で静かな生活を手に入れた。
・・・
数日後――セイヤは私を連れて、いじめっ子のリーダーが入院している病院を訪ねた。ナースステーションでリーダーの手下の友だちの名を名乗り、部屋を教えてもらった。
そして見舞客がいないことを確認し、ベッドに寝ているリーダーに近づいた。
その時のリーダーの顔といったら……恐怖で歪みまくっていて、あんなに面白い顔って見たことなかったわ。
セイヤは結界を作るように、リーダーが横たわるベッドの周りのカーテンを閉め切った。それだけで圧迫感が演出できる。もちろん目隠しの意味もある。
リーダーは息を呑んだまま、セイヤを仰視していた。
不適な笑みを浮かべたセイヤは、リーダーの耳にこうささやいた。
「オレは大切なものを必ず守る。オレの大切なものを奪ったり、傷つけたり、汚したら、とことん攻撃する。今度はこの程度じゃ済ませない」と。
そして「ルイをいじめたら、どうなるか分かるな」と私のことも守ろうとしてくれた。
「お前がこれだけ大怪我したのに、今回、オレは子どもということで傷害罪にも問われなかった。人権って便利だよな。子どものオレは何でもできるってことだ。せいぜい人権ってヤツを利用させてもらうからな」
ガタガタ震えているリーダーにセイヤは覆いかぶさるように顔を近づけ、さらに威嚇した。
体を起こしたセイヤは冷たくリーダーを一瞥し、その後、振り返ることなく「行こう」と私を促し、カーテンを開け、部屋を出ていった。
病院からの帰り道。
夕暮れの空の下、薄れゆく淡いやわらかな光が私たちを出迎えてくれた。石畳の道を踏む足許の影はすっかり長くなっていた。
「オレたちはここで生きていくしかない。だから、がんばろうな」
セイヤは私を勇気づけるようにして微笑んだ。
――そうか……その時から、私はセイヤのことが好きだったのかもしれない……。
オレンジ色に染まった白壁の家。風が奏でる木々の葉擦れの音色に耳をすませ、養護施設の宿舎へ向かう路地を歩いていくと、黄昏の空を映す海が見えてきた。
駆け抜けていく潮風に、なぜかホッとしたものを感じた。苦手だったはずの潮の匂いに、いつの間にか安らぎを覚えるようになっていた。
こうして私たちは完全にいじめから解放された。戦うことで自分たちを守った。
セイヤは決して『不戦の民』ではなかった。戦う時は徹底的に戦った。卑怯な手を使い、暴力を振るい、悪辣に脅し、世間で言うところの『悪人』になった。自分を守るにはこれしか方法がなかったから。
平和教育や人権教育がお盛んな学校だったけど、実態はこんなもの。私たちを『いじめ』という暴力から守ってはくれなかった。私たちの人権を守ってくれなかった。
先生たちは単に『平和と人権』を唱えて「自分たちは正義を教える上等な人間だ」と悦に浸っていただけ。あるいはサギー先生のようにある種の目的を持ち、トウアの未来を背負う子供たちを去勢させるために行っていただけ。
ま、世の中に『正義』なんてものはないってことね。平和・人権教育がお盛んだったあの場所で学んだのはこれだけよ。
セイヤは敵に回したら厄介な人だ。世の中は甘くなく、キレイ事では渡っていけないことも知っている。相手が一線を越えた時には戦うことが必要だと認識している。卑怯な手を使って相手に立ち向かう、決して従順な子ではなかった。
戦っている時のセイヤは悪辣で容赦がない。『優しい不戦の民』だなんて笑っちゃう。
でも、セイヤは自分にとって絶対に譲れないものや守りたいもののために戦うのであり、譲れるものについては戦わずに譲った。無駄な戦いは避けていた。
だから何年か経ち、時が流れると、セイヤがいじめっ子に行った暴力事件の記憶は薄まっていき――周囲の認識は、セイヤはめったに反抗しない従順な子ということになっていった。
セイヤが元の通りにおとなしくなったので、先生たちは「セイヤは卑怯な暴力行為を反省している」と受け取ったのかもしれない。
やがて平和道徳授業でも『不戦の民』が取り上げられ、先生たちは再びセイヤを持ち上げるようになった。いい気なものね。
この時からセイヤは不満を示したり、怒ったりすることはなくなった。
どうせ、ここを卒業したら皆とはサヨナラだ。いずれ無関係になる人に対して『怒る』というエネルギーを使うのはバカらしい、と心に蓋をしてしまった。
無駄な戦いはしない――そう、セイヤは深くつきあわないで済む人間に対して、自分の感情を訴えることはしない。実害がなければ、不満があっても軽く受け流すようにして逃げる。他人に期待はしない。
人とは距離をとって適当に浅くつきあう。そんな淡々とした冷たい生き方をするようになった。
自分を分かってもらおうというのは、セイヤにとっては無駄な戦いでしかなかったのかもしれない。
一見、セイヤは他人に対して穏やかな人のように見えるけど、それはセイヤが他人に何も期待していないことの裏返し。
だから私もセイヤを見習った。祖父や父を戦犯として貶める先生たちに対し、怒ったり、落ち込んだりするのをやめた。ほかの子どもたちにどう思われようと気にしないようにした。
実害がなければそれでいい。セイヤ同様、教室では従順でいい子の仮面を被った。
こうして結局、私はセイヤとリサ以外の友だちは作れなかった。いえ、あえて作らなかった。
ただ……サギー先生、あなたはちょっとやりすぎたようね。
学生時代、私の祖父や父や祖国を幾度も侮辱してくれたけど、それでも私は怒りを示さなかった。あなたもいずれ、私の人生には無関係になる人だと思ったから。学校を卒業したらサヨナラのはずだった。
けど、そうはならないようね。ならば、徹底的にあなたと戦うしかない。
セイヤを見習って、心に蓋をしていたけどね……私の怒りは澱のようにたまっていたの。
今の私の武器は、お母様が遺してくれた莫大な財産と旧アリア国元大統領の孫娘という肩書きと人脈――それを使って、サギー、あなたを、そしてシベリカを追い詰めてみせる。
サギー、あなたは、私を面倒のない従順な人間と甘く見ていたようね。
でも、おぼえておくといい。
何かと怒りを顕わにしたリサやよほどのことがあった場合のみ怒りを表したセイヤより――怒りをため込みながら、ついに怒りを表すことがなかった私も厄介な人間だということを。
私は、あなた方シベリカ人と同じ大陸系の血を引いていることを。
外敵の侵略に怯え、常に警戒しながら、生き残ってきた子孫であることを。
相手を騙し、卑怯な手段を使ってでも勝ちに行くのが当たり前の世界の中で、生き抜いてきた民であることを。
厳しい生存競争にさらされ、血塗られた歴史を歩んできたアリア人であることを。
今日も私の許に脅迫めいた手紙が届いた。
これもあなたの仕業かしらね。
けど、こんなことで私が屈すると思ったら大間違い。私の怒りに火をつけただけ。
サギー、あなたが、あの『シベリカ人労働者の水力発電所立てこもり事件』の首謀者ね。
私の祖父と父と祖国アリアを貶めた上に、私の大切な友人セイヤとリサを危険に晒し、許しがたい罪を犯した。
――あなたはついに……この私の逆鱗に触れたのよ。




