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プライオリティ  作者: ハヤシ
シーズン1
13/73

第5章 口づけ―隊長の思惑

 ――また兄さんの夢を見た。


 セイヤに助けながらだけど、やっと犯人を捕まえた。兄さんに報告をしたい。

 それなのに相変わらず兄さんは私を置いて先に行ってしまう。


 立ち込める白い靄の中、私はずっと追いかけていた。少しずつ兄さんの背中が近づいてくる。

 後、もうちょっと……。


 やっと追いつきそうになったところで、また誰かに手首をつかまれた。

 振り向くと……やっぱりセイヤだった。いつも私の邪魔をする。


 でも……何だか怒っているみたい?

 そういえば、セイヤにまだ借りを返していなかったっけ?――


 そう思ったところでリサは目が覚めた。

 夢か……と、ふと横を見たら、幽霊のようなあまり生気がなさそうなセイヤがいた。


「気づいたか」

 セイヤから声をかけられても、夢の続きを見ているかのようにリサは、しばらくぼんやりしていた。

 が、ようやく目の焦点が合った。幽霊のようなセイヤは本物だった。


「まだ、いたの?……って今、何時? というか何日?」

 それには答えず、セイヤはリサのおでこに手をのっけてきた。


「昨日でもう峠は越えたらしい。気分はどうだ?」

「息苦しさはなくなったような……」

 けど、まだ体はだるかった。頭も重い。


「じゃあ、オレ、もう仕事に行かなくちゃ」

 セイヤは猫背気味にのろのろ立ち上がる。


「あ、その……行ってらっしゃい」

 筋肉に力が入らず起き上がることができないリサは寝たまま、セイヤを目で追った。


「今日は遅番だから、仕事終わってからだと面会時間に間に合わないかもしれないけど……何とか許可もらうようにしてみる」

 セイヤの声に張りはなく、疲れがにじみ出ていた。


「ええと、私はもう大丈夫だから……そんな無理しないでいいよ」

 リサとしてはセイヤを気遣ったつもりだったが――


「じゃあ、これ以上、心配かけさせるなよ」

 ムスッとした表情でセイヤはため息まじりに吐く。


「ごめん」

 とりあえずリサは謝ったものの、何だかご機嫌ななめだなあ、とセイヤをしげしげと見つめてしまった。


「今日はもうこっちに来なくていいから、寮でゆっくり休んだほうがいいよ」

「そっちが心配かけるから、ゆっくり休めない」

「だから私はもう大丈夫だって」

「リサの『大丈夫』は当てにならない」

「……」


 ああ言えば、こう言う。リサは今のセイヤが駄々っ子に見えてしまった。

 どっちかというと今までは自分のほうがつっかかってしまうことが多かったけど、セイヤもそういうところがあるんだな、と意外な一面を見た気がした。


「これからは、あんまりケンカしないようにしたいね」

 自戒も込めて、リサはつぶやく。


「ん……まあな」

 ちょっとイラついていたかな、とセイヤも反省した。リサが峠を越えたということでホッとし、その分ムラムラと怒りが涌いてしまった。一体、どれくらい心配かければ気が済むんだ、いい加減にしろ、と堪忍袋の緒が切れかかっていたのだ。


 と、この時、セイヤはリサに対して素直な感情をぶつけてしまったことに、ふと気づく。

 ――今まであった『壁』がなくなっている……。

 ついでに時間もなくなっていることにも気づいた。


「いけね、じゃ、行ってくる」

 セイヤは部屋の出口に向かいかける。

 が、何を思ったのか踵を返す。


「ん?」

 リサは寝たままセイヤを見やるとセイヤはそのまま覆いかぶさり、唇を合わせてきた。

「……」


 でも、それはほんの一瞬のことで、すぐにリサから離れると、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

 リサはポカンとして、その姿を見送り――その後、布団の中に顔を突っ込み、一人で猛烈に照れまくった。


 テレビ台に置かれたままのお守りはひっそりと役割を終えつつも、相変わらず深い碧を湛えていた。


   ・・・


 ――ついに、ついに、先輩の教えの通り、寝ている彼女の唇を奪ってしまった。


 職場に向かうセイヤは高揚していた。まだ心臓がドキドキしている。


 いや、ただ唇を軽く合わせただけだから『奪う』という表現はちょっと違うかもしれない、と細かいことを気にしつつ、なぜあんな衝動的なことをしたんだろうと自分でも不思議な気分だった。

 リサに対する遠慮という壁がなくなってしまったせいなのか、セイヤは自分がちょっと変わったことを感じた。


 冬空は青く晴れ渡り、火照った体に触れていく冷たい空気が気持ちよかった。



 しかしその数日後。

 セイヤも熱を出し、どうにもこうにも体がいうことを利いてくれず、寝込むはめになった。


 その頃には、リサはだいぶ元気になっていたので、もう心配はなかったが、まさか自分が病気になってしまうとは……相当疲れがたまって抵抗力が落ちていたのか、いや、ひょっとしたら、あの時のリサとの『口づけ』がいけなかったかも。実に迂闊だった。


 考えてみれば、リサもあの時は体力が相当弱っていたのだから、口づけによってセイヤから何かしらの菌がリサに移り、ますますリサを弱らせてしまう可能性もあったのだ。健康なセイヤには何でもない菌も、体が弱っていたリサには危険だったかもしれない。


 が、幸いにしてそのようなことはなく、セイヤのほうがダウンしてしまった。

 そもそもジャン先輩の言うことを聞くと、碌なことにならないのがよく分かった。


「オレは一体……何をやっているんだか……」


 けど、そんなに悪くない気分だった。自分がちょっと病気になっただけだし、たまにはこんな失敗もいいかもしれない。


 あの口づけシーンを何度も頭の中でリプレイして、セイヤは頬をゆるませていた。

 熱は当分、下がらないかもしれない……。


   ・・・


 それから2週間後。いつになく治安局特戦部隊室は賑わっていた。


「よかったな~。回復して」

「おかげさまで。停職が解かれたら、またよろしくお願いします」


 すっかり元気になったリサは退院し、今日は職場に出向き、ファン隊長や同僚の隊員らに挨拶して回っていた。


 女のリサから引いていた隊員らも、ようやくリサを仲間だと認めてくれたようだった。逃走する犯人に食らいつき、逃さなかったリサの信念が犯人逮捕につながったことは認めざるを得なかった。

 もちろん、自分勝手な行動をとったリサを快く思わない者たちもいたが、部隊室の空気はかなり変わっていた。


「まだ停職中ですが、寮から引っ越します」


 今日からセイヤと一緒に暮らす新居へ移ることになっていた。通勤に小一時間かかるものの、新居となる中古アパートは旧市街の白壁の家々が建ち並ぶ緑豊かな小高い住宅街にあり、3階にある借りた部屋からは海が見える。

 婚姻届はすでに役所に出してあるので、法的にはもうリサはセイヤの妻になっている。



 ファン隊長もご機嫌だった。リサのおかげで世間の同情を引くことができ、犯人の一人を射殺してしまったにも関わらず、世間の批判をかわせたからだ。


 ――正義を気取る世間は弱き者の味方をしがちだからな。

 してやったりの気分だった。


 実は、ファン隊長が男所帯の特戦部隊に女のリサを採用した一番の理由がこれであった。かよわき女性隊員を守るために犯人を制圧したということにすれば、わが特戦部隊への世間の風当たりを弱める効果があるのではないか、と。


 ――弱者擁護に走るトウア世論には、弱者でもって、弱者を制するのだ。


 そんなわけで以前から特戦部隊に女性を採ろうと思っていたのだが、なかなか志願者がいなかった。

 治安局内では特戦部隊に女を採用することについて異論もあったが、『男女平等にうるさい世論』を持ち出し、周囲を説得した。


 そうこうしているうちに、ようやく志願者が現れた。

 それがリサだった。


 人権派の市民団体は、犯人射殺に動く特戦部隊を『殺人部隊』と呼んで批判をしており、メディアもそれに同調しがちであった。


 だが、特戦部隊に女性隊員を入れることで、世間が持つ特戦部隊のイメージを変えることができるのではないか、物騒なイメージを払拭できるのはないか、女性隊員が怪我でもしようものなら同情を引き、世論を味方につけられるのでは、とファンは考えていた。


 だから、リサが肺炎を起こし、病状が悪化したことをチャンスと捉え、そのことをマスコミにリークした。


 そしてファンの思惑通り、マスコミは女のリサに同情的になり、世間の空気が変わった。リサは『犯人を命がけで捕えた正義のヒロイン』となった。


 実際はセイヤの活躍も大きかったことを報告書で知っていたファン隊長であるが、メディアが『女性隊員であるリサ』を盛んに取り上げることによって、世間が持つ特戦部隊のきな臭いイメージが変わり、まさに「してやったり」の気分であった。


 ――女という弱者を使い、外国人労働者という弱者を制したのだ。


 もちろん、リサとセイヤが命令に背き、組織から離れて自分勝手にスタンドプレーじみたことをやったのは褒められない。が、個人的には「新人なのによくやった」とも思っていた。


 そんなわけで先日、愛人のサギーにも、この事件で活躍したリサとセイヤのことを話題にしてしまった。


 ファンは妻子持ちであり、サギーとは忍ぶ間柄だ。

『バカで甘えんぼのかわいいサギー』にファンはぞっこんだった。


 セイヤとリサは教え子だったらしく、サギーは彼らのことを気にかけていた。まだ下っ端の新人隊員でしかない彼らのことならば話してやっても特に問題はないだろう。


 ――今回、がんばったとは思うが、所詮、リサは女だ。せいぜい特戦部隊の『かよわきマスコットガール』として世間の治安部隊へ向ける厳しい目を曇らせてほしい。

 それがファン隊長の真意だった。


 ところで、リサとセイヤが捕まえたその主犯格の犯人であるが、黙秘を貫いたあげく、拘置所で自殺してしまったという。残りの立てこもり犯らは、その主犯格に誘われ、報酬目当てで事件を起こしたようだ。


 主犯格の男については身元があやふやであり、もちろんダム建設の労働者でもなかった。残りの立てこもり犯の男たちが聞いた身の上話も虚偽だと警察捜査隊は判断している。そんなわけで結局、真相は分からずじまいで終わってしまった。


   ・・・


 部隊室では、書類仕事で一段落がついたジャンがセイヤに声をかけてきた。

「へえ~、リサのヤツ、ツンケンした感じがなくなったよな」

 そう言いながら、挨拶まわりをしているリサをチラッと見やる。


「ええ、まあ」

 微妙に応えつつも、ツンケンしたままでいて、ほかの男を寄せ付けないで欲しいと思うセイヤであった。


「リサもついに人妻・新妻かあ。なんかそそられる響きだよな」

「先輩っ」

「冗談だよ」


 が、そう言うジャンの目がいつになくイヤラしい感じがするのは気のせいだろうか――セイヤは、リサをこの『ヤロウの巣窟である特戦部隊』に置いておくのが心配になってしまった。

 そんなセイヤの心を知ってか知らずかジャンは耳打ちした。


「でも、リサはこの仕事、辞める気、なさそうじゃん。いいのか?」

「はあ」


 セイヤはため息をついた。減給処分が解かれるまでの半年間、セイヤの給料だけで家計を支えてほしいだなんて言えなかった。


 リサはそんなセイヤの気持ちをよそに「私の停職処分が解かれたら、ラクになると思うから、それまで我慢だねっ」と仕事を続ける気マンマンだった。


 ちなみに今までの二人の貯金は、今回の新居の準備にほとんど遣い果たしてしまっていた。家電製品に家具や生活用品の類を必要最低限そろえたら、後は今月の給料日までの微々たる生活費しか残らなかった。かなり節約しないと今月はヤバイ……といった状況だ。


 減給処分が解かれるまで結婚は待つべきだったかもしれないが――

 セイヤは「安定が欲しい。これ以上、不安定な関係を続けたくない」と、その時にはまだ入院中だったリサに婚姻届にサインさせて、さっさと役所に届けてしまった。こういったことは勢いが大事だ。リサの希望を聞きながら、二人で暮らす新居も探し、即契約し、どんどん事を進めて、やっと今日という日を迎えたのだった。


 ま、それでも――リサがこのまま仕事を続け、自分の目が届くところにいたほうがいいかとセイヤは思い直してもいた。

 リサの停職処分が解かれたら、出動の時は常にリサと組めるよう、ファン隊長にかけあってみるつもりだ。


 そのファン隊長も、今回の事件で新人であるリサを独りで配置させたことについては、上からお叱りを受けていた。ただ、隊長は隊長で「ならば治安部隊にもっと予算をつけて、人員を増やしてほしい」と要望しておいたらしいが……。


 ま、それはともかくとして、今後はもう二度とリサを一人で配置させることはないだろう。セイヤとリサの新人同士でバディを組むことは却下されるだろうが、ジャンも一緒に『三人でチームを組む』ということであれば通るのではとセイヤは踏んでいた。


 そもそもなぜ、特戦部隊にとっては使いづらいだろう女のリサを採用したのか――今回のマスコミの特戦部隊に対する扱いを見て、セイヤは合点がいった。女を採用することによって、特戦部隊への世間の見方が変わることを治安局上層部は期待していたのだろう。


 今、リサはマスメディアから『特戦部隊のヒロイン』として祭り上げられている。特戦部隊のイメージは、リサのおかげでプラスに働いた。上官らの思惑通りになったのだ。


 世論の後押しがあれば、特戦部隊を含め治安局への予算増加の希望が持てる。


 特戦部隊としては、リサをここで退職させたくないはずだ。国の税金を使ってリサをここまで育ててきたとも言える。

 リサが辞めることは、今の治安局にとって非常にマイナスである。


 だから、この点を突いて「夫として、妻であるリサにはこの危険な仕事を辞めてもらいたいが、常に自分とリサがチームを組めるのであれば、リサが仕事を辞めないよう協力する」と取引を持ちかけるつもりだ。ジャン先輩からもファン隊長にかけあってもらえれば完璧だ。


 が、そうするとまたしても先輩に借りを作ることになる。

 もう本当に先輩には頭が上がらなくなる……と、それについてはちょっと憂鬱になるセイヤであった。


「リサが元気になってよかったな、と言いたいところだが、お前のほうはやつれ気味だな」

 ジャンは自分がセイヤを憂鬱にさせているとはツユとも思わずに心配してくれた。


「ここんとこ、ずっと忙しかったから」

 セイヤのほうはすでに新居への引越しを完了していて、今はそこから職場に通っている。


「今日からリサと一緒に暮らすんだろう? せいぜいリサちんの料理で精つけてもらえ」

「はい」

 セイヤの頬がゆるむ。やっと家族としてリサと食卓を囲むことができるのだ。そう思うと元気も出た。


「ちなみにリサって料理できるのか?」

「兄さんと二人暮らしだった時、料理していたらしいですから」


「へえ~、オレもリサの手料理、食べてみたいな。よし、このオレさまがさっそくお前んちの晩ご飯に、今夜お呼ばれしてやろう」

 遠慮という言葉を知らないがごとくジャンは言ってきた。


「お断りしますっ」

 即座にセイヤは言い放つ。


「お前、オレへの借りを忘れたか?」

 ジャンに頭が上がらないとはいえ、こればかりは譲れない。


「申し訳ありませんが、今日はダメですっ、今日だけはっ」

 セイヤの必死の懇願に、ジャンはニヤリと笑う。


「あ、そうか~、今日はリサと初めての夜を迎えるんだっけ。ま、今日はやめておくか。オレもそこまで野暮じゃないからな」

 ジャンは半眼でいかにも妄想してますっというような遠い目をした。半開きの口といい、実にイヤラしい表情だ。これほどスケベという言葉が似合う男はそういない。


「そういう下品な想像はやめてください」

「オクテもついに……そうかあ、感慨深いものがあるなあ」


「先輩……オレをからかって楽しいですか?」

「からかうくらい、いいじゃねえか。後輩に先を越され、未だに治安局内では『女の敵』扱いされているオレの気持ちがお前に分かるか?」


「いえ、あまりよく分かりませんが」

「……だろうよ。ま、減給処分が解かれたら、酒でも奢れよ。……あ、トイレ」


 苦笑しながらジャンは部屋を出ていく。

 その消えていく後姿に向かって、セイヤは深々とお辞儀をした。何やかんや言ってもジャンはやっぱり恩人だ。


 挨拶回りが済んだらしいリサも「じゃあ、また」とセイヤに声をかけ、引越しの準備に行ってしまった。


 それを待っていたかのようにマッチョな同僚らがセイヤを取り囲み「おめでと~」「今日は早く帰れよ」と、もみくちゃにする。頭や背中をバシバシ叩くヤツもいる。本人は軽く叩いているつもりでも、けっこう痛い。


「や、やめてください」

 マッチョたちのちょっと嫉妬も入った攻撃を体中に浴びつつも、セイヤの顔はほころぶ。

 これが幸せってヤツなのか――と思った。

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