第3章 闘い
雪は上や横からだけではなく、下からも吹き上がるように激しく舞っていた。悲鳴のような風音が耳に響く。
犯人は後ろに乗り込んだリサを振り落とそうとスピードを上げ、左右に激しく振りながらスノーモビルを疾走させる。
リサは振り落とされまいと必死で後ろの取っ手にしがみついていた。
吹雪が刺すように攻めてくる。防寒装備なしに悪天候の冬の高山地帯を疾走するスノーモビルに乗り込んでしまったため、急激に体温が奪われていく。
しかし、それは犯人も同じはずだ。
いや、窒息しそうな風圧を直に受けている犯人のほうがずっとキツイだろう。
そのうち、スノーモビルの運転ができなくなる――リサは機会を伺っていた。
寒さが痛さに変わり、気が遠くなりそうだったが、犯人を逃さないという執念で気を保ち続けた。
やがて、犯人も集中力が保てなくなったのか、ついにスノーモビルの運転を誤り、横転させてしまった。
リサも振り落とされ、荒涼とした雪原に投げ出される。
気を失いかけたが、犯人逮捕の執念がリサを支えた。
投げ出された時、深く積もった雪がクッションとなったが、それでも打ち身で体中が痛かった。
何とか体勢を整え、身を低くして銃を取り出し、視界が悪い暗闇の中、犯人の姿を捉えようとした。
手がかじかんで、装弾に時間がかかる。肩も傷めていた。
上手く銃を扱えないかも、と不安がよぎる。
――犯人はどこに?
狂ったように吹きつける風は、犯人の気配を消し去る。
寒さで麻痺し感覚が奪われた雪原の中、リサは慎重に移動し、横転しているスノーモビルの位置を確認した。ところどころにポツンと立っている外灯の、ぼんやりとした心許ない明かりだけが頼りだ。
スノーモビルはライトもエンジン音も消え、死んだように転がっていた。
身を切るような寒さが体を侵食してくる。
犯人はスノーモビルの近くにいるのか、気を失っているのか、怪我をしているのか、それとも怪我もなく、どこかに潜んでいるのか――全く分からなかった。
虚空をにらむリサの耳に風の音だけが不気味に響く。
・・・
セイヤは気が急きつつも、慎重にスノーモビルを操っていた。リサの位置を示す受信タブレットパネルは、ハンドルとフロントスクリーンの間に何とかはめ込み、固定させ取りつけた。
吹き付けてくる風は弱まることなく、敵意を含んだかのように雪と共に襲ってくる。
が、この状況は犯人にとっても同じだ。この猛吹雪の中、完全な防寒装備もなしにスノーモビルを長時間、操縦するのは難しいだろう。
必ず犯人はどこかで操縦を誤るか、操縦不能に陥るはずだ。
相変わらず暴風と雪の総攻撃は続いていた。
そのうち、リサの移動が止まったことに気づいた。
何かあったのかと一瞬、心臓が跳ね上がる。
犯人が操縦を誤って走行不能となったか、あるいは、リサがスノーモビルから落ちたのかもしれない。
リサが止まってくれれば、それだけリサとの距離が縮まる。
不安に苛まれながらもザワザワとした気持ちを落ち着かせ、集中力を保ち、セイヤはひたすらスノーモビルを走らせる。
必ずリサを見つけ、連れて還る――ただそれだけを思いながら。
・・・
雪原に投げ出されて、どのくらい時間が経っただろうか。思考を奪おうとする寒さは時間の感覚を奪う。
押し寄せてくる極寒に頭がボーっとしてくる中、気力を振り絞り、リサは懸命に犯人の気配を感じ取ろうとした。
ポツンポツンと間隔を空けて立っている電灯の光は頼りなく、そこから離れた場所は暗闇に覆われて何も見えない。
風音だけ凄まじい、色のない世界。
ようやく視界が慣れてきた頃、横転しているスノーモビルのほうへ慎重に歩む。
吹き荒れる風の音よりも自分が踏みしめる雪の圧縮音のほうが目立つ気がした。
――犯人が気を失わずに、私の気配を探っていたとしても、私が犯人の気配を感じ取れないように、あっちも私の気配を感じ取れないはず。
リサは銃を握り締めた。
より早く相手の気配を感じ取り、相手の位置をつかむことができるかが勝負の鍵を握る。
リサは風下からスノーモビルに近寄っていく。行く手を遮るかのように風圧がかかる。
スノーモビルはもうすぐそこだ。犯人が気を失い、あるいは怪我を負って動けずにいてくれることを祈った。
悲鳴のような風の音と共に、雪を踏みしめ歩く音がリサの耳元を過ぎる。
ついに横転したスノーモビルまで来た。
――犯人は?
その時、気配を感じた気がした。
パン。
吹雪を切り裂くように銃声が風に乗って響く。
・・・
降りしきる雪が弾丸のように正面からぶつかってくる。
セイヤは感覚を研ぎ澄ましながら、スノーモビルを走らせる。防寒してきたとはいえ、やはり刺すような寒さが身に堪えた。
しかし、リサのほうはこうした防寒装備することなく、そのまま犯人のスノーモビルに乗り込んでいったのだ。もしスノーモビルから転げ落ちて、雪原に投げ出されたまま気を失っていたとしたら、低体温症に陥り、死に直結する。
リサの発信機に動きはなく、止まったままだ。
早く見つけ出さなければと思った時、銃声を聞いた気がした。
・・・
腕が熱い……腕を撃たれた――リサは雪の上で倒れていた。
焼けつくような痛さが襲う。一瞬、視界が暗転する。
吹き荒む風の唸り声と共に、雪を踏みしめ誰かが近づいてくる音が聞こえてくる。気を失うまいとリサは必至で耐える。
だが、もうリサのすぐ傍に犯人は来ていた。そして再び、倒れているリサに銃口を向ける。もう外すまいとリサの胴体へ向けて、至近距離で撃とうとしていた。
男は、治安部隊の隊員が防弾ベストを身に着けていることを知っている。胴体を狙うということは殺す気はないようだ。
が、撃たれれば衝撃は免れず、失神してしまうだろう。肋骨も折れるかもしれない。
ここでやられるわけにはいかない。
とっさにリサは、拳銃を持つ男の手首を蹴り上げる。
と同時に銃声が響いたが、銃弾はリサを逸れた。
男は拳銃を取り落とす。
電灯が放つぼやけた明かりを頼りに、リサは拳銃が落ちる先を見つめた。
・・・
絶叫する風から、今度は確実に聞こえた銃声。
セイヤは心臓をぎゅっと鷲づかみされた思いだった。鼓動が速くなる。せり上がってくる不安をなんとか押し殺す。
慎重に操縦しながらもセイヤはスノーモビルの速度を上げ、リサの位置を示す方向へ、暗闇の雪原を見据える。
リサのもとまで、後もう少し。
・・・
男は拳銃を拾うか、リサの首を締めて意識を奪うか、一瞬迷った。その迷いの時間がリサにとって有利に働いた。
リサは男が取り落とした拳銃を拾いに動く。
それを見た男も拳銃を拾うほうに舵を切り、拳銃の奪い合いになった。
一度はリサが拳銃を手にしたが、腕を負傷していて力が入らない。男に叩かれ、拳銃は再び雪原に落ちた。
リサに男が覆いかぶさる。
圧倒的な力の差。リサは抵抗しようにも身動きできなかった。
男の息遣いが聞こえ、風の音が遠くなる。
リサは、この息遣いを以前にも聞いたことがある気がした。
――そういえば背格好も似ているかも……。
決して忘れることはない兄を殺した犯人の姿が脳裏にはっきりと像を結ぶ。
男がリサの首に両手をかける。
リサはその隙に男の目出し帽を剥ぎとろうとした。兄を殺した犯人は左頬から口もとにかけて大きな傷跡があったはず。
男の覆面が少しめくれる。
左頬に大きな傷が見えた気が……いや、暗闇でよく見えなかった。猛吹雪の中の電灯の光はあまりに弱々しい。
男はリサの首を思いっきりしめる。リサの意識がかすむ。
――兄さん、ごめん……犯人、捕まえられなかったみたい……。
夢の中に現れた兄にリサは詫びた。それなのに相変わらず兄は背を向け、後姿しか見せてくれない。そして、リサのもとから去ろうとしている。
――置いていかないで……私も一緒に。
その時、スノーモビルが近づいてくる音が聞こえてきた。
ふと男の手が緩み、リサは暗転しかかった意識を取り戻す。
この悪天候の中、スノーモビルを運転してくるとは。治安部隊しか考えられない。しかし見たところ一台だけのよう。不審に思いながらも男はとっさにリサを立たせ、後ろからリサの首に腕をかけながら己の盾にした。
暗闇の中、遠くに立っている電灯の明かりだけでは、こちらの姿は捉えることができないはずなのに、そのスノーモビルのライトがだんだん近づいてきた。確実にこちらを目指してやってくる。
そしてついに――
セイヤの乗ったスノーモビルのライトが犯人とリサの姿を捉えた。
眩しさのあまり、男は思わず目をしかめる。
その隙に、セイヤはスノーモビルから飛び降り、銃を構えた。
だが、男はリサの首を腕で絞めつけて、それを牽制する。
セイヤはリサを盾にされ、撃てない。それでも男との間合いを徐々に詰めていく。
リサはぼんやりする視界の中に、スノーモビルのライトを背に誰かが銃を構える姿を捉えた。フルフェイスのメットを被っている上、逆光でよく見えなかったが、「放せ」という声を聞き、セイヤだと分かった。
――え、なぜセイヤがここに? それも一人だけで?
「その銃をこちらに放れ。さもなければ、この女の首の骨を折る」
男の腕がさらにリサの首を締め上げた。
「うぐ」
気を失いそうになりながらもリサは犯人の腕を離そうとする。が、ビクともしない。
――でも、やっと聞けた犯人の声……兄さんを殺した犯人の声に似ている。
リサのぼんやりしていた意識が覚醒した。
「……!」
前方には、銃を放ったセイヤが見えた。
――私はまたセイヤに迷惑をかけている。危険にさらしている。兄さんと同じようにセイヤを死なせてしまうかも。
そう思ったとたん、負傷していた腕の痛みが消えた。同時に、いつか格闘術の稽古で言っていたセイヤの言葉を思い出す――『もっと相手の力を利用しろよ』
リサは後ろへ体重をかけた。
男は倒れないように、とっさに前へ重心をかける。
その瞬間を狙ってリサは、男を背負う形で前方に重心をかけ、膝を曲げ、地に着けた。
リサの首に男の腕が強く食い込む。
――首の骨が折れてもかまわない。私の命はどうでもいい。こいつを転倒させる。
全身をバネに、渾身の力を振り絞り、リサは前方へ男を投げ飛ばす。
負傷した腕の傷口がさらに開いたような気がしたのもつかの間、リサの意識が再び遠のき、暗転する。
男がリサの上に覆いかぶさるように転がった。その衝撃で積もっていた雪が空中に散る。
セイヤがすかさず男に飛びかかった。転んだ男の顎を狙って蹴り上げ、脳を揺する。
上体を起こしたまま、男の動きが止まった。脳震盪を起こしたのだろう。
セイヤはさらに男の胸を押し込むように強く蹴る。
男は仰向けになって勢いよく倒れた。
その男の右腕を、セイヤは足を掛けながら抱え思いっきりひねる。腱がちぎれる音。
男が大きく暴れた。左手が空を舞い、セイヤをつかもうとする。セイヤはそれを避けながら、さらに体重をかけ、徹底的に痛めつける。
右手はもう使い物にならない。セイヤは一旦、男を離す。今度は左手の自由を奪うために。
しかしその間に男は勢いよく起き上がり、左手の拳をセイヤに突き出す。
が、すでにセイヤは見切っていた。その男の左拳を弾く。
と、その時、男の右足の蹴りがセイヤを襲った。
左の拳はフェイクか――セイヤはとっさに犯人の蹴りと同じ方向へ体を流し、威力を削ぐ。そして体に当たった男の右足を腕で抱えて、ひねりながら男と一緒に雪原へ倒れ込んだ。
男が呻く。
確かな手ごたえがあった。これで男は足技を使えない。
セイヤは男を倒したまま、今度は男の左腕に足を掛けてひねる。右手と同じように腱を切り、最後に左手首を折ってやった。
その時、雪原でうつ伏せになって倒れているリサの姿が目に入る。さらなる怒りに支配されたセイヤは、さっき自分が放った銃を拾う。
両手と右足の自由を奪われ、激痛に苦しんでいる男は起き上がることもままならない。
セイヤは男の眉間に狙いを定めた。自分のこめかみの血管が膨張するのを感じる。
男はうすく目を開けた。雪の上に仰向けになったまま、再び目をつぶった。男にはもう闘う意思は見られない。
セイヤは銃を構えたまま、動かなかった。
吹きつける風と雪が沸騰していた怒りを覚ましていく。
事件解明のためには犯人の射殺ではなく確保が望ましい。そう思うことで撃つのをやめることができた。
冷静さを取り戻したセイヤは男をうつぶせにし、後ろ手に手錠をかける。
――犯人、確保。
その傍らで、意識を失って倒れているリサの腕からは大量の血が流れ続け、凍る暗闇の世界は容赦なくリサから体温を奪っていった。
・・・
周囲は靄がかかったように真っ白だった。
心細さを押し殺して歩いていくと、遠くに一筋の光が差し込んでいるのが見え、そこには兄さんと父さん、母さんがテーブルを囲んで楽しそうに食事をしていた。
――何だ、皆いるんじゃないの。私もお腹、空いちゃった。
心の底からホッとした。
――私の席はそこね。
が、空いている席に行こうとしたその時、誰かに手首をつかまれた。
つかまれた手をふりほどこうとしたけど、ビクともしない。
行かせて……。叫んだつもりだけど声にならなかった。
それでも、もがき続けていたら、いつの間にか兄さんも父さんも母さんも消えてしまっていた。
・・・
意識を取り戻したリサは、それからもしばらくぼんやりとしていたが、暗闇の雪原の中にいることに気づく。
風と雪は止んでおり、視線を上に向けてみれば、遠くの空の色がほんのり明るく、微かに山々の稜線が見えた。
さっきまでの凍えるような寒さがウソのように暖かい。体には防寒着がかけられ、その上を後ろから抱き留められいることに気づく。負傷した腕は何かの布でキツく縛られているようだった。
スノーモビルの支柱にそれぞれ片手ずつ2つの手錠でつながれて万歳をさせられている犯人の姿も確認できた。男は全く動かず、うつむいていて顔が見えず、意識があるのかないのかも分からなかった。
「気がついたか」
後ろからセイヤの声が聞こえた。まだ頭がクリアーにならず夢の続きをみているような感覚だったが、さっきまでの犯人との格闘を思い出す。
「もうすぐ救助隊がくる。それまでガンバレ」
セイヤはリサを抱え込んでいた腕を少しだけ緩めた。
「……いかせてくれなかったんだ……せっかく、兄さんや父さん、母さんがいたのに……一緒に食事がしたかった』
あのままずっと夢の世界にいたかった。そんなことを思ってしまった。
「……」
セイヤはそれに応えることなく黙り込み、二人の間に沈黙が落ちる。
その静寂に耐えられなくなったかのように今度はリサのほうから話しかけた。
「また迷惑かけちゃったね。……ゴメン」
そうだ、言うべきはまず謝罪だった。
「ったくだ」
セイヤからも本音が漏れる。セイヤにしてみれば、本当にこんなことは二度とゴメンだろう。
自分が無茶をしたことで、結局セイヤを巻き込んでしまったと反省しつつ、リサはチラッと犯人の方へ顔を向ける。
「犯人、捕まえたんだね」
「二人で捕まえたんだ」
「うん」
悲願の犯人逮捕だ。セイヤからは怒られるかもしれないけど、無茶したおかげでもある。
それからまた会話が途切れ、しばし沈黙状態が続いた。
その間にも深閑とした空に薄明が射し、闇から紺青色へと変化する。昨晩の風が雲を吹き飛ばしたのか、晴天の様相を見せていた。
風景が色を持ち始める。やがて遠くに見える連峰が影となって姿を現し、目の前の青白い雪原がどこまでも広がっていた。
その時、ふと気になったことがあってリサは再び口を開く。
「何で私の居場所が分かったの?」
「ごめん」
今度はセイヤが謝った。
「発信機をつけた」
「え? どこに?」
「お守りに」
「あ……」
今でもその碧いお守りはリサの胸にあった。
これは単なる神頼みじゃなかったのか。……現実的なセイヤらしい。そう思ったら、リサはなぜだか笑いがこみ上げてきた。犯人を目の前にしたら鉄砲玉のように飛んでいくリサのことを、セイヤは見越していたのだろう。
「あなたには、敵わないな」
リサは苦笑した。
「そっくりその言葉返すよ」
セイヤも頬をゆるめる。
紅と黄が混ざり合った朝焼けが闇を追い払い、空は徐々に青を取り戻していく。やがて、山々の稜線が黄金色に縁どられ、朝日が顔を出し、橙色の光が二人を淡く照らした。
安堵に包まれながらリサは再びうつらうつらし始めた。失った家族との夢の続きを見たかったが、もう続きを見ることはできなかった。
・・・
シベリカ人労働者による発電所立てこもり事件はとりあえずの解決を見せた。
主犯格の犯人を捕まえたとはいえ、上官の指示を仰がず、命令に背いたとしてリサは2ヶ月の休職扱い、その後4ヶ月間は3割減給となった。
停職中の間は基本的に無給、生活最低保障費は支給されるが、処分が解かれた後、給与から少しずつ天引きされ清算されることになる。
セイヤは半年間の給与3割減額、セイヤに協力したジャンは半年間1割減額という処分になった。
主犯格を捕まえたにしては厳しい処分だが、自分勝手な行動と命令無視を重く見た。救助隊を動かすはめになったことも大きかった。
ジャンはセイヤに女性問題をネタに脅され、仕方なく協力したということで情状酌量されたのだが、その詳しい内容についてはセイヤもジャンも何も語らなかった。そこまで口裏を合わせていなかったからだ。
治安局も暇ではないので、ジャンの女性問題の内容については追及しなかった。ファン隊長も「女はほどほどにしておけよ」と諭すにとどめた。
しかし、こういう話題は人の関心をくすぐるもので、ジャンの女性問題についてあることないことがウワサされ、治安局特戦部隊の面々に楽しいネタを提供していた。
セイヤもいろいろと訊かれたが、口をつぐむしかなかった。それが余計に皆の妄想を激しくさせ「ジャンは、口にできないような何かとんでもない女性問題を抱えているらしい」ということになっていった。
「セイヤ、この借りは本当に大きいからな」
ジャンはセイヤの顔を見る度につぶやく。しつこくしつこく、つぶやく。
「す、すみません」
その度にセイヤは謝っていた。
「まるで、このオレが女の敵のように思われているぞ」
「本当にすみません」
もう平謝りするしかなかった。
「ああ~、誰かカワイイ子いないのか~って、オクテのお前じゃこのオレ様に紹介できるようなコはいないか~」
ジャンにそう言われて、ふとルイの顔が思い浮かんだセイヤだが「いや、ルイがかわいそうだ」と頭を振った。
「ん、何?」
「いえ、オクテで申し訳ありません」
「ま、リサと進展するといいな。命がけで助けたんだから、自信もってアタックしてこい」
「はあ」
「そういえばリサはまだ入院しているのか」
「はい」
「これはチャンスだ。体が弱っている時こそ狙い目だぞ。このジャンが保証してやろう」
「はあ」
「ベッドに寝ている彼女の唇を奪ってこい」
「……そんなことしていいんでしょうか」
「いいに決まっているだろ」
「……女の敵……あながち間違ってないかもしれませんね」
「ん、何か言ったか?」
「いえ」
「ところで……」
ジャンは急に真面目な表情になった。
顔が引き締まると先輩は意外といい男に見えるのに惜しいよな……と思うセイヤをよそに、ジャンは話を続ける。
「主犯、黙秘を貫いているんだってな。それにダムの工事に関わった労働者ではないらしいし……一体、何が目的だったんだろうな。射撃の腕だって、ありゃあ素人じゃないぜ」
あのリーダー格の犯人が今回の事件の主犯であることは間違いなかった。しかし、それ以外のことはまだ何も解明されていない。
ちなみに頬に傷はなく、リサの兄を殺害した銀行強盗犯ではないようだった。
今回の事件について、もちろん世間では大騒ぎ。メディアも連日、取り上げていた。
銃撃戦となり外国人労働者2名が重傷、1名が死亡したことを重く受け止め、「治安部隊は早まったのではないか」という批判と共に「トウアに在住する外国人にもトウア国民と同等の権利を与えるべきだ」との声が高まった。
「治安部隊が立場の弱い外国人労働者を攻撃した」という弱者擁護に動く世論の空気が根底にあった。
しかし、治安部隊の女性隊員も怪我を負ったことから、今回は少し世論の空気が違った。
治安部隊への批判はあったものの、さほどではなかった。いつもなら「殺人部隊」「人権侵害」と言われてもおかしくない事案だったにも関わらず。
改めてセイヤは思う。
確かに外国人の人権を守ることは大事だ。
外国人を受け入れているのも、外国人にトウア国民が嫌がる仕事を肩代わりさせるためであり、受け入れたのならば彼らの生活の保障をするのは当然である。
しかし、ジハーナ国の場合――ジハーナで暮らすことを望む外国人を厳しい審査もなく受け入れ、国籍を与え、政治にも関与させたことから、諸外国の内政干渉を許すようになり、それが引き金となって、国家主権が脅かされるようになっていった。
そのことを思えば、外国人をどこまで受け入れるのか、権利をどこで線引きするか難しい問題になる。
もちろん、ジハーナ国が消滅に至った理由はそれだけではない。
市民らが国家不要論を唱え始めたことも大きかった。『国境なんていらない』『世界は一つ』とマスメディアも同調し、ジハーナ人自身が国家主権をないがしろにするようになってしまった。
国家権力を嫌い、個の自由を謳う無政府主義が人々の間で流行り、各地方では、地方主権を謳って中央集権的な国家権力からの独立運動が起こった。
やがて、外国人らを中心にしたその運動は暴動へと発展するようになり、軍を持たず不戦を掲げるジハーナ政府は、それを抑えることができなかった。警察も無力だった。
そこにつけ込むかのように「平和と治安を回復させる」という名目でシベリカ国を中心とした諸外国が組み、ジハーナ国に介入する。結果、ジハーナは解体され、各諸外国に併合されていった。
ジハーナ国は、外国からの武力による侵略ではなく、内部から崩壊し、諸外国につけ入る隙を与えてしまったのだ。
ジハーナが掲げていた理想は、諸外国の餌食になっただけだった。
――これが現実をあまり見ることなく理想を追い求めた国の末路だ。
そんなふうに考えるセイヤは、自分自身はかなりの現実主義者なのが皮肉に思える。
いや、理想と共に消滅したジハーナ国を思うからこそ、自分は現実主義者になってしまったのかもしれない。
そう、不戦のジハーナ国は『理想を追求する善なる国』ではなく、甘い幻想の中にいた単なるお子様国家だった。
当時、たまたまトウア国に出稼ぎにきていたジハーナ人たちは、帰る祖国を失ったということでトウア国に残り、その子孫は帰化した。
その孫の代にあたるセイヤは生まれた時からトウア国民だ。
それでも祖父や両親の祖国であったジハーナ国のことを知りたいと思い、今までも調べてたりしていた。
小さい頃に祖父から聞いた話では、ジハーナ人とトウア人は同じ海洋民族ということで気質が似ており、馴染むことができたというが、たまたま祖父の周りのトウア人が親切でいい人だっただけかもしれない。
また、シべリカ国など価値観や習慣が違う他国の民となったジハーナ人は疎外され差別されていると亡くなった両親もよく話していた。
もちろん才覚あるジハーナ人は差別をモノとせずに成功を収め、豊かに暮らしていけるだろうが、多くの凡人は以前より苦しい生活を強いられることになる。それが現実だった。
今現在のトウア国は人口減少と治安悪化によって経済が弱り、外交では諸外国に何かと譲ることが多くなってきたようだ。それなのに人々はのんびりし、危機感がまるでなかった。
そんなトウア国の行く末をセイヤは何となく不安に感じていた。それはまだ形を持たない漠然としたものだったが、心の奥に巣くい、ふるい落とすことができなかった。




