愛4章 告白
トウア国立中央総合病院にリサは入院していた。
窓からは遠く海が望める最上階にあるリサの部屋は、公務で負傷した者が入る公務員専用個室だ。入院費や治療費、それに関連する全ての経費は国が負担してくれるので、この点は安心である。
「気分はどうだ?」
非番の日、リサを見舞いに来たセイヤはベッドの傍らにあるイスに腰掛けた。
「怪我はだいぶよくなったけど、熱があって……退院はもうちょっと先になりそう」
そう言いながらリサはベッドから起き上がろうとした。
「寝たままでいいよ」と手で制しながら、セイヤは「ベッドに寝ている彼女の唇を奪え」というジャンの教えを思い出していた。
「やっぱ、オレにはできないよな」
「え?」
「いや、何でもない」
セイヤは首を振りながら、慌ててリサから視線を逸らす。
「あなたには、ほんと大きな借りができちゃったね」
「まあな」
そりゃあ命がけだったし、命令違反で減給処分食らったし、ジャン先輩まで巻き込んじゃったし……と正直思う。
「ありがとう」
「ああ」
ま、リサが無事に戻ってきたからよしとするか――そんな気分だった。何よりもリサとの距離が縮んだことが嬉しかった。
「お守りも……ありがとう」
リサはテレビ台に置いてあるお守りに目をやった。
セイヤもつられて、視線を移す。
「色がきれいだね」
「確かに」
「ん? きれいだから、これにしたんじゃ?」
「理由は特にないけど」
セイヤにしてみれば発信機が仕掛けられれば、それでよかった。入れ物はどうでもよく、ロケットペンダントの中から手頃なものを選んだだけのことだ。
けど青は好きな色だ。だから何となく目に留まったというのもあるかもしれない。
「ねえ、セイヤの好きなものって何?」
リサは話題を変えた。
「え? いきなり何?」
怪訝な顔をするセイヤに――そういえば、私ったらセイヤのこと何も知らないな――とリサはふと眉をひそめる。
「その……何かお返ししたいから」
「別に、モノはいらない」
セイヤはそっけなく応える。セイヤの欲しいものは買うことができない別のものだ。
「それじゃ借りを返せないじゃない。そりゃあ、今回の借りは大きいから、簡単に済ませようとは思ってないけど……」
そんなリサの言葉を聞き――
「借りを返してくれるのか? かなり大きな要求になるけど」
セイヤは思わず言ってしまった。もちろん冗談めかしたつもりだったが、真面目な響きになってしまったようだ。
「え」
さすがにリサも、セイヤからそんな反応が返ってくるとは思わなかったのか、表情が固まっていた。
セイヤは苦笑する。
「別にいいよ、もう……」
「余計、気になるじゃない。セイヤの要求って何?」
リサはいつの間にか上半身を起こしていた。
「言ってよ」「このままじゃ落ち着かない」「お願い」としつこくリサが問い詰めるので、
セイヤは思い切って答えてみた。
「オレが欲しいのは家族なんだ」
「……」
また固まってしまったリサにちょっと気まずくなったセイヤは「じゃ、そういうことだから」と立ち上がり、部屋を出て行こうと踵を返す。
が、後ろからリサの声が追いかけてきた。
「それは私に家族になってほしいということ?」
「……まあ、そういうことになるかな」
セイヤは立ち止まり、リサを見ずに横を向いたまま、ボソッと遠慮気に答える。
さらにリサはしどろもどろになりながらも問いを重ねた。
「それは……その……結婚という方法をとることになるのかな」
「それしかないだろ」
「……うん」
「…………」
「…………」
しばしの無言状態が続いた後、意を決したようにセイヤはまっすぐリサに向き合う。
「で?」
「え?」
「借りを返してくれるのか?」
・・・
「ということで、リサと結婚することになりました」
やはりここはジャン先輩に一番にお知らせするべきだろう。先輩は「よくやった」と喜んでくれるに違いない。
彼女の唇は奪えなかったが、心は奪えたのではないだろうか。というか結婚するんだから、唇どころかそれ以上のものをいただけることになってしまった。
と翌日、出勤したセイヤは、ほころびそうになる顔を一生懸命、立て直しつつ、さっそくジャンに経過報告をした。
なのにジャンは思いっきりセイヤの胸ぐらをつかんできた。
「先輩?」
「オクテのくせに、オクテにくせに……何でオレより先にいきなり結婚なんだ?」
目を三角にして、セイヤをさらに締め上げる。
「え、リサと一緒になれるよう応援してくれていたんじゃ?」
「結婚しろとまでは言ってない」
「ええ?」
「いきなり結婚にいっちまうとは……オクテって恐ろしいな」
ジャンはセイヤを離し、ため息をつきながら顔を左右に振った。
「そうですかね……。ま、オレは恋人ではなく、家族が欲しかったんで」
そりゃあ先輩から見たら、いきなり結婚のように思えるかもしれないけど、リサと知り合ってから2年半以上経つ。途中、避けられたこともあるけど、長い間、友人としてつきあってきたんだ――とセイヤは心の中で説明をしてみる。
「お前って重い男だったんだな」
「軽い男よりマシなんじゃないですかね」
「う~ん、どっちもどっちじゃないか~?」
セイヤはジャンへの皮肉を込めたつもりだが、ジャンは自分が『軽い男』とはツユほども思っていないようだ。ま、ジャンは惚れた女に対しては意外と真面目かもしれないが。
「フン、結婚式には当然このオレ様を呼ぶんだろうが、ご祝儀は出さねえからな。お前に協力したせいで、給料も減らされちまっているし」
「いえ、式はしません」
「え、どうして?」
訝る顔を見せるジャンにセイヤは滔々と説明する。
「オレも減給されるし、リサは2ヶ月停職でその間は基本的には無給だし、もしかしたらそのまま退職になるかもしれないし。オレとしては、リサにはこんな危険な仕事、辞めてもらいたいのが本音だし。寮を出て、二人で部屋を借りて生活することになるから、お金もいるし。もしリサが仕事をやめれば、半年間はオレの減額された給料のみでやっていかないといけないし。できるだけ今から節約しないとやっていけないんで」
要するに金がない。その一言に尽きるが、セイヤもリサもあまり目立ちたくない思いもあった。今回のことで懲戒処分を受けた二人は、悪い意味で治安局内の有名人になっていた。
「……何だか大変そうだな。新婚早々、ケチ生活を強いられるリサもよく結婚OKしたよな。つうか、減給処分が解かれてから結婚すりゃいいのに」
「半年も待つのはイヤです。さっさと落ち着きたいんです」
そう答えたものの、しぼんだ声でセイヤはつぶやく。
「でも、リサに悪かったかも……」
確かに先輩の言うとおり、経済的余裕もないうちに結婚するのはリサにも不便をかける。おまけに『借りを返せ』なんて野暮なプロポーズ。自分本位もいいところだ。
そんなセイヤを見て、ジャンはやれやれとばかりに苦笑する。
「それでもお前は早く一緒になりたかったんだろ」
「はい」
「じゃあ、悪いなんて思わず、さっさとモノにして手放すな。リサはお前にとって本当に欲しかった女だろ」
「はい」
先輩の言葉だとちょっと違う意味になる気がするよなあ、と思いながらもセイヤは肯定しておいた。
それに……何やかんや言ってもジャンにはやっぱり頭が上がらない。先輩の協力がなかったら、リサを助けることができなかったかもしれない。今の自分とリサがあるのは先輩のおかげでもある。
そのジャンはいつになく穏やかな表情でセイヤを見やる。
「お前って不思議なヤツだな。用心深くて慎重なヤツかと思えば、銃に手をかけて懲戒免職や実刑食らう覚悟で女を救いに行こうとする大胆なところもあるし。淡々として冷めたヤツだと思ってたけど、意外と激しく熱いヤツでもあるようだし」
「あの時は、本当にすみませんでした」
この点についてはもう本当に、セイヤは頭を下げるしかなかった。
そう――あの時、もしジャンに力ずくで止められたら、本当に銃を使うつもりだった。そして発電所職員にも銃で脅して、防寒着とスノーモビルを借りようと考えていた。
完全に懲戒免職&実刑ものだ。
セイヤの詫びを聞いているのかいないのか、ジャンは独り言のように続けた。
「お前は本当に欲しいものや守りたいもののためなら、ほかはスッパリ捨てられるんだな。その代わり、守りたいものは絶対に守るし、欲しいものも手に入れる。それって案外、悪くない生き方かもな」
・・・
「もう夕方か」
雲間からのぞく夕陽に照らされ、黄昏色に覆われたトウア国立中央総合病院。
入院部屋のベッドの上でリサは窓に映る空の色彩が刻一刻と変わっていくのを見つめがら、ぼんやりと時を過ごしていた。
青かった空がいつの間にか橙色になり、赤が混じる。
――犯人を捕まえた。
憑き物が落ちたように、リサの心は穏やかだった。
やっと自分を許すことができそうだった。
だからつい、セイヤのぶっきらぼうなプロポーズも受けてしまった。大きなプレゼントをもらった気がした。
もう何も思い残すことはない。
夕焼け空は赤に染まり、消え行く儚い陽光が、この世のものとは思えないほど美しく感じた。
何かから解放されたリサは満ち足りた気分で眠りに就く。
――今度こそ、兄さんに追いついた夢を見られる。
空が抱いていた赤が闇へと変わり、その夜、リサは高熱を出し意識を失くした。




