漫画研究部
退屈な授業が四つ終わり放課後を迎えた。これでも短い方だと知って、驚愕した二人は早速、部活の見学をしに校庭へと向かった。もうすでにバドミントン部がシャトルのラリーをして、アップを始めていた。それを新入生たちがかしこまった雰囲気で眺めていた。その様子を見ながら、誰かの知り合いだの何だのと絡みに行く者も居れば、早速ナンパをする人もいた。
「ノースフェイスちゃん。」男女から絶賛大人気だった。入る気など全くない友花莉だったが、ラケットとシャトルを持つとなんだか懐かしい気持ちが蘇ってきた。すると、一人の女子がラケットを眺めていた友花莉に近づいてきた。
「そういえば、廣坂さんはバドミントンやってたんだよね?ちょっとやってみる?」その情報を知っていると言うことは、クラスメイトのようだ。優しい提案を友花莉は丁重に断った。だがバドミントン経験者の新顔を何もせずに帰してくれるほど周りは優しくなく、結局軽くラリーだけやることになってしまった。ラケットはレンタルだったが非常に持ちやすい。綺麗なシャトルを選ぶのが友花莉の癖だった。そして軽くラリーを始めた。正直楽しかった。シャトルを打つ感覚、芯に入った時の音、何もかも懐かしくバドミントンの楽しさを思い出した。
「ちょっと試合やらない?」一番恐れていた言葉だった。またまた、丁重に断った。だがその女子生徒は友花莉の断りとお詫びの言葉を聞かず、やる気満々にラケットを構えた。友花莉の精神は限界突破してしまい、いきなりラケットを放り投げ走って校庭を後にした。
「友花莉、友花莉待って!」ノースフェイスちゃんの呼ぶ声は、友花莉の耳に届いては居たが、止まることはなかった。校庭を出て駐輪場に向かっていた。
「友花莉、ごめんなさい。私が悪いの。」
「こちらこそごめんね。びっくりしたよね。ちょっといろいろあってね。」
「恥を・・・、かきたくなかった?」ノースフェイスちゃんは恐る恐る聞いた。
「違うの。」
「だよね?だって上手だったもん!」
「ありがとう。」友花莉はノースフェイスちゃんの笑顔で、少し元気になった。
「じゃあ、聞いても良い?」友花莉は頷くと呼吸を整え、息を軽く吸った。
「恥をかかせたくなくて。」
「あの子に?」
「そう。」友花莉の頭の中では、悪しき記憶が煙のようにもやもやと姿を現していた。「よくそれでいじめられてた。調子に乗るな、ナルシスト女って。だから私、運動が嫌いになったの。走るのもそう。中学の時の体育祭のリレーも、私がアンカーで、私が最後一位を取って優勝したのに・・・賞賛されるどころか、私はクラスから孤立してた。」
「ごめんなさい。私の配慮が足りなかった。」友花莉はなるべく明るく話したつもりだったが、ノースフェイスちゃんの悲しい表情を見て逆に申し訳なくなってしまった。
「ごめん、もしまだ見たいところがあったら、行っても良いよ。私も付き合う。」
「じゃあ、マンガ研究部。」ノースフェイスちゃんは、すぐにまた可愛らしい笑顔を向けてくれた。
「え?それは・・・」
「私も行きたいの!だから早く行くよ!」ノースフェイスちゃんは友花莉の言葉を遮ったが、しっかり友花莉が言おうとしている事は通じているようだった。ところが、二人は肝心な事を宮城に聞きそびれていた。
「漫画研究部ってどこでやってるんだろうね?」校舎の中では吹奏楽部の演奏がどこからともなく聞こえてきていた。二人は学校の校舎に視線を向けた。
「どこかの教室でやってるのかなぁ?」
「なんか文化部が集まってる場所があるんだっけ?」しかし、そこに行ってみても、不慣れに和装した恐らく茶道部が、お茶菓子とお茶を飲みながら新入生と談笑していた。仕方なく通りすがりの生徒に聞いてみたが、その生徒は存在すら知らず二人は途方に暮れていた。
「もういいや。帰ろっか。」
「そうだね。残念だけど。」ノースフェイスちゃんもようやく帰宅を許可してくれた。
「そうだ!二人で部活作る?」
「帰宅部とか?」友花莉が笑いながら言った。
「でも、ちゃんとした目標とかを設定したら、立派な部活になるかもよ?」その時、真正面のトイレから、宮城が手を振って水を飛ばしながら出てきた。
「あ、宮城君。探したよ!」宮城は急な大声に飛び上がると、怯えたリスのように友花莉を見た。
「漫画研究部ってどこでやってるの?どこ探しても見つからなかったんだけど!」宮城は状況を理解すると、表情一つ変えずに、教室を指差した。
「ここ。」友花莉や宮城の教室だった。だが教室からは誰の声も影も確認することはできなかった。
「電気つけないの?」西陽が差し込む教室はとても明るいとは言えなかった。
「一人だから勿体無いし。」今度は友花莉が困惑していた。「来るなら電気付けるよ。」そう言うと、電気のスイッチを三本の指で同時に倒した。無機質な白い灯りが眩しく感じた。
「一人って他の人達は?」てっきり他にも部員がいて、和気あいあいとした雰囲気を想像していた友花莉は、あまりにも想像を絶する光景に少し不気味さを感じていた。それに友花莉はそもそも男性恐怖症で、それは宮城も例外にはならなかった。だからってあまりに女子の人数が多くて、人付き合いに気を配らなければいけないのなら、それはそれで嫌だった。友花莉は、宮城が女の子だったらどんなに楽かを考えた。すると宮城が急に静かに頭を下げた。
「ごめん。」
「何で?」ノースフェイスちゃんが優しく尋ねた。
「実は漫画研究部なんて部活はこの学校に無くて・・・。」宮城はとても言いづらそうには見えなかった。
「じゃあどうして嘘ついたの?」
「いや嘘というか俺の代が俺しかいなくて、去年の夏に先輩たちが引退したタイミングで廃部になった。」宮城の言葉は淡白だったが、彼にとっては辛い出来事だったことは、友花莉にも分かった。
「じゃあ、部員が欲しくて私を誘ったってこと?」
「いや、部員というか・・・。」この後宮城の声はさらに小さくなった。「絵を描ける人を探してて・・・。」
「ん?何?」
「絵を描ける人を探してるらしいわよ!それじゃあ友花莉がぴったりだ!」ノースフェイスちゃんは拍手をして喜んだ。
「ちょっと待って?どういうこと?漫画研究部にいるのに、絵が描けないってこと?」正直、漫画研究部の部員が誰しも絵を描けるであろうという考えが偏見ではあった。だが、それが偏見であるという事ならそこまでして絵が描ける友花莉に入部を促す必要がないのでは?と思った。宮城は感情が変わることなく答えた。
「俺はシナリオを考えるのが得意で、小説とかを書いてんだけど、出来ればその頭の中にある情景を、具現化させたくて・・・。」少し宮城の目に光が灯った。「でも、それには俺の画力が足りない。」
「それで私を?」宮城は黙って頷いた。
「廣坂さんの絵を見てもうすでにいろんな構想が出てき初めてて、例えば・・・。」そう言うと宮城は、友花莉にシナリオの案を話して聞かせた。そして段々と友花莉の中で、放課後の居場所が決まりつつあった。確かに声は小さいし、言い方もキツい。だが、彼と組めば課題の達成に大きく前進することができる。それに、宮城が出したシナリオ案はどれもかなり面白そうな内容だった。ノースフェイスちゃんとのりおが主人公で、冒険ものや魔法の世界などのファンタジーもの、サイエンスフィクション、はたまたほのぼのとした日常ものなど、どれもしっかりとしたオチまで考えられていた。
「ちょっと待って、すごくない?何でこんなに話が思いつくの?」宮城は満更でもない顔をした。友花莉はそんな宮城の表情を見ることができたのは、学校中の人間の中で自分だけだと思った。
「これがうまく行ったら・・・。」友花莉は急に嫌な予感がした。「出版社がやってる漫画のコンクールに出品したくて・・・。もちろん共同作品で。」宮城は恐らくその資料であろう、艶のある頑丈な紙を渡した。それを見た友花莉はますます顔色が青白くなった。その主催していた企業こそ、友花莉が将来お世話になるであろう出版社の名前だった。
「もし嫌だったら断ってくれていいけど・・・。」宮城は何かを悟ったのか、それとも単に彼の性格的な部分からなのか友花莉に変に選択肢を与えてきた。友花莉の知能指数は、この時ばかりは東京大学に行けそうなくらい、頭をフル回転させて考えた。
「分かった、じゃあ明日からよろしくね。」ノースフェイスちゃんが勝手に答えてしまった。宮城は表情一つ変えなかった。
「ありがとう・・・。そんじゃあ、明日また放課後教室で。まぁ教室じゃなくてもいいけど。」
「教室でいいよ別に。」友花莉も話の流れに乗って答えてしまった。
「分かった。じゃあ・・・お疲れ・・・。」宮城は座ったまま開ききっていない手を小刻みに振った。
「おつかれ・・・。」友花莉も大きく会釈をするように教室から出ていった。それをノースフェイスちゃんは嬉しそうな笑顔で見ていた。