家族の思い
「なんで、それがママのせいになるのよ。」友花莉が予想通りの反応をすると、母親は少しはにかんだ。「だって先に手を出してきたのはあっちじゃない。」友花莉は、なぜか一生懸命に口を尖らせた。
「そうかもしれない。でも・・・あの人もそれなりに追い詰められていたのに、私が追い討ちをかけちゃったのは事実だし・・・。」友花莉は、不満げな表情を浮かべていた。「それにあの人、友花莉の事を話に出した時、少し目つきが変わったような気がしたのよ。」父親の感情に影響を及ぼす筋合いは無い。友花莉は呆れて台所へ向かった。
「多分、仕事がうまくいかなかったり、クビになったりしたあの時期。一番辛い時期だったけど、友花莉に悟られないために毎週末、友花莉を遊びに連れ出していたのかもしれないわね。」確かに、言われてみればあの時、父親がそこまで追い込まれているとは思っていなかった。
「でも、それでパパの味方をする筋合いはないし、そもそもママが仕事していたなら、出かけたくはなかった。」
「それも、あの人なりの気遣い?だったのかな?」友花莉はやはりよく分からなかった。「不器用な人だったのよ。」
「不器用で片付けていい範疇を超えているでしょ?」
「でも、それに多分居た堪れなかったんだと思うのよ。仕事なくなってなんて言うんだろう?存在意義がないというか?」
「存在意義?」
「あの人、給料も高くないし、しょっちゅう体壊すくせに、友花莉の面倒だけはよく見てたからさ。多分、私が仕事してお金稼いできてる時の自分の役割ってやつが欲しかったのかもしれない。友花莉の面倒を見る、友花莉を不安にさせないっていうね。」
「でも結局こうなったら、なんの意味もないけど。」友花莉は捨て台詞のようにつぶやいた。「ちょっと、部屋で絵でも描こうかな?」こんな話を聞いたら気分転換したくなった。
「ご飯は?」
「もう少し経ってからでいいよ。出前とかで済ましちゃおうか。」友花莉はどこか罪悪感に苛まれている気がして、一刻も早くこの部屋から出たかった。
「お父さんはね・・・。友花莉のことは大切に思ってた。それだけは伝えさせて・・・。」母親からも罪悪感を感じた。友花莉は、そのまま黙って部屋を出た。居た堪れなかった。父親もこんな気持ちだったのか?だとしたら罪悪感もあったのかも。だとしたら、やっぱり父親も苦しかったのではないかと思った。なぜなら自分も今、罪悪感で苦しかった。自分がいなければ母親は、もっと早く父親と別れられたかもしれない。いや、そもそも父親が私を連れ出して出かけることがなければ、母親がそんなストレスを感じることがなかったかもしれない。もしかしたら・・・。私と毎週出掛けていたから・・・。父親は体を休めることができずに体調を崩しがちだったのかもしれない。もし、そうじゃなかったら、今頃営業で優秀な成績を納めて、リストラなんてされずに、今も自分の好きな仕事をやっていたかもしれない。私のせいで・・・。私のせいで・・・。言い出したらキリがなかった。まるで深い沼に落ちて身動きすら取れず、ただ一定の速度でそこに向かって沈んでいっているような気分だった。多分、もう這い上がって来れない気がした。そのうち、めまいで右往左往しながら、自分の部屋に向かっているのを、他人事のように認識していた。あともう少しでドアノブに手をかけられそうだった。いや、手をかけられたのか?扉は開いたが、ドアノブの感触がなかった。
「あれ床こんなに近かったっけ?」この言葉も発したのかなぁ?
「誰かが私を呼んでいる・・・。誰だろう?あれ?私の声・・・?」すると青い毛の塊みたいなのが視界に入ってきた。
「のりお・・・。」のりおは巾着袋を引きずりながら近づいて、なれた手つきで中から薬を持ち出した。
「のりお、これでいいの?」のりおは頷く。
「ノースフェイスちゃん?」
「大丈夫だからね。」ノースフェイスちゃんはただその一言だけ発すると、のりおと協力して、友花莉に薬を飲ませた。
そして気がついたら、自分の部屋のベッドの上で横になっていた。
「二回目は慣れたもんだったね。」ノースフェイスちゃんの言葉に、のりおも大きく頷いた。
「ごめん、また迷惑かけちゃって・・・。」
「ううん・・・。」ノースフェイスちゃんの優しい声が疲れた心に癒しをもたらした。「もしかして、お父さんのこと?」友花莉は黙って頷いた。「もうすぐだもんね・・・。」二人の会話をのりおは真ん中で、首を右に左に振りながら聞いていた。
「どうしていいか分からなくて・・・。」ノースフェイスちゃんは、心配そうな顔で友花莉を見つめていた。「私が決めていいものなのかな?って思って。」ノースフェイスちゃんは友花莉の横に腰掛けると、頭を撫でた。友花莉もそれに答えるように、ノースフェイスちゃんに体重を預けた。頬に生暖かい何かが一直線に落ちて行くのが分かった。どうしてかはわからない。ただただ自然に起きた事だった。のりおも、びっくりしている様子だった。
「そう思えるなんて、友花莉は優しいのね。」
「でも、ノースフェイスちゃんだってそう思うでしょ?」だって私の理想だもん。友花莉の心の言葉は、発せられていなかった。すると、ノースフェイスちゃんは笑いはじめた。
「多分、私、わがまま言うと思う。」
「なんて?」
「仲直りしてって。」友花莉もノースフェイスちゃんらしい答えに、自然と笑みが溢れた。「そう言えたら楽なんだけどね。」ノースフェイスちゃんの頭の上には、明らかにはてなマークが浮かんでいた。「私にとってパパは父親、ママは母親。でも、二人ともそれぞれ一人の人間として人生を生きてるんだもん。だったら、私なんかが口出ししちゃいけない気がしてね。」のりおは友花莉の話を一生懸命聞いてはいたが、理解はしていなさそうだった。ノースフェイスちゃんものりおと同じように首を傾げていたが、理由は違った。
「確かに友花莉の言ってることは間違ってないし、とってもやさしいと思うけど・・・。」ノースフェイスちゃんは少し切ない顔をした。「それって、本当の親子なのかなぁ?」
「どういうこと?」
「だって、子供って親と一緒にいたいものじゃないのかなぁ?」
「それはそうだと思うけど・・・。」
「友花莉は違うの?」ノースフェイスちゃんのまっすぐな視線を友花莉は直視できなかった。
「それは、そうだけど・・・。」
「それにそれって親もじゃないかなぁ?」実際のところはよく分からなかった。父親が母親にしたことを考えたら許せなかった。でも、それまでの思い出は嘘ではない。友花莉は黙ってしまった。「どんな親だって子供のことを大事に思ってる。そんな大事な子供のわがままが迷惑だなんて・・・。そんな人は親じゃないと思うな。だから、私はわがままを言うと思う。仲直りして、また三人で仲良く暮らしてくださいって。」ノースフェイスちゃんの顔は優しかった。のりおはよく分かっていなさそうだったが、激しく同意はしていた。
「それに、二人は友花莉にそう言って欲しいんじゃないかなぁ?」だが友花莉にそれは、荷が重かった。そう、今のノースフェイスちゃんの言葉でよくわかった。友花莉は、ただこの件から逃げていただけだった。いや、友花莉だけじゃない。母親も、父親も、家族でこの件から目を背け、くさいものに蓋を閉めていただけだった。そしてお互いの気持ちを理由に、家族の運命を決めるのを怖がっていただけだ。その点は三人とも、よく似た家族だった。もしかしたら自分の気持ちに正直になれば、三人とも同じ気持ちなのかもしれない。ただ、せっかくそんな気持ちになっても、友花莉の頭にはあの光景がちらつく。荒れ果てた思い出の家。一緒に食卓を彩っていたお皿は無惨にも粉々になり、楽しい家族団欒の舞台は、憎しみ合う二人が折り重なり、楽しい時間に華を添える手助けをしていたツールは、傷つけ合う道具となっていたあの光景。そして初めて人に刃物を向けたあの瞬間。一瞬でも人の・・・肉親の死を願ったあの瞬間の記憶が、友花莉の決意を揺らがせた。
「ノースフェイスちゃん・・・・。私どうしたらいいと思う?」友花莉の目からは、涙が溢れていた。ノースフェイスちゃんは、黙って友花莉を抱きしめた。友花莉の涙はノースフェイスちゃんの背中をつたい、布団のシーツを濡らした。のりおも一生懸命ベッドへと向かい、友花莉とノースフェイスちゃんの元に辿り着いた。だがすでに友花莉は泣き疲れて、深い眠りについていた。ノースフェイスちゃんは、ゆっくりと布団に寝かせ、のりおが頭の位置より少し下の位置に枕を置いた。友花莉は大きな寝息を立て起きる気配はなかった。すると、ノースフェイスちゃんは、友花莉の額に優しく手を置くと、小さく笑った。
「のりお。友花莉、すごくいい夢を見てるわよ。」のりおも頷いていた。
「私たちもそろそろ寝ますか。」のりおは頷くと、友花莉のそばで横になった。
「そうね。今日はみんなで一緒に寝ますか。」ノースフェイスちゃんは微笑んだ。「おやすみ、のりお。」のりおは、すでに眠っていた。ノースフェイスちゃんも電気を消して、友花莉に背中を軽く撫でながら眠りについた。友花莉の寝顔は、かすかに微笑んでいた。




