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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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高潔なる友よ


まさに天の助けだと思った。真備は鏡をしまって、泣き声のする建物に標的を絞る。

戸口に手をかけると、戸は開いた。罠ではないかと一同に緊張が走る。ただ清子に雨が止んだら迎えに行くと伝えたので、清子が開けておいた可能性もある。中から赤ちゃんの笑い声が聞こえる。さっきまで泣いていた赤ちゃんがもう笑っている。こんなことができるのは母親だからにちがいない。

真備は、一人を見張に残して用心しながらそっと宿舎の中に入った。

キャッキャと笑う声を頼りに進むと蝋燭が一本だけ灯っている部屋に行き着いた。部屋を覗くと赤ちゃんの上に覆いかぶさるようにしてあやしている天色の打掛を着た背中が見えた。

「姫様!」真備は嬉しくなって駆け寄った。



パーン

乾いた炸裂音が上がり、清子はガバッと目を覚ます。小姫の烈しい泣き声が響いた。

宿舎を飛び出すと、辺りは霧で覆われていた。

「撃たれた!」「失敗だ!」

小姫の宿舎と反対方向から懐かしい声が聞こえた。何が起きているかおおよそ見当がついた。清子は小姫のところへ走る。異変に気付いたのは清子だけではなかった。いろんな場所で慌てふためく音がする。

 小姫の宿舎に入ると、倒れこむ真備、それを庇う三人の仲間と、義武と数十人の警備兵が互いに銃口を向けあい対峙していた。義武は、短銃を手に、軍服の上から清子の天色の打掛を着ており、打掛には銃弾が貫通した痕がある。小姫は警備兵の後ろで大輔に抱えられていた。

 泥だらけの真備たちはとてもみすぼらしく、富を奪いに来た盗賊に見えた。しかし真実は、虐げられ続けてきた者が、富を独占してきた者から自分を取り戻そうとしているのだ。

 世界は絶えず循環し調和しているという。ならば私たちがずっと貧しく、ずっと蔑まれてきたのは何故だろう。この苦しみを調和だというのなら、こんな世界は壊れてしまえ。

 真備は富める側にいられる人間だ。それなのに自らを血と泥にまみれさせて弱き者たちのために戦っている。強き者は弱き者を守るためにこそある。真備は誰よりも美しい。

ここで真備の努力を無にしたら、私は胸を張って生きることができない。

「真備!」清子は駆け寄った。

「随分と早かったね、君が来るのを待っていたんだよ。君の未練を断ち切るにはこれが一番効果的だろう?さぁお別れだ。そこをどきなさい。」義武が銃口を向けた。

とてもマズい。清子がいくら神使の魂分でも、銃になんて勝てる気がしない。みんなを助けるには、「みんな、私を盾にするのです。」低い声で命じた。意図がわかった三人はさっと行動に移す。つられて警備兵が発砲した。

「大馬鹿者!大巫女様を傷つけたら、お前たちの主君は切腹じゃすまないぞ。」大輔がどなった。お前たちの主君は・・・将軍だ。小姫が泣き出した。

真備は、抱きかかえようと腕を回す安寿に言う。

「俺を置いていけ。俺を置いて計画を進めろ。すべてが順調だ。」

「おだまりなさい!あなたのことは私が絶対に助けるって決めました。さぁ逃げるわよ。」と清子。清子は自分に言いきかせている。そうしないと、小姫に心を奪われてこの場から動けなくなりそうだった。

大輔が命じる、「お前たち、銃は捨てて大巫女様を確保せよ!」

体当たり作戦、数で勝負!それに対して少年団は銃で威嚇する。戸口までの短い距離である。屋外に出ると、霧は薄くなり始めていた。兵もひしめいている。

「どうしよう、逃げ場がないわ。」清子は、こんなに沢山の魂魄を捕らえるなんて無理じゃないかと思うが、やらないわけにいかない。

一か八か「光牢!」

桜色の光が走る。全体が見えていないのでやはり取りこぼした。

困ったときは、「お願い、槐!」清子が叫ぶと、勾陣式が足元から湧いてでた。

安寿は槐を見ると、真備を押し付ける。「大将を頼むよ、ここは俺たちが引き受けるから。」

安寿は、槐が以前にも少年団を戦場から助け出したことを覚えている。少年団の中で、清子に薩摩へ逃がしてもらったことや、槐に片足の自由と引き換えに助けてもらったことを覚えていない者はいない。

清子が怒る、「嫌よ、皆で逃げるの!」

安寿は清子を叱った。「そんなことを言っていると何一つ成し遂げられない!」

厨子王が言った。「人には命より大切なものがあるんだ。槐、早く二人を連れて行ってくれ。」

槐は自己判断で、大人二人を背に乗せられる大きさの狐に変化した。銀色の毛並みが美しい。

「こんなこともできるの?」清子が目を円くする。

「主みたいでしょ?」槐は誇らしげに言った。残念ながら葛の葉の真の姿を清子は忘れてしまっている。槐は清子と真備を自分の背中にほうり上げると狐火を灯して山を下る。途中、清子は三郎を追い越した。狐火に照らされて二人は一瞬目があった。一瞬が永遠かと思う程見つめ合い、あっという間に消え去った。

 槐は片足が不自由なのであまり速くは走れない。残った少年団が時間稼ぎをする。

いつの間にか甘い煙が霧を濃くし、規則正しく鐘が鳴っていた。

リーン、リーン、リーン、リーン。

霧の中、天色の衣を纏った清子の姿が浮かび上がった。よく見れば清子ではないが女性的な髪結いと派手な天色で兵士たちは勝利の女神だと思い込んだ。

兵士が捕まえようと殺到すると清子はふっと姿を消した。キョロキョロしていると別のところに現れて、クスクスと笑った。また捕まえようと近づくと、消えて別のところからクスクスと笑い声が聞こえた。不気味だった。これをもう三度繰り返すと、幕兵は恐怖で動けなくなった。女神に祟られていると思った。

「そろそろ頃合いかな。」信徳丸はリンリンリンリンリンリンと鐘を早打ちし、八千流の腕を思い切り引っぱった。「しゃがめ!」

同時に鐘が止み、一斉に少年団の銃口が火を噴いた。

白煙が立ち込め視界はますます悪くなり、幕軍は混乱に陥った。

少年団は、「ワァー」と思い思いに声を上げて山を下る。その声につられて、幕兵も下り始める。


槐は山を駆け下り、北国脇街道に向けて走る。槐が真備の大隊の伏せている所に至ると、真備は呼子笛を思いっきり吹いた。

それを合図に大隊の副官が叫ぶ。「前進!」

副官が狐火を目で追うと、真備はそれを知ってか知らずか、拳を天に突き上げた。

伏兵は立ち上がり南宮山を攻めた。不意の夜襲に山麓の幕軍は混乱した。そこに突如上からも兵士が下りて来た。挟み撃ちにされたと思った麓の軍はさらに混乱し、同士討ちを始めた。


槐の背中の上で真備はぐったりしている。清子は真備が振り落とされないように必死で抱えた。


義武は、収拾のつかない幕軍に嫌気がさして露台に逃避すると、青白い光が異常な速さで敵方に走るのが見えた。

「この賭けは君の勝ちかな。」少し楽しそうにも見える。

「でも子供を置いて駆け落ちするなんて、いけないお母さまだ。」

この切り札がある限り賭けの行方はまだわからない。


槐が笹尾山の麓までくると、真備はもう一度笛を吹いた。国民軍は奪われた松尾山に攻撃を始めた。


槐は真備の指示に従って天満山の裏にある大きな池の畔に二人を降ろした。

薄く靄のかかった池にはふわふわと蛍が飛んでいた。微かに鬨の声が聞こえるが、蟋蟀の鳴き声がそこら中から聞こえる静かな場所である。

「槐、真備の止血をお願い!」

槐が首を振った。既に出血しすぎていた。清子は唇を噛むが、でも大丈夫、私には禁術があるから。

秋草は雨に濡れて真備の体を冷やすので、清子は真備を抱きかかえた。

間近に蛍が一匹飛んできた。たった一匹で頼りない。まるで私みたい。

「あーあ、私、あれもこれもやりたかったな。」真備の頭に頬ずりしながら呟いた。

でもこうすることに後悔はない。さよなら小姫。さよなら三郎さん。

これが最後の禁呪。

「来たれ、司命、司中、司祿!」

「止めろ!」真備は、大声で呪詛を遮った。今の真備のどこからそんな声がでるのかと思うような声だった。

「?」

「誰でも長生きしたいと思うなよな。」弱々しく言った。

「私が真備に生きて欲しいの!」私よりも生きる価値のある人間だから。

「俺は、あんたに忘れられるのが一番辛い。このままあんたの腕の中で死ねるなら最高。」ふわっと笑った。

「もう、馬鹿。」

――― 私だって真備のことを忘れたくない。

 清子は槐に戦場が見降ろせる場所に連れて行ってもらう。

朝日が差して、霧が晴れて戦況が手に取るようにわかるようになった。

真備は清子の肩にもたれかかって、清子の実況解説を聞いている。

「南宮山の国民軍が後退し始めているわ。」

「問題ない。」

「笹尾山から援軍が出た。」

「うん。」

「そうか、北国脇街道に誘い込みたいのね。幕軍はうっかり釣られてくれるかしら。」

幕軍はかなり怒っている。喰いつくかもしれない。

「あ!伊勢街道から別隊が来る。幕軍?それとも国民軍?」

「梅若。」

「えっ!?」

梅若は亀山で進路を変えた。やっぱり主戦場に立ちたい目立ちたがり屋たちは、幕軍を南から押しあげる。

「そっか、そっか。みんながんばってるのね。きっと新しい時代が来るよ。わくわくするね。ねっ?」

真備はもう返事をしなくなっていた。

「ねぇ、真備。

私ね、みんなを裏切りそうになったんだ・・・。」

秋風が二人を撫でて過ぎていく。

清子はそのまま関ケ原を見下ろし続けた。


トイレはいつ行くんだとか気になる。

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