やまびこ
清子は、東京から送られてきた天辺に不死鳥がついている立派な輿に乗せられて、おおよそ3時間半かけて大垣城に入った。義武の城からわりと近い。
関ヶ原は大垣城から徒歩で3時間ほど、大垣城は不破の関を守る城といっていい。
大垣城での、清子に与えられた部屋は物置(天守閣)。東京から将軍と共に下向した神祇省の役人と一緒に放り込まれる。将軍は本丸御殿で笑っている。
「主上の神と同宿するなど、畏れ多いことでございます。少しでも高いところから私どもをお見守りください。」
大輔から、今後の予定の説明を受ける。
清子の役割は、勝利の女神として戦場の兵士の士気を鼓舞することと、戦場の穢れを祓うことである。
「大巫女様が戦場にお出ましの間、小姫様はこの城にお留まりいただきます。」
「連れていっては駄目かしら。」
「かの本能寺の変の砌、信長公は嫡男信忠殿と同じ京都にいたがために織田家は天下を逃すことになりました。大事な血統を同じ所に固め置いてはいけません。危機管理の基本でございます。」
「私が生きているということは、この子に禁術を使う能力はないのですよ。」
「小姫様の血統に大巫女様が生まれかわるのだと理解しております。もし戦線が破れるようなことがあれば私が身命を賭して東京にお連れいたしますのでご安心下さい。」
別に天下取りの野望などないのだけれど。将軍補佐官がさらに援護射撃する。
「よくお考え遊ばしませ。大砲の音がここまで聞こえてきます。そんな劣悪な場所に乳飲み子をお連れ遊ばすなど、憚りながら、もはや虐待でございます。」
「そ、そこまでですか。」そう言われるとそうかもしれない。
考え込む清子に、遊びに来ている義剛が笑って言った。「君が逃げ出さないようにするための人質だよ。」
大輔が義武を睨んだ。
なるほど。
清子は小姫がとてもかわいい。小姫の頬が擦過傷になるくらい頬ずりをしている。
それなのに、清子には小姫の幸せがわからない。みんなのところに帰ることは自分にとっての幸せだ。
でも、この子にとっては、物質的豊かさが保証されていることの方が幸せなのではないだろうか。
乳母の腕の中で小姫が泣きだした。清子の乳が張ってくる。母には子の空腹がわかるのだ。清子は乳母から小姫を受け取って、男どもを部屋から追いだした。
小姫は連れて行きたいけれど絶対ではない。
幕府は南宮山を占拠している。ざっくり南宮山と言っているが、実は複数の山が一つの独立峰を作っており、意外に大きな山塊である。南宮山での清子の受け入れ態勢が整ったので、清子は小姫を残して大垣城を発った。勝利の女神ということで、装束のコンセプトは弁才天。(なんのこっちゃ!?)
公家はもちろん緋の長袴に白い千早を着せたかった。しかし武家の希望は、動きやすさにも配慮した目立ってなんぼの極彩色であった。
公家を丸め込む使命を負った将軍補佐官は、
「それは神ではなく神に奉仕する者の格好です。女神らしい装束にしてください。戦で士気が上がるといえば・・・弁才天でどうでしょう。」弁才天は金光明最勝王経において八本の手すべてに武器を持つ鎮護国家の神である。
大輔が反論する。「イギリスに負けたインドの神とは験が悪くていけません。」
「神々は大昔に日本に引っ越していらっしゃいました。」
「長い間日本にいるなら、日本の伝統的装束をお召しになってい。」
「では推古天皇が打掛を着た感じでどうでしょう。」補佐官がキリッとした顔で提案する。理屈と鳥餅はどこにでもつく。ただの言い換えにすぎないが大輔は言葉に詰まった。
推古天皇にお会いすることはまずないが、弁才天の絵や像はそこら中にある。清子は牡丹色の弁才天風の衣裳の上に天色の打掛を着せられ、高い位置で作ったお団子髪に、髪飾りをめいっぱい付けられて、幕府希望のど派手な女神になった。
清子「なんじゃ、この傾いた格好は・・・。」
義武さん、二度目の一目惚れ。
南宮山の頂上には幕軍の本営がある。北西にある低い山の頂に京都方面に向かって舞台づくりで露台が設えてある。
清子は義武とともに露台に上がり京都方面を眺める。
山の麓から京都方向に、塹壕や土嚢が所々に築かれ、陣が敷かれている。
義武は、スケッチブックに周囲の風景を描き写し、見えない部分を補足して、清子に地形の説明をする。目の前にあるのが天満山。中山道は天満山で二手に分かれて、天満山の北を通るのが北国脇往還、南を通るのが中山道、北国脇往還は天満山と笹尾山に挟まれ、中山道は天満山と松尾山に挟まれている。松尾山と南宮山の間を通るのが伊勢街道。それから双眼鏡を清子に差し出す。「覗いてみてください。」
前線は関ケ原の真ん中あたりで止まっている。
「松尾山、天満山、笹尾山はこの南宮山より標高が低く、こちらを向いている部分は幕軍の大砲の射程圏内です。事実上こちらが抑えているといっていい、幕府方が圧倒的に優位だよ。君の肩入れしている反幕勢力は、実際、我々に手も足もでない。」にこり。
不意に笹尾山から敵兵が現れ、撃ちあいが始まる。一頻り撃ちあうと、敵兵は後退し始める。
「ああして時折誘いに出てくるんだ。あちらはこちらを谷に引き入れたくて仕方がないんだよ。」忌々しそうに言った。
「深追いすると敵方の一斉掃射に遭うし、敵は山中に散ってしまう。こちらの目的はあくまで誘い出して殲滅することです。」
幕府方が圧倒的に優勢に見えるが、実は戦況は膠着していた。
国民軍の勝利とは封建支配の打破である。この場で分かりやすく言えば、将軍の首を取ることである。一方幕府方の勝利は、反幕府勢力の抹殺である。王のいない軍隊においては総司令官が軍の頂点であるが、総司令官は、大将が斃れれば中将が、中将が斃れれば少将に引き継がれる。つまり軍を壊滅させなければ勝利したとは言えない。敵軍の全貌は見えない。裾野を考えると果てしない戦いのようにも思われた。
松尾山にて
幕軍の大砲の射程圏内で真備が戦闘の様子をみている。
「ちぇっ、全然喰いついて来やしないじゃないか。」
真備の手には義武の手紙がある。敵兵の偵察という名目で、本当は南宮山の幕軍本陣の様子を探りに来た。
「山に舞台なんて作って、ほんと舐めてるよな。」
双眼鏡をのぞく、露台の上に人がいるのがわかる。軍服に混じって鮮やかな青の打掛が一際目につく。
「あっ、本当にいた。」真備は、飛び上がると陣営に駆け戻った。
日が暮れたので、清子は、「勝利の女神的儀式をしてください。」という要望に応えて露台の上で儀式を行う。
この日は、兵士全員に焼き栗が配られて、儀式を見たい者は自由に見ることが許された。
露台で篝火を明々と燃え、真っ暗闇の中に露台が浮かび上がった。露台の上には錦の御旗が飾られ、祭壇が設けられている。大きな銅鑼を打ち鳴らされ、清子は露台の中央に立つ。鮮やかな青色が篝火によく映える。時代錯誤な衣装や髪型は儀式の神秘性をより高めた。女神的な何かはクリアしていると言っていい。
続いて将軍が露台に上り、清子の前で跪き宝刀を捧げ持った。清子がそれを受け取ると、将軍は退いた。
この刀は清子の禁刀ではない、葵の紋が付いている。
清子がこの刀を使って呪詛をすることの意味を考えると、目の前に真備の顔がちらつく。
しかし、自分の使命が、疲れた兵士に生きる力を与えることだと考えれば、どんな刀でも構わないと思う。敵も味方もなく、この戦場にいる全員の為に祈ろう。
清子は祭壇の前で宝刀を抜いた。
舞台の真ん中で戦場を向き、
「天を我が父と為し、地を我が母と為す、
来たれ、南斗・北斗・三台・玉女!
左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後ろに玄武、前後扶翼す。」
盆地の四方から桜色の光がのびる。
清子は空に大きく四縦五横を宝刀で切る。
刀の動きに合わせ空にが光の格子が走る。
「禹王は道をあけ、蚩尤は兵を避いた、我は遍く天下を巡り戻らん。
我に歯向かう者は死に、我を止める者は滅びる。急急如律令!」
宝刀を四縦五横の真ん中に突き立てると、天空を光の矢が走った。
真備がいるところまで届きますように。
光牢が砕け散り、関ケ原一面に桜色の光の粒が降り注ぐ。
それから祭壇に用意しておいた、細かく切った霊符を掴むと、扇を広げで空に向かって舞い上げる。
「来たれ天衝、天禽、天心、天柱!
この霊符は凡常の札に非ず、これ尊帝真君の神威の宿る霊符也。
この霊符に触れたれば、何ぞ悪鬼の走らざるや、何ぞ病の癒えざるや。
千の妖、万の邪、皆ことごとく滅せよ、急急如律令!」
霊符はキラキラと輝く。風が霊符を南宮山に隅々にまで運ぶ、金色の雲が風にたなびくようで華やかな景色である。
清子は降りしきる光の雨を見つめている。みんなの心を元気にすることはできただろうか。
大きな歓声が聞こえる。少しは役に立てたようだ。
不意に、天満山から若草色の光が天に向かって上った。光は順々に五本のびた。清子にはわかる。みんなが晴明五芒を作っている。清子の呪詛に応えてくれたのだ。私はここにいるよ。僕たちはここにいるよ。呪詛を使ってお喋りをしているみたいで、思わず笑みがこぼれた。
遅くなってしまいました。水曜日用の下記溜めができませんでした。本当にごめんなさい、水曜日はお休みです。