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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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硝子玉

次の日、三郎は朝早くに町へ障子紙とお米等を買いに出かけた。清子は槐とお留守番。気が滅入るので槐とハツちゃんと太郎ちゃんと川で水遊びをする。禊。ちょっとだけ深いところで、槐の肩に摑まって泳いでもらうと、まるで魚になったみたいで心地いい。槐は迷惑そうだけどね。ぷかぷか遊んででいると、

「姫様!こんにちは。」という女の子の声がした。

そんな呼び方をするのは陰陽師関係者だ。ちょっと嫌な気持ちになる。

清子は川から上がった。川の近くに一本だけ大きな木が生えている。その木の陰でその枝に掛けてあった新しい襦袢と単衣に着替えて、訪問者のところに行った。

「お楽しみのところ申し訳ありません。私は八千流です。覚えていらっしゃいますか?」訪問者は言った。清子の少ない記憶は、少ないだけに検索が容易である。

「昔、一緒に鬼ごっこをしたやっちゃんでしょうか?」

少女は嬉しそうに笑った。

「はい!」

暑いので家の中に入る。昨日の今日なのだから当然関連する話なのだろう。そう思うと気が重かった。少しだけ時間をもらって身だしなみと心を整えた。

 姿を現した清子は、なぜか乾いている髪をきっちりと束ね、居ずまいを正し、表情が硬い。心を許していないことは明らかだった。八千流は来たことを少し後悔した。

 八千流は自分に勉強を教えて欲しいと言った。

 そう言ってやって来た子供たちは窃盗団だった。清子は、すぐに「はい、どうぞ。」とは言う気にはなれなかった。

「その件については、私の一存では決められません。私が我儘を言ったせいで、家の中がこんなことになってしまって、夫に申し訳なくて仕方ありません。」元気なく言った。

「夫?!下僕じゃなくて?夫がいらっしゃるんですか?」八千流は驚いた。正しくは夫になりきれない夫。


「只今帰りました。」丁度良く三郎が帰って来た。

「お帰りなさいませ。お暑い中、ご苦労様でございました。」清子が三郎に声をかけると、式たちが冷たい水と、手ぬぐいを用意した。

ふむふむ、これが姫様の夫か。若様ほどではないがそこそこの男前。しかもまめ男。この夫を攻略すれば姫様とお近づになれるのだ。

「お帰りなさいませ、旦那様!」八千流はぱたぱたと三郎に駆け寄った。

「ど、どちらさんで?」

八千流は滔々と自己紹介をした。圧がすごい。これだけ押が強ければ奉公先は簡単に見つかりそうだと思う。

「私には病気の母と、小さな弟妹がいるんです。父もいますがロクでなしです。母の薬代と弟妹の生活を支えるだけのお金が必要なのです。」

やる気はわかった。でも三郎は陰陽師が嫌い。昨日のことで大大大嫌いになった。

八千流は三郎の荷物を見て「障子の張り替えですね、お手伝いします!」と言った。

張り替えは、前住者の方々とやるので大した手間ではない。手伝ってもらってからでは断り辛いので、「申出は有難いんだけど、うちに他人を入れるのは、ちょっともう勘弁して欲しいんだよね。」と答えた。それを聞いて八千流は残念そうに言った。

「・・・そうですか。そうですよね。昨日のことは、申し訳ありませんでした。みんなの代わりに謝ります。罪滅ぼしに張り替えの手伝いだけはさせてください。何もせずに帰ったら、それこそ何のために来たのかわかりませんから。」

そこまで言うなら手伝ってもらうことにした。

清子が古い障子に穴をあけていく。楽しそうで何より。

障子を床の上に寝かして、水を刷毛で桟に塗って古い障子紙の糊を緩める。

監督は三郎。林造さん、八重おばあちゃん、睦さん、八千流ちゃん、清の5人で1人1枚担当すれば一気に4枚は張り替えられるはずである。手つきを見れば林造さんたちはほっといて大丈夫。八千流ちゃんはそこそこ器用。

「清、上手ですねぇ。夏は乾燥しやすいですから、たっぷり水を付けたんですよね。床板が傷むので、ちょっと拭きますね。」古いのを剥がすところまではいい。貼る作業をどうやって止めさせようか。

八千流が桟の上端に糊つけし、新しい障子紙を貼った。ここからが難しい。三郎は糊付けした上端部分を押える。糊が乾かない程度の段数に糊を塗って一段ずつ弛まないように貼っていく。

「八千流ちゃん、上手だね。よくやるの?」

「とんでもない。うちは穴が開いたところに当て紙をするだけです。」

「そうだよね。うちはもともと随分と古かったから全張り替えだけど、よくはやらないよね。」

「お気を悪くしたら申し訳ありません、この家はお化けが出ると聞きますが、本当のところどうなんですか?」

「お化けねぇ。・・・隣にいるよ。」

八千流の手が止まって辺りをキョロキョロする。三郎は笑った。

「林造さんたちは清にこき使われている可哀想なお化けだよ。」

八千流は青くなって固まった。

「その気持ちわかる。私も慣れるのに随分苦労したから。」

「陰陽師が使役する鬼は自意識の低い鬼で、人魂なんて意思の強いものは扱えません。それは修験者の領分なんです。修験者だって祓うだけで使役なんてとても。やっぱり姫様はすごい。」

「そうだよね。死んでも働かせるなんて、そんな鬼畜なこと出来ないよね。」二人は同時に笑った。

「コホン、随分楽しそうですこと。」清子は口を尖らせて言った。

「あ、終わっちゃいました?ちょっと待ってください、こちらはもう少しで終わりますから。」三郎は言った。

「いいですよ。私一人でできますから。どうぞごゆっくり。」刷毛に糊を付けだした。

いや出来ないから、待って!

「あらぁ?姫様、焼きもちですか?」と八千流が清子の様子を窺う。

「な、そんなわけありません!」清子。

「えー、顔が真っ赤ですよ。」くすくすと揶揄う。

「え!?清がやきもち?本当?」喜ぶ三郎。

清子が顔をそむける。三郎が覗こうとする。清子が更に逃げようとして、バッと糊が飛び散った。

「「「ぁあ!」」」


帰り際、八千流は硝子玉を掌に載せて清子に見せた。半透明の翡翠色が茜がかった空気の中で甘く光っている。

「この硝子玉は、昔、鬼ごっこで姫様に取り返してもらったやつです。覚えてますか?私はあの時のことをよく覚えています。若様に取り上げられて、なかなか鬼から取り戻せなくて、日が暮れだして、私は泣いていました。返って来た時はとても嬉しかった。姫様の優しさが嬉しかった。またあの頃のようになんて思ったけれど、無理なことでした。

 姫様がどこかへ行ってしまう気がして思わず来たけれど、もっと早くに来れば良かったな。もっと早くに、姫様が誰かを必要としている時に来ていたら違ったんだろうな。

 今日は楽しかったです。有難うございました。」ぺこりと頭を下げた。

 清子もあの時のことは覚えている。清子がここに住みたいと思ったのは、その記憶があるからだ。ここに住めば、あの頃のようにみんなと笑って過ごせるような気がしていた。

時は戻らなかった。

でも、同じことを思っている者同士なら、あの頃に戻ることができるだろうか。

 清子は振り返って言った。「三郎さん、八千流ちゃんにお勉強を教えてもいいでしょうか。条件には外れますが・・・。」

「清のお友達でしょ。清がそうしたいならそうしたらいい。」陰陽師としてではなく、清の友達として受け入れられると思った。


二人は八千流を竹垣の外まで見送った、家に戻る清子の様子はどことなく楽し気だった。

三郎は戸口を閉めた。

馬が複数勢いよく乗り込んできた音がした。二人は顔を見合わせる。三郎は、またやばい奴らが来たのかと慌てて窓を覗いた。洋装の軍服が見えた。これは公儀の追手だ。昨日騒ぎ過ぎたのだ。三郎は咄嗟に懐剣を握った。

ごめんよ清、せっかくお友達が出来たのにね。

清、私と一緒に死んで欲しい。


陰陽師は死霊には関わってはいけません。陰陽師は場所に対する厄疫の祓いや予防はしますが、人に取り付いた悪霊祓いはしません。死霊を扱うには厳しい修行を積む必要があり、陰陽師と同じく密教の流れの中にある修験者が行うものでした。陰陽師では、やりたくてもできないと考えられていました。

 陰陽師村の回は回想シーンぽく書いたのですが、それが生きてくるのが今頃ってどういうこと?

三郎があくせく働いている間清子は何をしているのか謎。充電の要らない家事ロボがあるから、ほんと何しているんだろう。三郎は三郎で、清子に手伝われると時間と手間が増えるので、何かして欲しいとは少しも思っていません。しかもどMです。君はそこにいてくれるだけでいいんだよって最高!こうなるためにはどれくらいの顔面偏差値が必要なんだろう。三郎のために言っておくけど性格も好きだからね。清子の、目的のためには手段を問わないところとか、こうと決めたら譲らないところとか、当たって砕けるところとか、どMにはゾクゾクします。

 やちるちゃんは、陰陽師の間で宗家の評判が悪すぎて、清子のところに行くことができませんでした。今回のことで、姫様が引っ越してしまう、もう二度と会えないかもと思い、思い切って押しかけました。

村社会は大変なんです。




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