山桃
山桃は甘くてとっても酸っぱい。
清子たちが家に帰ると、三郎が、清子が叫んでいた場所で胡坐の上に頬杖をついて待っていた。狸寝入りだったので。
「二人ともそこに座ってください。」有無を言わせず座らせた。
槐はまずいことになったので、狐になって清子の腕の中に潜った。
「で、どちらまでお出かけで。」
「ちょっとそこまで、おほほほほ。」
「今日はお団子でも作ろうかと思っていたのですが、どうやら要らないようですね。」
「要ります!絶対に要ります。」
清子は包み隠さず報告した。
報告を聞いた。
もう一度過去に戻ってやり直すとしたら、何をやり直せばいいだろう。
出した条件の意味を清にきちんと伝えるべきだった。
清に帳簿の付け方を教えてはいけなかった。
そもそもこんな所に住んではいけなかった。
三郎の中で、真備の存在は不可欠の前提だった。真備は結局は清を裏切らない、これは確信にも似た直感だ。その真備がいない。
数日後、梅若が二人の兄妹を連れてやってきた。清子の授業を受けてみたいと言う。清子はとても喜んだ。
清子は、突然小難しい話をしても、やる気がなくなると思い、簡単なことを少しだけ教えた。
「1枚20文の護符が1枚売れた時の仕訳はこう書きます。」地面に書いた。
「そんな護符があるかよ。3文だよ。」清子は慌てて書き直した。
「なら、3文の護符が5枚売れました。その仕訳はどう書きますか。」
「えーと・・・。」指折り数え始めた。
お勉強は早々に終わって、ハツちゃんと太郎ちゃんを加えて追いかけっこが始まった。帰り際、妹が土間で山桃を見つけた。山桃の鮮やかな赤色は目をひく。
清子は言った、「山桃は好き?」
「うん。」
「お好きなだけどうぞ。」
無邪気で可愛らしいやりとりだった。
しかし、思えばこれが始まりだった。
翌日、子供ばかりが十人ほどやってきた。清子が九九の一の段と二の段を教えるが、多くの子供は途中で自由人になった。清子はどうすることもできず、授業を聞いている子供に向けて教え続けた。子供たちが帰っていくと、台所から米が消えていた。
翌々日、さらに子供が増えた。清子が九九の二の段の復習を始める。子供たちは端から自由人だった。
子供たちは三郎がこれ見よがしに置いておいた山桃に手を伸ばした。
三郎は厳しく注意した。「他人の家のものを勝手に取ってはいけない。」
「はらが減ったんだよ。」「大した物じゃないだろ。」糞餓鬼は言い訳と不満を口々に言う。
「価値のあるなしではありません。それが道理です。」
糞餓鬼はキッと睨んで言い返した。
「うるせぇじじぃ!お前たちは俺たちから食い扶持を奪った。それに比べたらこんくらい何だって言うんだよ!」
子は親を映す鏡だ。どこかで誰かが言っていたような言葉を吐く。
言い終わる前に三郎の平手打ちが飛んだ。ほとんど同時に清子の部屋から激しい物音がした。槐に貴重品の番をさせておいた。何が起こったかなんて見ないでもわかる。
「痛ってぇ。」
それを見た別の糞餓鬼が言った「他人の子供を打つのは道理なのかよ!」
三郎は大喝した。
「ならぬものはならぬ!商家は丁稚をこうやって仕込む。奉公にでるために学びに来たんじゃないのか。学ぶ気がない者は出て行け!」
三郎は悪餓鬼どもを全員外へ叩き出した。
夕刻、糞餓鬼たちからどのように事情を聴いたか知らないが、怒った親たちが大挙して押しかけてきた。
「うちの子が、何も悪いことをしていないのに暴力を振るわれたと言っているんですけど。」
「何様のつもりだ、いつまで我等を支配している気でいるんだ。」
「今までのことすべてに、謝罪と賠償をしろ。」
三郎は事情を説明しようとするが罵詈雑言に言葉はかき消された。子供に手を上げたことは口実にすぎなかった。何を言っても聞く耳など持っていない。どうしようもなくて黙っていると、モンペはますます図に乗った。
「あの小娘を出せ!土下座をさせろ!」
「金目の物は全部、慰謝料に貰ってやる。」
土足のまま居間に上がり込んだ。限界だった。三郎は勝手に上がり込んだ男の腕を掴んでねじり上げた。そこから乱闘が始まった。
隣室で聞き耳を立てていた清子は、槐に助けを求めた。槐は長刀を持った女武者に変化した。清子は槐の足に縋って、「誰も殺さないで。」と言った。
槐は清子のこういうところが嫌いだ。圧倒的強者なのにそれを理解しない者に慈悲をかける。そういう愚か者には上下の別をきちんとわからせた方が互いの為だ。何も威張っていろと言っているのではない、互いの距離感、礼節の問題である。
陰陽師の帯刀はほぼ飾りなので、槐が雑兵の紙人形を二、三体ばら撒くと、みんな逃げ出した。三郎は戸口をぴしゃりと閉めると、ほっと一息ついた。ついた瞬間、石礫が飛んできて板戸に当たる音と衝撃を感じた。
一体どうなっているのかと、夜にも関わらず、窓から外を覗くと、とんでもない光景が見えた。
「槐!やっばい。火矢が飛んで来るぞ。」
「はぁ?血迷ったか!」
槐は慌てて狐火を放った。
狐火に押されながらも火矢は放たれた。弓の扱いが上手かった。三郎と式たちは急いで消火に走った。
障子を破った石礫を清子は拾い上げた。辺りを見渡せば酷い有様である。
ぽつりぽつりと雨が降り出した。
火矢の火は消えた。狐火は消えない。
清子は、傘もささずに履物も履かずに真っ直ぐに外に出た。狐火が照らす場所までやって来た。その場の全員が清子に注目した。
清子は膝をつき、顔を上げて、よく通る声で言った。
「当家の力及ばず、皆様の暮らしを守ることができなかったことは、大変申し訳なく思っております。どうかお許しください。」深々と頭を下げた。
暴言が飛んだ、石礫が飛んだ。それでも頭を下げ続けた。
かつての宗家のうら若い姫が地に頭をつけて許しを請うている。
その状況に皆の心は白けていった。陰陽師たちは自分たちが悪人になったような気がして、気まずくなって帰って行った。
三郎は、しょんぼりしている清子を立たせて、「ご立派でしたよ。」と声をかけた。
可哀想だけど、現実を見るためのいい薬だったと思う。これで引っ越すとか言ってくれれば上出来である。
トップの仕事は最終責任をとって切腹か土下座をすること。ファンタジーのヒロインがそれする?と思いますが、簿記教えて全部上手くいきましたってのは、物語の流れ上バランスが悪いと思います。それと責任を取らないトップが多いからむしろカッコイイかと思います。
弓はね、梓巫女。弓の弦をたたいて口寄せをする職業。土御門家では陰陽師が口寄せをすることを禁止していたんだけど、ときどき兼業したり、梓巫女が筮占をしたりして、同類扱いされました。
山桃は都会っ子の口には合わなかったので、大量に売れ残っていました。太郎ちゃんが採って来たのですが、喜んで食べてくれる子が見つかってラッキーと思って清子は全部あげたのでした。梅若は沢山あるので、村の人に事情を話して分けました。ついでに他の子が授業を受けに行くきっかけになればいいと思った全くの善意でした。梅若には清子と遊んだ記憶があるので、他の人よりは清子に優しい気持ちがあります。とんでもないことになったので真備に至急知らせに走りました。
前話で1里1刻と書いてしまいました。1里は半刻(1時間)です。2里にすべきか、それじゃぁ子供が通えないか、でも1里じゃ近すぎないかとか考えていたらごちゃごちゃになってしまいました。陰陽師村は1.5里の設定です。1里は4kmほどなので6kmほどです。