家族
三郎は雨の中一人とり残された。
が、
「こんな時に知り合いに会うなんて、すごくツイている。」
どん底の果てに妻を手にした成功体験が三郎の精神構造を変えた。鋼のメンタル。
真備なら、きちんと看病してくれるだろう。真備の家は知っている。もし以前と違っていたとしても、江戸城に囲われることに比べれば大した問題ではない。何しろ二人は運命の赤い糸で結ばれているのだから何の心配もいらない。
なのでとりあえず自分の面倒を見ることにする。こういう困ったときに行くのは寺だ。寺へ行こう。
真備の家
びしょ濡れの真備が、びしょ濡れの清子を抱えて騒がしく家の中に入って、奥に向かって叫ぶ。
「着替えと手拭いを二人分、それから囲炉裏に火をもっと頼む!」
「あれ?大将、お早いお帰りで。」留守番の信徳丸が奥から顔を出した。帰って来るのは一月ほど先のはずだった。
「うっわ、大将がとうとう女を拾ってきた。この不潔野郎!」新得丸は大声で叫びながら、着替えをとりに走った。槐は体を激しく振って雨を落とし、人に化けた。
戻って来た新得丸は槐に気づく。「あっ・・・。」
ということは、真備腕の中にいるのが誰なのか察しがついた。
「何でその人を助けるんですか。もといた場所に返して来て下さい。」まるで今降っている雨のように冷たい。真備は、清子を槐に預けると、信徳丸を振り返って、
「そう言うと思った。俺もそうしようと思ったんだけど、ごめん。」申し訳なさそうに笑った。
「宗家は我等を捨てた。なのになんで助けなきゃいけないんですか。人がいいにもほどがある!」信徳丸は、持ってきたものを叩きつけるようにして行ってしまった。
散々だ。
真備は、びしょ濡れの服を土間で脱ぎ始める。
それを見た槐も清子の着物を脱がせにかかる。
「はぁ?!何してんだよ!」
「?着替え」
「ど阿呆!(俺が)風呂行くからちょっと待っとけ。」
「早くしないと体温」
「わかったから俺がいなくなったら囲炉裏の前で替えたげて。」
「畳」
「いいの!仮屋だしボロ屋だし、全然気にしないから。」
「そう?見とかない?」槐がにやっと笑った。
「うるさい!」急いで新しい襦袢を羽織るといそいそと立ち去った。
炉辺で、かつての主家が眠っている。
俺の布団が・・・などと思いながら様子を窺う。
炭をかき回してみる。寒くないだろうか。
薪がパチパチと音を立てて、槐が毛繕いをする音だけが聞こえる。
「何で京都にいるんだ?」真備。
槐が顔を上げる。「帰りたかったのかな。」
「御家は東京だろ。」
「知らなんだ。」
「知らないってなんだよ。」
「禁術を使うとな、生き返らせた相手と関連する記憶が根こそぎなくなる。目を覚ますとまるで別人みたいになるんだよ。御所では、無駄に禁術を使わないように、音無しの世界に置かれていたよ。」
「禁術は、あいつに使ったんだろう?あいつのことは覚えているじゃないか。」
あいつはあの時確かに致命傷を負っていた。なのに、あいつは生きて、主家は戻らなかった。
「忘れているよ。七日前に出会ったばかりさ。」
「なんで忘れるんだよ、俺たちのことはどれだけ覚えているんだよ。」
「さあなぁ。だが、忘れるのは我が主の慈悲である。禁術をあと一度使えば冥府に帰る約束だ。禁術の対価を知りながら二度も使うなんて、女は優しくていい。そんな優しい魂が大切な者を残していくのは辛く寂しいことだろう。」
俺たちがしてきたことはどれだけ心に残っているんだよ。
あの戦のことは?
陰陽師の未来のために、共に努力しようと誓ったことは?
また一緒に蛍を見ようと約束したことは?
じゃぁこの怨みと悲しみはどこに向ければいいんだよ。
私は、まどろみが嫌い。目を覚ますと、また大切なものが失くなっているんじゃないかと、とても怖いの。
目をうっすら開けてみる。吹き抜けの天井に火棚があって火棚の上に、着ていた借り物の袷が干されている。ここはどこかしら。
雨の音が聞こえる。
そっと体を起こすと、頭がくらくらした。たまらずもう一度横になって目を閉じた。額にそっと手が置かれた。槐のものとは違う気がして目を開ける。
「まだ、寝てろ。」真備は言った。
私はまだ夢を見ているのね、清子は嬉しい気持ちで眠りに落ちた。
三郎は、世話になった寺に礼を言って清子を探しにでかける。雨は止んでいた。
清子は再び目を覚ました。
そっと体を起こした。なんだか背中が痛いが頭は痛くなかった。槐がいない。ぐるっと辺りを観察する。板の間に薄そうな壁と障子、いたって簡素な家で、片付いているというよりは物がなかった。火棚の上の着物がなくなっている。暫くぼんやりしていると槐が戻って来た。槐は清子の着物を屋外に干していた。
「御白湯でも貰おうか?」清子はこっくり頷いた。
御白湯を貰うと、真備がやって来て肩に真備の袷を掛けてくれた。
「助けてくれてありがとう。真備は私を嫌っているように思えたから、とても嬉しいです。」清子は微笑んだ。
「嫌いだよ。宗家は陰陽師を捨てた。だから嫌いだ。」たとえ主が何も知らなかったとしても、主には何もしようがなかったとしても、今、目の前にいる主家に対し募る怨みをぶつけずにはいられなかった。
「御家は陰陽師支配を放棄したのですね。」清子は唇をかんだ。
「今は、東京の出役所で金を積んだ人間に免許状だけ発付しているよ。」土御門家の免許状は通行手形になる。陰陽寮がなくなって、官人陰陽師の特別扱いがなくなった今、その手形がいつまで通用するかわからない。
「真備は、真備は今何をしているの?なんであの場所にいたの?」
「俺か?・・・何だっていいだろう。未だにあそこに免許状を貰いに来る奴がいてさ、だから時々様子を見に行っているんだ。」
「そう。みんながっかりするわよね。一生懸命お金を貯めて、遠くから来たのに御本社様がないなんて。」
「みんな途方に暮れているよ。」
「そういう人たちを見つけたらどうするの?」
「説明して帰ってもらう。でも時々、家まで売って金を作ったせいで、帰るに帰れず、東京に行く旅費を出したら免許状に払う金がない、みたいなどうしようもない奴がいて、そういう奴は、うちで面倒をみたりする。」
「奈良の陰陽師村に連れて行くってこと?」
「そうだよ。」
光が見えた気がした。「私もそこに行きたい!私もそこに住みたい!」
「はぁ!?」
三郎は記憶を頼りに幸徳井家の京屋敷を探した。洛中の様子はまるで変っていたが、鴨川との距離、御所の築地塀からの距離をたよりに塔之檀幸神町を割り出した。辺りをうろうろしていると、とある家の竹垣の間から、干されている母の着物が見えた。紺青色に雪柳が描かれている、母が昔よく着ていた、妻が着るには少し年のいっている着物だ。
「私もそこに住みたい!陰陽師はみんな私の家族だもの。」清子は目を輝かせた。
「家族って、何言っているんだよ。御家は東京だろ。」真備は困惑する。
「お父上さんはお亡くなりになってしまったわ。東京に戻ったところで内侍所に戻されるだけ。私の家族は陰陽師のみんなと・・・ん?私の夫は?私の夫がいらっしゃいません!」清子はキョロキョロと辺りを探す。
真備のイライラが頂点に達した。
「さっきから訳わかんないことばっかり言いやがって!だいたい、夫、夫って、あいつはあんたの夫なんかじゃない!公家が結婚するには門流の許可が必要だろう。近衛様の許可は得たのかよ、得てないだろう。俺は近衛様に確認した。あいつはあんたの夫なんかじゃないんだよ!」
三郎は、戸口に掛けた手を止めた。妻は何と答えるだろうか。
清子ちゃん、気付くの遅いよ。夫の重すぎる愛も、このくらい抜けていれば、気にならないかもね。
土御門家の当主和丸を代理して、倉橋泰聰が陰陽道を自ら否定する上奏文を提出しました。
土御門家は、できることなら清子みたいにしたかったんじゃないかと思います。城を枕に討ち死にした方が美談です。しかし実際は平公家で、お上に逆らうにはあまりに非力です。神道や仏教と比較して後ろ盾になるには薄弱でした。倉橋家との関係はその後も良好に続いたのでしょうか。下世話な興味が湧くところです。