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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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篠突く雨(しのつくあめ)

これで三人が近くに揃いました。さてさて誰がお姫様を手中に収めるのでしょうか。

朝、海を見に浜辺に行く。妻は裸足で波と槐と遊んでいる。子供みたいだね。水引で数か所結んである垂髪がぴょんぴょんと揺れている。堺はいい所だよ。町全体になんとなく香の匂いがするところは京都と似ている。港に大きな船が並んでいるところは大坂に似ている。京都や大坂ほど大きくないから、ほとんどみんな知り合いだ。若い男女が並んで歩いていたら、すぐに噂になるだろう。

「そろそろ戻りましょうか。」妻はこちらを見るとにっこり頷いた。


玄関前に、よく手入れされた馬が止められていた。三郎にはすぐにわかる、町奉行所の馬だ。

「駄目だ。もう戻れない。」三郎はとっさに清子の手を掴んだ。

「えっ、でも、箱をお部屋に置いたままなの。」清子は言った。

「諦めてください。」三郎は清子の両腕を掴んで言った。

「だって、お父上さんの形見なの。」清子が泣きそうな顔をした。店と清子を交互に見て・・・仕方がない。

「必ず戻ってきますから、ここにいて下さい。」

三郎は走った。

裏口から店に入って、清子のいた部屋にそっと忍び込む、辺りを見渡す、あった!花の模様が全面に彫り込んである漆彫の箱が部屋の隅に置かれていた。三郎は箱を掴むと、もと来た方へ戻りにかかった。

隣の部屋の障子が開いた。父だった。

父は三郎に近づいて、低い声で言う。

「一郎(長男)が来てるよ。お前に誘拐容疑が掛かっているって。

敵と内通の次は誘拐か?お前は一体どうなっているんだ。」父は、まっすぐ三郎を見た。

「申し訳ありません父上。・・・でも今度こそ二人で幸せになれるはずなんだ。どうか見逃して下さい。」

敵と内通して何をしようとしたのか、本当のところをわかっているのは、京都でずっと三郎を見てきた次郎兄だけである。次郎は家族には話さなかった。話したところで何も生まれない。公儀がそのつもりなら、騒ぎを大きくする必要はない。騒げば相手方にも迷惑がかかるし、相手方とは二度と関わることがないはずだった。

家族は、三郎の刑がやたら軽くて不思議に思った。それに比べて三郎の変わり様は異様だった。

父は、与力である一郎から誘拐の被害者について聞いた。主上が武力で脅して手に入れた内侍所の巫女である。三郎は「今度こそ。」と言った。やたら軽かった刑罰の理由がわかった気がした。

父は、この馬鹿息子に何をしてやれるだろう。二度も寛典はありえない。

父は、胸から財布を出すと、三郎に押し付けた。

「金は心配いらないよ。」三郎は言った。

「いくらあってもいいだろう。それに、お前の為じゃないから。」財布をもう一度三郎に押し付けた。

「ほら、」顎で促した。三郎は受け取って、父を見る。

「ほら、早く行け。待たせているんだろう。」父は急かせた。

「ありがとうございます。」三郎は深々と頭を下げると走り出した。


居間に戻る。

「父上、どちらに行ってらしたんですか?」

「いや、ちょっと厠にな。これからのことを思うと腹が痛くてな。」悲しそうに笑った。



清子は三郎が箱を持って現れると、安堵でうっすら涙を浮かべた。

「姫、お待たせしました。それでは京都に行きますか。」三郎は不安など少しも無いかのように敢えて明るく言った。「はい。」清子も同じように答えた。

二人は駄賃馬を借りて京都に向かった。






――― 何もなかった。



梅小路には何もなかった。周りを見渡して目に映る山々は、どれも見慣れた形をしている。しかしお邸は跡形もなかった。そして旧洛中に目を向ければ、戦禍から復興することなく捨てられた町が広がっていた。

「どうなっているの?」

「これは一体。」

あまりの変わりように二人は言葉を失った。

清子はお邸があった場所をなぞるように歩いた。

ここには天文台があって、ここには御本社様があって、ここは祭祀場があって、ここには仮社殿があって、私の部屋はこの辺りで。

混乱のあまり清子はうずくまった。

王城が東京に移転して、反幕派ではない公家は東京に移住した。そんなことは三郎でも知っている。しかし清子は知らなかった。ずっと京都から手紙が来ているのだと思っていた。だって御本社様は容易に動かせないでしょ?全国の陰陽師がみんなここを目指して来るのだから。

清子はうずくまって動かない。いつまで経っても動かない。

「そろそろ宿でも探しましょう。」と三郎。

「嫌、ここは私の家よ。」

三郎は何て返せばいいかわからなくなった。

どれだけそうしていたかわからない。


「ねぇ、あんた達、そこで何をしてるんだ?」

馬が止まって、誰かが声をかけてきた。


清子は、声の方を振り返った。

「真備・・・。」

「あっ。」真備は一瞬驚いた顔をして、それからあからさまに顔を(しか)めた。

清子は立ち上がった。

「ねぇ、私のお邸知らないかな。御本社様、知らないかな。」震える声で尋ねた。

「知るかよ!」真備は言い捨てると馬の腹を蹴った。

真備はそのまま南の方へ行ってしまった。

清子はもう一度邸跡と向き合う。

雨が降ってきた。大粒の雨だ。

「お姫さん、どこかで雨宿りしましょう。ね、行きましょう。」三郎は清子を立たせようとする。

「もう少し、もう少しだけここにいさせて。もう少し雨に打たれれば、私、受け入れられる気がするの。」この雨は私の涙だから。

せめて傘を、三郎は周りを見渡す。広がるのは畑と雑草の生い茂った荒地ばかり。

「お姫さん、どこかで雨宿りしましょう。ね、行きましょう。」

清子は首を横に振って、槐を差し出した。

「この子を連れて行って下さらない?」清子はもうびしょ濡れで、長いまつ毛に大きな雨粒がついている。

とりあえず三郎は槐を受け取った。

清子は槐が手から離れると、ゆっくりと崩れて意識を失った。

雨がものすごい勢いで降っている。

槐は人に化けて清子を抱えた。着物が雨を吸って、ずしりと重い。

「本当に世話の焼ける我儘娘じゃ。三郎、箱を頼む。」

畑があるということは背の高い雑草の向こう側には人家があるのだろう。その人家は家領の農家だ。槐は右足を退きずりながら歩き出した。

馬が二人の横で止まった。雨があまりに激しくて、馬の蹄の音が聞こえなかった。

真備は槐の引きずる足に一瞬視線を落とした。それから、

「おい、どこに行くつもりだよ、行くとこなんてねえんだろう。仕方ねぇから助けてやるよ。」

叫びながら槐に向かって手を伸ばした。

槐は躊躇うことなく清子の体を差し出した。

「槐、お前も乗れ!世話係だろ、俺だけじゃどうすればいいかわかんねぇよ。」

槐は狐に戻って真備の肩に乗った。

真備は馬上から三郎を見下ろして言う、

「お前は知らない。その辺で野垂れ死んでろ。」

真備は旧洛中に向けて駆けだした。


ちょっと三郎が可哀想すぎますね。梅小路村は土御門家が知行米を取得した土地。

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