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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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旅立ち


お父上さんは亡くなった。陰陽寮も無くなった。私がここにいる意味はもうない。

私には行かなければならないところがあるの。

多分、私には辞職とか、引退とかそういう制度は用意されていない。なので少々強引にならざるをえない。ただ槐に負担をかけないように、できるだけ穏便な方法をとらなくちゃ。すべての警固兵を敵にまわして大立ち回りみたいなことは論外だわ。まずは可愛らしくお願いして、それが駄目なら泣きついてみよう。大体の問題はこれで解決するんだって、小萩さんが言っていたもの。

清子の江戸城脱出作戦が始動する。

清子は、夕方になってから大輔を呼ぶ。

内侍所の御簾前に出て、大輔の目の前に座った。大輔も小萩も睡蓮も怪訝そうに清子を見る。

「大輔、私、お城を出ようと思います。」清子はにっこり微笑む。

「「「はっ!?」」」

みんながびっくりする。大輔は、清子が内侍所にいることを決めたのだと思っていた。だってずっと穏やかな日が続いていた。

「この度、夫が見つかりました。これからは夫と苦楽を共にしたいと思います。」新妻、結婚報告をする。

「夫?それはどなたのことかしら?」小萩は興味津々だ。

「実は私、京都時代に結婚していたようなんです。」きゃっ恥ずかしい。

「まぁ!お幸せそう。」と小萩。

「小萩、何を馬鹿なことを言っているの!」睡蓮さんが眉を吊り上げる。

「私はここで自害いたします。」大輔が脇差を取り出した。

まったく予想を裏切らない展開だ。そもそも可愛いい作戦というのは相手を選ぶ。しかも可愛い子あるいは()がするもので、恐れられている人間がするもんじゃない。

睡蓮が叫ぶ。「あなたはここにいなければならないの。それが御叡慮なの。まさか背くと言うの?」

「そんな大げさなことじゃないの。ただ、ここではないところで、ささやかに生きようと思って。」

睡蓮が、清子に詰め寄る。

「そんなこと許されるものですか。いったい何に不満があるの?私とあなたは同じ平堂上、なのにあなたはいつも特別扱い。陰陽師如きが内侍にかしずかれ、内侍所の巫女のくせに結婚まで許され、いったい何に不満があるって言うの!」

清子は偶然陰陽師の家に生まれて、偶然葛の葉の魂分けに生まれ、睡蓮は偶然内侍の家に生まれたにすぎない。

「本当にそうね。今まで本当にありがとう。」清子は心からの感謝を伝えようと、睡蓮の手を握った。

睡蓮の整った顔が、憎しみで歪む。

「いやぁああ!触らないで穢らわしい!」睡蓮はその手を振り払った。


ケガラワシイ?ケガラワシイのは誰?私、それとも陰陽師?


陰陽師は、穢れを祓ってあげるのになんで穢らわしいの?

私たちのおかげで清浄な世界を享受しているくせに、なんで私たちを蔑むの?

誰も陰陽師を助けてはくれない。私たちを受け入れてくれるのは死だけ。死は皆に等しく訪れる。

私たちは穢れた死を神と祀って、皆から恐れられることで、蔑みに気付かないふりをしている。でも本当は気付いていて、いつも心が痛くて悲しい。

なんで私たちを蔑むの?

清子はその魂魄を締め上げた。睡蓮が倒れた。


大輔と小萩は息をのむ。死んだ?死んだのか?

清子は、大輔ににじり寄って瞳をのぞき込む。「ねぇ、大輔。あなたは、私がいなくなれば責任を取らなければならないのよね。でも、私はもう決めたの。だからあなたの運命は変わらないわ。どうせ変わらないなら、私の幸せを祝福してくれないかしら。」

大輔から汗が噴き出す。

「あなたが協力してくれれば、私は内侍所から忽然と消えて、もしかしたらあなたの責任は問われないかもしれないじゃない?ね、大輔。わかるでしょう?」

怖ろしくなった小萩が叫ぶ。「わかった、わかったから大輔さんを殺さないで。」

「小萩、余計な口出しをするんじゃない!」

「ねぇ、大輔さん。大巫女様は旦那様のところにお帰りになるだけよ。何がいけないの?私たちと同じじゃない。二人で罰を受けましょうよ。」


御神鏡の前である。大御神様が我等を試していらっしゃる。


二人は、清子に布衣を着せて大輔の付き人に仕立てあげた。清子は堆黒の箱と槐をいれた風呂敷を抱える。槐は大いに心外。

「ありがとう、小萩さん。」清子は小萩に別れを告げる。

「御機嫌よう大巫女様、お幸せに。」小萩は寂しそうに微笑んだ。


「ん・・ぅ」運悪く睡蓮が意識を取り戻す。

「その(おぞ)ましい格好は何?何故あなただけが自由になるのよ!」睡蓮は大輔がしまい忘れた脇差を掴んだ。

「睡蓮やめないか!巫女様を傷つければ、それこそお前はただではすまない!」大輔が清子の前に立ちふさがる。

「この女の好きにさせるくらいなら、どうなったって構わないわ。秩序を壊す者は、この世から消えるべきよ!」睡蓮は刀を振り上げた。


「諸悪莫作(まくさ) 衆善奉行」


睡蓮の手から刀が滑り落ちる。大輔は急いで刀をしまった。

「睡蓮さんは、きっと内侍所から出たいのよ。きっとずっと苦しかったのね。

そうだ、睡蓮さんも連れて行ってあげましょう。小萩さんもどう?」清子はにっこり笑って小萩に聞く。

「いいえ、大巫女様。私は、大巫女様のように強くないもの、この世界でしか生きられないわ。

それに・・・私はここが好きなんです。」小萩は微笑んだ。


清子は、睡蓮を付き人に変装させて、堆黒の箱を持たせた。三人は夜闇の中、無言で歩いた。森を抜けると大勢の役人とすれ違うようになる。建物も所狭しと並んでいて、内侍所の周辺とはまるで違った。番所まで来た。

「お疲れ様です。神祇省の大輔です。帰宅します。」

与力が付き人をちらりと見る。

「見慣れないね。名札見せてください?」

「あー、新人なんだ。名札は・・・」どうしよう。大輔が清子をちらっと見る。


「諸悪莫作(まくさ) 衆善奉行」


「・・・さんと・・・さんね。はいお疲れ様でした。」

清子は大輔に向かってにっこり微笑む。大輔はただただ怖い。


門を出るとお濠に掛かる大きな橋があった。橋の上で涼やかな風を感じる。橋を渡りきると坂になっていて、坂の向こうに街の灯が広がっている。星も霞むほどに(まばゆ)い。外の世界はなんて美しいの!坂の途中に灯が一つ揺れている。下っていくと男が一人立っていた。清子はそこで立ち止まった。

「お帰りなさい。」男は言った。

女は烏帽子を脱ぎ捨てて髷を解いた。黒髪がさらりと布衣に流れ落ちる。

「只今帰りました。」嬉しそうに答えた。

清子は振り向く。「大輔さん、本当に感謝しています。最後のお願いです。恐れ入りますが、これを主上に渡してください。」そう言って、二通の手紙を差し出した。

二人は大輔に向かって深々と礼をした。

大輔は二人の提灯が坂を下りきるまで見送った。見送ると、道の傍らに座って、清子から託された手紙を読む。

「主上 長い間お世話になりました。探さないでください。

追伸 大輔は優しい、いい人なのでお慈悲を賜りますようお願い申し上げます。」

「義武様 夫が見つかりました。ごめんなさい。」

大輔はくすっと笑った。

それから手紙を元通りにしまうと、脇差を取り出した。

心は照る月のように穏やかだ。月の光を受けてが刃が冷たく輝く。

「あーぁ、馬鹿だよな。」

でも私は、お天道様に恥じるようなことはしていない。それだけは胸を張って言える。


――― 小萩、お前は生きろ。



清子と三郎は坂を下った。

「これから、どうしましょうか?」三郎は清子に聞いた。

「私、京都に行きたいの。」可愛らしく答えた。

「京都ですか、懐かしいですね。」

三郎は千成屋東京支店に向かう。

途中、日本で一番賑やかな場所、銀座を通る。異国風の建物が点在し、両替商、貸金商、呉服屋、飲食店、遊女屋、夜でも大勢の人が行き来する。外国人と度々すれ違う。酔っ払いともすれ違う。清子は思わず三郎の後ろに隠れた。

「大丈夫ですよ。私がついていますから。」三郎は後ろを振り返って言った。頼もしい旦那様。

「・・・ところで、後ろの人はどなたですか?」

清子は睡蓮のことをすっかり忘れていた。

「あっ、ごめんなさい。荷物を運ぶのを手伝ってもらったの。ちょっと待ってくださる?」

清子は自分の持っている風呂敷包を解いて槐を肩に乗せて、それから睡蓮から堆黒の箱を受け取った。三郎がさりげなく箱を持つ。

「御機嫌よう、睡蓮さん。」清子はにっこり笑ってぺこりとお辞儀をした。

二人は睡蓮を残して歩き出した。

睡蓮はその場に崩れた。

雑踏で三郎は気づかない。清子は嬉しそうに三郎の後を追った。


すっごく死にたくない男が、総てを引き受けて死ぬという、私的にかっこいいを書いてみました。そうでもない?

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