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幕末京都の御伽噺  作者: 鏑木桃音
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今を壊せ

清子は、またしても兵で囲まれた。女官たちが大騒ぎをしている。縁側の扉がまだ開いていて、部屋から兵の灯す明かりが見えた。

清子はゆっくり縁座敷に出て、暗がりにゆらゆらと浮かぶ提灯の火を眺めた。

「綺麗ね。・・・蛍みたい。」

「何を仰っているの、これは総てあなたのせいよ!」

睡蓮さんは騒がしい。

「そんなに狼狽えなくても大丈夫、誰も襲ってこないから。これはね、私が逃げ出さないようにしているだけ。明日には関白さんがお出でになるわ。」軽く笑って部屋に戻った。


翌日、関白がやってきた。

「清姫、驚かしてすまないね。危害を加えるつもりはないんだ。ただ、君がいなくなってしまうのではないかと心配だから。」

「関白様、太陽暦が採用されると知りました。」

「どこで?」

「お花見に行った時に瓦版を拾いました。」

関白さんは笑いながら言った。

「もう、落ちているものなんて拾ってはいけません。お父上さんからそう教わりませんでしたか?」

それから、ため息を一つついて、

「あなたは賢い人ですから、これから私が申し上げることをきっと理解して下さると信じています。

 暦の違いで、諸外国との交渉時に頻繁に事故が起きています。

 我が国は、諸外国に飲み込まれないために、諸外国の優れているところを積極的に取り入れて強い国にならなければなりません。

あなたはもう知っている。天文は天帝の啓示などではなく、太陰暦は季節とのずれが生じます。筮占は客観的状況判断だとは言っても、科学技術の進歩により、判断に、高度な専門性が求められるようになりました。

のどかな時代は終わったのです。

陰陽寮は、今、我が国が置かれている状況に適していません。

――― 陰陽寮は、廃止されました。」

やっぱりそういうことか。清子は唇を強く噛み締めた。

「それは、それはいつのことですか?」

関白は優しく言った。「お父上さんがお亡くなりになった後の話ですよ。お父上さんは、この話を聞くことなく陰陽頭として逝去なさいました。」

清子は、涙が出そうになるのをこらえながら、何度も頷いた。

関白は話を続ける。

「時代の流れとはいえ、先祖伝来の家職を奪うのですから、朝廷は出来る限りの償い金をお家にお渡しいたしました。堂上家であることも、これまで通り変わりありません。」

「ご配慮恐れ入ります。

・・・あの、民間の陰陽師はどうなっているのでしょうか。」

「そこまでは私は知らない。御家がどうするかお考えになることだと思いますが。」

「冷たくはございませんか!全国にどれだけの陰陽師がいるとお思いですか。その者たちは官人陰陽師の威光を借りて食べているのです。」

「御家の陰陽師支配は朝廷から頼んで始まったことではありません。これからも陰陽師支配を続けたければ続けなさればいい。」

「・・・そうですか。・・・そうですね。」

「御家も代替わりしたことだし、民間陰陽師のことは新しいご当主にお任せしましょう。朝廷はあなたとあなたの子孫を末代まで大切にいたします。だから、あなたはずっとここにいればいい。ね、そうして下さい。」

言葉は耳から耳へと抜けていく。

「気持ちの整理をする時間が必要でしょう。私はこれで失礼するとしよう。色よい御返事を待っていますよ。」

関白は内侍所を後にした。

兵の囲みは解かれない。


清子は自室に帰った。内侍が心配そうについてくる。

「恐れ入りますが、一人にしてください。」

襖がぱたりと閉じられる音を聞くと、清子はその場に泣き崩れた。槐はそっと肩を抱いた。

散々泣いて涙が枯れた。

「お父上さんは、お亡くなりになってよかったわ。このやるせなさを知らずに済んだのだから。」そう言って、堆黒の箱から父の手紙を取り出して、もう一度読み返した。

「私の幸せを願う、ですって。幸せってどういうことかしら。

・・・子供の頃に、泰清と一緒にお父上さんにお勉強を教わっていた時や、泰清と葛の葉と槐と一緒に遊んでいた時は、確かに幸せだったな。・・・みんないなくなって、槐、あなただけよ。」

この悲しみをわかってくれるのは、あなただけ。



ところが槐は凶将で、「土御門家?それってなぁに美味しいの?」な葛の葉の式神である。

いつまでも悲しみに寄り添ってあげられるような優しさを持ち合わせていない。むしろ涙が涸れるまでよく耐えた。

なんと弱々しいことか!主の魂分けが、こんな不幸の塊みたいな顔をしていていいはずがない。主の魂を持つのなら、どんな時でも凛として前を向いているべきだ!

「それだけではない。忘れてしまっているだけで、その後も、お前様は間違いなく幸せだった。」

人は、支えてくれる誰かを感じることで強く生きることができる。幼い頃は主が支え、主が消えてからは、吾と()()とで支えた。今は・・・吾だけでは足りないということだ。

槐は八陵の鏡を手に取った。

「吾はお前様を守護するように命ぜられておる。主はお前様の幸せも願う。ならばそれも守るのが使命である。お前様の言い様では、まるで吾が主命に反しているようではないか。この鏡を覗け、この鏡の中にお前様が忘れてしまった幸せがある!」


――― 今を壊す鏡。

この悲しみを幸せだと言うのなら、こんな幸せ、壊れてしまえ。


槐、スパルタ。

陰陽寮は明治維新の官制改革により廃止されました。不正確なので自分の心覚えの為にも詳しく書いてみます。近世陰陽道史の研究 遠藤克己著作による。(wikiとかと具体的な日にちが違います。歴史本は時々作者によって日付が異なることがあります。ありませんか?新暦と旧暦の混同でしょうか?それとも作者の解釈でしょうか。それ以上の真実の探求はしませんのでお気を付けください。)


王政復古により晴雄は造暦権を江戸天文方から取り戻す。

明治元年年12月19日晴雄、陰陽頭辞職

明治2年3月3日晴栄、晴雄の養子になる。

明治2年8月29日東京府の頒暦は土御門家に委任される。この時点で暦算学は大学に一局を設けることが内定している。造暦と頒布のために毎月300両の支給を受ける。

明治2年10月晴雄死去

明治2年12月13日倉橋三位(泰聰)が和丸(晴栄)代として上申

土御門家の蔵書の寄贈と大学内に天文暦道取調局を開いてもらいたい。

明治3年2月22日天文暦道は大学管轄となる。

5月20日京都暦役所の所員(和丸等)は天文暦道御用掛となる。京都大学校内。

8月7日天文暦道局の本局が東京に移る。京都の局はそのまま。

8月25日天文暦道局は星学局に改称。京都の役所は西京星学局出張所になる。

11月27日西京星学局出張所廃止

12月19日土御門和丸(晴栄)大学星学御用掛免職。

明治4年8月14日下賜金500円下される。家職を失う対価


最後の陰陽頭は晴雄です。しかし、晴栄までは御用掛として造暦に関わっていた。

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