マリッジブルー
「松平義武と申します。巫女様にはご機嫌麗しく誠に喜ばしく存じ上げ奉ります。」
御簾前で、衣冠姿の若者が挨拶をした。
「?」誰。深刻な松平多過ぎ問題。
「・・・守護職さんとお会いするものとばかり思っておりましたが。」清子は、同じく御簾前で控えている大輔に聞く。
「えーと、前守護職さんはご病気で参内かなわず、代理として弟君がいらっしゃいました。」想定問答集どおりに答える。
「弟君。本当ね、よく似ていらっしゃる。」細面で若干神経質そうなところがよく似ていると思う。
「巫女様のことは兄からよく伺っておりました。お会いできて光栄です。」
「滅相もございません。ところでそれはどのようなお話で?」
清子はこの日を楽しみにしていた。それは一重に昔話を聞くためである。
「・・・」義武は思わず笑った。大輔の言った通り、巫女様は昔話で簡単に釣れた。
「そうですねぇ。よく覚えておりますのは、巫女様が、まだ将軍位にお就きになる前の大樹公を言い負かした話でしょうか。大樹公が、巫女様に向かって陰陽師を侮るお言葉を仰せになると、巫女様が食って掛って、あの大樹公が口をつぐんでしまわれたというのです。兄は、それは愉快そうに話しておりました。」
それはいつの話?どんな状況で、それからどうなったの?もっと知りたい。
「他には、他にはございませんか?」
「(苦笑)巫女様は、私を前にして私には少しも興味をお持ち下さらない。」義武は少し拗ねる。
「!?私としたことが恐れ入りましてございます。」
「いいえ、ただ・・・私の名前は覚えていらっしゃいますか?」
「守護職さんの弟君の松平・・・松平さん。」
「もう!私は義武と申します。贈り物もしておりますのに!」
はっ!?そういえば何かを誰かからだと言って渡された記憶が。どうせ御礼状は役人が書くんだし、会うこともないと思っていたので、そのまま女官に横流しにしてしまった。どうしましょう。
「重ね重ね恐れ入りましてございます。」どうしようもないので平伏する。義武はちょっとだけいけずをしようと思っただけなのに。
「お止め下さい、記憶に残るようなものを贈らなかった私がいけなかったのです。」
・・・見てないなんて言えない。
義武は困ってしまう。
「そうだ。今日はこれをお見せしようと思っていたのです。」懐から小さな袱紗の包みをとりだした。大輔が三宝を持ってこさせようとするがそれを待たずに話を進める。
「これは、私が仏蘭西に行ったときに、路上で売られているところを見つけて、あまりの美しさに、つい買い求めてしまったものです。露天商が売るようなものですから高価なものではないのですが・・・」袱紗を広げると立ち上がり、
「恐れ入りますが、お近くで見ていただきたいのです。」
清子は仏蘭西製の何かに興味が湧いて顔を上げる。義武は続ける。
「これはエマイユといって仏蘭西製の七宝焼です。」そう言いながら御簾ギリギリまで近寄った。
「尾張(兄の領地、隣の藩)でも七宝は盛んに作られていますが、なんというか異国独特の華やかさがあるのです。見てください、この透明感。美しいでしょう?」
御簾ごしに自分の宝物を見せた。ちゃんと見えているか心配だ。内侍が気を利かせてほんの少しだけ御簾を巻き上げた。
差し出された物は長方形の帯留めである。黒地に金色の花唐草が描かれた枠の中に白地で楕円、楕円の中に色とりどりの見たことのない花々が描いてある。そしてそれは硝子のようにピカピカと輝いていた。
清子は思わず身を乗り出す。
「綺麗。」
「これはね、それだけじゃないんです。裏側はほら。」ひっくり返すと、花びらが閉じ込められていた。
「紫陽花かしら。」
「そう、仏蘭西にも紫陽花は咲いているんです。」義武は御簾ごしに笑いかけた。
「これはもともと首飾りでしたが、日本女性はあまり首飾りをしませんから、帯留めに作り変えました。たいして価値のある物ではありませんが、お気に召しましたら差し上げます。」そう言って清子の様子を窺う。
「滅相もない、このような貴重な品をいただくわけにはいきません。」
「いいえ、これから、これよりずっと美しい七宝焼を国内で生産できるようにするんです。だから決して貴重な品などではありません。」
本当のところ、清子は帯を持っていない。内侍所に来て以来、ずっと緋袴なのだ。しかし、これを受け取らなかったら、できないと言っているみたいで嫌だ。だから清子は、義武の差し出したエマイユを受け取った。
義武は微笑む。
「私は巫女様と未来の話がしたい。また来てもいいですか?」
人が夢を語るのを聞くのは楽しい。
だから「是非に。」そう答えた。
ぽかぽかと暖かい日が差していた。
大輔は義武と一緒に内侍所をあとにする。
「本日は真にありがとうございました。このようにつつがなくご対面が済みましたのは、一重に義武殿の御人徳でございます。」大輔は一生懸命持ち上げた。
「巫女様はもっと気難しい方かと思っておりましたが、可愛らしい方で驚きました。」義武は機嫌良さげに感想を述べた。
「あの・・・巫女様とのご結婚話は、前向きにご検討いただけると思って宜しいでしょうか?」
機嫌良さげだった義武の様子が変わる。暫くの間無言であったが、おもむろに、
「・・・主上は、内侍所にはどれくらいの頻度でいらっしゃるのですか。」義武は尋ねた。
「えーと、五日と空けずと言ったところでしょうか。」
「それで毎回巫女様とお会いになる?」
「それは、そうですねぇ。」何が言いたいのだろう。
「巫女様は主上の妾ということですか。」なるほど。
「そのようなことはございません。」きっぱり答えた。義武が立ち止まった。
「巫女様は・・・醜女ですか?」どうしてそうなった?飛躍してないかい?大輔がびっくりして義武を見ると、義武は思い詰めた顔をしている。急いで補足説明をする。
「この結婚は、巫女様のお気に召すお相手でないと成り立たないということです。」
「主上ではお気に召さなかったと?」「うっ、私の口からは申せません。」魂魄を締め上げられて寝所から脱走されたなんて言えない。
義武は声を立てて笑った。が、一頻り笑った後で、すっと真顔になって、
「・・・結婚したら、私はもう、あの森から出られないわけだ。」
「お務めを果たされるまでは。」人には希望が必要だ。
「人の価値は見た目の美醜ではないのはわかっています。結婚すれば御加増という約束も有難く思っています。でも、でも、醜女だったらどうしよう、愛せなかったらどうしよう、誰からも忘れ去られて、永遠に森の中で。うわあああ。」ほとんどパニック状態でしゃがみ込んだ。
義武殿、巫女様に未来の話をしようって言ってくれたのに。もしかして駄目なの?駄目なのかい?
「えーと、私も直に拝見したことはないのですが、大変美しいと聞いております。」
「本当に?皆で私に押し付けようとしているだけではないのか?
やっぱり自分の目で確認したい。そうじゃないと無理!」膝を抱えて顔を埋める。大輔は途方に暮れて義武を見下ろした。義武は顔を上げると、
「・・・どうか巫女様を花見にお誘いすることをお許し下さい。」潤んだ上目遣いで訴えた。
「も、持ち帰って検討させていただきます!」
清子は貰ったエマイユを眺める。
「本当に綺麗。」
にっこり笑って、堆黒の箱にしまった。
雑な扱いに見えますが、大事なものを入れる箱ですから。未来のものと過去のものが同じ箱に入りました。
御簾というのは暗いところから明るいところはわりとよく見えるのです。義武側から清子の顔は見えないですが、清子の方からは見えています。