秘密
朝廷直下の神祇省の機密掛にて
「今日の巫女様のご機嫌はいかがかな?」大津大輔は配属されてまだ日が浅い部下に尋ねた。
「いつもどおりと報告を受けました。」と鳴海は答える。
「・・・それはいいのか悪いのか。」ため息をつく。それから、はっとしたように顔を上げ、手紙を鳴海の前に置く。
「巫女様の御父君から文が届きました。お見せすべきかどう思う?」
鳴海はざっと検閲して軽い調子で言った。
「問題ないと思いますが。」
「書記、鳴海がそう申したと記録しておくれ。」
内侍所
清子は、御神鏡の前で祝詞を唱え、玉串を捧げて朝のお勤めを終える。
どうして私は、神道形式で太陽神に祈りを捧げているのでしょうか。私の神は冥府の神・泰山府君なはずなのに。わからないわ。
頭の中の空白が多すぎて、私は考えることを止めました。
部屋に戻って座布団の上で丸くなっている槐を抱きかかえる。槐は先の戦で銃弾を足に受け、片足を引きずるようになりました。
朝食が運ばれてくる。給仕は内侍の小萩さんと睡蓮さんがしてくださる。
二人は一緒に食べてはくださらない。
朝食が終わると小萩さんがお父上さんからの手紙を渡してくださった。私に文をくれるのはお父上さんだけです。
槐を抱えて縁側にでる。
槐は歩けないわけではないし、自分の境遇を惨めに思っているわけでもない。清子がそうしたがるのでそうされている。あちこちへゆさゆさと連れていかれて悪酔いしそうでいい迷惑だ。
清子は槐を抱きかかえたまま手紙を読む。
生い茂った木々の間をそよそよと風が吹いていた。
清子は、幼い頃に作った二十四節気を覚える語呂合わせを口ずさむ。
「春の始まり 雨水 虫は目を覚ます 春分 晴明公 恵の雨。」
「なんじゃ、懐かしい。」槐が首をもたげる。
「夏の始まり ちょっと太った坊主さん 夏至は暑い おお暑い」
だんだん声が震えてくる。
「秋の始まり 所々に白露 秋分 寒露 霜が降る
冬の始まり 小雪 大雪 冬至は寒い おお寒い。」
槐の上に大きな雨粒が降った。
強い風が吹いて、木々が大きく枝葉を揺らし、バタバタと鳥が飛び立った。
「大巫女さん、泣いておられるのですか?刀自、手巾を持ってきておくれ。」
驚いた小萩が雑用係に指示をする。
手紙を握りしめたまま涙はぽろぽろ止まらない。
睡蓮が慌てて「恐れ入りますが、拝見しても宜しゅうございますか?」と聞いた。
清子はこっくり頷くと、小さな声で「お父上さんが、養子をとられたそうです。」そう言って手紙を水連に渡した。
小萩と睡蓮は、顔を見合わせてそれのどこが悲しいのかと首を傾げた。お家安泰ではないか。
しかし、「小萩さん、これは報告せねばなりません。」と睡蓮は言った。
「え?こんなくらいで。」「これくらいとは非礼です。」「でも・・・。」
睡蓮はあたりを見渡して「決して隠せるものではありません。あなたが責任をとるとでも?」小萩を強く牽制した。
木々がざわざわと騒めいている。
――― お父上さんが、私をお見捨てになりました。
再び機密掛
「鳴海、巫女様が御父君の文を読んで御乱心されたそうです。あなたは責任を取らねばなりません。」大輔は言った。
「も、申し訳ありません。以後気を付けます。」鳴海の声が引きつる。
「以後はありません。」
「そ、そんな!?」
「これから主上と関白殿下が菓子折りをもってご機嫌伺に行かれます。そなたが腹を召すくらい当然ではありませんか。」
古参の部下が鳴海を部屋の外へ引きずって行く。
「嫌だ、助けてくれ、こんなの馬鹿げてる!」見苦しい泣き声が響いた。大輔は目を閉じた。泣き声はだんだん遠退いていく。
馬鹿は嫌いだ。機密掛の仕事がただの内侍所の管理なわけがあるか。
我等の仕事は、不死の神の血統を保存することである。
主上は異教の神を崇拝している。神道を奨励している公儀にとって絶対に外に漏らしてはいけない秘密である。よって機密掛が離職するときは死ぬときだけである。馬鹿と一緒にいると命がいくらあっても足りない。
しかし、どうしてだろう、明日は我が身と思えて背筋が寒い。
巫女様が記憶を失ったことをいいことに、こちらの都合のよい様に血統を保存しようなどと、神を侮る罰当たりな行為ではないのか。
結局は不死の霊薬を求めた秦始皇と同じではないのか。
秦始皇の不死の薬は水銀だった。
そう考えると、自分の運命は一つに帰結するように思えてならない。
大輔は激しく頭を振って余計な考えを追い出す。
こんな時は、人肌が恋しい。――― 小萩。
補足としては内侍所に勤務する女官は未婚で、一生を神に捧げます。
清子は巫女というコードネームの神(扱い)です。人類補完計画ならぬ清子保管計画。