一緒に帰ろう。
三郎はすぐに長州の卒兵上京を町奉行に報告した。
守護職は直ちに御所のすべての門を閉じ、全兵力を御所の守衛に投入した(新選組は除く。)。幕府方は目に見えて戦準備を本格化させた。兵力が拮抗している中、他藩は信じられない。将軍は御所の外郭の門、内郭の門すべての警衛を幕府直轄軍と会津と桑名に交代することを上奏する。
解任される警衛には乾御門(外郭西側の塀の北門)の薩摩藩が含まれている。
薩摩藩邸は、乾御門と直線上で、門の北隣が近衛邸、近衛邸が今出川通に北面し、通りを渡って徳大寺邸、徳大寺邸を一本挟んで薩摩藩邸という近さにある。ちなみに薩摩藩邸は、西は烏丸通から東は今出川御門(御所の外郭北塀の中央門)にまで及ぶ広大な敷地を有している。
薩摩が素直に乾御門を引渡してくれるとは思えない。幕府は奏請が勅許されると、公家町側から会津藩、乾御門前の武者小路(東西の通り)と今出川御門前を幕府直轄軍で占拠して門の明け渡しを迫った。
すぐに薩摩は兵を出し、今出川通(東西の通り。武者小路の北隣の通りで今出川御門前の通り。)を占拠した。
薩摩が立つとき、長州が立つ。その逆も然り、長州が来なければ薩摩は動かない。薩摩軍と幕軍両者はにらみ合ったまま動かない。
数日の内に、長州兵が摂津内出ヶ浜に上陸したとの知らせが京に伝わった。長州は留まることなく京に向かって進軍した。西国街道を進み東寺口から京都に侵入したので、偵察伝令部隊にされた奉行所職員が幕方諸隊に知らせに走った。
その知らせを受け、守護職はやむを得ず非情の手段に出る。門内の薩摩兵をすべて銃殺にした。この銃声を皮切りに第二次禁門の戦いは戦端を開いた。
ほどなくして長州軍が蛤御門を攻める。乾御門と同時に今出川御門を攻めると思われた薩摩軍が今出川御門ではなく中立売御門(乾御門と蛤御門の間)を攻める動きを見せたので、幕軍は挟み撃ちにされないように、市街地に退却する。会津藩は、前回の蛤御門の戦いの経験を活かし、弾除けの土嚢を用意し、築地塀の内側から射撃できるように塀際に畳を積んで迎撃態勢を敷いている。そうは言っても薩摩と長州を同時に受けるのは厳しい。薩摩と長州が勝機と見て、門の攻撃に総掛かりになった。幕軍は頃合いと見て、それぞれを後方から攻撃した。歩兵小隊と判断した薩長両軍は、うっとおしい幕軍を先に殲滅すべく追いかけた。すると幕兵がもう一隊現れて同士討ちにならないように陣形を組んで射撃した。薩長軍が慌てて本体から援護を割くと、門前が手薄になり、禁裏内の幕軍が出撃した。広範な市街戦になった。
守護職屋敷の新選組が薩摩藩邸に向けて砲撃する。薩摩藩邸からも二条城と守護職屋敷に向けて砲弾を飛ばす。二条城からも砲弾が飛んだ。守護職屋敷が炎上し、薩摩藩邸も炎上を始める。
町奉行所職員は戦況をところどころで偵察し、幕府方諸軍に報告に走る。三郎もその一要員として御所内の会津藩中枢部に戦況報告をする。戦の烈しい西側を避け、外郭の東門、清和院御門から公家町に入る。清和院御門の少し手前で鏡を取り出す。
「時は満ちた。」一言、鏡に向かって言った。
三郎は内郭の門、建春門に至る。用件を門衛に告げると建春門の隣の穴門が開いた。
その時を逃さず、公家町に潜んでいた真備たち及び薩摩兵が穴門を銃撃し内に突っ込んだ。
三郎危うく死にかける。
隊長の真備は、副隊長の薩摩人に、建春門を入ったらまっすぐ直進しろ、直進すれば紫宸殿に出る門があると指示をした。禁裏内はあらゆる箇所で身分の貴賤を問う区切りだらけの構造になっている。真備たちが用があるのは清子のいる内侍所である。真備は薩摩兵を囮にした。
内侍所は、建春門近くに位置する、宮殿の外れの神殿である。しかし建春門を入ればすぐに内侍所関連施設があるわけではなく、やはり塀で囲まれている。建春門に一番近い場所は門衛番所である。
幕府方は西側ばかり気にしているので建春門近くは警衛自体手薄であり、薩摩兵は紫宸殿の方にずんずん進んでいく。一人二人と紫宸殿側に抜ける者が現れると、さすがに幕府方も異変に気付く。御所から出撃したのは幕府直轄軍だけなので禁裏内には会津兵が沢山いる。禁裏内は火器使用が禁じられているので白刃戦となった。
主上が、我が神泰清を必要とする状況になったので、守護職が内侍所へ清子を迎えに来た。
守護職は礼をして御簾内の生神に申し上げる。
「払暁の君、お迎えに参りました。どうか私とともに御常御殿にいらしてください。」
「この鬨の声は何?御常御殿なんて行きたくないわ。」清子はそう言って、傍らの槐に縋る。御常御殿には鬼がいる。
「ここは危のうございます。私どもが君の楯になりますから、どうかご遷座ください。」守護職は重ねて言う。清子は、外の喧騒がどれくらい切迫しているのか知りたくて耳を澄ました。すると微かに「姫様!」と言う声が聞こえた。
もちろん官女は大概姫と呼ばれる出自なので、それが誰のことを指しているのかわからない。しかし、自分を呼んでいるような気がしてざわざわした。
だんだん声が近くなりはっきりしてくる。槐が裏庭に面した襖を開けた。
「姫さまー!」「姫さまー!」「姫さまー!」
内侍所の裏庭に真備と少年たちが入って来た。
「みんな!」懐かしい。清子はたまらず縁側に向かう。
「帰ろう!一緒に奈良へ帰ろう!」
奈良!みんなで若草山を駆けあがった時のこと、蛍の群れを見上げた時のことが一気に思い出された。
帰りたい。自分はこの言葉をどれだけ欲していただろうか。禁裏を逃げ出したところで行く所などないと思っていた。
塀の向こうは戦場である。喚声と刀がぶつかり合う音に、時折、銃声や砲声も混じる。
・・・それでも。
槐がいれば白刃戦くらいはなんとかなるはず。たとえ銃弾を受けたとしても、今なら幸せな気持ちで死ねるわ。
「槐!」清子は立ち上がった。
「払暁の君!お待ちください!」守護職は急いで清子の袖を掴んだ。
「お前たち、この者たちを捕らえよ!」守護職は自分の従者二人に指示をする。
その時、聞き慣れた声がした。
「早く、早くしてください!もう持ち堪えられません!」
この声を聞き間違えるはずがない。
清子は掴まれた袖を思い切り引っ張って、縁側を内侍所の裏門へと足早に向かおうとする。自分の長袴を踏んで転んで、もうたくし上げた。誰もが目を疑うはしたなさである。でも一向に構わないわ。清子の胸が高鳴った、一刻も早く会いたいの。
内侍所の裏門で、三郎は少年と守衛の侵入を防いでいた。
「お師匠さん!」清子は思わず叫んだ。三郎もその声がわからないはずがなく、二人の目が合って、お師匠さんが微笑んでくださいました。
次の瞬間、門は破られた。
三郎が袈裟に斬り下げられた。
清子は震えて声がでない。縁側から地べたに降りて、三郎のもとへ駆け寄った。
建春門の門衛は、内侍所の警衛でもある。そのため内侍所に住まう生神についても聞いている。眼前の女は、絹の緋袴を引きずって白無地の絽の千早を身に着けた明らかに高位の巫女である。
殿様(守護職)は仰せであった。「内侍所に御座す巫女様は、主上を守護する神であり、幕府を救い、私を救ってくださった恩人です。そして何より私の友人なのです。」
門衛は清子に場所を譲る。
「何で?何でお師匠さんがここにいるの?」声が震る。まだ息はあることがわかる。
真備と守護職がやって来た。守護職は斬られた男が清子の知り合いなのだと理解する。そして、この男に見覚えがあると思った。
真備が清子の耳元で小声で促す。「今の内に早く行こう。」
しかし、清子は三郎から目を離すことなく、静かにはっきりと言った。
「ごめんなさい真備、みんな。私、やっぱり行けないわ。これは私の夫なの。」
「!?」
「・・・行って・・・」三郎は辛うじてそれだけ言葉にできた。
息もできないほど傷が痛む。しかしこれは裏切者の当然の報いだ。こうならなければ落とし前が付かない。
この世には、何にも縛られない人間など存在しない。だが、我が妻に求められていることは、幕府の延命のために命を削ることである。思えば、将軍も幕吏も皆幕府存続のために必死だ。一人は万人の為に、万人は一人の為にあるのなら、今の幕府は誰のために存在しているのだろうか。自分は幕吏なのにわからない。わからなくなってしまった。
だから妻は自由になるべきだ。
愛しい人にもう一度触れることができた。
真備は雑念を振り払って、清子の腕を掴んで強く促す。
「姫様行こう!そいつもそう言っているだろ、これはそいつの願いだ!」
しかし清子は、怖い顔で顔を上げると皆に命じた。
「真備、みんな、今すぐここを立ち去りなさい!至誠の君、内侍所では私は神の如く、意の如く。この者たちを捕らえることを私は許しません。槐、みんなを逃がして!」
真備の顔が悲しみに歪む。何もかもが受け入れ難い。
清子は三郎の手を取り、その手にそっと自分の頬を寄せる。
「お師匠さん、私を一人にしないで。私、もう一度あなたに抱きしめられたいの。
来たれ、司命、司中、司祿!
李鉄拐は屍を借り 張果老は永生を得た
我が魂魄を泉界に帰して請う
魂の西天に上るを制し 魄の地下に還るを阻み 今暫くの天寿を与えよ 急急如律令!」
私はお師匠さんのことをきっと忘れてしまう。でも、
――― 私のことを、見捨てないで。
清子は意識を失った。
いろいろ突っ込みどころはありますが、温かい目で読んでください。
御所は身分に厳しいので狼は入れちゃいけないと思います。会津桑名は近代兵器が不足しているので門から出てはいけません。薩摩は籠城してはいけません。籠城しても来るのは江戸からの幕軍だけです。薩摩は近衛邸から公家町に出入り自由です。二条城は薩摩のアームストロング砲の飛距離内ではありますが有効射程距離からは外れます。