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女神と竜の神話~最北の亡国復興譚~  作者: 柔花海月
第二章 仮初めの王女
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13:軍勢の足音

 その日は晴天だった。

 それでもこの近辺は亜寒帯~寒帯に分類されるため、冷えて乾燥した空気に満ちている。


 雪がうっすらと覆い隠す平野の中、モレク王国を象徴する、オリーブ色に白い銀狼シルバーウルフの紋章が描かれた旗が風になびいていた。


 およそ四万人にも及ぶ兵士から編成される大軍勢の先頭を進むのは、短毛の馬に跨った、重厚な黒金の装甲に身を包んだ騎兵が一万五千。その後ろにはパイク兵が一万五千と、長弓兵が六千ほど居て、残りはマッチロック式のマスケット銃を抱えた銃兵と、最後尾には、大砲を押して歩く砲兵の姿がある。

 また、砲兵と銃兵の間には、二頭の馬に引かれた箱型の戦車チャリオットと屋根付きの戦車チャリオットが十台ほど縦に並んでおり、一番前を走る屋根付きの戦車に乗っている者こそが、モレク第二王子である、イェルド=ヴァルストン=モレクだった。


 彼は今日、装飾の施された立派な鎧を身につけて、金色の髪を風に靡かせながら、グリーンの瞳を真っ直ぐ正面に向けていた。

 彼の表情は険しいものになっており、ただ沈黙を保ちながら、先に行けば行くほど雪深くなってゆく景色の先を睨み付けていた。


(この先が、グランシェス王国……――雪と氷の女神イスティリアが加護するという、最北の国)


 女神の加護とやらが恐ろしくないと言えば嘘になる。

 女神イスティリアといえば一般的には、人々にただ災害と病のみをもたらす存在として知られている女神だからだ。

 そのため、グランシェス王国を除いては女神イスティリアを信仰している国など、どこにも無い。


 しかし、そんな不吉な女神が唯一微笑んでくれる国家――それがこの、グランシェス王国なのだ。


(だからこそ、これまで一千年もの間、この国は在り続けて来る事ができたのだろう)


 誰からの侵略も跳ね退けてきたこの雪深い地で、脈々と暮らしを継承し続けることができている、この地に住むグランシェス人たちには敬意を払うことができる。

 ――だが、しかし。


(引けないのだ。戦神ダンターラとは、誇り高く勇猛な者に祝福を与える神。貴国の神が純潔に加護があると言うなら、我が神は強者に加護を与える! とうの昔に、ただでは引けない場所に来ているのです、グランシェス王よ)


「……この戦、私が勝つ」


 イェルドはそう一人ごちていた。


「勝って名誉を挽回するのだ。その為ならば女神イスティリアが相手でも、牙を剥いてやろうではないか」


 そうでなければならないのだ。

 このまま諸外国に、モレク第二王子とは、異国の姫に裏切られた挙句、その国が代わりに用意した新しい姫を易々と受け容れるような――そんな、あっさりと手玉に取ることができる、安易な存在であると思われるわけにはいかないのだ。


 それがひいてはモレク王国が舐められてしまう原因を作り、国際的な立場を下げる原因になるのだ。

 それは、モレクという国家が、戦神ダンターラを主神とする勇ましい国家を振舞っている以上、尚更避けなければならない状況である。


「大丈夫ですとも、イェルド様」


 そう話しかけたのは、イェルドの戦車の護衛として傍らで馬を繰る、黒金の鎧とマントを身につけた赤毛の騎士。

 名は、キャスペル=シェンバーといった。


「戦神ダンターラ様のご加護があるのです。幾ら女神イスティリアと言えど、戦神には敵いますまい。そもそもグランシェス兵は、長らく実戦の経験が無いような“飾り物”の集団です。錬度が低いと予測されます」


「……そうだな」と、イェルドは頷いた後、「しかし」と続けていた。


「油断は大敵だ。気を引き締めていくぞ」


「はっ」とキャスペルは頷いていた。





 その頃、グランシェス・ゴート地方の南方に位置するアガフォン平野にて、グランシェス国旗を翻しながら布陣を敷いていたのは、ゴート地方の領主である、諸侯ヨシェフ=タルクヴィート=ゴートが所持するゴート兵である。

 クロスボウを携えた弓兵に、ロングソードを腰から下げている剣兵。後は長毛馬に跨った槍使いの騎兵たちによって編成されている彼らの総数は、六千。


「中央から、モレク王国と交戦状態に入ったという報せを受けたが――」


 眉間に皺を寄せながらそう話すのは、ライトブラウンの短髪をした厳しそうな外見をした、白塗りの重装鎧を身に着けた騎兵。

 マルク=カルナールだった。


「国も無茶振りをするよな。フェリシア姫がモレク王家へ無礼を働いたとは聞いていたが故、嫌な予感はしていたが――まさか、本当にこんな事態になってしまうとはな……」


 それに対して、「ははは」とあっけらかんとした笑い声を上げたのは、マルクの傍らで同じく馬に乗っている、黒髪のまだ二十代前半に見える若い騎兵。

 カイ=セリアンだった。


「何言ってんだよ。この地が国境沿いにある以上、こういう事態は想定済みだろ? 気楽に行こうじゃないか」


「フンッ――副兵団長殿は気楽で良いな」


「兵団長殿が難しく考えすぎているのさ」


 互いに階級名で茶化しあった後、マルクの方から視線を逸らすようになる。


「……しかも、国の騎士団連中はまだここには到着していないと来たもんだ。偵察兵の報告では、モレク軍は明日にはここに到着するらしい。つまるところ――」


 話を戻したマルクの言葉の続きを、カイは微笑を浮かべたまま話していた。


「……僕らゴート兵だけで対処せよ、ってことだね」


「…………」


 マルクはまた眉間に皺を寄せながら沈黙を始めたので、彼の心情を代弁するかのようにしてカイは話し出す。


「ここに防衛部隊を残したゴート兵は集結させたけど――僕たちが用意できた兵士は、騎兵が三千に弓兵が二千、パイク兵が千。片や偵察兵の報せが本当だとするなら――」


「……うむ。勢力の差は、五倍以上。この戦……」


「単純に考えて、勝てる気がしないよね!」


 満面の笑顔でカイは言い放ったので、マルクは思わずこの後輩の後頭部を、ガントレットを嵌めた拳でぶん殴っていた。

 もちろん、兜越しであるため大したダメージは無いとわかりきった上での行動である。


「縁起でもない事を、躊躇無く言い放つんじゃない!」


 叱りつけるマルクを宥めるように、カイは「まあまあ」と笑っていた。


「きっと大丈夫さ。だってこの地は女神イスティリア様の加護で守られてるんだぜ?」


 カイがお気楽な原因はここにあった。


「これまでもこの国が一千年も存続し続ける間、幾ら北端とは言え、侵略がゼロだったわけじゃない。でも、それでも誰もが陥落どころか、侵攻すら諦めたのは――女神イスティリア様の加護があるからこそ」


 カイの言葉に、「――うむ」とマルクは表情を引き締めると頷いていた。


「戦になると必ず雪が降るか吹雪になるそうだな。モレク軍の主力は、パイク兵にあると言われているが、それ以上に銃兵と砲兵が恐ろしいとされている。しかし――」


「そう。火器はこの地と相性がすこぶる悪い筈だぜ? 雪の中で、湿気に弱い黒色火薬が運用できると思うなよ。つまり僕らが気にすべきは――」


「……銃兵と砲兵を除いた、残りの兵士のみ。ということだ」


 頷いたマルクに対して、カイは語るのを止めるとニヤッと笑みを浮かべる。

 マルクもまた沈黙するようになったが……――


「……でもまあ、それでも僕らより多いよね!」


 満面の笑みで言い放ったカイに、マルクは呻り声を漏らすしかなかった。


「馬鹿者が……戦力は数だけではない! こちらには地の利がある! そして、イスティリア様のご加護もな! 見ていろ、今に空は陰り雪が降り始めるだろう! モレク人共は積雪には慣れていないはずだ! 足場の悪い場所で戦う事の難しさを思い知らせてやろうではないか!」


 そう言ってからマルクが見上げた空は、曇りや雪がただでさえ多い普段のグランシェス全土の気候からしても珍しいほどに、青く澄み渡ったものだった。


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