12:終わりの始まり
その日も夢の続きが始まったのだと思った。
フレドリカは今日も広く立派な石造りの部屋の中で目を覚ましていた。
フレドリカはベッドから身を起こすと、辺りを見回した後、姿見の方へ歩いて行って自分の姿を確認し、そしてホッと胸を撫で下ろしていた。
(……良かった。今日も私は王女様で居られるみたい)
夢に終わりが来ない事を確認するのが、グランシェス城に来て以来のフレドリカの日課になっていた。
しかし……――
何か、違和感を覚えた。
いつもなら静けさに満ちている朝の時間なのに、なんだか騒々しいような……。
複数の人が張り上げたような声が、遠くから聞こえてくる。
その時、コンコンというドアを叩く音が聞こえた。
「はい」とフレドリカが返事をすると、ドア越しに声が掛けられる。
「お目覚めになられましたか? 姫様」
それはここ最近やっと聞き慣れてくるようになった、カリーナのものだった。
カリーナはドアを開けると、部屋に入ってきた。
その手には冷たいフルーツのスープが乗せられたプレートが持たれていたが、これは普段なら執事のテオドルが持ってくるべき筈の物である。
「今日は早いんですね、カリーナ」
フレドリカの指摘に、「はい」とカリーナは頷いた。
「少し、朝からやる事が増えてしまって」
「テオドルは?」
「ここへ来る途中でお会いしたので、これを受け取って待っていただいております。心配せずとも、部屋の外で待っておられますよ」
カリーナはそう答えながら、部屋の傍らのテーブルにプレートを置いた後、暖炉の方へ歩いて行く。
そして火の加減を見始めるようになった。
だからフレドリカは仕方なく、テーブルの方へ行くと傍らの椅子に腰掛けて、スープの入ったカップに手を伸ばしていた。
「……今日はなんだか外が騒々しいですね」
気になって言うと、「はい」とカリーナは頷いた。
「戦が始まってしまいましたから。騎士たちが仕度に追われているのです。私たちも、今日は朝からそのお手伝いをしておりました」
「戦?」
フレドリカはキョトンとしていた。
余りに現実離れした言葉に聞こえたせいで、カリーナが何を言っているかわからなかったからだ。
「はい、戦です」とカリーナは頷いた。
「……グランシェス王国が、モレク王国に宣戦布告を受けたそうです」
カリーナがそこまで言って、やっとフレドリカは理解していた。
「モレク王国って……――」
(どうして?)とフレドリカは思う。
だってモレク王国といえば、自身が輿入れしなければならない筈の相手であるからだ。
つまり、それが意味するところは。
(……私は拒まれた、ということ?)
その事に気付いて、フレドリカは複雑な心境を抱いていた。
八つも年上の男の所に嫁がずに済んだことに対してホッとする反面、それはフェリシアの代用品としての役目を果たせ無かったということを証明されてしまったという事でもある。
まるで『不用品だ』と言われてしまったかのような気がして、フレドリカは重く沈んだ感情を抱いていた。
「……私のせい?」
ぼそ、とフレドリカが呟いたことで、カリーナは彼女の立場を思い出していた。
「っ――フレドリカ様……」
咄嗟にカリーナはフレドリカの方を振り返る。
すると今にも泣き出しそうな表情を浮かべているフレドリカと目が合った。
「……今、フレドリカ様、って……言いましたね」
フレドリカのその言葉に戸惑い、カリーナは沈黙する。
「……姫様、じゃないんですね」とフレドリカは続けたことで、カリーナは自分の失態に気付いていた。
「あっ! それは……――」
「ごめんなさい。私……やっぱり、王女様になり切れていませんよね。私は、……“姫様”の代用品として不十分ですよね」
そう話すうちにもフレドリカの両目に涙が溜まって行くのを見て、カリーナは慌てていた。
「そっ、そんなことは御座いません!」
「……ううん、気にしないで。モレク王子様も、本当は王族と比べてずっと卑しい、ただの貴族である私のことが気に入らなかったんでしょ?」
フレドリカは無理に微笑もうとしたがそれもままならなかった様子で、涙をぽろぽろと溢れさせるようになる。
「姫様……違うのです。姫様が悪いわけではないのです」
カリーナは慌ててフレドリカに駆け寄ると抱き締めようとしたが、フレドリカはそんなカリーナの手を振り払うと、椅子から立ち上がって距離を置いていた。
「触らないで!! 前のお姫様の下僕なんて、最初から信用してないんだから! だってホントは私のことが嫌いなんでしょ?! みんな嫌いよ! みんなみんな、大嫌い!!」
フレドリカはヒステリックに叫び声を上げた後、まだネグリジェ姿だというにも拘らず、走って部屋を飛び出してしまう。
「姫様っ!!」
慌ててカリーナは彼女を追いかけようとしたが、開け放たれたドアの傍らにテオドルが居ることに気付くと、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「私にお任せ頂きたい」
テオドルは端的にそれだけ言うと、カリーナを置いてフレドリカを追い掛けて行ってしまう。
カリーナは沈黙してそれを見送っていた。否……そうするしかなかった。
(悔しいけれど……私じゃあの子の心を、どうにかする事ができない……)
結局、カリーナはフレドリカにとっての家臣ではなく、フレドリカはカリーナにとっての主ではないのだ。
そのことを痛感すると共に、カリーナは自身に未熟さを感じて自己嫌悪に陥っていた。
フレドリカにはどこにも行く先が無かった。
この城のどこにも居場所が無かった。
フレドリカが駆けて行く姿を見つけた家臣は、その姿を見て眉を潜める者があったり、或いは慌てた様子で「部屋へお戻りください」と声を掛ける者もあった。
しかしフレドリカは無視していた。前王女の影を感じるあの部屋には戻りたくなかったからだ。
しかしどこにも行き場無く、そればかりか暖炉の無い廊下を歩くには、今の格好だと酷く冷える。
やがてフレドリカは歩みを止めると、肩を撫でさすっていた。
「寒いよ……」
喘ぐように呟くと、後ろから声を掛けられる。
「フレドリカ様」
振り返ると、そこにはテオドルが立っていた。
「テオドル!」
フレドリカはテオドルの胸に飛びついてた。そしてわんわんと泣きじゃくっていた。
テオドルは黙って、そんなフレドリカを抱き締め、子供にやるように頭を撫でるようになる。
「もうやだよ。やだよ、こんな場所! 帰りたいよ……ドーシュ家の屋敷に帰りたいよ……!」
「……お戻りになられますかな?」
ボソッとテオドルに質問され、フレドリカは何度も頷いていた。
「帰りたい! お姫様なんて、もうやだ!」
「……仕方ありませんな。しかし、旦那様はさぞガッカリされるでしょうな」
テオドルのそんな言葉で、フレドリカはぴたりと動きを止めていた。
……そうだった。
(私は、お爺様に期待されてここに来たのに……)
もう逃げ出すの? そんなこと、お爺様がお許しになると思う?
フレドリカはテオドルに抱き締められたまま、自問自答する。
そうやって、やがて彼女なりに出した答えは――これだった。
「……頑張る」
ぼそ、とフレドリカは呟いていた。
「ここで折れちゃダメだよね……私は、お爺様が喜ばれる顔が見ていたいの。なのに今のままじゃ、お爺様に失望されちゃうよね……?」
「これもドーシュ家のためです」
テオドルの静かな言葉に、フレドリカはこくんと頷いていた。
「そうですね。私が頑張らないと……」
フレドリカは涙をぬぐうと、テオドルから離れていた。
そうしてやっとフレドリカは、自分がネグリジェの姿のままであることを思い出していたのだ。
「いけない……早く部屋に戻らないと。こんな格好で出歩くなんて、はしたないですよね」
フレドリカは恥らった様子で頬を染めると、慌ててぱたぱたと元来た道を引き返していた。
その日――グランシェス王国の中心地たるカルディア地方より、一万人のグランシェス騎士団が派兵される事となった。
向かう先は、南方に位置するゴート地方。
そこはモレク王国との国境線が延びている地域であり、そして――
フレドリカの実家であるドーシュ家の屋敷がある場所でもあるのだ。
開戦まで、間もなくだった。




