3:怒りと涙
辺りは尚も騒然としていた。
ある者は「どうなっているのかね!」と怒りの声を上げ、またある者は呆れ返った様子でため息をついている。
カリーナは他の家臣やメイド同様、城の玄関ホールにて、帰宅する来賓たちに対する謝罪と仕度の手伝いで勤しんでいた。
(婚約破棄って、一体どうなっているの? 姫様はイェルド様との輿入れをあれほど楽しみにしていらっしゃったのに。どうしてあの姫様が……)
内心、そうやって戸惑いながらあくせく動き回っていると、ふと、玄関ホールの隅を、儀礼用のドレスを身に着けたままのフェリシアが走り去る姿が見えた。
(……――姫様!)
カリーナはすぐに傍らのメイドに、「後の事は頼みます」と伝えた後、フェリシアの後を追い掛けることにしたのだ。
フェリシアが立ち去った先は、彼女自身の部屋だった。
カリーナはドアをノックしようとして拳を作るが、すぐに思い留まった。
(……姫様)
なんとなく、気が引けたものの、いつものフェリシアらしからぬ雰囲気が気になったため、そっとドアを開けて覗き見していた。
すると、見つけてしまったのだ。
儀礼用のドレスを身に着けたまま、ベッドに突っ伏して肩を震わせ、泣いているフェリシアの後ろ姿を。
「っ……――姫様ッ、どうなさったのですか?!」
カリーナは咄嗟にドアを開けると、中へ駆け込んでいた。
そのためフェリシアはハッとなって、振り返ってきたのだ。
「あ……カリーナ……? ど、どうしてここに……」
慌てて取り繕うかのようにして顔を伏せ、涙を拭うフェリシアの姿を見て、カリーナはなんとか微笑を作っていた。
「……姫様。そのままではお体が冷えてしまいますよ」
カリーナは涙を見てしまった動揺を隠しながら、消えている暖炉の方へ行くと火打石を手に取って、点火する作業を始める。
しばらくの間、カリーナが火打石を打つカチカチという音だけが部屋にはあった。
フェリシアは沈黙していたが、やがて彼女がカリーナの背中に向かって言ったのは、これだった。
「私……もうだめかもしれません」
「……姫様?」と、カリーナは手を止めると、後ろを振り向いてフェリシアの方を見る。
そんなカリーナの姿を見て、フェリシアは小さく微笑していた。
「そういえば、あなたは居たわね……三年前の巡礼団に」
「ええ、そうですね」
頷いたカリーナに対して、「それなら、あなたには話せる」と言うなり、やがてフェリシアが微笑を消して話し始めたのはこれだった。
「……居たのです。あそこに……儀礼の間に。大神官様がおられた」
フェリシアの今の言葉だけで全てを悟ったカリーナは、目を大きく見開いていた。
「えっ――それでは、まさか……――!」
「ええ」とフェリシアは重たげに頷いた。
「何もかもが破綻しました。何故、イェルド様は……あんなやつを呼び付けたのか……。それさえ無ければ完ぺきだったのに! 無かったことに出来たハズなのに……!」
ギュッとベッドに指を立てるフェリシアの表情は、いつの間にか怒りに燃えていた。
それは大神官に対する、そしてイェルドに対する、それから――三年前に出会ってしまった少年エーミールに対する怒りだった。
何もかもを滅茶苦茶にされた。なんとかなんとか作り上げて形にしてきたものを、踏み荒らされてしまった気分だった。
それはまるで天災のように不条理な人災であると、フェリシアは感じていた。
「これでおしまいよ。私は……私にはもう、生きる価値なんて……!」
フェリシアは肩を震わせながら、項垂れるかのようにして俯いていた。
「姫様……」
カリーナは何も声を掛けることができないまま、主の小さな姿を見ているしかできなかった。
何しろ、フェリシアが泣く姿を見るのは生まれて初めてだった。
その時である。
コンコン。という、ドアを叩く音が聞こえたのだ。
カリーナは咄嗟に振り返り、言っていた。
「今はお引き取りくださいませ……」
「姫様はそこにおられるのかな?」
カリーナの言葉を遮るようにドア越しに聞こえたのは、大神官の声だった。
「……――」
息を飲むカリーナをよそに、フェリシアはバッと立ち上がると涙を拭い、足早にドアの方へ向かう。
バタン! と開くなり、フェリシアは目の前の小柄な老人に向かって叫んでいた。
「あなたのせいよ!!」
「……それはどうですかな?」と言って、大神官は微笑んだ。
「私は女神様の思し召しに従っているだけ。それが神官という者の在り方ですからな」
「詭弁を……!」
睨み付けるフェリシアに対して、大神官は相変わらず悠々とした態度を保ったまま話した。
「此度の婚儀は滅茶苦茶になってしまいましたな。今回の婚儀の無残な様は、世界各国の王侯貴族の知る所となったでしょうな。これも、神託に従わなかったが故に引き起こされた事です」
「私の責任だと言うの? あなたが余計なことを言わなければ全て済んだ事ではありませんか!」
「余計なこと? 私は女神イスティリア様の意向にお従いするまで……イェルド王子に呼ばれた事は、これも何かの縁だろうと受け止めました。呼ばれた以上は、全てを明らかにする義務が私にはあったのでしょう」
「馬鹿な。偶然を必然と受け取るの? そんなものは、あなたが勝手に思い描いた幻想でしかありません……! その幻想であなたは、この国を……私の未来を、滅茶苦茶に踏み躙ったのです!」
「幻想と思う事こそが、あなたの幻想ですよ、プリンセス・フェリシア様? イスティリアの子たるもの、もう少し信仰心を持って頂かなければ、この国を守り続けることができませぬ。これを教訓として――」
「何が教訓ですか!! 愚かしいッッ!!」
フェリシアは怒鳴り声を上げることで、大神官の言葉を切って捨てていた。
「お前の顔など見たくも無いわ! 今すぐ立ち去りなさいッ、今すぐ!!」
フェリシアの剣幕に、やがて大神官は溜息の後、きびすを返していた。
「……もし気が変わる事があれば、今一度リュミネス山を登り、イスティリア女神様の大神殿へと訪れなさい」
大神官はそれだけ言い残すと、フェリシアに言われた通りにその場から立ち去っていた。




