4:咎人の烙印
薄暗い石造りの書斎の中は重たい空気で満たされていた。
毛皮敷きの椅子に深く腰掛け、頬杖を突きながらじっと黙り込んでいるのは、銀色の短い髭を蓄えたグランシェス国王。
ロジオン=コーネイル=グランシェスである。
眉間に深い皺を刻み込んでいるグランシェス王の横顔を、暖炉の明かりが照らし出している。
その時だった。
コンコン、という音の後、王のよく聞き慣れた人物の声がする。
「陛下。フェリシア姫殿下をお連れ致しました」
「入れ」と王は応じると、頬から手を外し、代わりにテーブルの上で、もう片方の手と組み合わせていた。
やがて書斎のドアがカチャリと開き、入ってきたのは、立派なビロードの服をまとっている、恰幅の良い髪の毛の無い老年の男。
関白のラルフ=ルンドラット=コーネイルである。
そしてラルフの後に続くようにして部屋に入ってきたのは、普段着用の白いドレスを身につけているフェリシアだった。
フェリシアは沈鬱な面持ちのまま、父王の前まで歩いていくと立ち止まり、後は沈黙を続けるようになった。
そんな彼女に、やがて王は渋い面持ちのまま口を開く。
「……何故この私がお前を呼んだか、わかっているな?」
「……はい」とフェリシアは俯いて答えていた。
そんなフェリシアに対し、王は淡々と伝えていた。
「お前に対する処分が決まった。それは重く厳しいものだ。女神イスティリア様に反目するような者が王家に居るようでは、加護を失ってしまい、我が国の未来は潰えてしまう。それだけではない。此度の件によって、モレク王国を初めとした、多くの国が我が国に対し失望してしまった。我が国はこの失態を取り返さねばならない。その為に、お前は全ての責任を取るべきなのだ。……王族たるもの恥の無きよう、厳粛に受け入れなさい」
「そのつもりで、私もここへ参りました」とフェリシアは静かに答えながらも、思っていた。
(お父様は、私に悪名の全てを押し付けて国家を延命させるつもりね。娘にそうする事を欠片も厭う事が無い。……でも、そういう人だもの。それに、私自身、生まれた頃からずっとそういう立場として生きてきた身。……これも仕方がない事)
落胆にも諦めにも似た心境を抱くフェリシアに対し、王は小さく頷いた後、指差していた。
「フェリシア=コーネイル=グランシェスよ」
王はフェリシアの目を見ても、その表情に憂いの色を浮かべる事は無い。
「これより、お前の持つ王位継承権およびお前の名を、王家より剥奪する。以後、お前はただのフェリシア。コーネイルの名も、グランシェスの名も、ゆめゆめ語る事の無いように」
何のためらいも無く、何の感傷も無く話す父のその姿が――
フェリシアの青い瞳に、温度の無い冷たい存在として映り込むのだ。
「……仰せのままに」
フェリシアもまた、全てを諦めたかのようにして、静かに答えていた。
「うむ」と、頷いた王は、ようやく満足したかのような表情を見せる。
「それでこそ王家たる者。それでこそ――これ以上の生き恥をさらさないことが、お前にできる唯一の償い。これでやっと、何の禍根も無く、死に赴くことができるな?」
「…………」
沈黙するフェリシアに対し、「ただのフェリシアよ」と王は話し掛ける。
「お前を北の地へ追放する。それでやっと女神様はお許しになられるだろう。せめて女神に抱かれ死ぬ事が許される慈悲を、在り難く思いなさい」
「……ありがとうございます、“国王陛下”」
フェリシアはそう言って、深々と頭を下げていた。
静かに立ち去るフェリシアを見送った後も、王はじっと黙り込んでいた。
やがてその沈黙を破ったのは、傍らに立つラルフである。
「……宜しかったのですかな、陛下……」
「……仕方あるまい。こうするより他に方法が無いのだからな……それよりも、気にすべきはモレク王国だ」
そう言って、王はすぐに表情を引き締めていた。
「あそこは戦神ダンターラを主神とした軍国……。味方で居るうちは頼もしいことこの上ないが、簡単な事で戦争を起こすような国なのだ。彼らの溜飲を下げてもらう手段を考えねば……」
王の頭には既にモレク王国との事しかなく、ラルフはこっそりとため息をついていた。
フェリシアは静かに歩いていた。
日が暮れて間もなくの、壁沿いの蜀台が照らし出す王宮の廊下を、粛々と歩いていた。
その表情には何の憂いも伺わせることはなく、悲哀を匂わせることも無い。
ただ涼しげな面持ちをして、氷のように透き通った青い瞳で――行く先をぼんやりと見据えていた。
まるでこれが日常とでも言わんばかりに。
「――姫様」
ふと、背中から声を掛けらてフェリシアは足を止めていた。
フェリシアが振り返ると、そこには心配そうな表情を浮かべているカリーナの姿があったから、フェリシアは微笑んでいた。
「もうそのように呼ばなくても良いのですよ」と、フェリシアは話していた。
「もはや私は王家の者ではないのだから。今日からあなたの主でもない。だから、もう構わないで。私は直にここを出て行くのだから」
「……姫様。陛下に何を言われたのです?」
カリーナは静かに尋ねていた。
フェリシアは微笑を絶やさなかった。
「あなたにも予想が付くのではなくて? 私は……――」と、フェリシアはカリーナから背を向ける。
「……禁忌を犯してしまった。女神イスティリア様にグランシェス王家が許されるためには、もはや私の存在を王家から抹消するしかありません」
「……姫様……」
カリーナは思わず涙ぐんでいた。
「どうしようもないのですか? 私は、私は姫様が居なくなるこのお城なんて……――」
「……姫と呼ばないで。そう、言いましたよね?」
カリーナの言葉を遮るようにして、フェリシアはやや語気を強めていた。
「女神イスティリア……――もし実在するとしたら、なんて冷たく凍て付いた神なのでしょうね。イスティリア様は……三年前、私など死んでしまった方が良かったとでも言うの? だって、だってそうしなければ……私は死んでいたのよ? 生きることはそれほどに罪だと言うの?」
フェリシアの細く華奢な背中は震えていたから、カリーナは口を閉ざしていた。
(……姫様。そうですよね。どれだけ気高く強い存在であるかのように振舞っても、姫様は……実際には、十八歳。成人になったばかりの少女なのですから……)
震えを抑え、再び歩き始めるようになった主の背中を追いかけながら、カリーナは話し掛けていた。
「“フェリシア様”。ご仕度が必要でしたら、私めにお申し付けください。それぐらいは……最後まで傅かせてくださいませ」
「……ごめんなさい。ありがとう」
消え入りそうな声で、フェリシアはそう答えていた。




