エピローグ
帰宅したエレオノールを迎えた邸は大騒ぎであった。げっそりと憔悴して早々に床に就いた伯爵夫妻をよそに、達成感で胸をパンパンに膨らませ気持ちよく眠ったエレオノールをよそに。使用人達は日付が変わっても元気いっぱいに盛り上がった。
今日ばかりは過激派も穏健派も関係なく、肩を抱き合いこれまでの苦労を労った。中には安堵から大泣きする者も多かったが、お嬢様が幸せになってよかった、と嗚咽を漏らしていたので喜ばしいことに嘘はないのだろう。
そんなこんなのどんちゃん騒ぎも落ち着いて、明日に備えてそろそろ寝ましょうか、とみなが欠伸を漏らしたまさにそのときであった。またしてもアン、メイ、マリの三人によって喜びばかりが満ちていたはずの幸福な空気が荒れ狂う。
「それでは、定例お嬢様緊急会議を始めます」
「本日の議題は――」
「私達はどうやったらお嬢様の嫁入り道具に紛れ込めると思いますか!?」
知らん。無理。緊急なのに定例なの?
深い溜め息と共に吐き出された苦情などどこ吹く風で、今日も三人の情熱は熱風となって吹き荒ぶ。
「お嬢様への愛は旦那様への忠誠に勝る」
「是が非でもお嬢様のそばにいたい」
「あわよくば乳母になって末永くべったり寄り添いたい」
勘弁して。
多くの嘆きの言葉を踏み潰し、三人の熱意は暑苦しく使用人達を巻き込んで燃え上がった。
「……堂々とついて行ってしまってはいかが?」
家政婦長リサが眠気に負けて、虚ろな目でそう呟いてようやく、オルガ邸に仕える使用人達の長く辛い夜は終わった。空は薄ぼんやりと白み始めていたような気がするが、みな口を噤んで目を逸らした。眠くて白目を剥いてるだけだから。今から寝るんだから。もう朝とかそんなことは絶対に、絶対にないから。
その日、オルガ邸の使用人が全員、使い物にならなかったことは言うまでもない。脳内物質がどばどば出ていた三人も、空元気が続いたのは午後までだった。普段、めったに怒らない奥様と温厚な旦那様に、わりと本気でがっつり叱られた。さすがはお嬢様のご両親、怒った時の恐ろしさがそっくり、と言ったのは誰だったか。もちろん、漏れ出た言葉を聞いた伯爵夫妻からは三倍叱られた。
◇
――こうして、乙女ゲームにつながる悲劇の始まりはさまざまな人の心に大きな爪痕を残しながらも阻止された。魔石の件はもちろん問題になったものの、それよりも渦中のご令嬢がヤバ過ぎるというほうが話題となった。
その後、浮気の言い訳を真実の愛に求め手に手を取った連中は、悉く婚約者からフォークを投げつけられ足の小指を踏み潰され、実際に顔の皮をむかれる寸前までいった者もいたという。そして、ご令嬢たちの間で、婚約者の浮気予防になる、という理由で料理がちょっと流行った。もちろんそんな効果はない。
そして、――
「切り裂き夫人襲来です! 早くベーコンを隠して!」
「誰か! 奥様のお誕生日にしかけるサプライズのために張り切り過ぎて時間を忘れてるバ……旦那様を執務室から引きずり出してきて!」
「あれほど奥様との時間を忘れずにとご忠告申し上げたのに! おい早くお連れしろいけに……げふんげふんっ」
「ああエレオノール様それだけは卵だけはあああ!」
噂の起点エレオノール・エバンズ伯爵夫人の邸では今日も、死んだ魚の目をした奥様によって料理人全員がキッチンから追い出されていた。