十四話
「はっ……はぁっ……」
息が上がる。
肉体的に……いや、精神的に疲れ果てて、指一本動かす気力がない。
しかし身体を休めるはずの睡眠で、これだけ疲労するってのはどうなんだろう?
ははっ……だが疲れたかいがあった。
ナリカを……いや、夏莉奈を約束通り守れたんだ。
それもこの大好きなVRMMOで、俺の唯一の特技で。
……これ以上うれしいことはない。
俺は心地よい疲労を味わいつつ、身体の火照りを地面の冷たさでさましていた。
――ふわ……。
頭が持ち上げられ、後頭部に柔らかい感触が当たり、目の前に影が被さる。
見上げるとナリカの愛くるしい顔。
どうやら彼女に膝枕されているようだ。
「ばか魔王様。こんなわたしの為に一億円だなんて……もったいなさすぎます」
「それでナリカと夏莉奈の気持ちを手に入れれるなら安いもんだ」
「それでも……です。やりすぎです」
「それに約束しただろ。恋人になった時に『君が窮地に陥ったとき助ける』って……」
「……はい。覚えています。約束守ってくださったんですね」
「ああ当然だ」
「…………かっこよかったです。今まで見たどの魔王様よりも、一番かっこよかったです……だから……」
泣き笑いのような表情で、ナリカの瞳は潤んでいて――
「…………わたしきっと堕とされちゃいました」
――チュッ。
「………………え?」
ナリカの顔が近づいてきて、唇に湿り気を帯びた柔らかいものがあたる。
こ、これって……キス?
「ナ……ナリカっ」
そのとき雰囲気をぶちこわす、ジリリリリといつものタイムアップ音が鳴り響く。
無粋すぎる現実回帰のサウンド。
くっ、なんて間の悪さだ……現実め。
「どうやら朝が来ちゃったみたいですね」
「……ああ」
思わずあと数分だけと、彼女を引き留めようと手を伸ばした……だが、すぐにその手を引っ込めた。
彼女を遅刻させてしまったら悪いもんな。
「“おはようございます”魔王様」
ナリカから朝の挨拶。
だがこのスリープニィール内で持つ意味はまったくの逆――別れの言葉だ。
「ああ。おはようナリカ」
キラキラとした光に包まれ、とびっきりの笑顔を残映に、ナリカは現実へと一足先に帰っていった。
――――その後の話。
この事件がプレイヤー間で伝説となり、俺は“1億砲のレイド”というカッコいいんだか悪いんだか、ありがたくない二つ名を頂いてしまった。
ただ魔王を降ろされた今でもこうやって、このゲームの話題の中心でいられる事は正直うれしい。
ナリカ魔王の政権は続いている。
それは俺がナリカをサポートしているからなのだが、ナリカが夏莉奈だと判明した今は、プレイヤーとしても相当な才能があると見ている。
夏莉奈の空手は、上級者程度では収まらないほどの腕だ。
実際の武道の腕が高ければ、ヴァモスでも生かせるケースは多い。
きっとナリカは強くなるだろう。
もっとも才能があるのは戦闘のみで、内政はおそらく駄目だろうが……。
一緒に執政を行うにつれ、彼女とのわだかまりも大分解けてきたように思う。
距離感も以前と同じとは言えないまでも、かなり縮まってきた。
このぶんだと「いずれは昔みたいな甘々な二人になれる日も近いのでは?」と、淡い期待を抱いている。
だがそれは、あくまでも睡眠世界での話である。
現実では夏莉奈に無視される日々は変わらない。
視線を感じて振り向くとしょっちゅう睨んでいるし、話しかけても無言でどこかへ行ってしまうし、近寄るなオーラが相変わらず半端ない。
正体を知った今でも本当に「あのナリカと同一人物なのか?」と疑うほどだ。
というか例の、『黄金騎士に勝ったら、また俺のモンになれ』という約束はどこにいったのやら……。
一応ゲーム内ではそれなりに仲良くしてくれているので、もしかして彼女の中だとあの約束は、ゲーム内限定での話になっているのかもしれない…………はぁ。
だが、ある日の昼休みのこと。
夏莉奈が人を殺しそう顔で、ずかずかとこちらに歩いてきたかと思えば、
「…………お、お礼よ。それ以上の意味は無いわ」
と言って、布に包まれた箱状の物を机に置いて去っていった…………火が出そうなくらい真っ赤な顔で。
「お、おい! これって……」
そのとき隣に居た貫谷丙斗が騒ぎ出した。
ちっ! こんな時だけ察しがいい奴め!
「って、おい! どこ行くんだよ冬人」
俺はその箱状の物を持ってダッシュで駆け出す。
向かう屋上。
だって教室なんかで食べたりしたら、みっともない顔をクラス中に晒してしまうから。
階段を二段飛びで駆け上がり、最短ルートを通って屋上に到達。
人がいないことを確認して、いそいそと包みを開ける。
中から現れたのは意外にも少女趣味なお弁当箱。
「あいつ、ナリカの時に約束した『手作り料理がいつか食べたい』っていうやつ、ちゃんと覚えててくれたんだな」
どきどきしながら蓋を開けると、やはりというか想像通りというか、崩れただし巻き卵に、焦げたウインナーに、堅そうな唐揚げ。
そんな無骨なおかずの面々が顔を並べていた。
ご飯には桜でんぶがふりかけられ、なぜかその形が……
「…………なんで三角形?」
思わず首を傾けた。
なんだろうこれは?
なんらかの意味がある模様なのだろうか?
方角を示しているとか?
それとも世にもめずらしい三角マニアなのかあいつ?
傾けたり、箱の裏を覗いたり、弁当を前に思考すること数十秒。
「あっ……これってもしかして……」
なんとなく察しがついた。
ここからはあくまで俺の想像だ。
夏莉奈は最初に桜でんぶでハートマークを作った。
だが、あまりの恥ずかしさに耐えられなくなり、途中で三角形に無理矢理形を変えたのではないか?
ハートマークから三角形にするのは簡単だ。
俺の推測が正しいのだとしたら、これはハートマークと同義!
彼女がこれを俺に差し出す意味は、この現実世界でも俺のモノだと――――つまり恋人の証明をしてくれたのではないか?
きっと最近の素っ気ない態度も、あいつの性格を考慮するに、ただ単に照れていただけではないだろうか。
ふふ…………い、いかん。
にやにやが抑えきれない。
とりあえず冷めないうちにお弁当をいただこう。
箸を取り出して、焦げた“だし巻き卵らしきもの”を掴み口に運ぶ。
「…………………………マズ」
思わず本音が漏れる。
しょっぱい。
塩加減が完全に間違っている。
唐揚げもつまんでみるが、あきらかに熱を通しすぎだ。
堅いし苦い。
口の中がいがらっぽくなる。
そういえばナリカの時に「料理の腕に自信がない」って言っていた気がする。
だがこれは腕に自信が無いってレベルじゃないな。
初めて料理をしてみましたってレベルだ。
「ふふ……これが一億円の弁当だって?」
だがそんな皮肉を言いつつも、口元のにへら笑いはますます強くなる。
だって当然だろう?
俺にとってこのマズイお弁当は、一億円以上の価値があるんだから。