歓声の中へ
いつも通り仕事をして、休みの日にはダラダラして、時折そんな妄想をして。
そうしているうちにライブの日になった。金曜の夕方、午後半休を取って会場に向かう。
事前に買ったライブTシャツとタオル、リストバンドを鞄に忍ばせ出社した時は、はしゃいでいるなあ、とちょっと自分に呆れたけれど、タイムカードを切って、会社を出たら、そんな気持ちは消え去った。
一〇代の頃のドキドキとワクワクが、開演時間はまだまだ先なのに私を早足にさせた。
まだ平日として世の中が動く中、ひと足先にオフになると、ちょっと悪いことをしているような、仮病を使って早退した時のような、ほんのりとした背徳感と高揚感があった。
会場が近づくにつれ、グッズを身につけた人たちが増えていく。
活動休止していた訳ではないけれど、ボーカルの病気だったり、バンドマン特有のスキャンダルだったりで、新曲やアルバムの進みは途轍もなく遅かった。
ライブなんてもっての外、だったのに、最近では有名どころのアニメ主題歌を歌ったり、映画にも楽曲提供をしている影響か、若いファンも多くいる。私たちみたいな昔からのファンと半々くらいだろうか。
一〇代後半から二〇代前半かな、と思える子たちはみんな、友達同士だったり、カップルだったり複数で来ていて、フォトスポットや会場をバックにしてあれこれポーズを変えて写真を撮っている。すごいな、キラキラしてる、眩しいなあ、と微笑ましく眺める。
負け惜しみでなく、羨ましくは思わなかった。もう、私はその土俵にすら立ってないんだな。
当選したチケットはアリーナブロックで、しかも今までにないくらい、ステージから近かった。まだ開場し始めたばかりの行列に身を任せる。人混みはそんなに得意でないから、マスクをして、ワイヤレスイヤフォンで遮断する。
彼らの声に守ってもらう、昔はそんな感覚が強かったな、と思い出す。
彼らが新曲を出す度に、拝めて、何度も聴いて、歌詞に涙し、生活のどこかにいつも置いていた。命綱みたいに。
でも、それも、彼と別れてからは無くなった。安心だったはずの彼らの音楽が、彼との思い出とリンクし過ぎて私を苦しめた。新曲サイクルが遅くてよかった、と思ったのは初めてだった。
「はあ…」
会場に来てまで妄想とか、ほんと末期だわ。
天井の低い通路を抜けて、ようやく会場に入る。相変わらず列はぎゅうぎゅうだけど、天高があるだけで開放感がある。
「はあ〜」
久しぶりのライブの空気を吸い込んで、もう、ウジウジするのは終わりにしよう!と思う。
だってせっかくのライブだ。若い子みたいにキャピキャピは楽しめないけど、私なりに彼らの音楽を全身で楽しむぞ、そう切り替えて自分のボックスへと足を踏み入れた。
***
当たった時はすごくテンションが上がったアリーナ席だったけれど、いざ会場に足を踏み入れ、コンクリート打ちっぱなしの床に立つと、ここで二時間半かあ…と不安を覚えた。椅子のある席の方がよかったかも、もう歳なんだな、と自嘲する。
ブロックの前の方は既に何時間も前から並んでいたであろう若者たちに陣取られていて、とりあえずブロック後方、人との間隔がある程度確保できるところを位置取る。
いや、でも、やっぱステージ近っ、久しぶりのこの感じ、テンション上がるな〜とマスクの下でひとり噛み締めていた。
開演までそれなりに余裕を見て入場したから、まだ暫く時間がある。何となしに周りを見回す。ひとりで来ている人もそれなりにいるみたいだ。
ふと、同じようにブロック後方で全体を眺める男の人が目に入る。あれ…?と思って見ると、目が合って…
「え…」
嘘でしょ、思わず目を逸らす。
いや、でも、え…?
パニックになりそうな自分を落ち着かせて、もう一度男の人を見る。
やっぱり…何度も思い描いた妄想が、目の前にあった。向こうは素知らぬ顔でスマホをいじっている。
彼だ、確かに。
そう思うと全身から冷たい汗が出て、胸の内がザワザワした。妄想と、全然違う。話しかけるなんて到底無理だ。
妄想の私はなんであんなに饒舌に、表情豊かに彼に話しかけられたのだろうか。そんなこと、絶対にできない。妄想にはなかった現実の空気は、想像以上に重たかった。
さりげなく距離を取って、人を盾に彼の目に触れない所へと逃げた。それが私の、現実だった。
バクバクした心臓を落ち着かせるようにバラードを選曲して、ふうっと大きなため息をついたところに、思いもよらぬ声が掛けられた。
「おひとりですか?」
見知らぬ男性、歳は私より少し上、四〇歳前後かな?中肉中背、愛想がいい、と言えば聞こえは良いが、どちらかというと少し気持ち悪い笑みを浮かべている。
「え、…私、ですか?」
片耳のイヤフォンを外しながら答える。そうです、そうです、と妙な馴れ馴れしさを持って話しかけてくる。あ、これはやったな、と思った。捕まるやつだ。
「僕もひとりでしてね、もし良ければ一緒に楽しめたらなあ、なんて。せっかくだし、誰かと楽しみたいじゃないですかあ」
はあ、と相槌を打つと、押せばいけると思われたのか、ペラペラと喋りだす。好きな曲やファン歴、これまでのライブの感想、自分の住まいや仕事、恋愛経験まで…いや、なにこれ。
あははは、と迷惑そうに笑い返すも、通じる相手ではなくて。
「ね、是非、もっと前の方でご一緒に」
無遠慮に男の手が伸びてくる。うわ、触られたくない、と反射的に身体を引く。私を追いかけるように距離が詰められる。捕まる、と思った手が触れることはなかった。
「俺の連れに何か用ですか?」
頭の少し上、懐かしい声が降ってくる。
男の手は彼に払われ、驚いた男は、あ、お連れさんいらしたんですね、何だ言ってくださいよう、と早口に気持ち悪い笑みを浮かべてブロックの端へと消えていった。
顔を上げると、最後に見た時よりも、幾分大人になった彼がいた。彼は、ため息をつきながら、男が行った先を見つめていた。私の視線に気付いて声を発する。
「久しぶり」
「…久しぶり」
笑顔もなく、感情を感じない声色。ザワザワした会場の中で、私たちの周りだけがしんっと音を無くしたみたいに思えた。
何を言えばいいんだろう、何で助けてくれたんだろう、あ、お礼か、お礼言ってない。
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして」
再びの沈黙。
え、これ、どうしたらいいの…?
「迷惑だった?」
「え?」
「いや、あいつと見たかったかなって」
「いや、それは全くない!ほんとに助かった!」
そ?とちょっと笑う彼に、ちゃんとキュンとしちゃう自分が嫌だった。
そんな資格、ないのに。
「連れは?いないの?」
「あ、うん、ひとりで…そっちは?」
「俺も、ひとり」
そっか…の後の言葉が続かない。
会話がなくてもそばに居てくれるのは、またあの人がこちらに来ないようになのだろう。無言の優しさが痛かった。
適当に言い訳をして、距離を取ることもできるけれど、ひとりでいて、またあの手の人が来たら、どうしたらいいのかわからない。
それに…チラリと横を見ると手持ち無沙汰にスマホを弄る彼がいた。
さっき、姿を見かけた時は、絶対無理だと思った。でも、今、隣にいて、自分が勇気を出せば話せる状態で。
会えたら、どうしたかったんだっけ。
もう、何度も妄想してきた。
今言わなかったらきっと、またずっと引きずる。頑張れ、頑張るんだ、私。
「あ、あのさ」
彼がこちらを見る。
その瞳には付き合っていた頃のやわらかさや甘さはない。当然のことなんだけど、ただの男の人の視線に心が怯む。
でも、勇気を出して、妄想の一〇〇分の一でいいから、頑張れ、私!
「その、あの…すごく、今更で、こんな事言われてもだとは思うんだけど…」
じっとこちらを見ているその視線から逃れたくなって俯く、けれど、それではちゃんと、伝わらない。
せっかく会えたんだから、できなかった後悔より、やった後悔!
「あの時は、ごめんね」
目線をしっかり合わせて伝える。
プレゼンの基本だ、いつも後輩に言っているじゃないか。
言葉に詰まってもいい、でも、伝えなきゃいけないことは明確に、きちんと届くように。
何を伝えたいのか、心をつくすこと、それが大事なんだ。
「自分に余裕がなくて、話、聞いて欲しいって言ってくれたのに、聞けなくて、ごめん」
妄想の中のカッコいい私には到底追いつかない、辿々しくて、箇条書きな言葉。
「別れる時も、ちゃんと話し合わなくて、ごめん」
でも、連ねる。
言いたかったこと、伝えたかった気持ち。
「自分ばっかになってて、気持ち、考えられなくて、ごめん」
これだって結局、自己満足だ。
それでも、伝えたかった。聞いて欲しかった。
そんなの最後のわがままだって、言いながら思ったけど。
でも、それでも、ここ最近ずっと、私なりに考えてきたこと。数年越しに、伝えたいこと。
「…怖かったんだ。傷付けて、ごめんね」
最後まで、ちゃんと目を見て言えた。
私が言い終わると、彼は、うん、とだけ言って黙った。
開演前のアナウンスが流れる。
会場は湧き立ち、みんなが少しずつ前へと動く。
私たちは取り残されたように、そのままで並んでいた。
「今、彼氏とかいんの?」
「へ?」
一瞬、何を聞かれたのかわからなくて、彼の顔を見た。
「俺はいないんだけど」
困ったように首を傾げて私の答えを待っている。
「わ、たしも、いないけど」
唐突な質問に戸惑いつつも、何とか答えた。
そか、と短く答えて彼はステージを見る。開演前に流れるお決まりの音楽がボリュームを上げていく。
「じゃあ、せっかくだし、一緒に楽しむ?」
そう言った彼の顔には、昔みたいな、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。会場の照明が段々と暗くなり、比例して歓声が大きくなる。
「話はそれからにしない?」
会場の盛り上がりに負けないよう、顔を近づけて耳元で話す彼の声に、まるであの頃みたいに心が弾んだ。
ああ、私、まだまだドキドキできるんだ。
鳴り響く歓声と手拍子の中、彼の耳に届くように言った。
「…うん!」




