好きって言ってよ
世間がお盆休みに入った平日。
いつとは通勤時間帯の電車に、チラホラと遊びに出かける人たちのワクワクした感じが見られる。
ただ、ご時世だからか、俺と同様、スーツ姿で乗っている人もそれなりにはいた。
いつもより静かなオフィス街を抜けて、会社に着くと人の気配はほとんどなかった。
いつもと違うこの静寂が、俺は案外、好きだったりする。
シンッとしたフロアでパソコンを立ち上げる。
「あまねちゃん!」
「…朝からうるさいな」
うるさいなじゃないよ!何で金曜途中で帰ったのよ!とギャンギャン言う同期をあしらう様に自販機に向かう。
テンションが弟と似ているが、こちらは騒々しく頭に響く。
損なタイプだよな、と眺めながら、缶コーヒーを買ってやる。
「…ありがと。ってそうじゃなくてさ!」
「朝から賑やかだね〜」
爽やかな笑顔で部長がやってくる。
「あれ?部長も出社ですか?ご家族は…」
「嫁さん実家の集まりで帰ってて、俺はそう言うのちょっと面倒くさいからパスさせてもらったの」
ガコン、とコーヒーを買いながら言う。
「まあ、適当に仕事して、定時で帰ってね〜」
物分かりのいい上司の下につくと、とても楽だ。
チームのスケジュールを見ると、全員が休みを取っていて、やる事がない。
のんびり仕事ができて良いのだが、この皺寄せが実際に長期休みの前後にくるのもわかっている。
それでも時期をずらした休みの、何ともいない背徳感がたまらない。
それに今年はもしかしたら、なんて期待が少し頭をもたげる。
働いている人数が少ないとは言え、帰りのタイミングが被れば飲みに誘われたりもするし、金曜は午後から市場調査、直帰の流れにした。
月曜日からワクワクしている自分に苦笑する。
仕事が少ない分、意識がそちらに向いてしまうのを必死で抑える。
仕事は探せば出てくるもので、忙しい時には取り組めない、自分の顧客の棚卸しや、チーム全体のバランス、各個人の業務状況の再確認など、できることをひとり黙々とやった。
時の流れはいつもよりも格段と遅く、やっとのことで金曜日になった。
昼休憩を終え、ちょこっとパソコンをいじって、市場調査に出る。
都内のデパートや商業施設を周り、世の中の流れを肌で感じる。
今、何が注目され、人々は何に興味を持ち、どこに金を落とすのか。
決してそれだけではないけれど、ずっとオフィスに閉じこもらず、こうして時々世の中の流れを肌で感じることは大事だと思っている。
市場調査を早めに終え、カフェチェーン店でパソコンを開く。
定時より幾分早いが…まあ、今日くらいいいだろう。
彼女との待ち合わせよりも少し早い夕方。
パタン、とパソコンを閉じて席を立った。
***
待ちに待った金曜日が来た。
彼とご飯に行った日にその場で予約した大人テイストのビアガーデン。
いつもよりもちょっとお洒落をして出社した。気分が浮ついている分、勤務時間中はしっかりと仕事をこなそう、と気合を入れた。
ほとんど出社しないかと思っていたけれど、私たちのコンペもお盆明けだし、他のチームも案件を抱えているみたいで、チラホラと人が見られた。
それでも、いつもより随分と静かなオフィス内で、ワイヤレスイヤホンをしながら集中する。
ふっと気が付くと定時を少し過ぎていて、慌てて作業中のデータを保存し、パソコンを閉じる。
トイレで身なりを整えて、エレベーターホールに向かうと、すっかり私に懐いてしまった山岸くんがいた。
「あ、佐々木さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
シンっとしたホール、ふたりきりでエレベーターが来るのを待つ。
「あ、お蔭様で無事にビジュアルまで間に合いそうです」
「そうですか、よかったです」
下手に会話を続けない方がいい、と何となく思い、素っ気なく返す。
チンっとエレベーターが到着を知らせた。
ひとりだけ乗せたエレベーターが私たちを受け入れる。
中でもふたりっきりにならなくてよかった〜と思いながら、階下に向かう光の点を目で追う。
一階に着く。先に乗っていた人が足早に降りていく。
彼女も誰かと予定があるのかな。微笑ましく眺めていると、山岸くんが口を開いた。
「あの、この後、ご予定とかって」
「…あー」
そっか、誘ってくれちゃう感じなんだね。そっかーと心の中で頭を抱える。
素直に言うか、適当に受け流すか、迷っていると、カツン、カツン、とエントランスの奥からこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「お疲れ」
そこには彼が立っていて、完全にフリーズする。
「あ、へ?え、何で…?」
「早めに終わったから迎えに来てみた。一応、連絡入れたんだけど。同僚の方?」
山岸くんを視線で示して言う。
あ、うん、と答えて山岸くんを見ると、彼も固まっていた。
「はじめまして。佐々木の大学の同期で、今日この後、約束していて」
「あ、は、はい、そうなんですね」
できる営業マンオーラを出す高畑くんに、山岸くんは完全にやられている。
「お仕事の話、でしょうか?」
「あ、いや、いえ、そう言うわけではなくて…あ、その、お疲れ様でした」
お疲れ様です、と営業スマイルで応える高畑くんとフリーズしたままの私を置いて、山岸くんは帰って行った。
スマホを確認すると、確かに連絡が来ていた。
「ごめん、全然気が付かなくて」
「いや、俺も急に思い立ってさ」
「何で会社の場所わかったの?」
「名刺くれたじゃん」
ああ、なるほど…できる男はやっぱり違うな。
***
ふたりで電車に乗って、最寄駅に着き、キラキラした街並みを抜けて、有名デパートの最上階へと足を運ぶ。
期間限定でここ数年毎年行われている、グランピングをテーマにしたビアガーデン。
ずっと行きたいと思っていたけれど、時期的にもお値段的にも一緒に行ける人がいなくて叶わなかった。それがこんな形で実現するなんて。
ホテルコンシェルジュのような受付で名前を告げて案内をしてもらう。
賑やかだけれど、キャピキャピした感じはなくて、全体的に落ち着いた、大人の愉しみ、といった感じだ。
オープンフロアの席と、小さなテントをモチーフにした個室があって、私たちはテントの方を予約した。
店員さんについて、オープンフロアを歩いていると、ねっとりとした女性の声が私たちに掛けられた。
「あら?高畑さんじゃない?」
反射的にふたりで振り向く。
高畑くんは、一瞬だけ固まって、その後すぐに営業スマイルになった。
「お久しぶりです。うちのがいつも、お世話になっております」
あら、やだ、偶然、と私たちより少し上くらいの女性は、しれっと彼の肩に触れた。
「お連れの方?」
探るような目で私を見る。
「あ、大学時代の友人で。久しぶりに皆んなで飲もうってなって」
「随分お洒落なところで集まられるのね」
「もう、私たちも大人ですから」
ははは、と笑うふたりに、除け者になった気分だった。
「プライベートですか?」
「いいえ、社長たちと一緒に日頃の労いに」
「ご挨拶に伺っても?」
「もちろん」
こちらです、と女性らしい仕草で彼を案内する。私の方をチラッと見て、フッと笑った気がした。
彼は、ごめん、すぐに戻る、と言って、女性と一緒に消えて行った。
帆布で出来たお洒落なテント。
シンプルな外装の中は、木目調のローテーブルと、ゆったりとしたラタンチェア、イスには大きなクッションが置かれている。
シンプルなガーランドライトが間接照明になっていた。
素敵、とテンションが上がるはずだった場所も、ひとりぽつんと案内されれば、しらけてしまう。
気を遣った店員さんが、お連れ様がいらっしゃってからオーダー致しますか?と聞いてくれたけれど、ここでひとり、飲み物もなく座っているなんて惨めすぎる。
ひとり分の飲み物だけ頼んで席に座る。
仕事関係の人だってことはわかってる。
彼女でもない私よりも優先させるのだって当たり前だ。
でも、浮かれていた分、落とされた衝撃は強くて、胸の真ん中辺りが痛い。
「…みんなって……」
大きなクッションはふかふかで、座り心地がとても良かった。
それが余計に、今の私を哀しくさせる。
「……私、ひとりなんだけど」
透明と青、二層に分かれた綺麗なカクテルが届く。
「コースの料理も出し始めちゃってください」
なるべくにこやかにお願いする。
最初の料理が来ても、二品目が来ても、彼は帰ってこなかった。
***
完全にミスった。
ビアガーデンの入り口で、取引先を見送った後に彼女の席へ急ぐ。
どれも似たようなテントで、最初に案内してもらってないから大体の見当しかつかない。
店員に説明し、案内をしてもらう。
店に到着してからもう軽く三〇分は過ぎている。
席に着くと、並べられた料理を前に、八割くらい飲んだグラス、表情なくスマホをいじる彼女がいた。
俺を見ると、ふっと笑顔を作る。
「あ、おかえり〜」
「ほんっと、ごめん!」
いいよ、いいよ、お仕事でしょ、と笑う彼女のテンションは明らかに低い。
楽しみにしてくれていたのに、俺だって楽しみだったのに、兎に角タイミングが悪かった。
俺が捕まった女性は、大口取引先の秘書で、既婚のくせに何かと構ってくる、ちょっと面倒な人だった。
その癖、先方社内での信頼関係が厚く、無碍にもできない。
咄嗟に嘘を吐いたのも、色々と詮索されるのを避けるためだった。
「あの、さっきのは」
「いいよ、いいよ、とりあえず食べよ?」
もう冷めちゃったのもあるけど、美味しいよ、と彼女は俺の分を取り分けて手渡してくれた。
あ、ダメだ、と反射的に思った。
もう、彼女の心のシャッターは閉まっている。
昔からそうだった。
怒ってくれれば、まだ、何とかなるのだが、こうして笑顔で閉じられると、どうしようもない。
とりあえず、せっかくの雰囲気を楽しむことにした。お蔭様で、上辺のトークは得意だ。
上っ面だけの時間が進む。
こんなはずじゃ、なかったのに。
***
気持ちが沈んでいるのに、楽しそうに振る舞う時間はなかなか進まない。
こんなはずじゃなかったのにな、そう思いながらも、うまく切り替えられない自分が哀しかった。
寂しかったよ、早く来て欲しかったよって言えばいいのに、言えない。
色々と言葉に出せるようになったと思ったのに、やっぱり根底では変わらないのかな。
ラストオーダーの案内をされる。
お互いにドリンクを一杯ずつ頼んで、お店を後にした。
人気店だからか、出入り口も混み合っていて、エレベーターもぎゅうぎゅう。
ちゃんと話すような機会もないまま、ビルの一階に着いた。
重い空気に、一石を投じてくれたのは彼だった。
「…まだ、時間ある?」
うん、と頷くと、少しホッとした顔で、行きたいとこあるんだけど、付き合ってくれる?と促される。
行き道には、クリスマスでもないのにイルミネーションが煌々としてきて、夏の夜に彩りを添えていた。
キラキラとした街路樹が夏のリゾート感を演出している。
しばらく歩くと、ちょっと開けた広場に着いた。
円形劇場みたいに半円状に広めの石段があって、たくさんの人たちが既に座っていた。
「結構、混んでるな…ここでもいい?」
ちょっと離れたところにある石垣に、ふたりで腰掛ける。
彼はチラッと時計を見る。
「もうすぐ、始まると思う」
何が始まるんだろう?と思うと同時に、アナウンスが流れる。
「それでは、夏の夜に咲く噴水の、美しい奏でをお楽しみください!」
その声を合図に、音楽が流れ出し、目の前の広場から噴水が湧き上がる。
音と水に、光が合わさる。ミストの演出が、肌に触れてひんやりと気持ちいい。
そこここで歓声があがる。
水の雫、一粒一粒が見えるみたい。
きらきらしていて、綺麗で、目も心も奪われる。
5分ほどのショーが終わると拍手が湧き、ゾロゾロと人々が動き出した。
ぼおっとする私に、彼が声を掛ける。
「…夏休み気分、味わえた?」
少し困ったように笑う彼の顔を見た時に、今日初めてちゃんと彼を見たな、と思った。
「うん!すごかった!」
ありがとう、とやっと素直に言葉が出せた。
よかった、と安心したように彼は笑う。
「なんか、ごめんな」
「え?」
「楽しめなかったでしょ、さっき」
そんなことないよ、と取り繕うが、全然誤魔化しきれていなかったんだな、と思った。
笑顔でいたつもりなんだけどな。
「あの人、取引先のちょっと面倒な人でさ、巻き込みたくなかったんだ」
でも、ごめん、結局巻き込んだようなもんだった、と彼は項垂れる。
何て言葉を繋げたらいいんだろう、と考えていると、先に彼が口を開く。
「また、今度、お詫びさせてよ」
…またお詫び、か。
「…いいよ。私もうまく切り替えられなかったし」
笑顔をつくって笑って見せる。
そっか、と少し寂しそうに彼は笑う。
沈黙が流れる。
街路樹が風に揺れてカサカサと音を立てた。
じゃあ、と彼が呟くように言った。
「…じゃあ、今度、もう一度、ちゃんと君と楽しむ時間を俺にくれる?」
目を伏せながら、懇願するみたいな声。
「俺は、あんまり楽しめなかったから」
困ったように笑う彼に、抑えていた気持ちが湧き上がる。
「…それは、友人として?」
え?と彼が言葉に詰まる。
ギュッとスカートを握る手が冷たい。
何、子どもみたいなこと言ってんの、私。
「あーごめん、ごめん!今のなし!忘れて」
パッと立ち上がって、笑顔をつくってわざと明るい声で言う。
そうしないと泣きそうだったから。
ははは、と笑う私を、彼が見上げる。
その口元が動く。
「…俺は、恋人としてがいいけど」
静かな声が夏の風に乗って耳に届いた。
その顔はもう、笑っていなかった。
「…また、昔みたいに、なんなら今みたいに、うまく伝えられなくて、失敗することもあるかも知れないけど」
穏やかに、丁寧に、彼の低い声が私に言う。
「その都度、ちゃんと向き合いたいと思うから。だからさ」
彼が立ち上がる。
見上げた先にあった顔は真剣そのものだった。
「だから、もう一度、俺の恋人になってもらえませんか」
時間が止まったみたいだった。驚いて見開いた瞳から、ポタリ、と涙が溢れる。
「…なんの涙?」
困った顔する彼に、静かに息をして、整えてから、答える。
「…嬉しい涙」
きっと、ちゃんと笑えていない。
でも、多分、私の気持ちは伝わったと思う。
そっか、と、安心したように彼は笑った。
大きな手のひらが私の目尻を拭う。
「…好きだよ、美結」
息が触れるくらいの距離。
呼ばれた自分の名前に体温が上がる。
だらんと落ちた右手に、スルリと指が絡まる。
そのまま引き寄せられて、宝物を抱きしめるみたいに、やさしく彼の体温が、私に触れる。
「…いつからそんなに甘くなったの……」
「ね、ほんと、いつからだろ」
彼の腕の中で呟くように問うと、やわらかい声が、私を包み込んだ。
「甘いついでに、甘えてもいい?」
上から降ってくる声に、絆されて、溶けてしまいそう。
「名前で呼んで。好きって言って」
ああ、もう。
あまくて、熱くて、心臓が痛い。
見上げれば、少し困ったような、でも期待した瞳があって。
「…周」
かつて何度も呼んだ名前。
「なあに?」
答える声はあの頃よりも少し低い。
「…すきだよ」
そう言うと、彼は愛おしそうに、俺も、と言った。
寄せられた頬から伝わる温度にドキドキしながらも、どこかホッとしていて、大人になるってこんな感じなのかな、なんて思いながら、彼のぬくもりに身体を預けた。
おしまい
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
こちらの作品は、2024年にpixivで公開した処女作を、今の自分でもう一度リライトしたものです。
当時の温度感を大切にしながら、それぞれの登場人物の想いを以前より丁寧に描けていたらいいな、と思います。
周くんと美結ちゃんの物語を、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
新しい物語も少しずつ執筆を進めています。
そちらでもお付き合いいただけたら嬉しいです。
ではまた、どこかでお会いできますように。
ありがとうございました!




