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【完結】公の場での婚約破棄は「王家の盟約違背」として処理いたします。 ◐  作者: 逆立ちハムスター


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新世界の黎明と愚かなる帝国の使者

アスター公爵家を頂点とする新たなる統治機構、すなわち『アスター新王朝』が成立してから、早くも三ヶ月の月日が流れた。

かつて白亜の王城と呼ばれ、旧王家の虚栄と浪費の象徴であったその巨大な建造物は、今や大陸全土を震え上がらせる至高の権力中枢として、完全にその機能を刷新していた。無能な世襲制の官僚たちはすべて更迭され、アスター公爵家が長年にわたり独自の教育機関で育成してきた、極めて優秀で冷徹な実務家たちがその席を埋めている。彼らは感情や個人的な欲望に流されることなく、ただ国家の繁栄と新たなる王家の絶対的な権力を確立するためだけに、歯車のごとく精密に、そして休むことなく働き続けていた。


私は、新たに設けられた王太女専用の執務室において、大陸中から集まる膨大な報告書に目を通し、次々と決済の署名を施していた。

旧体制において、国王や王太子が数週間をかけて処理していた(あるいは処理を怠り放置していた)政務の量は、私の手に掛かれば半日と経たずに完了する。魔力石を用いた独自の通信網が全国に張り巡らされ、北方の国境線における微細な天候の変化から、南方の港湾都市における香辛料の取引価格の変動に至るまで、すべての情報がリアルタイムで私の手元へと集約されるシステムを構築したからである。

父である新国王マクシミリアン陛下は、諸外国との大局的な外交政策と、旧体制に加担していた一部の腐敗貴族たちの領地没収、およびその再分配という重責を担っておられる。故に、内政の細かな調整と、国家予算の完全なる掌握は、すべて次期女王たる私、セレスティアの権限に委ねられていた。


「セレスティア様。西方に位置するガルディア帝国より、特使が到着いたしました。現在、謁見の間にて待機させております」


執務室の扉が静かに開き、執事長から王室筆頭侍従長へと昇格したセバスチャンが一礼とともに報告を告げた。その表情は相変わらず鉄面皮のごとき冷静さを保っているが、声の響きには微かな警戒の色が混じっていた。


「ガルディア帝国の特使、でございますか」


私は手元の羽根ペンを銀のインク壺に静かに置き、冷ややかな視線を窓の外へと向けた。

ガルディア帝国。我が国の西の国境を接する、広大な領土と強大な軍事力を誇る軍事国家である。彼らは旧体制の時代から、我が国の肥沃な土地と豊富な魔力石鉱脈を虎視眈々と狙い続けてきた。旧王家は、アスター公爵家の財力を盾に莫大な貢物を贈ることで、辛うじて彼らの侵略を宥めていたという、屈辱的な歴史がある。


「王朝が交代し、国内が混乱の渦中にあると見込んで、何らかの揺さぶりをかけに来たのでしょうね。……野蛮な軍事国家の考えることなど、底が知れておりますわ」


「如何様になさいますか。国王陛下は現在、東方の視察に赴かれており、王城にはご不在でございます」


「問題ありません。私が対応いたします。……それに、ちょうど北方の防衛線から帰還された『彼』も、退屈を持て余している頃合いでしょうから」


私が微かに口角を上げると、セバスチャンは深く頭を下げ、直ちに謁見の準備を整えるべく退室していった。


────


謁見の間は、旧時代の華美すぎる装飾がすべて取り払われ、大理石と黒曜石を基調とした、荘厳かつ重圧感のある空間へと改装されていた。天井から吊るされた魔力石のシャンデリアは、温かみのある光ではなく、対象の罪を暴き立てるかのような冷徹な白い光を放っている。


私は、新王朝の権威を象徴する、深紅と黄金の糸で複雑な魔術陣が刺繍された正装を身に纏い、一段高い玉座の代わりとなる豪奢な椅子に腰を下ろした。そして私の右斜め後ろには、長きにわたる北方の辺境平定を終え、王都へと凱旋したばかりの我が婚約者、ルキウス・ヴァン・オブシディアン辺境伯閣下が、腕を組み、彫像のごとき静けさで控えている。彼の左眼を覆う眼帯と、歴戦の猛者であることを如実に物語る威風堂々たる体躯は、ただそこに存在しているだけで、空間そのものを支配するほどの圧倒的な覇気を放っていた。


重厚な扉が開かれ、ガルディア帝国の特使と名乗る男が、数名の武装した護衛を伴って入室してきた。

男は、帝国の伝統的な軍服に身を包んだ、傲慢な顔つきの中年貴族であった。彼の瞳には、我々新王朝を「正統なき簒奪者」と見下す、明確な侮蔑の色が浮かんでいる。彼は玉座の前に進み出ると、我が国における正式な礼儀作法を故意に無視し、浅い一礼のみで口を開いた。


「お初にお目にかかる、アスター新王朝の王太女殿下。我が名はガルディア帝国特命全権大使、バルガス伯爵である。本日は、我が偉大なる皇帝陛下より、新たなる隣人への寛大なる『提案』をお持ちした」


「遠路はるばるのご来訪、歓迎いたしますわ、バルガス伯爵。して、その寛大なる提案とは、いかなるものでしょうか」


私は、相手の無礼な態度を一切咎めることなく、氷のように冷たく、そして完璧な笑みを浮かべて返答した。私の余裕に満ちた態度が予想外であったのか、バルガス伯爵は微かに眉を顰めたが、すぐに持ち前の傲慢さを取り戻し、仰々しい身振りで告げた。


「単刀直入に申し上げよう。我が帝国は、貴国における先般の政変を、極めて遺憾に思っている。正統なる王族を追放し、一介の公爵家が玉座を簒奪するなど、国際社会の秩序を乱す暴挙に他ならないからだ。現在、大陸の多くの国々が、貴国を『非合法な国家』として非難する準備を進めている」


彼はそこで言葉を切り、私たちが恐怖に顔を歪めるのを待っているようであった。しかし、私とルキウス様は、ただ無言のまま、路傍の石を観察するような冷淡な視線を彼に注ぎ続けた。

バルガス伯爵は居心地の悪さを誤魔化すように、咳払いをして先を続けた。


「しかし、我が皇帝陛下は極めて慈悲深いお方である。もし、貴国が我がガルディア帝国に対し、国境に接する西方の三つの領地を『友好の証』として割譲し、併せて年間十万トンの魔力石を無償で提供するのであれば、我が帝国はアスター新王朝を正当な国家として承認し、他国の非難から保護してやってもよいとの仰せである」


その言葉が謁見の間に響き渡った瞬間、背後に控えていたルキウス様から、極めて低い、地鳴りのような笑い声が漏れた。


「……くっ、ははははっ。これは見事な喜劇だ。セレスティア、帝国という国は、道化師を外交官として雇う習慣があるのか?」


ルキウス様の嘲笑に、バルガス伯爵の顔は屈辱と怒りで瞬時に真っ赤に染まった。


「な、無礼な! 貴様、一介の辺境伯の分際で、大帝国の使者に向かって何という暴言を吐くか! これは皇帝陛下の勅命であるぞ! 要求を呑まねば、明日にも国境線に待機している十万の帝国軍が、貴国の貧弱な防衛線を蹂躙することになるのだ!」


「十万の帝国軍、でございますか」


私は静かに立ち上がり、バルガス伯爵を見下ろした。その声には、一切の熱情も、恐怖も含まれていない。ただ純粋な、相手の知能の低さを憐れむ響きのみが込められていた。


「バルガス伯爵。貴方様は、この一ヶ月間、我が国の国境線において何が起きていたのか、全く把握されていないようですね。無能な情報部を持つと、外交官も大変苦労されることでしょう」


「なに……? 何を言っているのだ、貴様」


「ルキウス様、ご説明をお願いできますか?」


私が振り返ると、ルキウス様はゆっくりと私の隣へと歩み進み、黄金の隻眼でバルガス伯爵を射抜いた。その瞬間、バルガス伯爵と護衛の兵士たちは、目に見えない巨大な圧力に押し潰されたように、無意識のうちに一歩後ずさった。


「帝国軍十万、確かに西方の国境線に展開しているな。しかし、彼らは『待機』しているのではない。我がオブシディアン軍の誇る『黒機甲騎士団』と、アスター家が新たに開発した『広域殲滅型・魔力投射砲』の照準圏内に、完全に包囲され、身動きが取れなくなっているのだ」


「な、馬鹿な……! 我が軍が包囲されているだと!? そのような大規模な軍の移動、我々の間諜が気づかぬはずがない!」


「間諜? ああ、旧体制の時代から貴国が放っていた鼠どものことか」


私が扇を優雅に広げながら口を挟んだ。


「彼らなら、すでに全員、我がアスター家の防諜部隊によって捕縛され、深い地下牢の中で帝国に関する有益な情報を嬉々として自白しておりますわ。貴国に送られていた『我が国の防衛は手薄である』という報告は、すべて私が意図的に流した偽情報です。貴国はまんまとその誘蛾灯に引き寄せられ、自ら死地へと軍を進めたというわけです」


バルガス伯爵の顔から、みるみると血の気が引いていくのが見て取れた。彼の傲慢な態度は完全に崩れ去り、唇は恐怖に震え始めている。


「貴様、謀ったな……! しかし、十万の軍勢をそう簡単に殲滅できるものか! もし交戦となれば、貴国とて無事では済まぬぞ!」


「交戦、などという対等な言葉は、我々の間には成立いたしません」


私は扇を閉じ、ピシャリと言い放った。


「ルキウス様が率いる軍の練度は、貴国の惰弱な徴兵とは次元が異なります。さらに、我々には大陸の魔力石流通の八割を独占する財力がある。戦争とは、精神論や兵の数で行うものではありません。圧倒的な経済力と、それを技術に転化する知能、そしてそれを躊躇いなく行使する冷酷な意志によって決するのです。……もし、今この瞬間に私が合図を出せば、国境線に展開している十万の帝国兵は、誰一人として祖国の土を踏むことなく、炭化して西風に消え去ることでしょう」


それは、単なる脅しではない。アスター新王朝の持つ、絶対的な物理的、そして経済的暴力の事実であった。旧王家のような、面子や一時的な平和のために妥協を重ねる惰弱な姿勢は、新体制には微塵も存在しない。逆らう者は、文字通り根絶やしにする。その冷酷な決意が、バルガス伯爵にも痛いほどに伝わったのだろう。彼はついに膝から崩れ落ち、大理石の床に手をついて震え出した。


「そ、それでは……我々に、どうしろと言うのだ……」


「簡単なことですわ」


私は、まるで午後の紅茶の銘柄を決めるかのような、極めて日常的で優雅な口調で告げた。


「貴国が不当に国境線に軍を進めたことへの『謝罪』として、先ほど貴方様が口になさった西方三領地と等しい面積の帝国領土を、我が国に割譲していただきます。併せて、多大な軍事費を強要した慰謝料として、今後五十年にわたり、帝国が産出するすべての希少金属の優先買取権を我が国に譲渡する。この条件を呑むのであれば、十万の兵士の命は助命し、本国への帰還を許可いたしましょう」


「そ、そんな条件……皇帝陛下が呑むはずがない! 帝国への明白な屈辱だ!」


「呑まねば、十万の兵を失うだけでなく、我が国の魔力投射砲の照準が、帝国の帝都へと向くことになりますわ。皇帝陛下がご自身の命と帝国の存続を天秤にかけ、どのような賢明な判断を下されるか……私はとても楽しみにしております」


もはや、交渉の余地など残されてはいなかった。

私はセバスチャンに目配せをし、崩れ落ちたバルガス伯爵と護衛たちを謁見の間から退室させるよう命じた。彼らは抵抗する気力すら失い、亡霊のように虚ろな足取りで引き立てられていった。


謁見の間に再び静寂が戻ると、ルキウス様は満足げな息を吐き、私の傍らへと歩み寄ってきた。


「見事な恫喝だ、セレスティア。帝国の使者が、まるで赤子のように怯えきっていたな。貴女のその容赦のない冷徹さは、何度見ても私の心を激しく揺さぶる」


「お褒めに預かり光栄ですわ、ルキウス様。ですが、これは恫喝ではなく、単なる事実の提示に過ぎません。それに、私が強気に出られるのも、貴方様が構築してくださった完璧な軍事という裏付けがあってこそ。私一人の力では、到底為し得ない盤面でございます」


私が彼を見上げて微笑むと、ルキウス様は大きな手で私の頬を優しく撫で、そのまま私の唇に、短くも熱を帯びた口づけを落とした。

公の場において感情を露わにすることは好まない私であるが、彼との間にあるこの絶対的な信頼と、共犯者としての深い結びつきを確認するこの瞬間だけは、自らの内に潜む甘美な悦びを否定することはできなかった。


「帝国の対応次第では、私が直接軍を率いて帝都を火の海に沈めてこよう。貴女の戴冠式を前に、大陸全土にアスター新王朝の絶対的な力を見せつけるには、ちょうど良い余興となるだろうからな」


「頼もしいことですわね。ですが、無用な殺生は経済の停滞を招きます。皇帝が己の愚かさを悟り、おとなしく条件を呑むよう、我が方の情報部を使って帝国内部の貴族たちを煽動しておく手はずを整えましょう。武力と策謀、その両面から追い詰めれば、彼らはいずれ内側から自壊していきます」


「くっ、全く隙のない女だ。貴女を敵に回したあの元王太子は、本当に恐ろしい地雷を踏み抜いたものだ」


ルキウス様は愉快そうに目を細め、私の腰を引き寄せた。

かつて私を虐げ、無実の罪を着せて追放しようとした愚か者たちの顔など、もはや私の脳裏には一片の残滓すら留めていない。彼らは極北の鉱山で、己の犯した罪の重さと絶望を噛み締めながら、ただ朽ち果てていく運命にある。


私が見据えているのは、復讐という過去の清算ではない。

アスターの知略と財力、そしてオブシディアンの武力。この二つの強大な力が融合した新王朝が、大陸全土をいかにして平定し、絶対的な秩序という名の美しい支配を確立するかという、遥かなる未来の盤面である。


「さあ、執務室へ戻りましょうか、ルキウス様。帝国への正式な最後通牒の起草や、新たな領地の開拓計画など、やるべき仕事は山のように積まれておりますわ」


「ああ、お供しよう。貴女と共に作り上げるこの新しい世界は、いかなる戦場よりも胸が躍る」


我々は寄り添い合い、威風堂々たる足取りで謁見の間を後にした。

窓の外では、アスター新王朝の繁栄を象徴するかのように、雲一つない澄み渡るような青空が広がっている。

かつての抑圧された公爵令嬢は死んだ。ここにいるのは、知略と魔力で世界を足元に傅かせる、気高き次期女王。

そして私の隣には、最強の武を誇る唯一無二の王配が立っている。


愚者たちを蹂躙し、絶望の淵へと叩き落とした華麗なる復讐劇は終わりを告げた。

しかし、我々が描く完璧なる世界の統治は、まだその第一歩を踏み出したばかりなのである。

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