第6話 帰る場所なんて
「――理論値を超えています」
天城さんは、割れた観測球の破片を両手で持ちながら言った。
なんだか大事そうに抱えている。
遺跡の発掘品みたいだ。
「観測球は上位聖女の最大出力にも耐える設計です」
「はあ……」
「耐える設計なんです」
二回言った。
たぶん大事なことなのだろう。
「それが割れました」
「ご、ごめんなさい……」
「だから謝らなくていいんです!」
天城さんが頭を抱える。
その横で、観月さんは慣れた顔で書類に何かを書いていた。
「予備はあるか」
「あります」
「なら問題ない」
「ありますけど問題はあります!」
「予算申請しておけ」
「だからそういう話じゃなくて!」
漫才みたいだった。
思わず笑いそうになって、慌てて口元を押さえる。
その瞬間。
三人の視線が集まった。
「あ」
しまった。
「……すみません」
反射的に謝る。
すると。
観月さんが、わずかに眉を寄せた。
天城さんも、不思議そうな顔をする。
「白瀬さん」
「はい」
「今、何に謝ったんですか」
聞かれて、わたしは固まった。
何に。
何にだろう。
「えっと……」
笑ったから?
失礼だったから?
でも、そう思っただけで。
「……わからないです」
自分でも驚くほど正直な答えが出た。
観月さんは何も言わなかった。
ただ、小さく息を吐く。
その横で、天城さんが困ったように笑った。
「重症ですねえ」
「重症なんですか」
「はい」
即答だった。
検査は、そのあとも続いた。
聖力の純度。
霊子適性。
浄化反応。
専門用語ばかりで半分も理解できなかったけれど、そのたびに天城さんが頭を抱えたり、研究員たちがざわついたりするので、たぶん普通じゃない結果なのだろう。
最後の検査が終わった頃には、お昼を過ぎていた。
「お疲れ様でした」
研究室を出ると、窓の外に青い海が見えた。
昼の日差しがまぶしい。
白瀬家にいた頃、この時間は何をしていただろう。
学校なら授業中。
家なら、たぶん宵子の予定に合わせて何かの手伝いをしていた。
ふと。
胸の奥が、少しだけ空っぽになった。
「……どうしました」
隣を歩く観月さんが聞く。
「いえ」
反射的に答えて。
少し迷う。
それから。
「学校」
ぽつり、と言った。
「学校?」
「今日は平日なんだなって」
観月さんは少しだけ目を瞬いた。
「そうですね」
「安西さん、心配してるかもしれません」
安西さん。
クラスメイト。
いつもお菓子をくれる子。
昨日も、おろおろしながら大丈夫って聞いてくれた。
たったそれだけなのに。
急に顔が見たくなった。
観月さんは少し考えてから言った。
「連絡しますか」
「え?」
「携帯電話は現在こちらで預かっていますが、返却は可能です」
思わず足が止まる。
そんな選択肢があると思っていなかった。
白瀬家では、許可なく誰かに連絡を取ることなんてできなかったから。
「……いいんですか」
「友人でしょう」
観月さんは当然みたいに言った。
「なら問題ありません」
その言葉に。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
携帯電話を受け取ったのは、その日の午後だった。
電源を入れた瞬間。
通知が雪崩みたいに押し寄せてくる。
百件以上。
ほとんどが父だった。
途中から家政婦の岡本さん。
運転手の田川さん。
知らない番号。
そして。
宵子。
画面を見ているだけで、胃が重くなる。
『どこにいるの』
『返事して』
『お父様が怒ってる』
『もういい加減にして』
『みんな困ってる』
『帰ってきて』
最後の一文で、指が止まった。
帰ってきて。
たったそれだけ。
なのに。
胸が苦しくなった。
帰る。
帰る場所。
それって、どこなんだろう。
白瀬家の大きな屋敷を思い出す。
広い玄関。
磨かれた廊下。
豪華な食卓。
自分の部屋。
十六年間暮らした家。
でも。
不思議だった。
思い浮かべても。
「帰りたい」とは思えない。
代わりに浮かんだのは。
昨夜の部屋。
ふかふかのベッド。
食堂のおばちゃん。
榛名さんの明るい声。
天城さんの大騒ぎ。
観月さんの静かな声。
そのとき。
スマホが震えた。
着信。
画面を見る。
安西さんだった。
思わず息を呑む。
数秒迷ってから。
わたしは通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『白瀬さん!?』
耳が痛くなるくらい大きな声だった。
思わずスマホを離す。
『よかったぁぁぁ!!』
泣きそうな声。
わたしは目を瞬いた。
『無断欠席だし! 連絡つかないし! 九条くんの件はあるし! みんなめちゃくちゃ心配してたんだからね!?』
「ご、ごめん」
『だからなんで白瀬さんが謝るの!?』
その言葉に。
わたしは、思わず黙った。
最近、そればっかり言われている気がする。
電話の向こうで、安西さんが大きく息を吐く。
それから。
少しだけ優しい声になった。
『ねえ』
「うん」
『大丈夫?』
たった一言。
その瞬間。
胸の奥に積もっていた何かが、少しだけ揺れた。
わたしは窓の外を見る。
青い海。
白い雲。
見たことのない景色。
「……うん」
ゆっくり答える。
「たぶん」
まだ分からない。
全部変わってしまったから。
でも。
「前よりは」
その言葉だけは。
今のわたしにとって、本当だった。




