珍騒動(上)
「……」
グライスドア王城の一室。
宰相であるガイラスはいつも通り書類仕事に追われていた。
この国は王を筆頭に幹部ともいうべき文官や武官は、一部を除き自らの能力や権力を笠に自らの欲を満たすためだけの存在となっているため、こうして仕事をする真面目な者に皺寄せがくる。そのせいで彼の机の上から書類の山が消える日は無い。
あまりの仕事量に文句の一つでも言いたいところだが、言ったところで聞きもしない上に下手に手を出されると、余計に混乱してしまうため腐っていない者がもくもくと国を運営することで辛うじて国が成り立っている。
「……ふぅ」
とはいえ、あまりの仕事量にさすがのガイラスも溜息を洩らしながら机の上に山となっている書類を、親の仇のような目に睨みつけている。
ドタドタドタ
そんなとき、扉の外から騒がしい足音が聞こえてきた。
バン
「……もっと静かに開けんか」
ガイラスは扉を開けた人物に視線を送ることなくそう言った。
彼には今扉を開けた人物に心当たりがあるからだ。
「それどころじゃねぇ! 親父!」
その人物はガイラスの一人息子で、《人形の庭》に密偵として潜り込んでいたバルディオだ。
「騒がしい。報告ならすでに書類に目を通してある。……まだ何かあるのか?」
興奮しているバルディオに対してガイラスはどこまでの冷静に対応する。
「報告書を読んだんなら何でそんなに落ち着いてんだ!? 書いてあっただろが! あそこの連中は普通じゃねぇぞ! それとも親父まで報告書に書いてあったことが大げさだと言いてぇのか!?」
バルディオは報告書に《人形の庭》で見てきたことを一切の嘘偽りなしで報告した。
そこにはエリスリーゼたちがモンスターを捕まえたこと、獣人の中でも絶滅したと伝えられていた獅子の獣人がいたこと、はたまた見たこともない速度で進む馬車とは似て非なる物の存在。
そして極めつけに、エリスリーゼたちが戦闘を行ったと思しき場所で見た巨大な肉片と大量の血の海についてだ。
だがそれらの報告を見た国の武官と文官はこぞって眉を顰めた。
元から腐っている者たちは嘲笑と共にバルディオの無能さを主張し足を引っ張ろうとし、まともな者たちもこの報告を完全に信じられる者は多くはなかった。
「もしこのままあの国と戦争したらヤバいぞ!」
バルディオは少しでも自分が感じた危機を伝えようと必死て訴える。
ここで父であるガイラスにまで信じてもらえないとなると、自分一人で動いてもどうにもできないと理解しているからだ
「落ち着かんかバカ者。あの報告に嘘や誇張でないことはわかっている」
そんなバルディオの考えに反し、彼は報告書の内容を一切疑っていないと言い切った。
「そ、そうか」
あまりにもあっさりと言いきられたバルディオは、逆に気勢が削がれそれだけしか言えなかった。
「だがこの報告が事実であっても、ヒトは自分の常識からかけ離れるとそれを理解しようとしない。他の連中の心情はそんなところだろうな。そして魔王などと言う理不尽な存在を認めたくないのだろう」
「そこまでわかってんなら何で動かねぇんだよ!」
どこまでも冷静なガイラスに苛立ちを覚えたバルディオは詰め寄るように怒鳴る。
「落ち着かんか。すでに手は打ってある」
「手を?」
「ああ、そうだ。今回の件に関しては軍事演習という名目で兵を出すことになった。これが|軍事演習(その件)の資料だ。陛下の許可も出ている」
バサリと音を立てた紙の束がバルディオの前に出された。
それを手に取り隅々まで読み進めていくと、そこには信じられないような内容が記載されていた。
「全軍による演習……」
そこには確かにそう書かれていた。
この国の王は自分の命に関わることに対しては酷く臆病なのはバルディオもよく知っている。そのため、ここに書かれている全軍という文字が信じられなかった。
そんな王が自分の護りすら放棄して、全軍による行軍をさせるなど彼には信じられなかったのだ。
「信じられんと言う顔だな」
ガイラスは息子の表情から、何を思っているのかを正確に読み取り問いかけた。
「あ、当たり前だ! 今までの戦争の時ですら、侵攻に回す兵をケチって、自分の守護に回してたあの豚が、何で全軍を使うことを許すんだよ!」
バルディオの言っていることはまさにその通りで、他の武官たちも同じような疑問を口にしていた。
「……魔王」
「は?」
突然ガイラスの口から出てきた単語に、彼は首を傾げた。
「だから魔王だ。この名と《人形の庭》、この二つの名前が上がった時、陛下は酷く取り乱していた」
ガイラスの言葉にバルディオはますます首を傾げた。
あの王はかつて似たような噂が上がった時は鼻で笑って、噂に踊らされていると武官や文官を馬鹿にしていた。それなのに今回は全軍を使ってまで対処しようとしていることに、彼は訳が分からないと言いたくなった。
「ひょっとすると陛下は今回の魔王について何か知っているのかもしれないな。そして魔王がいた時代を生きた陛下は、我々よりも魔王の脅威を理解しているのかもしれん」
「あの豚が?」
「なに、ただの想像だ。陛下はこの命令を出してから部屋に引きこもったまま出てこない。軍の指揮に関してはこちらで勝手にやっていいそうだ」
「はっ! そりゃいい! なら勝手にやらせてもらうぜ」
そう言い残すとバルディオは命令書を手に部屋から出て行った。
「扉を閉めて行かんか。……さて、賽は振られた。吉と出るか凶とでるか。非才の身には予測がつかないな」
ガイラスは静かに外に視線を送った。
その瞳には様々な感情が入り混じり読み取ることは誰にもできなかった。
・
・
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暖かな陽気に包まれた午後、私は城のテラスでのんびりとアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「今日も平和ですね」
眼下に広がる自分の治める街と、忙しなくも活気づいた人々を眺めながらそう呟いた。
「あはは~、本当だね~。こうしてのんびりできてることを思うと、元の世界よりも居心地いよね~」
向かいに座っているミリーゼも私の意見に同意しながらテーブルの中央に置かれているマカロンを口にし、くつろいでいる。
「でもさ~、べんけいが密偵の数が極端に減ったから、何か起こるかもって言ってたよ?」
「私も聞いてます。おそらくは戦争が起こると思いますよ」
私がキッパリと断言すると、ミリーゼはジトーという効果音が聞こえてきそうな視線をこちらに向けてくる。
「エリスリーゼさ~、ま~た悪巧みしてるでしょ?」
「さあ? 何のことですか?」
そんな彼女の視線を受けても、私は同じることなく平然と受け流した。
このやり取りはゲーム時代からのお約束であるため、ミリーゼの方にもこれ以上追及しようとする動きはない。
「お姉さんはいいけどさ~、べんけいくらいには相談したらほうが良いんじゃない? 何かいろいろと気にしすぎで、忙しそうにしてるしさ」
「考えておきましょう。それよりも戦車の方はどうですか?」
あからさまに話題を変えたせいか、ミリーゼはやれやれと言った表情になりながも私の質問に答えてくれた。
「一回だけ今できる最高レベルの造ったんだ~。こっちならレベル制限ないかな~って思って。でもだめ~。乗れるには乗れるけど、うまく操作できないみたい。だから今は、乗り手のレベルと戦車のレベルが釣り合うギリギリのラインを探してるとこ。むぐむぐ」
ミリーゼはそう言いながら、マカロンを口へと運びこむ。
「そうですか。それでは現在の物でいいので、それを量産してください」
「今のでいいの~?」
「はい。おそらくはあまり時間がありませんので」
「へ~、そろそろ戦争?」
私の時間がないという言葉の意味を正確に理解したミリーゼは楽しそうな、それでいて獰猛な笑みを浮かべながらそう尋ねてきた。
「はい」
そんな彼女に私も負けずに楽しそうな微笑みを浮かべながらはっきりと肯定する。
「あはは~、楽しみだな~。エリスリーゼの悪巧みはこの件が関係してるんでしょ」
「そうですよ。私、お祭りは当日よりも前日までの準備のほうが楽しさを感じますから」
そう言いながら私も目の前のスコーンに手を伸ばし、口元へと運ぶ。
一口目で口の中に程良い甘味が広がっていき、自然と頬が緩んでしまった。
「それにしてもこのスコーンも紅茶もおいしいですね」
「そう言ってくれるとお姉さんも嬉しいな~」
そんな穏やかな時間の中、廊下の方からドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「なんでしょうか?」
「さあ~?」
私たちは首を傾げながら耳を澄ませてみる。すると廊下から聞こえてくる足音は徐々にこちらへと近づいてくる。
そしてバタンという音とともに勢いよく扉が開かれ、トリトンが勢い良く入ってきた。
「はぁはぁ!」
入ってきたトリトンは酷く息が乱れており、その顔には恐怖の表情が浮かんでいる。
「ど、どうしたの~?」
「何事ですか?」
私たちはかなり慌てている様子の彼に驚きながらも、何か非常事態が起きているのではないかと危機感を覚えた。
「そのですね……新しいお友達を増やそうかと思ったので、〈モンスターBOX〉を取り出したんですが、手が滑って落としてしまったのです! そしたらなんと! 城内で〈モンスターBOX〉が開開いてしまったのです! まさか城内で開くとは思いませんでした!」
私とミリーゼは首を傾げた。
〈モンスターBOX 〉をは蓋を開けるとランダムでモンスターを出現させるアイテムではあるが、出てくるモンスターはそこまで高レベルではない。
確かに本来は生活圏のような街や城内では使用できないアイテムなので、城内で使用できたのは驚きがあるが、今までのことを思えばその程度の違いは予想の範囲内で、トリトンがここまで取り乱す理由が思い浮かばない。
おそらくはミリーゼも同意見だろう。
「それで、どうして慌てているのですか? あなたが戦闘向きな種族では無いとしても、〈モンスターBOX〉から出てくるモンスター程度、問題ないと思うのですが……」
私は改めてそう尋ねた。
「それなんですが……出てきたモンスターなんですが、あり得ないモンスターが出て来たんですよ!」
「あり得ないモンスター?」
「なになに~?」
「夢魔です! しかも何故か最上級の銀です! 僕じゃヤバいです!」
トリトンが慌ててそう言った。
夢魔は確か女性型のモンスターで、男性に対して圧倒的な優位性を持っていたはず。
そして最上級のモンスターは髪が銀色で、男性に対して100%の確率で魅了を掛けることができる。
男性があのモンスターを相手にするには、魅了無効の効果がある装備品を身につけるしかないのだが、状態異常を無効化するエンチャントが付いてる装備品はレア度が高すぎて、古参プレイヤーでも持っている人は少なかった。
おそらくトリトンも持っていないため、逃げるしかなかったのだろう。
「あはは〜、それじゃあ無理だね〜」
ミリーゼも私と同じ結論に至ったのか、トリトンの方をいながら笑っている。
「そうなんです! だから助けてください!」
トリトンが涙目になりながら縋り付いてくる。
「あれ〜? そういえばべんけいは? あいつは確かに魅了無効のエンチャントが付いてる装備品を持ってたはずだよ〜」
「そうです。べんけいはどうしたのですか?」
「はい! 先輩はダークエルフの人達を連れてレベル上げに行きました!」
どうやらタイミングが悪かったようだ。
『キャアアアアァァ!!!』 『ぴよーーー!!』
そんなやり取りをしていると、今度はリジュとシャモの悲鳴が木霊した。そしてバタンと勢い良く扉が開かれ、リジュが部屋の中に飛び込んできた。
普段のリジュならこんな失礼なことはしないが、どうやら慌てていて私たちがこの部屋にいることにすら気がついていないようだ。
「はぁはぁ!」
「ぴ、ぴよ!」
「どうしたのです?」
私はそんな一人と一匹に声をかけた。
「ひゃわ!? エ、エリスリーゼ様! あ、あの廊下に変態が美女でスケスケで! 歌って踊って!」
何かとんでもない物でも見てしまったのか、リジュの言葉は何を言いたいのかいまいち要領を得ない。
「たぶん夢魔です! 僕が見たときもそんな格好でした!」
「………夢魔ってそんな格好でしたか?」
私はトリトンとリジュの言葉に首を傾げた。
確かに夢魔のビジュアルはゲーム時代もかなり過激ではあったが、決してスケスケという言葉が出てくるような姿ではなかったはず。
「あはは〜、確かに過激ではあったけど、流石にスケスケではなかったよ〜」
私とミリーゼは真相を確かめるべく、リジュを扉の前から移動させるとそっと扉を開いて廊下へと視線を向けた。
「うふふ♪ うふふふ♪」
扉の隙間から覗いた先には女性の理想像とでもいうべきメリハリのある身体に、大事なところまでスケスケな服を着ている女性がいた。
そしてその女性は自分の身体に恥じるべき場所など存在しないと言わんばかりに、身体の隅々まで見せつけるよう堂々とした姿勢でこちらに向かって来ている。
「「……変態」」
私とミリーゼはその女性はの姿を見た後、全くの同時に同じ感想を口にした。




