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バッカナーレ  作者: 1さん
一人目
9/33

09 メリー2

 お嬢様が何かから逃げられている。暗闇のトンネルの中を、その小さい足でもどかしくも逃げ惑っている。水の中を走るように、重い何かにまとわりつかれたその歩みは、とても遅く、もどかしい。


 逃げて!


 私の思いは声にならず、周囲の暗黒へと溶けていった。

 お嬢様を追いかける何かは、白刃のナイフをきらめかせ、ゆらゆらと近づいていく。そして、無情にもお嬢様の背中に突き立てられた……。



 「―ッ!?」

 全身から汗が吹き出し、ベッドから飛び起きて周囲を探る。

 何時間寝ていたの!?


 部屋を照らす灯りは薄く、太陽が昇る前だと判別できる。

 昨日の眠りにつく前の記憶を探る。恐慌した頭ではうまく思い出せない。夢を思い出し、それが現実のものとなっているかもしれないという思いに囚われてしまう。顔から血の気が引き、視界がくらくらと揺れる。


 そうだ、昨日お嬢様は横で、


 そこまで思い出して側机そばづくえに目を向けた。



 そこには誰もいなく、空の椅子と机がポツンと置いてあるだけだった。


 永遠に思うような数秒を味わい、絶望に支配されそうな体を無理やり起こす。ずるりと落ちるようにベッドから這い出し、扉へと向かう。


 真鍮で出来たドアノブを握りしめ、



 回すことができなかった。



 もう、終わってしまったのか……。




 スーー、フゥーー。

 どれだけ扉の前で立ち尽くしていたのだろうか、唐突にそれに気がついた。

 部屋の中で空気の流れるような、寝息の音。振り返れば、ベッドに背を向けているソファーの上で、下着姿で大の字になって眠りこけているお嬢様がいた。

 ビリビリと痛みを伴うほど体が震えて、血のめぐりが急速に戻ってきて、お嬢様に近づこうとして、ドアノブをきつく握りしめていた右手が堅く強張って離れないことに気がついて、残った左手で右手の指を一本一本はがしていく。


 「はぁ……。」

 一息をついて、お嬢様が眠るソファーの横に腰かけた。今は立っているのもおっくうだ。しばらく目を閉じて、摩耗した精神を休ませる。

 何分かして目を開けると、無意識のうちに私の手がお嬢様を撫でていたことに気がついた。気がついたけれど、やめる気はおきなかった。手を滑らせて、血色の良いほっぺを撫でる。すべすべとした触感と、温かいお嬢様の体温を感じて心地よい思いに包まれた。


 いつまでもこうしてはいられない。

 

 たまたま運よくカバロさんたちは襲撃をかけてこなかったようだけれど、その分入念になにかの準備をしているに違いない。私も何か手を打っておかなければ……。

 「お嬢様、起きて下さい。」

 「う~ん……。」

 失礼だとは考えたけれど、出発の時刻が迫っているため、軽くゆすってお嬢様を起こすことにした。

 2度ほど揺らすと、お嬢様のまぶたがゆっくりと開かれる。

 「……おはよう、メリー。」

 「おはようございます。」

 「……もう体調は大丈夫なの?」

 「はい、おかげさまで万全です。御迷惑をおかけしました。」

 「そっかー。それはよかった。あまり無理をしないでね。」

 お嬢様はソファーから降りて背伸びをされた。その後で、きょろきょろと脱ぎ散らかしている衣服を見てばつの悪い顔をされる。

 「今回はとやかく言いません。……私が体調を崩していたせいでもありますので。」

 「あ、そうなの? よかった。」

 「さあ、準備をいたしましょう。」

 そうして私とお嬢様は大慌てで準備を始めることになった。



 朝日が昇るのと同時に邸宅を出て、馬車を待つ。人通りは、今はない。

 町中で魔力場を広げるのは法で禁止されているけれどやむを得ない。私とお嬢様を包み込むように小さく魔力場を展開する。町の守備兵に気がつかれないことを祈るばかりだ。

 ほどなくして、馬車とカバロさんたちが姿を現した。馬の毛色が前と違うのを見る限り、話をした通りに馬を替えたようだ。


 「おはようございます。」

 律儀にカバロさんたちは朝の挨拶をしてくる。私の魔力場に気がついてないはずはないのに。

 「おはよう。今日もよろしくね。」

 「おはようございます。」

 お嬢様も普通に挨拶を返されたので、私も追従しておく。

 「それでは出発しましょう。どうぞ、お乗りください。」

 一応警戒して馬車の中まで魔力場を広げて内部に仕掛けが無いことを探る。

 ……問題なさそうだ。


 「よいしょっと。」

 お嬢様を先導して馬車に乗車する。

 「失礼しますね。」

 馬車の中で緊張して待っていたが、カバロさんは臆することなく自然に乗り込んでくる。緊張をおくびにも出さない姿勢に少しあっけにとられてしまうほどだった。

 「出してくれ。」

 馬車は何事もなく、出発した。



 「もうすぐ直通路ですよ。」

 カバロさんの言葉に反応してお嬢様は窓から顔を出して森をのぞき込まれた。

 もう大森林は目の前だ。今の今まで草原だったところから、突如として巨木がうずたかく伸び、密集して壁となっている。いつみても不自然さを感じる森だ。森族の領域の特有の息苦しさを感じる。そんな森の壁に一つの穴があり、街道がそこへと伸びて先へと続いている。そこが直通路だ。

 カバロさんたちが仕掛けてくるならな、もうここしか残されていない。方向が限定され、浮遊魔力の密度が薄い絶好の場所だ。並走している騎士を牽制するため、薄くなっている魔力場をさらに拡大して圧縮する。

 これで通常と同じくらいには魔術が使用できる。


 「?」

 「どうしたの、メリー?」

 「いえ、なんでもありません。」

 怪訝な顔を浮かべてしまい、お嬢様に気づかれてしまった。気をつけなくてはいけない。


 直通路に入る前、外の3騎は私の魔力場から離れるように後方に距離を取った。そして私が魔力場を圧縮したのを見て馬車との距離を詰める。

 魔力場から離れるのは分かるけれど、わざわざ後方に付いた理由が分からない。カバロさんの目をじっと見つめる。私にとって都合のいい、そうさせようとしていたことを先回りされた。あるいは本当にカバロさんたちは任務を諦めてお嬢様をサティン王国まで届けてくれるつもりなのだろうか?

 カバロさんは何も言わない。表情からも、何も読めない。


 向こうの狙いは分からないが、今は相手の動きに乗るしかない。

 私とカバロさんが静かに睨みあったまま、馬車は森の中へと入って行った。



 通常の街道と違い、直通路は魔力循環経路上に設置されていない。

 自然発生する魔力の濃い大地の通路、魔力循環経路。魔術の発見と共に拡大を開始した五族だが、その進路は必然的に魔力循環経路上に限られた。集落も村も街も都市も、そしてそれらを結ぶ街道も、ほぼ魔力循環経路上に存在する。森族が自分たちの集落への侵入を嫌ったため、それを避けるように作られたのが直通路だ。ゆえに、直通路を通るということは、街から離れていくのと比例するように浮遊魔力が薄くなっていく。



 騎士たちは私の魔力場から離れて、馬車の後方について追走している。直通路の道の幅は4mほど。それに対して馬車の幅は2m半といったところだ。馬車が普通に道の中央を走っている間は騎馬に追い抜かれる心配はしなくてもいい。けれど、ひとたび左右のどちらかに馬車が寄れば追い抜くスペースは作られる。


 私は薄くなっていく浮遊魔力をさらに広域から集め、圧縮している。

 きついけれど、もう少し進めばこの状態は改善されるはずだ。この先に、直通路を横切るように魔力循環経路が存在する。ひとまずはそこにつくまで耐えるしかない。


 お嬢様は外をずっと眺められている。木々が連なる深い森しか見えないはずだけれど、何を見られているのか。


 ときおり木が手を伸ばすように、枝葉を直通路の中まで伸ばしている。それが窓をこするようにお嬢様の顔を目掛けて飛び込んで来ようとして、そのたびにお嬢様はあわてて窓から退避されている。馬車をこすった枝葉が去り際に葉っぱを何枚か残していき、それをお嬢様が拾われた。

 葉の先を指先でつまんで、くるくると回すように弄ばれている。葉をじっと凝視されたり、折りたたんで船のような形を作られたり、その動きは落ち着かれることがない。


 私はそんなお嬢様を見て、ふっと笑みを零してしまった。



 そうこうしているうちに、魔力が一番薄いところを抜け、密度が濃くなっていく。ここまでは乗り切ることができた……。あと残り3分の2といったところだろうか。


 「お嬢様、もう少し進んだところで休憩をされませんか? ずっと座っておいでだとお疲れでしょう。」

 私の安心を見て取ったのか、カバロさんが休憩の提案をしてきた。

 丁度いい頃合いかもしれない。直通路上で休憩をとれる所といえば、馬車の行き違いのために道が広くなっているところしかない。そこは魔力循環経路が横切っている所で浮遊魔力も豊富にある。そこなら備えも万全にとれる。

 「そうしましょうか。」

 「そうだね。」


 ガタガタと揺れていた振動が徐々に治まっていく。振動が完全に止まるのと同時に、お嬢様は馬車の鍵を開けられた。馬車の扉が開かれ、お嬢様がタラップを降りて外に出られた。私もそれに続こうとして、


 ぐらり、と体が傾いた。馬車の外の風景が右へ流れていく。お嬢様の姿も扉の向こうへ消えていく。

 馬車が急に走り出した……?


 これは、カバロさんたちの、攻撃だ!



 『穿うがて。』

 私が知る最短の呪文を後方に向けて射出する。魔力場が凝結し、岩石の槍が生成されていく。


 ……!?

 馬車の外、両脇から私の魔力場が侵略されている。

 失敗した。外の3騎のうち、少なくとも2騎は魔術師だったらしい。岩石の槍は魔力が足りないせいで細くて軽い。それは足りないままカバロさんに射出され、腹部を貫いた。細いせいで槍は貫通し、そのまま座席に突き刺さりカバロさんを縫い付ける結果となった。

 けれど、その代償に、


 左腕が、熱い。腕を覆っている服に赤いしみが生まれ、水気が重さを増していく。服の繊維を通り抜けた赤い水が滴り落ちて、馬車の床に血溜まりを作っていった。


 カバロさんが繰り出したナイフの一撃は寸分狂わず私の心臓を狙っていた。何とか防御しようとした結果、左腕を刺し貫かれた。でも、これは運がいいほうだと思う。防御できたのは偶然で、失敗して一撃でやられていた可能性のほうが高かったにちがいないのだから。

 そうしてもうひとつ運が良かったこと。魔力が足りないせいで槍が貫通せず、カバロさんを縫いとめている。


 膠着状態。

 カバロさんの動きは早い。ナイフを引き抜き、もう一度振りかぶる。私は引き抜かれた衝撃と激痛を味わい、そして傷からの大量出血のせいで頭がくらくらする。


 『木壁。』

 馬車の移動と魔力場への侵略のおかげで、私の支配下の魔力は残り少ない。なんとか魔力を掻き集めて、私とカバロさんの間に木板の壁を作る。大して耐久力のない、薄い木の板ではあったけれど、カバロさんは力が入らないようで、突き出したナイフの先は僅かに木を貫くだけで私までは届かない。

 少し安心できたけれど、状況は、悪いままだ。私が魔力場を喪失したのを見て、2騎が魔力場を展開していく。でも、まだ私のほうが制圧すべき浮遊魔力に近い。2騎は馬車の前方に出ていない、おかげで間に合う。きっとそこまでする余裕はなかったのだろう。私はなんとか周囲を敵の魔力場に包囲される前に、自分の魔力場を再展開させることに成功した。


 それを感じ取った相手は、また魔力場への侵略へ行動を変化させる。それに対処するために私は制御暗号を変化させ続け、侵略の防御に手一杯となってしまった。


 1人ならまだ防御しつつ攻撃に出ることも出来るけれど、2人を相手するとなると到底無理だ。

 外の2騎のうち、1騎が馬車へ近づいてくるのを感じる。乗り移る気だ。慌てて開いたままの扉を閉め、鍵をかける。鍵をかけて少しすると、外から馬車へ何かたたきつける音が聞こえてきた。この馬車の耐久力ならある程度なら耐えれるはずだ……。


 「ウオォォォォ!!!!」

 壁の向こうから、カバロさんの咆哮が聞こえてくる。みればじわりと壁の隙間から私のではない血が染みて出てくる。無理やり槍を引き抜いたのだろうか。こちらも、もう時間がない。


 だけれど、もう、


 左腕の傷からでる出血は止まっていない。馬車の床一面に血溜まりが広がっている。血を流しすぎた。だんだんと思考が減退していき、何も考えられなくなる。魔術で治癒することも出来ない。今魔力場を喪失したらもう取り返せない。

 今私に出来ることは、少しでもお嬢様に時間を稼いであげることだけだった。


 …………そういえば、騎馬はもう1騎いたような……。どうか……、生き延びて………………。


 体から力が抜けていき、血溜まりに横になる。壁が破壊され、カバロさんの姿を見るのと同時に、私は意識を手放した。



 気がつけば、私は粗末な藁の寝床に寝かされていた。石と鉄格子で覆われたこの場所には見覚えがある。王都の、カプラ団の地下牢だ。左腕は最低限の治療をしてもらったようだけれど、ひどく痛む。


 そして私は、全てが終わったと聞かされた。


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