05 獣人
現れたのはしっぽだけではなかった。
突然目の前に現れた犬耳と犬しっぽに、触ったり引っ張ったりしてそれが本物であることをしっかり確認してしまったのがいけなかった。
その柔らかさと温もりに思わずはしゃいでしまい、つい調子にのって色々してしまった・・・
ふさふさのしっぽを両手でぎゅっと掴んだときなんて、「ぅあっ、そこだめ!そんなに強く握っちゃ・・・!」なんて言うから、ふと悪戯心が芽生えてほんとについ、つい調子にのって色々と・・・
後悔はこれっぽっちもしてないけど、拗ねて布団をかぶったままのヤツを夕飯に連れ出すのは大変だった。
「そろそろだな・・・」
ヤツの耳と尻尾を完全スルーしていたパパがお箸を片手に感慨深げに頷くと、ママも左頬に手を添えてほおっとため息を吐いた。
左前のダンディーパパと右前のおっとりママ。
ママの再婚でゲットしたパパは、黒々としたツヤのある髪を後ろに軽く撫で付けて、一歩間違えれば面白いだけのヒゲがなぜか似合っている。
今でもこれだけ素敵なダンディーパパの若い頃なんて想像もつかないけど、ヤツを見れば、まぁ・・・少しはわかる気がしないでもない。
対して、頬に片手を添えたおっとりママはちょっと可愛さが残る天然系で、わたしとは全く似ていない。
ダンディーパパがしっかりしている分おっとりママで丁度良い感じだけど、よくこんな素敵なパパが釣れたと思う。
馴れ初めは詳しく聞いてないけど、きっとママが頑張ったんだ。
でなければこんなダンディーおじさま、誰も放っとかないだろうし・・・エサが何だったのか気になるところではある。
「あらぁ、急なのねぇ・・・」
「仕方ないさ。」
向かいに座る二人の意味ありげな会話も気になるけど、隣にいるヤツのほうがもっと気になる。
いまだに犬耳と犬しっぽがついたまま黙々と夕飯を食べてるヤツをちらちらと盗み見る。
ご飯をおかわりするために、椅子に座ったまま向こうを向いたのを好機とばかりにズボンからはみ出てるしっぽを凝視した。
ふっさんふっさん。
揺れる尻尾の毛は長く、表は暗い灰色や黒が入り混じっていて裏は白一色。
ゆっくりとしたリズムで揺れてるしっぽを掴みたい衝動に駆られて、お箸とお茶碗を持った両手がむずむずと疼く。
しかし、頭のてっぺんで三角の犬耳がこっちを向いてるから、ヤツの注意はこっちに向いていると思ってまず間違いない。
ふわふわしていて柔らかい、灰褐色の毛並みをした肉厚な犬耳。
耳の先へ向かって黒っぽくなっていく色加減は絶妙の一言である。
「・・・そういえばもう夏休みか、それならちょうどいい。弥生、明日にでもファシュジャーナに行ってみるか。その姿じゃ外出もままならんだろうしな。高校には連絡をいれておくから・・・」
いきなりパパの口から海外らしき地名が出たけど、そんなところ聞いたこともない。
ということは有名じゃないところ?
お茶を飲みながらパパを見ていると、パパが何かを思いついた顔になってこっちを向いた。
「と、珠洲も一度見ておきたくはないかい?」
パパがにっこり笑って、ママも「あら、それは良いわねぇ」とか言っている。
パパが生まれたところで、パパとママが出会った場所、それが異世界ファシュジャーナ。
なんでも獣人さんがいっぱいでうじゃうじゃのうじゃうじゃ。
獣人として体に変化が現れるか、その少し前に一度あっちに戻り、しばらく向こうで生活して、人化のための魔力を体に馴染ませてからならこっちでも人の姿で生活できるらしい。
馴れ初めという惚気から、ママを見初めたのがパパで、惚れた理由が“匂い”だったということもわかった。
そしてライバルたちとの数多の戦いを勝ち抜いたパパが、見事ママをゲットした、と。
・・・ママのエサって、匂いだったのね・・・
って、あれ?
当然パパのそれは息子に遺伝してるし、ママのそれはわたしに遺伝している・・・ということは?
こうして初めて異世界にやってきたものの、着いて早々迷子になっていた。
というより転送中にヤツとはぐれたっぽい。
着いたら一人だったのだから、迷ったわけじゃない。迷ったのはアイツだ。ふーやれやれ。
暖かな日差しが降り注ぐ小さな広場の真ん中、少しだけ高さがある石造りの台座は長いこと風雨に晒されたのか、角がとれた古い石碑のようだった。隙間から草が生えていたり苔むしていたりしている。
背後には森が広がり、目の前の小道を辿ればたぶん村か何かに着くのだろう。
しばらく待ってみたけど誰かがやってくる気配もないので、ひとまず道の先を目指してみることにした。
小道を辿ってしばらく行くと、予想通り人が・・・人や獣人さんがたくさんいるところに辿り着いた。
ただ、予想していたような村ではなく、町といったほうがいいかもしれない。
馬車や人が行き交う広い通りと交差した小道の真ん中に立ち、あたりを見回す。
面倒だけど一応お姉ちゃんだし、迷子になったアイツのことを探してやらなくては。
まずは聞き込みを、と、頭と視線を動かしていると後ろからポンと肩をたたかれた。
「ひゃっ!って、え?・・・そぅ、ぁ、草川君・・・?」
驚きとともに慌てて振り向けば、そこに立っていたクラスメイトにまたも“爽川”君と言いそうになった。
クラスメイトだけどそれほど接点のない爽やかイケメン草川君、略して爽川君。
・・・一々呼びにくいから、もう爽川君でいいとか言ってくれないかな?
「こんなところで何やってるの?」
それはこっちのセリフだ、と思ったがイヤな予感がするのでそこはスルーすることに決めた。
不思議そうに聞いてきた爽川君に向き直り、右手に提げていた旅行用カバンを少し持ち上げる。
「わたしは付き添いなの。」
「付き添い?・・・ああ、弟くんか。」
躊躇いもなく顔を近づけて首のあたりのニオイを嗅ぐ姿に誰かが重なる。
それにしても、それくらいで特定されるほどヤツは体臭がキツくなかったと思うんだ。どっちかというと良い匂い・・・
そんなことを思っていると、「珠洲!」と遠くから誰かに呼ばれた気がした。
声の主を探してキョロキョロとあたりを見回している間、爽川君はなぜか人でごった返す道の向こうを見ていたようだけど・・・?
「珠洲に触るな!!」
少しして、爽川君の見てた方からヤツが人ごみを掻き分けて現れた。
汗だくの姿に、なぜか胸の奥がじーんとする。・・・きっと一人になって少しは不安だったからだろう。きっとそうだ。うん。
そう納得したところで、駆け寄ってきた勢いのままにぐいっと腕を引っ張られる。
まるで背中に隠すようにして爽川君との間を遮るように立ったヤツを、爽川君が面白そうな顔で見下ろし。
「やっぱり君もウルフ系かぁ・・・」
も。
も、なのか・・・
君も、ということは・・・
爽川君の言葉の意味を理解しかけて、その言葉を華麗にゴミ箱へポイしたくなった。
こうして、わたしの異世界ライフは始まった。