第1話
河川敷の夜は、いつも血の匂いがした。
霧島レンと天峰ツバサ。
地元では「最凶の二人」と呼ばれていた。
誰にも負けたことはなかった。
二人でいれば完璧だった。
今夜もそれは変わらなかった。
隣町の不良連合、総勢17人。
刃物を持った奴もいたが関係ない。
レンが真正面から突っ込む。
ドンッ!
腹に拳を叩き込むと同時に肘を振り上げ、顎を砕く。
横からツバサの蹴りが弧を描いて飛んだ。
ガキン!
相手のナイフを蹴り上げ、続けて膝が別の奴の顔面を捉える。
倒れた敵を踏み台にレンが跳び、ツバサが受け止める。
完璧な連携。
まるで踊りのようだった。
「まだまだもの足りねえな」
レンが汗を拭いながら笑った。
「次はもっとデカいのとやりたいねぇ」
ツバサが肩で息をしながら、倒れた相手を足先で軽く押した。
レンが首を振って地面に唾を吐いた。
「20人近くいてこのザマか。肩透かしだ」
レンが最後の一人を叩きのめした。
ツバサは地面に落ちたナイフを足先で弾き、キンッと金属音を響かせた。
「あー、最後の一人は僕が片付けるって言ったでしょお?」
「お前が遅えからだよ」
二人はニヤリと歯を見せて、倒れた相手を見下ろした。
「なあ、次はもっと人数揃えて来いよ」
「僕たち退屈してるんだよね」
その瞬間だった。
土手の上からけたたましいエンジン音が降ってきた。
トラックが猛スピードで突っ込んでくる。
アクセル全開だった。
ヘッドライトが二人を捉えていた。
不良の一人が運転席に滑り込んでいた。
復讐の牙を剥いた狂気の目だった。
アクセルを床まで踏み抜いた。
「レン、後ろ!」
ツバサが叫び、レンは振り向いた。
「おいおい嘘だろ……」
気づいたときにはもう遅かった。
激しい衝撃が体を襲い、世界が歪んだ。
ツバサは吹き飛ばされて地面を転がった。
一瞬、世界がスローモーションになった。
死の直前、脳が最後の悪あがきをしているのか。
意識だけが異様に鮮明に残った。
視界が真っ赤に染まった。
意識が遠のいた。
でも、それより何より――
「ツバサ……!」
最後に見たのは、吹き飛ばされるツバサ。
華奢な体が地面に投げ出される。
――俺のせいだ。
俺が気づかなかったからだ。
ツバサを殺してしまった。
運転席の窓の向こう。
不良がゆっくりと中指を立てていた。
そしてすべてが白くなった。
そして真っ暗になった。
音が消え、痛みすら消えた。
体がどこにもなかった。
意識が底なしの冷たい水に沈んでいく。
沈む。沈む。沈む。
ツバサの笑顔が闇の奥で遠ざかっていく。
もう二度と触れられない。
もう二度と肩を並べて戦えない。
もう二度と「レン」と呼ばれない。
――これが死か。
そう理解した瞬間、闇の奥で青白い火花が弾けた。
それは魂が最後に燃え上がった残光のようだった。
レンの意識がその火花に必死に手を伸ばした。
届かない。
でも届きたかった。
「ツバサ……ごめん……!」
次に意識が戻ったとき、二人は見知らぬ世界の軍医療施設にいた。
石造りの天井に魔術式の紋様が青白く浮かんでいる。
「第117号・霧島レン、覚醒確認」
「第118号・天峰ツバサ、魂固定完了」
無機質な声が響いた。
レンはゆっくりと目を開けた。
――腕がない。
肩から先が、完全に失われていた。
代わりに冷たい金属が埋め込まれている。
指を動かすと青い魔力回路が光った。
自分の腕のように反応した。
でも、違う。
これは俺の腕じゃない。
触れる感触がまったくなかった。
温もりもなかった。
痛みすら伝わってこない。
白衣の軍医たちは、魔術と科学が融合した器具を手に、淡々と記録を取っていた。
壁には魔王軍討伐進捗を示す巨大な魔導地図が浮かんでいる。
赤い点が増え続けていた。
この世界はまさに戦時下だった。
レンはベッドの上で体を起こした。
義手を握ったり開いたりしてみる。
金属の指がカチカチと音を立ててシーツを掴んだ。
でも、シーツの感触が指先に伝わってこない。
――俺は、もう人間じゃねえのか。
隣のベッドで、何かがゆっくりと上体を起こした。
上半身は黒光りする魔導合金の強化骨格で覆われていた。
人間だった部分はほとんど残っていない。
腰から下だけが、わずかに人間の肉体を残していた。
頭部は頭蓋すら失われていた。
首の付け根に据えられた黒い金属の“器”の上に、青い炎がゆらめいている。
喉に相当する位置に埋め込まれた魔導スピーカーがかすかに振動した。
レンの心臓が止まりそうになった。
――ツバサ……?
レンの喉がゴクリと鳴った。
目の前の“それ”に、ゆっくり手を伸ばす。
指先が青い炎に触れる寸前で止まる。
――顔が、ない。
笑えない。
怒れない。
泣けない。
レンの義手がガクガク震えた。
もう二度とあの笑顔が見られない。
レンは息を呑んで掠れた声で訊いた。
「お前……嘘だよな?」
炎が小さく揺れてスピーカーから音が鳴った。
「どうもー、ツバサでーす」
レンの目から涙が零れた。
頬を伝って落ちても指で触れる感触がない。
――俺はもう泣くことすらまともにできない。
レンは自分の額を叩いて苦笑した。
「俺も大概だけど……お前、顔が炎だけってマジかよ」
「僕が一番驚いてるんだけどね!?」
ツバサが体を傾げると脊椎合金がギチリと鳴った。
「声は出せるみたいだな……ちょっと気持ち悪いけど」
レンが呟くと隣の炎が小さく揺れた。
「えー、レンだって両腕ガチャガチャ鳴ってるじゃん!」
首輪状の金属リングがカチリと振動した。
沈黙が落ちた。
二人は互いの姿をまともに見られなかった。
見れば見るほど胸が抉られる。
これが生き返った代償なのか――
「……なあ、ツバサ」
レンがぼそっと言った。
「ん?」
「お前、まだお前でいてくれてよかった」
一瞬、炎が静かになった。
そしてゆっくりと優しく揺れた。
「……レンも無事でよかった」
「確かに顔は残ってるだけマシだな」
「もー!」
ツバサの炎が少しだけ柔らかく揺れた。
レンは手を伸ばしてツバサの肩に触れた。
触れられる。
まだ隣にいる。
笑いながら、どこかで泣いていた。
ツバサはもう泣くことすらできない。
生きていることがこんなにも痛いとは思わなかった。




