45.再会
ふうかからの祝福を受けた柳はその場で深く頭を下げると、菫のもとへ戻った。
邪神への敬意を受け取った槇は黙って見送ると、最後に落ちてきた羽根をつまみ、くるりと指先で回す。槇はもう一度、空を仰いだ。
幸せそうで良かった。愛情深い天狗のことだ。覚悟を決めたのなら、菫は菫にとっての幸せな一生を過ごすことができるだろう。
誰もいなくなった境内で、社に供えられた琥珀糖の包みを手にしたとき──ふと、背後に気配を感じて振り返る。
階段の下からぬっと麦わら帽子が出てきた。
誰かが神社に足を運んでいるのだ。
その人影は、徐々に顔を見せてくれた。こちらに気づく。
「おねえちゃん!」
飛鳥だった。今の自分よりもずっと年上で──日焼けしている。
「よっ、久しぶり〜」
歳の頃は三十後半くらいだろうか、それにしては若々しい口調で、シャツにジーンズ姿で世越間神社へと足を踏み入れる。
「久しぶりだなー、どこからも誰からも見られてるこの感じ。蓮ちゃんったら〝何も変わりはないぞ〟って言ってたけど、本当だね。っていうか、むしろ綺麗になってない?」
槇は自分に向かって大きく手を広げて来た飛鳥の熱烈ハグに備え、琥珀糖と羽根を賽銭箱の上に置いた。
ぎゅうっと抱きしめられる。その両腕から、どうやら海外生活が長いことを感じた。恐ろしく慣れている。
「……ちょっと飛鳥、苦しいんだけど」
「うわっ、それでこそおねえちゃんだー!」
と、更にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、背中を叩かれ、ついでにゆらゆらと揺らされる。
「飛鳥」
「あはは、ごめんごめん!」
ようやく離してもらえた槇は、飛鳥の麦わら帽子をひょいと取り上げた。
「意外と時間経ってないもんだね」
「そうなの? 先生はどう?」
元気? と聞かないところに、破天荒な妹の聡さを思い出す。
蓮一郎から聞いているか──察しているのだろう。槇は飛鳥の麦わら帽子を頭に被った。なんとなく、異国のにおいがする。
「うん。大丈夫」
「そっか。無事に済みそうで良かった」
「心配してたの?」
「いんや。天原の分家も、その辺の人も、もうおねえちゃんが邪神を継いだって思ってるみたい。お母さんがそう誘導してたし」
「それはありがたい」
槇の言葉に、飛鳥が笑う。もうとっくに制服を脱いだ顔だ。
「ついでに、お母さんは、おねえちゃんが最後だと思うって言ってたよ。だからなんか──安泰? みたいな空気」
「まあ間違ってないね。レンレンのことだから、それとなくお母さんにも接触してるんでしょ」
「うん。ただ、もう私以降は、そういうこともないだろうねー」
槇も頷いた。
この世代の天原が、どうやら相当濃いらしい。
「琥珀糖係は、芳くんのところが継いでいくって言ってる」
「無理しなくていいよ」
「何言ってんの。芳くんの生きがいだから奪ったらダメ」
飛鳥が笑う。
ああ、彼女も歳を取ったのだな、と思うと、槇の胸に幸福のようなものが淡く広がった。
「おねえちゃん」
「ん?」
「私、大原先輩と結婚することになった」
「そうなんだ」
槇はゆるく頷く。
が、ハッとした。
「そうなんだ?!」
「えへへへへー、そうなのー」
でれっと飛鳥が笑う。
頭を掻いている姿は、まるで高校生のように可愛らしい。
「私、子供は望めないからさ、向こうのお家の人にはやんわり認めないぞって空気出されたんなだけど。ほら、私天原じゃん?」
「……」
「大原は天原と縁続きになるのが悲願だったからさあ、結局、大原先輩の従兄弟が大原家の養子になることで、結婚オーケーになったんだよね」
「……へえ」
「そしたら、大原先輩も家から出られて超ハッピーになって、大団円!」
「何年かかったの」
なんとなく槇が聞くと、飛鳥はぱっと両手を広げた。
「十年?」
「うん。私があやかしたちと仲良くなれたのは、どうやら子供が望めない身体だからでね。蓮ちゃんから聞いてたから、今まで恋愛もしなかったんだけど……ほら、大原先輩が、おねえちゃんに情けなく迫った挙げ句にこっぴどく振られて可哀想でさ、つい拾っちゃった!」
なるほど、「何も言えねえ」ってこういうときに使うのだな、と槇は黙って頷いた。
「話すようになって、しばらくは友達だったんだけど、ほら、男と女に友情は成立しないじゃん? お酒飲むようになったら尚更さあ」
豪快に笑って軽く言いながらも、飛鳥の表情は美しかった。
「で、ここまでなんやかんや十年」
「それで帰国したの?」
「うん。あと、なんかそろそろかなあ、と思って」
蓮一郎に呼ばれた気がする、と飛鳥は言う。
槇は飛鳥の手に持たれた紙袋を見やる。きっと、お別れセットというやつだ。
「ありがとね」
「いーよ。おねえちゃん、私、先輩連れて外で暮らすわ」
「いいんじゃないの。どの国行っても飛鳥なら生きていけるし、大原くんなら飛鳥を破滅させないでしょ」
「ひどい」
「補い合ってていいじゃん」
槇の軽口に、飛鳥が嬉しそうに「おねえちゃんだなあ」と思わずといったように漏らす。その目が懐かしそうに潤んだのを見なかったふりをして、飛鳥から紙袋を受け取った。
「みんなによろしくね」
父や、母や、芳に。
それが伝わったようで、飛鳥は明るい表情でこくりと頷いた。
みんなの近況を寄稿としない槇の意思を尊重したように、何も話さずに。
「じゃあね」
「うん」
「蓮ちゃんから頼まれた、おねえちゃんの服も入れておいたから」
「……ああ、あれねえ。私着物なんて着れないけど」
「大丈夫」
飛鳥が優しく笑う。
「おねえちゃんのために私が選んだから。先生も喜ぶよ、絶対」
ふと、その昔に合コン──ではなく、同窓会に着ていったあの真っ白いワンピースを思い出した。
あれを見たときの、和臣の表情も。
やたら女の子扱いされたことも。
「……ふうん。ありがと」
「いいえ」
また会えるか、とか。
ここに来るね、とか。
そういう言葉一つ残さずに、飛鳥はさらりと背中を見せた。
槇はその小さくなる背中を見送っていたが、ふと、気になって手元に視線を落とす。
紙袋をぱかっと開くと──
「飛鳥ぁ!!」
槇の声に、飛鳥はダッと駆け出して境内から逃げ出した。
紙袋には、紺色のセーラー服が綺麗に畳まれている。




