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邪神とJK  作者: 藤谷とう
39/51

39.思い出リスト





 朝の空気の中を、コートがひらりと舞う。

 コートを狛犬に掛けると、セーラー服の襟の上を黒髪がが揺れた。

 その背中は足早に社の裏手に回り、木々を抜け、池へ。

 赤い一本橋を渡るその足は軽やかだ。

 家の引き戸に手をかける。


「先生、和臣先生!」


 呼ぶと、客人不在の家の中から、見知った顔がひょっこりと廊下に顔を出した。


「槇さん。そんなに急いで……どうしました?」

「卒業した!!」

「……ほお」


 胡乱な目が返される。

 それもそのはずだ──あれは三日前。

 和室で和臣の胸元を枕にして寝転んでいた槇が、薄っすらと起きてまた眠ろうとしたときだった。




「えっ。帰らないんですか?」

「んー」

「んー……とは?」

「今日からずっとここにいる」

「なんで?!」


 和臣はぎょっとしたように言うと、ガバリと起きて槇の肩を掴んで「帰りなさい」と慌てふためいた。


「……蓮がそうしろて言ったんだけど?」

「ぐおぅ」


 ぐうの音も出ない、とやらの音を口から発した和臣は、槇をきちんと座らせて、真面目な顔でじいっと見た。


「わかり、ました」

「ん。じゃあ寝よ」

「わかりましたけどー?! 帰ってくれませんかねー?!」


 前のめりで聞いてくる和臣に、槇はふるふると首を横に振った。


「いやだ」

「シンプルな拒絶!!」

「ふふ」

「笑ってる場合じゃないんですよ?! 本当に帰らないつもりですか?!」

「うん」


 槇が頷くと、和臣はショックを受けたように両手で顔をバシンと音が出るほど叩いて覆った。


「どうしましょう……」

「家族にもほとんどこっちにいるって言ってるし、先生のこと心配だし」

「僕の心配をするのなら、あまりグイグイ来ないでいただきたいです……」

「なんか言った?」


 華麗に聞こえなかったふりをした槇を、顔を覆う指の隙間から睨みつける。可愛いとしか思えない。


「先生、かわ──」

「あああーーー!! 聞こえませーーーん!!」

「また? っていうか、耳塞いでないけど?」

「すみませんね。耳、遠いんです」

「若いのに大変だね」

「……どうも」


 怖い……、と呟く和臣の耳が赤い気がしたが、槇は口をつぐむ。

 これ以上は、多分だめだ。


「槇さん」

「ん」

「あなた、まだ卒業してないですよね?」

「……」

「……」

「……」


 黙っているのがだめだった。

 和臣は自分のターンだと言わんばかりに、顔を覆っていた手をどける。


「あと一ヶ月で卒業だって言っていませんでした?」

「二週間」

「休日入れれば一ヶ月ですよね?」

「自由登校だから」

「……」

「……」

「わかりました。じゃあ、だからこそ、クラスの友人と思い出を作ってきてはいかがでしょうか。卒業したらここにいることになるんですから、今のうちしかありませんよ。ね。ね?」


 本気で圧をかけてくる和臣を、流石に煙に巻くことはできなかった。

 というか、今言質を取った気がする。



「わかった。卒業したら、ここにいていいわけね。ずっと」



 しまった、という顔をされるが、槇は今度は自分のターンだと言わんばかりににっこりと笑った。


「じゃあ、最後の日まで女子高生でいるよ。その代わり、卒業したら、ここにいていいんだよね。ずっと。だって、今しか友達に会えないって先生も言ってるんだから──ありがとう、先生。優しいねー」

「……ぐぬぬぬぬ」


 歯を食いしばった和臣が「くっ!」と顔を逸らす。


「ね。先生。ね?」

「わかりましたよ」

「やった」


 槇は小躍りする代わりに、また畳に寝転んだ。

 和臣に「卒業までは家に帰ってください!」と起こされるのだが。




        ◯





「うん。卒業した」


 槇は明らかに疑っている和臣の目をしっかりと見つめて嘘を吐く。

 三日しか経っていないが、誤魔化せるような気がする。

 なぜなら、この人はとんでもなく甘いからだ。


「一ヶ月も経ちましたぁ?」

「それが経ったんだよね」

「今日で来るの三回目くらいじゃないですか?」


 正解。

 しかし槇は真面目な顔で首を横に振った。


「高校生活エンジョイしてて、来るの忘れてた」

「……ほお〜」

「……」

「……」

「ということでお邪魔します」

「どいうことですかあ!!」


 とか言いながらも、後ろからついてくるだけなので、本気で追い返す気はないのだろう。

 ひたすら、後ろで「心の準備がまだ足りません……」などと可愛いことを呟いている。

 聞かないふりで、槇は座布団に座った。


「先生、ほらほら、座って」

「……はあい」

「人生諦めも肝心だよね」

「ええ、本当にそうですよね……」


 悟ったような和臣の声に満足そうに笑うと、槇は制服の胸ポケットから紙を取り出した。


「? なんですか、それ」

「思い出リスト」

「ほう!」


 機嫌の良くなった和臣が、身を乗り出してくる。どれどれ、と見ると、段々となんとも言えない表情になっていった。


「……槇さん」

「なに」

「……境内で花火、夏祭りの大きな花火を見る、橋の掃除、絵葉書を描く……」

「うん」

「いいですね。素晴らしいです──けど、全部に(和臣先生と)って書いてあるんですけど?!」

「うん。先生としたいから」


 槇が素直に頷くと、和臣の耳がカッと赤くなった。


「他、他にもないんですか?!」

「他って?」

「お友達とお出かけとか」

「ないね。みんな忙しいし」

「……」

「ね。他に提案出てこないでしょ」


 というよりも、槇自身が和臣との思い出を持っていたいのだ。

 

 この三日、真面目に家に帰ってくる槇を見た家族から「向こうにいるんじゃなかったの?」という視線を何度となく受けた。

 それはまるで、就職で家を出て自立したはずの娘が、のこのこと実家に帰ってきているような──そんな居た堪れなくなる目。和臣が一番心配している「家族との今生の別れ」とやらは起きてはいない。


 けれど、その三日で、身辺整理をしておく心づもりができたのも事実だった。


「先生と遊びたいなあって思ってるんだけど。だめ?」

「だめ、じゃ、ないです……」

「やった。生涯の思い出、一緒に作ってね」


 あなたでなければダメだから、という言葉は飲み込む。

 それは正解だったようで、和臣の顔は、どこか眩しそうに「思い出リスト」を見ていた。


 このリストを一つずつ消した先には自分がいないことを、噛み砕くように、じっと。



「ということで、早速橋の掃除、しよ」

「はい、そうしま──今からですか?!」

「嘘だよ」

「槇さん、いたずらっ子ですね……?」

「明日しようね」


 槇が笑えば、和臣も笑う。


 きっとふざけてるくらいが、きっと丁度いい。





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