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邪神とJK  作者: 藤谷とう
35/51

35.神々しい光


 

 遡ること二時間前。


 槇が朝帰りしたことを騒ぐ兄と妹を横目に、槇は両親に「これからほとんどあっちにいると思う」と伝えた。

 母からは「そっか。もう時間か」とあっけらかんといい、父は「わかった。この家の食事のことは任せなさい」と力強い言葉をかけられ、飛鳥は「おねえちゃんの部屋漫画部屋にしていい?」と聞かれ、芳からは「琥珀糖、いっぱい作って持って行くな」とやはり普通に声をかけられる。


 それは、自立する長女への言葉に近かった。

 そうして家族で朝食を食べているときに、電話がなったのだ。


 大原だった。



 

 


「結婚してほしい」


 槇の指定した喫茶店の奥のテーブル席の前についた途端、待っていた大原がそう言った。

 席に座らずに立ったまますぐさま「ごめん。断りに来た」と言えば、彼は「いやだ。結婚してほしい」と言ってのけたのだった。


 目を潤ませた大原に、つい座ってしまった槇は水とまだ封を開けていない冷たいおしぼりを渡す。


「ありがと……」

「いや、なんかごめん」

「別に俺、天原さんに人生の責任を取ってもらおうとは思ってないよ」


 憔悴したような絞り出す声は、「邪神になるまでのほんの時間でもいいから」と言っているように聞こえた。自惚れでなければ、だが。


「邪神になるまでのほんの時間でもいいから」

「……」


 当たってしまった。

 人のいない喫茶店で良かった、と槇は心から思う。耳の遠い寡黙な店主も、存在自体がありがたい。


「大原くん」

「本当にずっと好きだった」

「そっか。ごめん」


 槇がはっきり言うと、大原は昔のようにからりと笑った。


「うーん、これでこそ天原さんだなあ」

「大原くん」

「憧れの人だもん──天原さんは」


 大原が言う。槇の渡したおしぼりの封を開けずに、まるで宝石で見るようにじっと見ていた。思わず繰り返す。


「あこがれ」

「そうです、憧れです。ずっとそうだった。だから、女子として好きっていうか──人として好きっていうか、いてくれるならずっと隣りにいてくれたら、俺も壊れずに済むような気がしてさ」

「……大原くん。君にはまだまだ時間があるし、心から好きな人が見つかると思う。絶対」


 槇の直球を、大原は爽やかに笑っていなす。


「だからそれが天原さんだよ。結婚してください」

「しません」

「うーん、手強い!」

「楽しそうだね……」


 生き生きとするその表情から、さっきの潤んだ瞳は泣き真似だったんじゃないかとさえ思えた。

 あれがなければ「じゃあ帰るね」と店をあとにしていただろう。


「大原くんって、意外と曲者なの?」

「え、忍者?」

「……なんでもない」


 槇は考えるのをやめた。

 とりあえず、大原の心を折る言葉を打ち込むしかない。


「大原くん、あのさ──」

「邪神になるまで付き合うのはだめ?」

「だめ」

「友達は」

「今がそうだからこれ以上アップデートはできない」

「そっか」

「うん」

「やっぱり結婚しない?」

「なんで?」


 大原は「惜しかった!」と笑うので、槇もつられたように笑ってしまった。

 小中高と、こういう不屈で柔軟な思考に助けてもらったことも多かった。


 しかし今は相当困る。


「わかった。大原くん」

「え。本当?」

「いや、意見と提案はわかったって話」

「うん?」

「じゃあ、私と大原くんが結婚したとしましょう」

「結婚式場はどうしよ。やっぱり神前式だよな」

「ごめん、考えなくていい」

「わかった。じゃあプロポーズのやり直しを考える」

「それも考えなくていい。ともかく──、色々あって、まあ、そうなったとしよう」


 具体的なフレーズは言質を取られるだけだと察した槇が濁すと、大原はさわやかに笑って受け流した。

 これ、突破できるんだろうか。

 ふとそんな考えが頭によぎるが、槇は背筋を伸ばしてはっきりと伝えることにする。


「で、邪神になるまでにほんの少し時間があったとして……でも、私、ほとんど世越間神社にいるよ」

「夜は帰ってこれる?」

「仕事じゃないから帰らない。神社から出ない。一歩も」

「ふうん……なるほど……そっか」


 下を見つめる大原は、首筋を撫でた。


「わかった。婿入りする」

「そういうことじゃなくてね」

「ふは。ごめんごめん」


 ふと、大原は大きなため息を一つ吐くと、真面目な顔で槇を見つめた。


「天原さん──本当のこと、言ってもいいよ」

「和臣先生が好きだから、結婚できない」


 槇の言葉を噛みしめるように、大原は二度頷いた。


「うん、知ってた。昔からだろ?」


 その笑みは、巻のよく知っている爽やかなそれだ。



 この落差はなんだ、と思った槇は、ふと窓の外の異質な青に気づいた。



 たつみ。

 青い髪をしたたつみが、歩道で浮いていた。

 その手には大きな刀を持っており、振ったあとのように下へと降ろされている。


「……切ったな……?」

「え?」

「ううん。なんでもない」


 縁切りの神の効果は抜群で、大原は突然熱意を失ったように身体の力を抜いた。


「ごめんな。今まで、隠してきたからさ……隠さなくていいだって思ったら、なんか吹き出しちゃって。急に我に返ったよ」

「……それは、うん、そうだね」


 槇は窓の外では、たつみがぐっと拳を握って消えていく。

 槇は大原に「なんか本当にごめん」と謝った。

 知り合いの神々がすみません。


「いや、俺こそごめん」


 大原が顔を真っ赤にする。

 うわあ、と言いながら両手で顔を覆った。


「恥ずかしい……あ、でも、全部本心だよ。いつもは上手に隠せてたけど、何だったんだろ。抑圧の反動かな……」

「大丈夫。私は何も気にしないよ」

「それはそれで……それだけど」


 苦笑しながら、大原は顔を覆う手の間から槇を見た。


「ごめん、忘れて」

「気持ちだけはちゃんと受け取るよ」

「……あ、ありがと」


 また「うわあ」と呻いた大原は、今度こそ耐えきれなくなったようにテーブルに突っ伏した。


「でもなんか、スッキリしたかも……」

「大原くんって理性的すぎるんだろうね」

「そうかなあ」

「そうだよ。あと、やっぱり大原くんには大原くんのための人がいると思うよ」


 歩道を見れば、桃色の蓮の花がぽんぽんと浮かんでいた。

 まどかが、相手を探しているのだろう。

 きっと「お詫び」のようなものに近い。


「すぐ、出会えると思うし」

「……」

「大原くん?」

「振られた直後に言われるのは斬新だなって思って。でも、天原さんが言うんなら、そうなのかな」


 顔を上げた大原は、色々と吹っ飛んだように更に──更に爽やかになっていた。なんだったら周囲に神々しい光すら感じる。

 羽化、という言葉を思い出す。


 槇は思った。


 こりゃあ、大原くんはモテすぎて大変になるぞ、と。


 

 



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