30.大人は複雑
「そんなにいい声してませんよ」
落ち着いた声で返される。
槇は笑った。
「ふうん。自分では気づかないもんだね」
──和臣先生が好き。
その答えは、彼にとっては受け取れないものだったらしい。
大人の対応をされたので、槇も大人の対応をする。
不思議と傷つかない。
これが邪神になる者の「精神的なタフさ」なのかもしれないと思うと、それに感謝したくなった。
「……でも、ありがとうございます」
和臣からも感謝されたので、槇は「どういたしまして」と普通に答える。
こちらの様子を伺うような沈黙は、和臣の戸惑いを表しているようだった。
しばらくして、和臣はちゃぶ台からむくりと起き上がった。
「でも、どうしてです」
「あえて突っ込む?」
「この声を褒められたことがないので」
「ほお」
槇は和臣に合わせることにした。
「和臣先生の声ね。確かにずっと一緒にいたから気づかなかったけど、今日菫と話してて、ちょっと気づいたことがあったんだよね」
「あ、佐藤さん、どうでした?」
「大丈夫。柳と菫はうまくいくと思う。菫も人じゃないって気づいてたみたいだし」
「それはよかったです」
「あれは放っておいて大丈夫」
槇の言い方に、和臣がつられるように笑う。
「で。菫が言うの。私と和臣先生が一年の頃からデキてたでしょって」
ごふ、となにもないのに咳き込んだ和臣のことは放って、槇は追撃を打ち込んだ。
「菫が言うの──〝槇は先生を見てたし、先生は先生で、槇だけには対等な目線っていうか……生徒を見る目じゃないっていうか、まあどっちかっていうとね、恋をすっ飛ばした愛みたいな、そんな感じだなって思ってた。存在そのものがお互いの中にはっきりくっきりあって、愛し合ってたじゃん。人として。そう、人として愛し合ってたじゃん〟──だって」
菫の言葉を一字一句言えば、また咳き込む。というか、まだ咳き込んでいる。
「私はね、そんなつもり無かったからさあ、いらないよって言ったんだよね。そういう感情は私には必要ないって思ってたし」
というか、そういう選択肢自体がなかった。
「けど、聞かれたの。じゃあ、和臣先生もいらないのか、って」
和臣の咳き込む声がぴたりと止まる。
「答えられなかった」
代わりに、気づいた。
和臣先生と交代したら、先生はどうなるんだろう。
先代の邪神──七緒は消えた。
では、和臣も消えるのではないか。
そう思うと、それに今まで気づかなかった自分に愕然とした。ショックを受けた、といってもいい。
逆に、今までどうしてそのことを疑問に思わなかったのか不思議に思って、更に気づいた。
考えないようにしていたことに。
自分の中の「恐れ」から目を背けていた。
和臣が消えるのは、怖いのだ。
帰ってきたときに和臣を見て、ほっとした。あの得も言われぬ安堵感は、他の誰にも感じたことがない。
「まあそれで、今までの自分の苛立ちとか、首のあたりの違和感? とかの理由にうっすら気づいたんだけど──決定的なのは、さっき」
和臣と話すと心臓がバクバクと激しく脈打ち、強制的に自覚させられたのだ。
話がある、と言ったあとに「好きかもしれないんだけど」と言うつもりだった。
大原が来るとは思っても見なかったが。
「あ、あの……さっきって……?」
和臣がそわそわと聞く。
どうしようもない人だ。今までならばイラッとしただろうが、どうしてか馬鹿可愛く見えてしまう。恋心など認めてしまったもん勝ちだ。
「ああ……ほら、さっき」
大原に手を握られたときに見せた和臣の本気で怒った表情で、槇はそれをストンと受け入れた。
誰かと手を握るのなら、和臣とだ。それが、最初で最後。それが、この人への報いだ、とそう強く思った。
「さっきねー、先生が馬鹿みたいに騒いでたでしょ。大人げなく大原くんに食って掛かってたから、好きだなと思ったの」
「……」
「声がね」
「声がですよね?! あははははは!」
「……」
「……」
「先生、もしかして馬鹿なの?」
「大人は複雑なんです」
弱々しい声は、またちゃぶ台に伏せたようにくぐもっている。
「大変だね、大人って」
「はい。もう色々と」
「邪神だから関係ないと思うけどね」
「……た、確かに……?」
愕然とした声に、槇はくすぐったくなった。
本当に、なんて可愛いのだろう。狙っているのだとしたら、かなり凶悪な男ではあるが。
「でもねー。先生って器用じゃないし」
「いきなりのこき下ろします?」
「ほら、嘘とか誤魔化しとかできない人じゃん?」
「……あ、うん、はい」
「何?」
「な、なんでもないですよ」
「じゃあ話を戻すけど」
「どうぞどうぞ」
「明日、大原くんに会ってくる」
「だめです」
即答に笑えば、気まずそうな沈黙がほんの少し顔を出す。
「……気をつけてくださいね」
「ん」
「ま、丸め込まれないように」
「うん」
「手練れですよ、彼は」
「うんうん」
「聞いてます?」
「聞いてるってば。ちゃんと和臣先生が──じゃなかった、和臣先生の声が好きだからって断ってくるってば」
「……」
「コメントは?」
「しません」
そう言いながら、和臣がどたりと畳に倒れてきた。
槇は目を開けて、天井を見ている横顔を眺める。鼻筋ががきれいだ。
「あの」
「なに?」
「思い出したことがあって」
和臣は天井を見たまま呟いた。
「転任したあとです……黙っていてすみません。あなたの信頼に応えたいので、話してもいいですか?」
「いいよ。先生の声聞けるなら、なんでもいい」
和臣が笑う。
まるで安心したよ言うように。
そのどこか子供のような口元を、槇はぼんやりと見つめていた。
いや待って。
思い出したって。
思い出したって。
どこ?
事と次第によっては自分のコスプレがバレているのではないかと思った槇は、ダラダラと冷や汗をかくのだった。




