恋する乙女
差し出された薬草の束が放つ異臭に、わたしははっと現実に引き戻された。しまった、恋する乙女モードを発動している場合ではない。この臭いがグラウチカ様の美しい黒衣や髪に染み付いてしまったらどう責任をとればよいのだろう。美女ぞろいと評判の、侍女のお姉さま方からの非難は、想像しただけでも恐ろしい。眉目秀麗、優秀な武官さんでもあるグラウチカ様は、彼女たちからも大人気だ。
「あっ、ありがとうございます、グラウチカ様!」
頭を下げ、薬草を受け取りカゴに入れる。一度でもグラウチカ様が触った薬草だ。放り込むなんて真似はしない。大事に大事に……ああ、自分って結構気持ち悪いかもしれない。
わたしのお礼に、しかし彼はわたしのことを見ていなかった。正確に言うと、わたしのことは見ていたのだけど、彼の目線は小柄なわたしの顔よりさらにずっと下だった。
膝?
「うわっ」
グラウチカ様の視線につられて自分の膝を見てみると、土にまみれて赤く汚れていた。どうやら擦りむいて出血したようだった。怪我なんか見慣れているわたしも、自分の膝だと思うと少しびっくりする。というか20歳にもなって膝小僧の怪我って。
「さ、さっき転んだときですかね。恥ずかしいところをお見せしました……」
顔が火照るのを感じて、わたしは慌てて残りの薬草をカゴに放り込むと、そのカゴを抱えてその場から遁走……しようとしたのを阻まれた。
「のわっ」
腕を引っ張られ、カゴを落としそうになる。体勢を崩して、あわやこのまま再度地面とキス、というところでわたしは何かあったかいものに包まれた。
目の前は、真っ暗闇。
それがグラウチカ様の黒衣だということに気づいたとき、わたしは恋する乙女とも思えぬ悲鳴をあげ、わたしを抱きとめてくれていた彼から飛び退った。
「ああああああありがとうございますうううう!」
「……」
なぜか険しい表情でグラウチカ様はわたしを見ていた。うう、あまりにも薬草臭かったのかな。薬師という仕事、大好きなのに大嫌いになりそうだ。
しかし、グラウチカ様はその場にひざまずくと、懐からハンカチを取り出し、わたしの膝の汚れを払ってくれた。なんて適切な処置――じゃない!
「だっ、大丈夫ですグラウチカ様!そんな!」
こんなところお姉さま方に見られたら殺される!でも恋する乙女としては嬉しくて心臓の鼓動が!そんな妙な葛藤に悶えながら彼に叫ぶが、グラウチカ様はひとしきり汚れを払うまでやめてくれなかった。
多少膝が綺麗になると彼は立ち上がる。汚れたハンカチをまたしまおうとしたから、わたしはそれを洗濯します!と受け取った。困ったように逡巡していた彼から奪い取ったともいう。恋愛チャンスは逃しません。
彼はほんの、ほんのわずかに微笑むと、わたしの頭をぽん、となでた。
そして。
「ありがとう」
小さく発して、去っていく。
それは、いつかと同じ、甘くて低くて、魅力的過ぎる声だった。
薬草を取りに行ったまま帰ってこないわたしを、痺れを切らした先輩薬師が迎えに来るまで、感動のあまり7分間くらいわたしはその場でへたりこんでいたのだった。