第1話「ポップコーンと運命の映画」
はじめまして!この物語を開いてくださって、ありがとうございます。
主人公の蓮は、成績も運動も「ど真ん中」、特技はゼロ、自己紹介で言えることは「寝ることです」だけ。そんな普通すぎる高校生が、失敗して、怒られて、幼なじみに正座させられて、それでも諦めずに億を目指していくお話です。
株の知識はまったくなくても大丈夫です。蓮と一緒に、ゼロから気楽に楽しんでいただけたら嬉しいです。
※この作品はフィクションです。登場する人物・団体・映画・会社名はすべて架空のものです。また、作中の投資行動をおすすめするものではありません。
俺の名前は高橋蓮。十六歳、高校二年生。
……以上。
いや、本当にそれ以上言うことがないんだ。自己紹介の時間に「趣味は?」と聞かれて、三秒考えた末に「寝ることです」と答えて、クラスの誰も笑わなかった男。それが俺だ。
中間テストの点数は、五教科すべて、ほぼ平均点。担任の先生には「高橋は本当に平均的だな」と言われた。褒め言葉なのかどうか、いまだにわからない。体育の50メートル走は、クラス32人中16位。ど真ん中。モテたことは一度もない。かといって、嫌われているわけでもない。たぶん、みんな俺のことを「そういえば、いたっけ?」くらいに思っている。
そんな俺の人生が、ある土曜日、映画館の床の上で変わった。
正確には、ポップコーンまみれの床の上で。
◇ ◇ ◇
「蓮、おせーよ!」
駅前のショッピングモールの入り口で、大山健太が手を振っていた。身長182センチ、野球部のキャッチャー。声がでかい。体もでかい。そして頭の中は、だいたい野球と肉のことでいっぱいだ。
「まだ五分前だろ」
「俺は三十分前から待ってた!」
「それはお前が勝手に早く来ただけだ」
健太とは保育園からの付き合いだ。砂場で同じスコップを取り合って、二人そろって大泣きしたのが最初の思い出らしい。俺は覚えてないけど、母さんが毎年お正月に話すので、もう覚えている気になっている。
「二人とも、声が大きい」
その後ろから、腕を組んで現れたのが中村千夏。俺たちのもう一人の幼なじみだ。
千夏は小学生のころからずっと学級委員をやっている。今は生徒会の書記。成績は学年で上から数えたほうが早くて、遅刻は人生で一度もしたことがない。そして、俺と健太がバカをやるたびに怒る係でもある。本人は「好きでやってるんじゃない」と言うけど、たぶん少しは好きでやっている。
「で、今日は何観るんだっけ?」
俺が聞くと、健太がポケットから三枚のチケットを取り出した。
「じゃーん!商店街の福引きで当たった!」
「お前、福引き当たるんだ」
「三等だけどな!一等は温泉旅行だった!」
チケットに印刷されたタイトルは『ブル・アンド・ベア』。
「……何の映画?」
「知らん!」
「知らないで来たのかよ」
「タダだからな!」
千夏が横からチケットをのぞきこんで、スマホで調べ始めた。
「えっと……ニューヨークの金融街が舞台の、投資の映画だって。評価はけっこう高いみたい」
「投資?」
正直、その時の俺は、投資という言葉に何の興味もなかった。株とか、お金とか、そういうのは大人の世界の話で、俺には一生関係ない。そう思っていた。
この時までは。
◇ ◇ ◇
映画館のロビーは、甘くて香ばしい匂いでいっぱいだった。
「ポップコーン買おうぜ!Lサイズ!」
「健太、さっきお昼食べたばっかりでしょ」
「映画とポップコーンは別腹だ!」
結局、三人でお金を出し合って、キャラメルと塩のハーフ&ハーフのLサイズを一つ買った。そして、なぜかそれを持つ係が俺になった。
「蓮、真ん中の席だからお前が持て」
「なんでだよ」
「真ん中だからだ」
理由になっていない。でも、反論する前に場内が暗くなり始めたので、俺は大きなバケツを抱えて席に座った。
右に健太、左に千夏。ど真ん中の俺。ここでもど真ん中だ。
予告編が終わり、本編が始まる。スクリーンにニューヨークの高層ビルが映った、その瞬間――
前の席の人が、急に大きく伸びをした。
その腕が、ちょうど俺の抱えていたバケツの縁に当たった。
時間がスローモーションになった、と思う。
キャラメル味と塩味のポップコーンが、まるで花火みたいに空中に広がって、そして、ぱらぱらと床に落ちていった。俺の膝にも、健太の頭にも、千夏の髪にも。
上映開始、わずか十秒の出来事だった。
「…………」
「…………」
「…………」
千夏が無言で、髪に乗ったポップコーンを一粒つまんで、俺の手のひらに置いた。暗闇の中でも、千夏が怒っているのがはっきりわかった。
「す、すみません……!」
前の席の人が小声で謝ってくれた。いい人だった。でも、ポップコーンは戻ってこない。
「蓮、拾って」
「今?」
「今。周りの人に迷惑でしょ」
千夏の声は小さかったけど、逆らえない迫力があった。
こうして俺は、人生で一番大事な映画の最初の二十分を、床に這いつくばりながら観ることになった。
◇ ◇ ◇
床に膝をついて、手探りでポップコーンを拾う。座席の下、通路のすき間、隣の人の足元(すみません、本当にすみません)。
その合間に、ちらちらとスクリーンを見上げる。
映画の主人公は、マイクという名前の青年だった。田舎町の小さな食堂で皿洗いをしていて、お金もなくて、学歴もなくて、特別な才能もない。ある日、店に来た客が置き忘れた経済新聞を読んだことから、株の世界に興味を持つ。
――あれ、こいつ、ちょっと俺みたいだな。
最初はそう思った。いや、俺は皿洗いすらしてないけど。
マイクは図書館で本を読みあさり、少ないお金で株を始める。最初は負けて、負けて、また負けて。周りからは「お前には無理だ」と笑われる。それでも彼はやめなかった。
ポップコーンを拾う手が、だんだん遅くなっていった。
「蓮、まだそこに残ってる」
「……あ、うん」
千夏に言われて、また床を探す。でも、目はもうスクリーンから離れなかった。
映画の中盤、マイクはついに大手の証券会社に入る。周りは有名大学を出たエリートばかりで、誰もマイクを相手にしない。それでも彼は、誰よりも早く出社して、誰よりも遅く帰り、誰よりも多くの会社を調べた。
そして、ある日。市場全体が大暴落して、会社中がパニックになる。みんなが叫びながら株を売っている中で、マイクだけが静かに画面を見つめて、こう言うんだ。
「みんなが怖がっている時こそ、チャンスなんだ」
その瞬間、俺は拾ったポップコーンを握りしめたまま、完全に固まった。
心臓が、ドクン、と鳴った。
なんだこれ。なんだこれ。
画面の中の数字が、赤から緑に変わっていく。上がって、下がって、また上がって。それはまるで生き物みたいだった。ただの数字なのに、生きている。そしてマイクの目は、その生き物とまっすぐに向き合っていた。
かっこいい。
人生で初めて、心の底からそう思った。
サッカー選手でも、アイドルでもなく、パソコンの画面を見つめる皿洗い出身の男を見て。
◇ ◇ ◇
気がつくと、エンドロールが流れていた。
場内が明るくなっても、俺は座ったまま動けなかった。膝の上には、拾いきれなかったポップコーンがまだ何粒か乗っていた。
「いやー、よかったな!最後のとこ、俺泣いたわ!」
健太が大きく伸びをした。頭にはまだポップコーンが一粒乗っていたけど、教えてやらなかった。
「健太、途中で三回寝てたよね」
「寝てない!目を閉じて感じてたんだ!」
「いびきかいてたよ」
「それは……感じすぎた!」
千夏が呆れた顔でため息をつく。それから、まだ座ったままの俺を見た。
「蓮?大丈夫?」
「……うん」
「ポップコーンのこと、まだ気にしてる?」
「いや」
俺はゆっくり立ち上がった。足がしびれていた。たぶん、床に座っていた時間が長すぎたせいだ。
でも、それだけじゃない気がした。
◇ ◇ ◇
映画館を出た後、俺たちはいつものように、モールの中のハンバーガー屋に寄った。健太はダブルチーズバーガーを二個、千夏はアイスティー、俺はポテトのSサイズ。財布の中身は、ポップコーン代を払ったせいで、ほぼ空っぽだった。
「でさ、あの最後のとこ、マイクが社長室にドーンって入っていくシーン……」
健太が映画の感想をしゃべり続けている。半分くらい寝ていたくせに、なぜか一番熱く語っている。
でも、俺の耳にはほとんど入っていなかった。
俺は、ずっと考えていた。
マイクは皿洗いだった。お金もなかった。才能もなかった。それでも、あの場所までたどり着いた。
じゃあ、俺は?
平均点の俺。ど真ん中の俺。自己紹介で「寝ることです」としか言えない俺。
そんな俺にも、何か一つくらい、夢中になれるものがあってもいいんじゃないか。
「……なあ」
俺が口を開くと、健太がバーガーを口に入れたまま止まった。千夏もストローから口を離した。
たぶん、俺の声がいつもと違ったんだと思う。
「俺、株やるわ」
三秒、沈黙が流れた。
「……は?」
健太の口から、バーガーのピクルスが一枚、ぽとりと落ちた。
「株。映画のやつ。俺もやる」
「お前、映画に影響されすぎだろ!」
「されてる。めちゃくちゃされてる。でも、やる」
自分でも驚くくらい、まっすぐな声だった。
健太は、テーブルの上のピクルスを拾いながら首をかしげた。
「株って、あれだろ?お金が増えたり減ったりするやつ」
「そう」
「お前、お金あんの?」
「……ない」
「じゃあ無理じゃん」
「お年玉が、ちょっとある」
小学生のころから、なぜかお年玉だけは使わずに貯めていた。特に理由はない。使い道を考えるのが面倒くさかっただけだ。銀行の通帳には、たしか三十万円くらいあったはずだ。
すると、それまで黙っていた千夏が、静かにアイスティーをテーブルに置いた。
「蓮」
「なんだよ」
「株をやるのは、いいと思う。蓮が何かにやる気を出してるの、久しぶりに見たし」
おっ。
千夏が味方してくれるなんて珍しい。俺はちょっと感動しかけた。
「でもね」
千夏はにっこり笑った。その笑顔が、なぜか一番怖かった。
「その前に、ポップコーン代、返して」
「……え?」
「Lサイズを三人で割って、一人四百円。蓮がこぼしたんだから、蓮が全額払うべきでしょ。私と健太に四百円ずつ」
「いや、あれは前の人の腕が……」
「持ってたのは蓮」
「真ん中だからって押しつけられたんだけど!」
「持ってたのは、蓮」
千夏は二回言った。千夏に二回言われたら、もう勝ち目はない。十年以上の経験でわかっている。
「……今、財布に百二十円しかない」
「じゃあ、貸しにしとくね。八百円」
千夏はスマホのメモ帳を開いて、本当に「蓮 ポップコーン 800円」と打ち込んだ。それを見た健太が、腹を抱えて笑い出した。
「お前、株の前に八百円の借金からかよ!」
「うるさい!」
「億万長者への道、借金八百円からスタート!」
「笑うな!」
店員さんが、ちらっとこっちを見た。千夏が「すみません」と頭を下げてから、俺と健太をにらむ。俺たちは同時に口を閉じた。
いつもの光景だった。
でも、俺の胸の中では、まだあの映画の音が鳴り続けていた。
◇ ◇ ◇
その夜。
家に帰って、晩ご飯を食べて、風呂に入って、自分の部屋のベッドに寝転がった。
隣の部屋から、大学生の姉ちゃんの声が聞こえる。友達と電話しているらしい。うちの姉ちゃんは口が悪くて、すぐ俺の部屋に勝手に入ってきて漫画を持っていく。今日だけは静かにしてほしい。
俺はスマホを手に取って、検索窓に打ち込んだ。
「株 始め方」
画面にずらりと検索結果が並ぶ。「初心者でもわかる!株の始め方」「少額から始める投資入門」「おすすめのネット証券ランキング」。
知らない言葉ばかりだった。証券口座、銘柄、配当、チャート。読んでも半分もわからない。
それでも、画面をスクロールする指が止まらなかった。
気がつくと、時計は夜中の一時を過ぎていた。こんなに何かを一生懸命調べたのは、生まれて初めてかもしれない。夏休みの自由研究ですら、三十分で終わらせた男なのに。
目を閉じると、まぶたの裏に映画の場面が浮かんだ。赤と緑の数字。マイクのまっすぐな目。そして、あの言葉。
みんなが怖がっている時こそ、チャンスなんだ。
意味は、正直まだよくわからない。でも、いつかわかるようになりたいと思った。
「……やってやる」
天井に向かって、小さくつぶやいた。
隣の部屋から「蓮、うるさい!」と姉ちゃんの声が飛んできた。いや、つぶやいただけなんだけど。どんな耳してるんだ。
俺は布団をかぶって、もう一度だけスマホの画面を見た。
その時、検索結果のページの一番下に、小さな文字で書かれた一文があった。
――※未成年の方が口座を開設するには、親権者の同意が必要です。
俺は、その一文を見なかったことにして、スマホを置いた。
明日考えよう。明日の俺が、なんとかしてくれる。
……この時の俺は、まだ知らなかった。
この夜の小さな決意が、姉ちゃんの印鑑と、家族会議と、三時間の正座につながっていくことを。
そして、それよりずっと先の未来に、五億円と、六人の仲間と、一人の大切な人が待っていることを。
(第1話 終わり)
第1話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
上映開始10秒でポップコーンをぶちまけた男が、本当に億を稼ぐ日は来るのでしょうか。正直、作者もちょっと心配です。
ちなみに、千夏への800円はまだ返していません。
次回、第2話「未成年は口座が作れません」。蓮、さっそく大きな壁にぶつかります。そして残念ながら、「明日の蓮」は何もなんとかしてくれません。
「続きが気になる」「蓮、がんばれ」と少しでも思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると、作者が蓮と同じくらい舞い上がって喜びます。




