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27話:A Dangerous Trail 〜危険な道標〜

乾いた風が吹き抜け、巻き上がった砂埃が頬をザラザラと撫でていく。

俺は街からチュラクシスへと続く道を歩いていた。

太陽の光はジリジリと肌を焼き、額から流れ落ちた汗が顎の先からポタポタと地面に落ちる。

靴底が、荒野の固い土を踏みしめる音だけが一定のリズムで響いていた。


あの巨大なボスリノセロスとの死闘から、もうだいぶ時間が経っていた。

あれ以来、あんな規格外の化け物と戦うような大きな任務はない。

最近は街のギルドから依頼されるちょっとした警備や、周辺の簡単な見回り任務ばかりだ。

それすらもない日は、ひたすら基礎訓練とシミュレーターでの操縦練習に明け暮れている。


毎日、クタクタになるまで体を動かしている。

操縦桿を握りすぎて手のひらの皮が厚くなり、ペダルを踏み込む感覚も前よりずっと鋭くなった気がする。

でも、本当に強くなれているのかどうかは自分ではよく分からない。

またあんな巨大な敵が目の前に現れた時、俺はちゃんと戦えるのだろうか。

そんなことを考えながら歩いていると、陽炎の向こうにチュラクシスの巨大な船体が見えてきた。


外の熱気から逃れるように船のハッチをくぐると、ひんやりとした空調の風が全身を包み込んだ。

汗ばんだ羽織が冷やされて気持ちいい。

俺はまっすぐ艦橋へと向かった。

重い金属の扉が静かに横へスライドする。


中に入ると、珍しく全員が顔を揃えていた。


「ふんっ。はっ。ふんっ」


入ってすぐの広いスペースで、クレティさんが自分の頭ほどもある巨大なダンベルを両手で持ち上げていた。

太い腕の筋肉が隆起し、汗が飛び散っている。

ものすごい気迫の筋トレだ。


少し離れたコンソール席では、ラキが端末の画面を睨みつけながら何かの書類データをスワイプしていた。

いつもは飄々としているくせに、眉間にシワを寄せてやけに真剣な顔つきだ。


そして中央のテーブル席では、ユミィとシルヴィアさんが向かい合って座っていた。

テーブルの上には湯気を立てるティーポットと、お揃いのカップが並んでいる。

甘いダージリンの香りが艦橋の中に漂っていた。


俺はみんながいる方へ歩み寄った。

肩に下げていた鞄の留め金を開ける。

街のギルドに立ち寄った時、受付のお姉さんに押し付けられた四角い箱を取り出した。

両手で抱えるくらいの大きさで、そこまで重くはない。

茶色い紙で包まれ、太い紐で十字に縛られている。


「街のギルドでアヴェントゥラ宛の荷物を預かってきたぞ」


俺はそう言って、コトンとテーブルの真ん中に小包を置いた。

紅茶を飲んでいたユミィとシルヴィアさんが、不思議そうに箱を見つめる。

書類から顔を上げたラキと、ダンベルを下ろしたクレティさんもこちらへ歩いてきた。


俺は箱の表面に貼られた送り状のラベルを指差した。


「送り主はサーハサ・ディアルって人からだ」


声に出してその名前を読んだ瞬間、俺はふと引っかかった。

ディアル。

どこかで聞き覚えのある響きだ。

俺は確認するようにユミィの顔を見た。


だが、予想外の反応が返ってきた。


「相棒からか」

クレティさんが太い声を上げ、目を見開いた。


「師匠からやと」

ラキが弾かれたように端末を放り出し、テーブルに身を乗り出した。


「サーハサさんから」

シルヴィアさんが手に持っていたティーカップをカチャリと受け皿に戻し、目を丸くしている。


「お父ちゃんから」

ユミィが椅子から勢いよく立ち上がり、小包を食い入るように見つめた。


四人の声が、艦橋の中で一斉に重なった。

俺は一歩後ろに後ずさった。

四人が四人とも、ものすごい勢いでテーブルの上の小包に詰め寄ってきたからだ。


ちょっと待て。

なんだこの状況。

クレティさんの相棒。

ラキの師匠。

シルヴィアさんの知っている人。

みんなの反応もそれぞれ気になりすぎる。

だが、一番俺の頭に残ったのはユミィの言葉だった。


お父ちゃん。

ユミィの父親なのか。


俺はポカンと口を開けたまま、目の前で小包を囲んで騒ぎ始めた四人の顔を順番に見比べることしかできなかった。


ーーーーーーーーー


ユミィが小包の前に進み出た。

ポケットから使い込まれた小さなナイフを取り出す。

慣れた手つきで十字に縛られた太い紐を切断した。

茶色い包装紙がカサカサと乾いた音を立てて剥がされていく。

箱の蓋が開くと、中から少し古びた紙の匂いと、インクの香りがふわりと漂ってきた。


一番上に乗っていたのは、折りたたまれた一枚の紙だった。

ギルドで見かける依頼書のフォーマットだ。

その下には、クリップで留められた数枚の資料らしき書類の束がある。

ユミィはそれらを丁寧に取り出し、テーブルの端へ除けた。

そして、箱の底にちょっとした文庫本が四冊、綺麗に並べられていた。


だが、ユミィがそれを取り出してテーブルの上に置いた時、俺は自分の勘違いに気がついた。

本ではない。

封筒だった。

ただの封筒にしては、中身があまりにもミチミチに詰め込まれている。

はち切れんばかりに膨らんでいて、厚みが一センチはある代物だ。

それが四つ。


ユミィは一番上にあった封筒の表書きを見た。


「クレティさん宛てです」

封筒をクレティさんに向かって差し出す。


「ハハハ。相棒め、相変わらずマメな男だ」

クレティさんは嬉しそうに目を細め、大きな手でその分厚い封筒を受け取った。


「次が、シルビーさん」

「あら。私にもくれるなんて、相変わらず律儀な人ね」

シルヴィアさんは口元に上品な笑みを浮かべ、両手で封筒を受け取った。

分厚い封筒を胸元に抱え、大切そうに撫でている。


「それから、ラキ」

「おっ、サンキュー。師匠からの手紙か」

ラキはニヤリと口角を上げ、受け取った封筒を旨の前で軽く振っている。

普段の斜に構えた態度とは裏腹に、その声には隠しきれない喜びが滲んでいる。


「そして、最後が私のですね」


ユミィは残った最後の一つの封筒を、両手でしっかりと抱きしめた。

俺はふと、ユミィが胸に抱えた封筒と、他の三人が持っている封筒を見比べた。

気のせいではない。

ユミィ宛ての封筒だけ、どう見ても他の三つの倍くらい太い。

中身がパンパンすぎて、糊付けされた封の端が今にも破れそうになっている。

お父ちゃん、と呼ばれていた男だ。

娘への手紙となれば、書きたいことが山ほどあるのだろう。


四人はそれぞれ自分の手元にある分厚い封筒を見つめ、どこか温かい空気に包まれていた。

昔馴染みの、深い絆で結ばれた者たちだけの時間。

俺は一歩下がって、その光景を黙って見ていた。

当然だ。

俺はサーハサ・ディアルなんて男に会ったこともない。

このアヴェントゥラに乗ってからの日もまだ浅い。

俺宛ての封筒がないのは当たり前のことだ。

頭では完全に理解している。

それでも、みんなの輪から自分だけが外れてしまったような、ほんの少しの疎外感が胸の奥を冷たく撫でていった。


「ヒカリ坊」


不意に、太い声が俺を呼んだ。

顔を上げると、クレティさんが豪快な笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「気にするな。お前もこの船の立派なクルーだ。そのうち嫌でも会うことになるさ」


見透かされていた。

クレティさんは大きな手で俺の肩をバンバンと力強く叩いた。

痛いくらいの力強さが、俺の胸に小さく湧いた寂しさをあっという間に吹き飛ばしてくれた。


「わかってますよ」


俺は少し笑って答えた。

クレティさんは満足そうに頷いた。


俺は再びテーブルへ視線を向けた。

そこには、箱から最初に出された依頼書と数枚の資料が残されている。

誰宛てでもない、俺たち全員に向けられた仕事の束だ。

俺は手を伸ばし、一番上にあった依頼書を指でつまみ上げた。


みんなはそれぞれ受け取った分厚い封筒を、大切そうに作業着のポケットや上着の胸元へしまい込んでいった。

文庫本のような厚みがある手紙だ。

ポケットが一気に膨らみ、ずっしりとした重みが加わる。

だが、誰の顔にも満足そうな笑みが浮かんでいた。

昔馴染みからの便りというのは、それだけで特別なものなのだろう。


手紙の重厚さとは裏腹に、俺が指でつまみ上げた依頼書そのものは、驚くほどシンプルな一枚の紙切れだった。

だが、書かれている文字の配置や、紙の質感にはどこか異様な雰囲気が漂っている。

ギルドで一般に張り出されているような公募の依頼ではない。

あきらかに限られた人間だけに回される、特殊な種類の依頼書だった。


紙の右下に押された朱色のスタンプに、俺の目が留まった。

見覚えのあるデザインだ。


「あれ、これって……」


俺が呟くと、俺の肩越しに用紙を覗き込んできたクレティさんが、太い声を上げた。


「ヴァリィ商会か。先日の掘削場の時の商人どもだな。ヴァリィ商会と、ツテがあるなんてすごいな相棒」


クレティさんは感心したように顎を撫でた。

それだけでも、この依頼が普通の仕事ではないことがよく分かる。


俺は改めて依頼書の本文に目を走らせた。

書かれている文章を頭の中で簡略化していく。

要するに、これは「捜索依頼」だった。

どこかに消えた特定の物品を探し出し、回収してくるという内容だ。

しかし、読み進めていくうちに、強い違和感が広がっていった。


捜索対象の項目には、こう書かれていた。

ソルダールフレームの武器の捜索。

そして、さらに具体的な名称も記されている。


『槍の穂先』


俺は思わず眉をひそめた。


「槍の穂先……?」


声に出して呟いてみる。

ソルダールフレームといえば、人型機動兵器の骨格そのものだ。

その巨大な機体が使う武器の、さらに先端部分だけを探せというのか。

この広大な荒野のどこかに落ちている、折れた鉄くずのような『槍の穂先』なんてものを、どうやって探せというのだろう。

広大な砂漠で落とした一本の針を探すようなものじゃないか。

そんなもの、本当に見つかるものなのか。

俺の頭の中に、大きな疑問符が浮かび上がった。


だが、違和感はそれだけでは終わらなかった。

依頼書の後半には、さらに物騒な注意書きが並んでいた。


現在、該当物品の予想地点周辺に正規軍の調査隊が向かっている。

軍もまた、その『槍の穂先』を躍起になって回収しようとしているらしい。

もし現場で鉢合わせした場合、戦闘へ発展する可能性がある、と記されていた。


ただの落ちている武器を探すだけで、軍と殺し合いになるかもしれないなんて、正気の沙汰じゃない。

一体その穂先に、どんな秘密が隠されているというんだ。


さらに、最後の段落を読んだ皆の顔から完全に余裕が消えた。

指定された捜索対象エリアの環境についてだ。


『該当地域は、大型アルヴィアが生息する巣となっている』


ボスリノセロス級か、あるいはそれ以上に危険な巨大生命体がウロウロしている場所に踏み込まなければならないらしい。

軍隊との戦闘リスクに加えて、化け物の巣への殴り込みだ。

どこをどう切り取っても、死の危険しか見えてこない。


依頼書の最下部には、追記として短い一文が添えられていた。


『この件にあたり、すでに信頼できる二人の助っ人を手配し、現地に向かわせている。もしアヴェントゥラがこの依頼に同行する意思があるならば、至急ギルドへ連絡されたし』


俺は息を呑み、手に持っていた紙からゆっくりと顔を上げた。


手の中にある薄い紙切れを、俺はもう一度じっくりと読み返した。

どこからどう見ても危険すぎる。

軍との戦闘リスク。

大型アルヴィアの巣への潜入。

しかも探す対象は、得体の知れない槍の穂先。

内容には違和感と危険な匂いしかない。


だが、これはヴァリィ商会という巨大な組織とも関わりのある特殊依頼だ。

何より、ユミィの父親が俺たちを名指しで指名してきた仕事である。

あの分厚い手紙を受け取って喜ぶみんなの顔を見た後だ。

この依頼を受けないという選択肢は、最初から俺たちには存在しない。


俺は紙から視線を上げ、クレティさんを見た。

分厚い封筒をポケットにねじ込んだクレティさんも、まっすぐにこちらを見つめ返してくる。

その瞳には、すでに腹を決めたギャンブラー特有の鋭い光が宿っていた。


ユミィが、パタパタと小走りでコンソールパネルに向かった。

靴の底が金属の床をリズミカルに叩く音が、静かな艦橋に響く。

キーボードを叩く乾いた音がいくつか続いた。


メインモニターの画面が切り替わる。

依頼書に記載されていた座標データが入力され、予想される捜索ポイントの立体マップが浮かび上がった。


画面の大部分を占めていたのは、鬱蒼と生い茂る巨大な山脈だった。

深い緑色に塗りつぶされた、底なしの大型密林地帯だ。

だが、そのすぐ横に黄土色の領域がべったりと張り付いている。

乾いた砂漠が、緑豊かな密林を浸食するようにすぐ横まで迫ってきているのだ。

緑と茶色が不自然にぶつかり合う、異様な地形だった。


モニターの縮尺が引きになり、大陸全体の位置関係が表示された。

今、チュラクシスが停泊しているのは南の海沿いに広がる砂漠地帯だ。

画面に示された赤いピンは、そこからずっと上にある。

中央の首都を挟んで、完全に真逆の位置だ。

国境線を形成する、北側の険しい山脈地帯。


「軍との交戦もある、ってことは一刻も早く向かわなきゃな」


クレティさんが太い腕を組み、モニターの赤いピンを見上げながら言った。

その声にはもう迷いはない。

やるからには一番乗りで獲物を横取りする。

そんな気迫が伝わってくる。


俺は手元の依頼書に目を落とした。

下の方に追記されていた、二機の助っ人についての記述を探す。

だが、そこには機体名もパイロットの名前も一切書かれていなかった。

これだけ重要な任務に同行する相手だというのに、情報が完全に抜け落ちている。

おそらく、あの小包が投函された段階では、依頼の手配をしただけで誰が来るのかまだ未定だったのだろう。


俺は小さく息を吐き、束になった資料の次のページをめくった。

指先が止まった。

呼吸の仕方を忘れたように、俺の視線はその一枚の紙に釘付けになった。


そこには、捜索対象である槍の穂先と思われる荒いモノクロの画像が印刷されていた。


ただの折れた鉄くずなんかじゃない。

その刃の写真はひんやりとした輝きを放っている。

そして何より目を引くのは、金属の表面に浮かび上がる複雑な模様だった。

幾重にも重なる波紋のような、うねる木目模様。

ダマスカス模様だ。


「これって」


背後から覗き込んでいたシルヴィアさんが、上品な声をわずかに震わせて呟いた。

隣のラキも、鋭く目を細めている。

ユミィは両手で口元を覆い、驚きで目を丸くしていた。


全員が同じことを考えているのが、痛いほどよくわかった。

この独特な波紋模様。 深く妖しい色合い。

見間違えるはずがない。

ルベルジンの刀と全く同じ特徴を持っている。


周囲の音が急に遠のいていくような感覚に陥った。

自分の心臓がドクンと大きく跳ねる音が、耳の奥でやけに大きく響く。

乾いた唇を少しだけ開き、俺は無意識のうちにその名前を呟いていた。


「ウルグラ」


それは、俺の機体が握るあの長刀の名だった。


波紋が刻まれた刃の画像を、俺は食い入るように見つめていた。

俺の機体、ルベルジンが振るう直刀であるウルグラと全く同じ特徴だ。

ただの偶然でこんな模様が完全に一致するわけがない。

あの槍の穂先には、ウルグラと同じ技術が使われているか、あるいは何か繋がりがあるはずだ。

心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。

静まり返っていた艦橋の空気を破ったのは、包装紙がカサカサと乾いた音を立てて擦れる音だった。


クレティさんが、テーブルの端に除けられていた小包の包装紙を手に取っていた。

紙の隅に押印された、黒いインクのスタンプを太い指でなぞる。

郵便の消印だ。


「消印は首都のあたりだな」


クレティさんは包み紙をテーブルに置き、鋭い目つきで横にいるラキを見た。


「ラキ。ギルドに連絡して、二人の助っ人を現地の森の入り口あたりに直行してもらってくれ」


「了解や、おやっさん。すぐ手配するわ」


ラキは短く答え、手元の端末の画面を素早く叩き始めた。

なるほど。

頭の中で、現在の位置関係と目的地までの距離を計算する。

チュラクシスが停泊している南の海沿いから、目的地の北の山脈までは途方もない距離がある。

軍がすでに動いているという情報を得た以上、一刻の猶予もない。

助っ人の到着をこの場所で待ってから出発するよりも、それぞれの現在地から最短ルートで現場へ向かい、

現地で合流した方がはるかに効率がいい。

無駄な時間を徹底的に省く。 急ぐのであれば当然の判断だ。


クレティさんはラキへの指示を終えると、今度はユミィの方へ向き直った。

口角を大きく吊り上げ、わざとらしいほどの満面の笑みを浮かべる。


「ハハハ。さあ、指示を頼むぜ、ユミィ艦長」


からかうような、だが確かな信頼のこもった太い声だ。

ユミィは少しだけむっとしたように唇を尖らせた。

そして、あの分厚い手紙をしまい込んだポケットを、手のひらでポンポンと誇らしげに叩く。


「艦長代理です」


そう返し、ユミィは前を向いた。

その表情には、疲労も、過酷な依頼への恐怖も一切見えない。

お父ちゃんからの手紙が、彼女の背中を力強く押しているのが俺にもはっきりとわかった。


少し離れたコンソールパネルでは、シルヴィアさんがすでに動き出していた。

細く長い指先が、キーボードの上を滑るように踊っている。

パチパチという軽快な打鍵音が艦橋に響き渡る。

メインモニターの画面が次々と切り替わり、航行システムが急速に立ち上がっていく。

船の各部から送られてくる緑色のステータスランプが、薄暗い艦橋を明るく照らし出した。


準備は整った。

ユミィは大きく息を吸い込み、艦橋全体に響き渡るような力強い声で叫んだ。


「出っ航ーーーー!」


その声が空気を震わせた直後だった。

足元の床のずっと奥深くから、重く低い唸り声が響き始めた。

チュラクシスの心臓部、ツァイトモーターが莫大なエネルギーを産み出し始めた音だ。

足の裏から骨伝導で伝わってくる微細な振動が、一気に強くなっていく。

空調の風が少しだけ冷たさを増した気がした。


フワリ。


重力が一瞬だけ消え去ったような、独特の浮遊感が全身を包み込む。

胃の腑が持ち上がるような感覚。

チュラクシスの巨大な船体が、南の砂漠の重力を振り切って宙へと浮き上がったのだ。

メインモニターに映し出されていた砂と岩の景色が、ゆっくりと下へ流れていく。

代わりに映し出されたのは、雲一つない突き抜けるような青空だった。


新しい目的地は、遥か北の果て。

化け物がうごめく密林と、謎に包まれた刃が待つ場所だ。

俺は窓の外に広がる空を見つめながら、大きく息を吐き出した。

熱い風を切り裂き、巨大な船は一直線に空へと昇っていく。


ーーーーーーーーーーーーー


チュラクシスが空へ飛び立ってから、だいぶ時間が過ぎていた。

窓の外には、突き抜けるような青空と真っ白な雲の海が広がっている。

遥か遠くの方に、緩やかに湾曲した地平線が見えた。

空調の効いた艦橋には、ツァイトモーターの低く安定した駆動音だけが静かに響いている。


メインモニターの前では、シルヴィアさんとクレティさんが並んで立っていた。

二人は画面に映し出された広域マップを睨みつけ、予定航路のルート設定を行っている。

シルヴィアさんの細い指先がコンソールパネルの上を滑り、次々と新しい座標が入力されていく。

マップ上に、これから俺たちが進むべき赤い光の線が描かれていった。


俺は少し離れた場所から、その光の線をぼんやりと眺めていた。

記憶を失っている俺にとって、地図上の地名や国境線を見ても何もピンとこない。

ただの色のついた図形にしか見えないのだ。

だが、その赤い線が描く不自然な形には気がついた。

現在地である南の砂漠から、目的地である北の山脈へ向かうルートだ。

それなのに、赤い線はまっすぐ北へ伸びていない。

中央を大きく避けるように、外側へぐるりと弧を描く迂回ルートになっていた。


「なんでそんな遠回りをするんだ」


素直な疑問を口にした。

最短距離である直線を飛べば、それだけ早く着くはずだ。

画面から顔を上げたシルヴィアさんが、こちらを振り返った。


「首都のあたり、今というかずっとゴタゴタしててね」


シルヴィアさんは淡々とした口調で教えてくれた。


「北の国と戦争してて、その国境あたりが今回の目的地なの。軍も絡んでるからできるだけ人目を避けていきたいわけ」


その言葉に、俺は小さく口を開けた。

隣に立っていたラキも、コンソール席に座っていたユミィも、俺と全く同じ顔をしていた。

三人揃って、へー、という間抜けな顔でシルヴィアさんを見つめ返してしまう。

戦争の最前線に突っ込もうとしているのか。

ただでさえ軍隊や化け物が出るというのに、状況は想像以上に厄介らしい。


「そういうことだ」


クレティさんが太い腕を組み、大きく頷いた。

そしてモニターの隅に表示された到着予想時刻を指差す。


「大回りになるが、おそらく二、三日で着く。それまでに準備を完璧にしておくぞ」


クレティさんは鋭い視線をユミィに向けた。


「ユミィ。機体の最終整備を頼む。何が起きてもすぐに出撃できるような」


「了解しました。クレティさん」


ユミィは力強く頷き、すぐに手元の端末を操作して格納庫のシステムを立ち上げ始めた。


「俺たちは」


クレティさんは振り返り、俺とラキの顔を順番に見た。

そして、今もコンソールに向かって複雑なルート設定を続けているシルヴィアさんを横目で示す。


「シルヴィアがルート設定をしている間に、いつもの特訓だ。その後で、今回の依頼についてできるだけ情報を集めよう」


俺は黙って頷いた。

あの波紋模様が刻まれた槍の穂先。

そして、ルベルジンの直刀ウルグラ。

あの二つにどんな関係があるのか。

この三日間のうちに、少しでも多くのことを知っておかなければならない。

俺は両手で拳を強く握り込み、気合いを入れ直した。


ーーーーーーーー


俺たちは艦橋の中央テーブルに広げられた資料を、もう一度囲んでいた。

シルヴィアさんがコンソールパネルに向かって航路の微調整を続ける横で、情報の洗い出しだ。

テーブルの上の紙切れを、指の腹でトントンと叩いた。


「おやっさん。師匠の情報を疑うわけやないけど、そもそもあれって槍なんか」


こいつは首を傾げながら、不思議そうに口を開いた。

俺も横からその資料を覗き込む。

槍だと思しきモノクロの拡大画像が添付されていた。

柄の部分が無く、刃の根元から先端だけが大きく写し出されている。

確かにこいつの言う通りだ。

こうして刃の部分だけを切り取って見せられると、槍の穂先というよりは、少し幅の広い短剣のようも見える。

両刃のナイフと言われた方がしっくりくる形をしている。


「なあ、クレティさん。刀の刃と槍の刃って、一体何が違うんだ」


素朴な疑問をそのまま口にした。

俺のルベルジンが持っているウルグラは長刀であり直刀だ。

あれと同じ波紋を持つこの刃が槍だと言われても、見た目だけではいまいちピンとこない。

クレティさんは太い腕を組んだまま、ふむと短く唸った。

だが、その口から答えは返ってこない。

大きな体を少しだけ動かし、黙ったまま隣に立っているユミィの方へ視線を向けた。

完全な丸投げだ。


突然視線を集められたユミィは、パチパチと目を瞬かせた。

そしてすぐに真面目な顔つきになり、テーブルの上の画像を細い指先で指し示した。


「この探している穂先がどういうものかは、私にもわかりませんが」


実直な声が、静かな艦橋の空気に溶け込んでいく。


「でも、刀は横からの衝撃に耐える構造になっています。相手に叩きつけたり、敵の武器を受け止めたりするためです」


ユミィは両手を使って、空間に目に見えない刃の軌道を描いてみせた。


「それに対して、槍は正面からの強烈な突進の衝撃に耐える構造のことが多いです。縦方向の圧力に特化して作られているんです」


淀みのない、分かりやすい解説だった。

少し驚いてユミィの横顔を見た。

チュラクシスの機関部や、ソルダールフレームやツァイトモーターに詳しいだけじゃない。

兵器や武器の設計思想そのものについて、本当に深い知識を持っている。

さすがは最高のメカニックを目指しているだけはある。

俺がひそかに感心していると、ユミィは少しだけ小首を傾げて付け加えた。


「けど、もっとシンプルに考えることもできますよ」


「シンプルに?」


俺が聞き返すと、ユミィはあっけらかんとした口調で言った。


「以前、単純に槍として使われていたんじゃないですか」


難しい構造や設計の話ではなく、長い柄の先に取り付けられて使われていたから、槍の穂先と呼ばれている。

ただそれだけのことかもしれない。

俺は隣に立つラキと、思わず顔を見合わせた。

こいつも少し目を丸くして俺を見ている。


「「なるほど」」


間の抜けた声が、全く同じタイミングで重なった。


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