【第7話:酒の醸造 —— 51歳の接待技術】
魔導師団の本部にあるセレスの執務室。深夜、書類の山を片付けていた師団長セレスが、心底忌々しそうにペンを置いた。「……田中、いるか」。呼ばれて入室した田中に、彼女は無造作にクリスタルのグラスを差し出した。
その鋭い眼光は、かつて無理難題を押し付けてきた取引先のワンマン専務そのものだった。田中は51年の社畜経験から、彼女が「言葉にできないストレス」を抱えていることを瞬時に察した。
「田中、お前の出す水は純度が異常だ。……ならば、水以外の不純物を混ぜることも可能か?」
田中は、営業マン時代の「何でもやります」という笑顔を浮かべた。
「……お口に合うかは分かりませんが、少し試してみましょうか。私の指先、実は『フィルター』の役割も果たせましてね」
田中は集中した。実家の農家で親父がこっそり造っていた密造酒の匂い、そして商社時代の接待で浴びるほど飲まされた、あの一本数十万する「幻の大吟醸」の芳醇な香り、舌の上で転がる米の甘み、喉を焼くアルコールのキレ。
魔力を指先に集め、水分子の間にそれらの「記憶」を不純物として緻密に組み込んでいく。
トトト……とグラスに注がれたのは、月光を透かすほどに澄み渡った透明な液体だった。セレスが訝しげに一口含んだ瞬間、その完璧に整った眉が大きく跳ね上がった。
「……っ!? ……なんだ、これは。王宮の地下に眠る最高級の古酒よりも雑味がなく、それでいて果実のような香りが鼻を抜ける……。田中、貴様、これを魔法陣もなしに作り出したのか?」
「ただの『不純物入りの水』ですよ。接待の基本は、相手の好みを先読みすることですから」
田中は、かつて部下たちに説いた「接待の極意」を思い出しながら、冷徹な師団長の顔が微かに赤らむのを見守った。この日を境に、田中は単なる給水係から、師団長専用の「歩く極上酒蔵」として、さらに深い依存関係へと引きずり込まれていくことになったのである。




