【第36話:未知の漂流者と「血塗れの五人」 —— 51歳、不純な野戦病院を開設する】
「……おい、ポチ。……その耳の立ち方、ただ事やないな。……一人やない、五人の足音や。……それも、……絶望的なまでに血生臭い。……これ、……商社の『海外合弁事業』が暴動で潰れた時の、あの地獄の空気やぞ……」
翌日の昼下がり。手作り樽の中で一晩熟成された「魔改造・安焼酎」の二日酔いに悶絶していた田中に、ポチの喉の奥から絞り出すような警戒の唸り声が響いた。
谷底を覆う濃密な魔の森の樹々が強引になぎ倒され、そこから転がり落ちてきたのは、鈍い光沢を放つ全身鎧に身を包んだ五人の男女。大陸西部の最大国家**『アイゼンガルド魔導連邦』の最強実行部隊、S級パーティー『銀翼の凶鳥』**の面々であった。
「……はぁ、……っ。……誰か、……リュカを……! ……ポーションが……もう……空に……!」
リーダーらしき女戦士レナが、悲鳴に近い声を上げた。彼女の背には、腹部を魔物の爪で深く抉られ、内臓が零れんばかりの重傷を負った青年リュカが、仲間の魔導師と斥候に担がれてぐったりと垂れ下がっていた。
「……なんや、この鎧。……俺がいたスラムの『王国』の比やないぞ。……って、感心してる場合か! ポチ、これ完全に『デッドライン』越えてるぞ! 酒なんか出してる場合やない、まずは『救急対応』や!!」
田中は二日酔いを一瞬で吹き飛ばし、全裸のまま慌てて駆け寄った。
だが、その瞬間。
「……ッ、下がれ、……変態が……! 仲間に……触れるな……!」
意識を失いかけていたはずのレナが、凄まじい執念で大剣を抜き放ち、田中の首元へ突き出した。
「……ヒッ、……ひぇっ!? ……す、すんまへん! ……違うんです、……怪しいもんやないんです(全裸やけど)! ……ただ、……助けようと……!」
田中は情けない声を上げ、両手を挙げてフリーズした。51歳の魂が、本能的に「暴力(コンプライアンス違反)」に怯えて縮み上がる。首筋に触れる冷たい刃の感触に、田中の股関節が生まれたての小鹿のように震えだした。
だが、その絶体絶命の空気を切り裂いたのは、背後に控えていたポチの**「咆哮」**だった。
「――グル、……ルアァッ!!!」
谷底全体が震えるほどの魔圧。魔の森の王たる魔狼の威圧に、満身創痍のS級パーティーは息を呑んだ。レナの大剣が震え、魔導師の火球が霧散する。ポチの「俺の主人(全裸)に何さら晒しとんねん」という無言の圧力が、熟練の戦士たちから戦意を根こそぎ奪い去った。
「……あ、……ポチ、……ええよ、……怒らんといて。……彼らも、……必死なんや……」
ポチに守られ、ようやく呼吸を整えた田中は、震える指先をパチンと鳴らした。
出すのは黄金色の酒ではない。魔力を極限まで高め、不純物を一切排除した**「超高圧・滅菌生理食塩水」**だ。
「……ええか、お嬢ちゃん。……俺、……戦うんは大嫌いなんや。……でも、……商社マンの端くれとして、……目の前の『倒産(死)』は見過ごせへんのや……」
田中は全裸のまま、瀕死の青年の傷口に、精密な水流を吹きかけ続けた。
最初こそ敵意を剥き出しにしていた彼らも、傷口が奇跡的な速度で塞がっていく光景に、もはや抗う気力を失い、その場に崩れ落ちた。
それから一週間。田中の隠居生活は、突如として過酷な「野戦病院」へと変貌した。
田中は全裸のまま、自慢の指先スキルを駆使し、五人分の傷を毎日洗浄し、岩塩のミネラルを調合した湿布を貼り続けた。ポチもまた、その大きな体を五人分の毛布代わりに貸し出し、冷え込む夜は彼らを温めた。
そして七日目の朝。
ようやく、リーダーのレナが薄らと目を開けた。
視界に映ったのは、鼻歌を歌いながら、何かを木樽に注いでいる「筋肉質な全裸の若者」の後ろ姿と、自分たちを見守る巨大な魔狼の顔だった。
「……ここは、……精霊の住まう……聖域……? ……それとも……」
「……お、全員目が覚めましたか。……ちょうど一週間。……お兄ちゃんの傷も、もう全力疾走できるくらいには塞がりましたよ」
田中は、一週間熟成を重ねて「もはや魔力の塊」と化した樽の栓を抜いた。
その瞬間、岩穴の中に、五人の精鋭が今まで一度も嗅いだことのない、脳の芯を痺れさせるような「究極の酒精」の香りが爆発的に広がった。
「……身分も任務も、一回全部忘れましょう。……51歳の……いや、22歳の俺が奢りますわ。……地獄からの生還に、……乾杯しましょうや」
田中が岩塩のグラスに注いで差し出したのは、琥珀色に輝く「命の酒」。
一週間の死闘と、その後の献身的な介護。極限状態から救われた五人の精鋭たちの鼻腔を、現実を忘れさせる「魔性の香り」が愛撫した。




